2008年04月05日
ドナドナ(再縫合)
♪あ~る~晴れた~ひ~る~下がり~
♪お医者~へつづ~く道~
傷口の具合が思うようでないので
再度バニウトロをお医者さまへ連れて行くことに。
何も知らないバニウトロは
それはそれはうれしそうに車に乗り込みました。
麻酔前。どこに連れて行かれるのかも知らず
期待で目ぢからのあるバニウトロ。
お医者さまも傷口を見て、
「ああ~、ちょっと開いてしまいましたね。
中も外ももう一度しっかり縫い合わせて
その上でホッチキス(違う名前で言ってたけど忘れた)でも
とめておきましょう。」
ということで麻酔注射を打たれ、奥の部屋へ。
2時間後に迎えに行くと、
首の伸びたTシャツの代わりに
腹巻に袖の穴をあけた
ボディコンシャスな服(?)を着たバニウトロが
よろよろと連れてこられました。
まだ麻酔が効いているので少しもうろうとしています。
麻酔後。目が完全にイッっちゃっているバニウトロ。
腰もくだけて、立っていられないバニウトロ。
車を降りて少しだけお散歩をしましたが
なんだか年をとったおばあちゃんの手を引いている感じ(^_^;)。
バニウトロも、すぐにでも横になりたそう。
腹巻というか、おばあちゃんの腰巻っぽいですね・・・。
家に帰ったら、日のあたる廊下で横座り。
いつもと違うバニウトロに
シャリも近づいてようすを伺っています。
う~ん、やっぱり縁側で猫と日向ぼっこする
おばあちゃんに見えるなあ。(泣)
2008年04月12日
た・・立てない!
今回の再縫合で、傷口はしっかりくっついてきたのですが
当のバニウトロの体調があまり優れません。
今までは、手術後1~2日で麻酔もしっかり抜けて
階段も元気に駆け上がっていたのですが
今回は1週間たってもヨロヨロしています。
それどころか、右半身を微妙にひきずって
立ち上がるのも辛そう。
お散歩もできればしたくないらしい。
おかしい・・・・・・・・・。
足が痛いというより、手足の自由がきかない感じです。
右目も左目に比べて少し垂れている気がする・・・・。
トイレもはずすし、お薬を入れてポーンと投げたパンのかけらを
今までは100発100中でパクッとキャッチしていたのに
最近は全然タイミングがつかめないみたい。
そうこうしている内に、昨日ついに一人で立てなくなりました。(泣)
必死に手足を踏ん張ろうとするけど、どうしても立てない!
顔や全身を正面から見るとわかるのですが
右半分が傾いてしまっています。
気力はあるのですが、バランスがうまく取れないようです。
それでも「おしっこ!」と思った時は
必死にトイレに行こうとするのがいじらしい・・・。
(狙いははずすけど。)
というわけで、今日、仕事を半日休ませてもらって
セカンドオピニオンのつもりで
別のお医者さんへ連れて行ってきました。
先生は傾いているバニウトロを見ると
「これはもしかしたら、脳からきている症状かもしれません。」
と、心配していたとおりの言葉を口にしました。
とりあえず、5日間、強めの抗生物質で経過を見て
症状が上向きにならなければCTで調べることに。
その間のバニウトロは、散歩でも何でも
無理をさせてはいけないけど
動こうとするのは止めなくてもいいと言われました。
帰りに寄ったホームセンターでトイレシートを買いながら
大型犬用のおむつも買おうかな~と思いましたが
まだ自力でトイレに向かおうとしているバニウトロの
けなげな意志を尊重して、今回はやめておくことに。
家ではトイレのすぐ近くに専用の病室を作りました。
(と言っても、広めのマットと毛布を敷いただけですが。)
水のいっぱい入ったバケツもすぐ近くに用意。
わが家の即席集中治療室。隣は付き添いの世話焼きシャリ。(笑)
腰に巻いてあるタオルは、バニウトロが立ち上がる時に
介助するためのベルト代わりのもの。
@BOSSから教えてもらいました。
首輪とこのタオルを持って上に引き上げると
バニウトロも簡単に立つことができます。
バニウトロはこの4月24日で12歳。
人間にしたら90歳に近いおばあちゃんです。
このまま足腰が弱って、歩けなくなったら・・・。
そんな不安がついついよぎってしまいますが
がんばって動こうとするバニウトロの目には
まだまだしっかりとチカラがあるので
大丈夫!ぜったい良くなる!と信じて
今後の治療を受けていこうと思います。
2008年04月14日
介護はじまる
とつぜんですが、介護生活が始まりました。
バニウトロは(おそらく)右半身がよく使えていないので
このように正面にいる私を見るときも
左目だけを使って見るように横を向きます。
最近やけに水入れのまわりがビシャビシャになるなあと思ったら
水を飲むときも、口の右半分がうまく閉まらなくて
右側からこぼれてしまうようです。
左目だけで私を見つめるバニウトロ。
でも、トイレは本当にけなげにも自分でなんとか立ち上がり
昨夜は夜中の2時、明け方4時に
「ヒンヒンヒン」となかなかうまく移動できない自分に鳴きながらも
私がその声に目を覚まして階下へ降りる頃には
きちんとシートにおしっこやウンチをしていました。
えらいぞ!(泣)
トイレに立ったバニウトロを待つ、できた付き添い。
明け方しばらくバニウトロのそばに座り
再びうとうとするバニウトロの頭をなでながら、
だんだん不安になってきました。
5日間ようすを見ている間に
取り返しがつかないほど悪化したりはしないんだろうか・・・。
何もしていないわけではないけれど
このまま不安に過ごすより、さらにもう一人
別のお医者さまにもみせてみようか・・・・・・。
こんなに歩かないでいると
筋力もがっくりと落ちてしまうことでしょう。
なにより年が年なので
歩けるようになる可能性があるなら
早いほうがぜったいにいい。
ということで、@BOSSにも相談して
サードオピニオンとして別のお医者さまにも
診ていただくことにしました。
同じ診察結果と処置方法を判断されるならば
それはそれで安心ですし。
結果はまた後でご報告します。
2008年04月15日
サードオピニオン
今日は一日中「春爛漫」という暖かさで
本当に気持ちのいいお天気でした。
仕事で車を走らせていても
あちらこちらで桜が満開に咲き誇っているのを目にします。
美術館の丘の上、見事に咲いたしだれ桜。
途中、家によってバニウトロのようすを見てみました。
お留守番をしながら横になっているバニウトロ、
「気持ちいいからお散歩しよう!」と声をかけても
あまり乗ってきません。
でも、首輪と腰のタオルで立たせてあげると
ヨロヨロとしながら、ゆっくりゆっくり着いてきます。
寝起きはさらにバランスがとりにくいらしく
玄関にたどり着くまでに、あちこちぶつかりそうになります。
どうしても右に傾いてしまうバニウトロ。
写真を見るとわかるように、
右側の顔が神経麻痺を起こしていて
だらんと垂れ下がっています。
犬の目は人間と違って、顔の両脇にあるので
片方の目が見えないととても不自由なことでしょう。
進む方向もあまりよくわからないみたいです。
今日のあたたかい春の風に、しばし休息~。
お散歩というよりも、外に出て立っているだけの時間でしたが
ずっと寝ているよりも、トイレ以外にも多少体を動かしたほうが
バニウトロが動こうとする限りは、体にはいいようです。
げぷ。フードは完食。食欲だけは衰えません。
ただし、いつものフードだけでは食べてくれないので
「半生タイプ」を5分の1くらい混ぜてあげます。
そんなに普段のフードって味がまずいんだろーか・・・。(^_^;)
相変わらずの世話焼きシャリ。あんたは「猫村さん」か?
そうそう、ご報告が遅くなりました。
昨日サードオピニオンとして伺った新潟の動物病院で
セカンドオピニオンの先生と同じ診断結果を頂き
少しホッとしています。
おそらく外耳炎から、内耳も炎症を起こしてしまい
膿がたまって神経を圧迫して
三半規管や脳に影響を及ぼしているのではないか、
と予想されると言うことですが
あくまでもそれはCTを撮ってみないと判断できないそうです。
そして、CTを撮るには麻酔が必要なので
まずは強い抗生物質で炎症を抑えながら
同時に神経の症状を良くする薬を与えて
ようすを見るという今の処置は正しいと思います、とのこと。
CTの結果、手術ということになるのか
それとも手術をせずに薬で悪化を抑えながら生きるのか、
それはその時の判断ということになるそうです。
「体は麻痺して不自由になっても、
元気に生きながらえているワンちゃんもたくさんいますよ」
という明快な先生の説明に、雲が晴れる思いでした。
決して喜んでいい状況ではありませんが
今はバニウトロに一番よいと思われることを
してあげられたらと思います。
皆さん、ご心配ほんとうにありがとうございます。
ヨロヨロしているけれど、バニウトロは元気です。
2008年04月17日
診察日
お薬を飲んで5日目、
今までは体を支えるだけでいっぱいいっぱいだったのが
バニウトロ自身が、傾いたままよく動き回るようになり
また、長時間立っていられるようになりました。
喜んでいいかどうかは別にして、
この傾いたバランスに慣れてきた感じです。
シャリはシャリで、ちょうどいい距離を保ちながら
近づいたり遠くで見ていたり。
本人は介護のつもりもないでしょうが
はたから見ていると世話を焼いているように見えて
思わず笑ってしまいます。
バニウトロに添い寝をするシャリ。部屋の中でも・・・
廊下に移動しても・・・。普段はしないくせにね。(笑)
さて、5日分の薬を飲み終えて
今日はいよいよ2度目の診察日です。
運動をしないのに食欲のあるバニウトロは
前回の診察から2kgも体重が増えて29.5kgになっていました。
お医者さまはバニウトロを見ると
「左目(見えるほう)の瞳孔の揺れがなくなりましたね。
足も前よりもしっかりしてきたようです。
今日は傾きをとる薬を出しますので
これを飲んでまた5日間ようすを見てみましょう。」
CTは撮らないんですか?
「CTを撮ればどこに原因があるかわかるけれども
CTそれ自体は治療ではないんです。
それにCTを撮るには、全身麻酔をかけなくてはならないのでね。」
ということで、これまでのお薬に加えて
もう一種類、「傾きを取り除く」ためのお薬を頂きました。
これは、魚から抽出した油をカプセルに入れたものだそうですが
ものすご~く魚の生臭いにおいがするのだそうです。
あと、耳の点耳薬も2本頂きました。
ついでに肩の縫い傷も診てもらいましたが
強めの抗生物質のおかげか、
前回までのジュクジュクした膿はすっかり消えて
きれいに皮膚がくっついていました。
足が思うようでないので、傷をかいたりもできないでしょうから
これまで着ていた腹巻服も脱がせることに。
久しぶりの「はだか」のバニウトロです。
診察を終えて病院を出るバニウトロは
早く帰りたい一心からか(笑)
病院に入ってくるときとまったく違い
とてもしっかりした足取りで、車までズンズン歩いていくので
私もビックリしました。( ̄∀ ̄;)汗
家に帰ってバニウトロを降ろし、少しだけお散歩。
服を脱いだら、なんだかとっても「犬」らしいですね。(笑)
サードオピニオンの先生と同じく、
やはり外耳炎から内耳に影響して
耳の付け根にある神経器官を圧迫しているのではないか、
最悪は脳腫瘍ということも考えられるとおっしゃってはいましたが
ここまでの経過を見る限り、悪くはなっていないので
あえて全身麻酔という危険を冒さず
もうしばらく薬の作用でようすをみていくことになりました。
来週はバニウトロの12歳のお誕生日です。
2008年04月20日
第4の病院へ(フォースオピニオン)転院
前のブログで、少し快方に向かっていると書きましたが・・・。
金曜日の夜、帰って見るとバニウトロの具合があまりよくなく
いつもなら喜ぶ「お薬!」の時間も
大好きなパンにお薬を包んで投げてやりますが
見えていないのか、目の焦点があっていなのか
感覚的にコントロール出来ないみたいで
全くキャッチも出来ませんでした。
立ち上がり方も、歩き方も前日より悪く
お医者さまから「様子を見ましょう」と言われてはいましたが・・・
何となく、このまま、実は悪くなっているのを
目の前に見ながら何もしないでおくのは、
単に悪化を見過ごしているのではないかという気がしてしまいます。
それによって、回復のチャンスを逃しているような不安におそわれ、
突然ではありますが、サードオピニオンを下さった先生や
その他大勢の方々が勧めてくれた別の病院に
「フォース・オピニオン」を受けにいって来ました。
たぶん、相性というものがあるのでしょう。
今回セカンドで診て頂いているお医者さまは
診察後、どうしても私自身に不安が残ってしまい
先日のようにサードオピニオンとして
他の先生の意見を聞きたくなってしまうのです。
そして、そこでお聞きしたサードオピニオンの先生の
ご意見を励みに(裏づけに)診察を受けていましたが
どうしても不安は拭いきれませんでした。
このサードオピニオンの先生は、本当に分かりやすく
的確にキチンと悪いことも含めてお話しをしてくださるので
こちらにお願いをしたいという気持ちもあったのですが
なにぶん距離的に遠い事と、CTなどの設備がないという事で
「その先の治療になると、この病院では出来ませんので
他の先生にお願いをする事になります。」と
はっきりと仰って下さる信頼できる先生でしたので
そのご意見を取り入れて、上にも書いたとおり
CTを持っているの別のお医者さまに
行ってみることにしました。
病院へ。うちの玄関前は円形の段差があるので
歩きにくそうなバニウトロ。
今回のフォースオピニオンの病院の第一印象は 「明るい!」。
院長先生はじめ、スタッフのみなさんが
ファミリーという雰囲気で、暖かい感じです。
書いた問診票を受付に出すときに
これまでの経過を書いたメモを一緒に渡しました。
1時間ほど待ってようやくバニウトロの番。
院長先生は、スタッフの方から受け取った
先ほどのメモをずっと読まれて
じっくりと詳しく話を聞いてくださいました。
また、神経科専門医の先生も一緒に見てくださることに。
手足の動き、傾き、顔面の麻痺、
それぞれを順番にお二人で診察した結果
やはり考えられるのは、外耳炎からきた膿が
鼓室胞(こしつほう)周辺の神経を圧迫する炎症性の原因、
または鼓室胞や脳内に腫瘍ができている腫瘍系の原因。
炎症性ならお薬で炎症を抑えていけば
圧迫された神経もよくなって
傾きも少しずつ治る可能性がありますが
腫瘍性だった場合は手術でこれを取り去る以外
ゆるやかにだんだん悪くなっていくそうです。
ただし、今回の麻痺の直接のきっかけが麻酔だった可能性もあり
CTと手術の時にまた全身麻酔をかけなければならないのは
やはりできるだけ避けたいというのが正直な気持ちだそうです。
突然カラーをつけられてここから逃げ出したいバニウトロ。
そっちは壁だよ、おい。(笑)
「CTを撮らないとわからないのが実際のところですが
せっかくなので、麻酔なしでできる検査ということで
レントゲンと血液検査をしてみましょう。
何かわかればめっけもの、と思ってくださいね。」
麻酔なしとなれば、当然レントゲン室は大騒ぎ。
「全員集合!」「ガウガウガウ!」「そっち押さえて!」
「ギャウギャウギャウ!」「横向けて!」「うわー!」
・・・・・・・す、すみません。( ̄∀ ̄;)汗
レントゲンの結果、やはり鼓室胞と耳道に白い影が。
これが膿か腫瘍か溶けたカルシウムの付着かは
CTを撮らないとわからないそうですが・・・。
血液検査では白血球の他にALPとGPTが異常値でしたが
これはステロイドを服用しているためと思われます。
このステロイド(前回紹介した小さいピンクの薬)は
神経の修復をしてくれる一方で、
抗生物質の持つ「細菌の増幅を押さえる力」も弱めてしまうので
外耳炎にような感染症がない場合は有効ですが
バニウトロの場合はあまり長く服用してはいけないようです。
(これはサードオピニオンの先生も仰っていましたが。)
そこで今回は非ステロイド系にお薬を変更。
ステロイド系と非ステロイド系を同時に服用すると
胃の粘膜をやられて吐き気を催したりする
副作用があるかもしれないので
今日からステロイドをやめて、その2日後から
非ステロイド系のお薬を服用するようにとの指示でした。
また、ステロイドは神経にはよく効くお薬なので
服用をやめる時には一時的に具合が悪くなることもあるそうです。
(この事もサードの先生から 『減薬すると調子が悪くなる事も
あるのでね』と予めお聞きしていましたので、スンナリ納得。)
たしかに昨日の夜からステロイドの服用をやめたら
今日はあまり元気がないようですが
その理由がはっきりわかると、安心していられます。
今日はめずらしく食欲のないバニウトロ。
あまり動かず、ずっと寝てばかりいます。
そのバニウトロをかいがいしく介護して
額をなめているシャリのようすを
最後に見てやってください。(swfムービー125k)
「な〜にやってんだよう!」はテレビの声ですからね。(笑)
2008年04月22日
食欲減退、そして復活か!
2日前からほとんどご飯を食べなくなったバニウトロ。
そして、ステロイドの服用をやめた為か
前足もしっかり踏ん張ることができなくなり
昨日などは、まったく歩けなくなりました。
ということで、家に帰ってみたら
毛布の上に寝グ・・・失礼、寝たままウンチも。
腰タオルで介助してもトイレに歩いて行くどころか
ちゃんと立っていることすらできないので
昨夜からトイレシートをしいてやり、寝たきり生活に。
今朝のバニウトロです。
寝たままですが、お水をやるとおいしそうに
食器一杯の水を飲み干しました。
でもご飯はビーフ缶を二口ほど口をつけてみただけ。
(ドライフードはもうまったく食べません。)
となると困るのがお薬タイムです。
ステロイドの服用をやめて、2日間あけて
今日から非ステロイド系の抗炎症剤を服用するのですが
パンに入れても口を開けようとしない!
口に固形のものが入ること自体が
あまり御所望でないらしい・・・・・。
なんとかアイスクリームに入れたら
口に入れてくれましたが
薬だけを口から出してしまわないか
最後までチェックしないと。(^_^;)
このお薬で、多少からだが
今より動くようになってくれたらいいのですが・・・。
お昼過ぎ。
仕事で会社を出たついでに、一度家に寄ってみました。
いつのまにか家の前の桜も満開。玄関が桜の香りでいっぱいです。
「お~い、生きてるか~」と中へ入ると
バニウトロの「ヒンヒン」という声がして、ひとまず「ホッ」。
バニウトロはおしっこもせず、横になっていましたが
お水をやると、やはりおいしそうにごくごくと飲み干しました。
ごはんはどうだろうなあ・・・
朝と同じビーフ缶を器に入れて鼻先へもっていくと・・・
おおおっ!食べてくれるではありませんか!(swfムービー116k)
そうそう、このガツガツ感がバニウトロだよ!と思いながら
鼻の先にしわをよせてフードをむさぼるようすを
しばしうれしく見ていました。
あまりたくさんの量は食べませんでしたが
この2日間(今朝も)、申し訳程度に口をつけていた時に比べれば
「食う!」という体からの欲求が出てきたみたいです。
今朝のお薬が効き始めたのでしょうか。
ちょっとだけ安心しました。
2008年04月24日
バニウトロ12歳に
今日4月24日で、バニウトロは12歳になりました。
残念ならが、寝たままの誕生日ですが・・・。
でも、この日を迎えられてよかった。
以前なら、車で家に帰ると、
バニウトロの「バウバウ!」という声に迎えられたのに
今はシャリの「みゃ~」という声だけ。
「生きていてね~」と思いながら
祈るように部屋を覗いてはホッとする毎日です。
バニウトロは、その後また食欲が落ち、
お薬を以前のように飲んでくれません。
自力で立つこともできないので
床ずれができないように、時々寝返りを打たせては
水を小さなボトルでやっています。
歩けないほど弱ったのは、
薬をきちんと服用できていないのか
食欲ががた落ちしたためか
とても判断に困る状況なので
前回から今日までの経過を病院へFAXして
ご相談したところ、先生からお電話を頂きました。
「とにかく、食べないと体力が落ちるので
今は人間の食べ物でもバニウトロが「おいしい」と思うなら
なんでも食べさせて構いません。
それから、今のお薬は少し苦いかもしれないので
無味のものに変えてみましょう。
チカラが弱って食べられないのかもしれないなら
注射器のようなものを使って口から食べさせるという方法もあります。
動かせないほど弱っているなら連れてこなくてもいいけれど
連れてこれるようなら食べさせ方も教えますので」
ということですので、今日の夕方、連れて行ってきて見ます。
さっき、家に戻ってみたら
がんばってオシッコをしようとしたらしく、
毛布から離れて板の上に横になっていました。(T-T)
介助しながら毛布の上に戻しすと
がまんしていたのか、シートの上に暖かいおしっこをしました。
先生の話から思いついて買ってきた
(ウィダーインみたいな)「朝からバナナ」のパックを口に入れると
半分ほど食べてくれました。
パックを口にくわえたまま、寝てしまいましたが。
写真だけ見ると、バニウトロのセコンドになった気分です・・・
立ち上が~れ、もう一度その足で~、という
アリスの歌が浮かびます。(泣)
首のタオルは、腰タオルだけではもう立てないので
首輪にもタオルを通して、両方で持ち上げながら
寝返りを打たせるためのものです。
とりあえず会社に戻り、夕方病院へ連れて行ってきます。
また報告します。
2008年04月26日
バニウトロからの贈り物
平成20年4月24日。
バニウトロ、12回目の誕生日。
病床ながら、バーニーズにしては長命な
この日の誕生日を迎えたバニウトロに
私は「おめでとう!よかったね」と、
精一杯の感謝の気持ちをプレゼントしたいと思っていましたが
結局、私は、これまで生きてきた中で一番心に残る
大きな大きな贈り物を、お誕生日のこの日に
バニウトロから受けとることとなりました。
バニウトロ、まだ生まれて半年。シャリが我が家に来た頃。
4日前の診察日からのバニウトロの症状については
皆さんにこのブログでお伝えしてきた通りですが、
この日までのバニウトロの症状から、
再診予定日を翌日の4月25日に控えたこの日、@BOSSに
「今日までの様子を克明に書き出して
先生にFAXでご報告をして、まずはお電話で相談をしなさい」
と突然指示を出されました。
私は言われたとおりFAXをして、先生に相談したところ
「できれば翌日を待たずに診せに来るように」
というご指示だったので、
前回ブログでお伝えしたとおり24日の夕方、
@BOSSと一緒にバニウトロを先生の所へ連れて行きました。
すでに自力では立つことが出来ず、
病院への移動もかなり体力を消耗するだろうということで
welina dogparkの荒井さんが担架を貸して下さり
これに乗せてバニウトロを運びました。
担架に乗せられて車に乗るバニウトロ。
病院では、弱っているバニウトロを気遣って
先生が車の中でバニウトロを見てくださいました。
あらかじめ経過と症状をFAXでお送りしてあったので
おおよそのことはご存知の先生でしたが
バニウトロをひと目見るなり
「これは・・・・・」と驚かれました。
「前回(19日)に比べて、ここまで麻痺が進んでいるとは・・・。
抗生物質で感染を抑えながら様子をみようとしたけれど
ここまで進行が速いとなると、これは耳ではなく、
おそらく脳をやられている可能性が高いですね。」
バニウトロの目や手足を触りながらそう言われると
「これはもしかしたら、治療で症状がどうこうと言うより、
先がいつくらいかという認識をしなければいけないかも知れません。」
「間に合ってくれるかなぁ・・」
そういわれて、抗生物質と栄養剤の注入準備を始めました。
バニウトロ10才、佐渡で泳ぐ。
「バニウトロちゃんは、飼い主さんのことは認識していますか?
脳をやられると、本能は最後まで残るから
おしっこや水を飲むことはしようとするけれども
生まれてから覚えたことは消えてしまうことがあるんです。」
そういえば、ここ数日のバニウトロは
夜、寝返りもさせ、水もやって、いつもなら寝息を立て始めるのが
私がバニウトロの側を離れようとすると、
子犬の頃に戻ったようにヒンヒンと鳴くので、
『寝んね!』と言うと、我慢したのか静かになったことを思い出し、
飼い主の認識はあるけれど、
子ども帰りしているようなその様子を先生に伝えたところ
それを聞いた先生は少しだけ和らいだ表情をされました。
その後、また先生は、注射器で栄養剤を少しずつ口に注入しながら
それをうまくごくりと飲み込めないバニウトロを見て
「あぁ、咽頭麻痺も起こし始めているようです。
これが起きると、舌がうまく動かせず
ものが食べられなくなるんです。こうなると・・・」
前回の診察時と違い、先生の顔には笑顔はありません。
「こんな言い方をしてごめんなさい。
このままうち(病院)でお預かりすることもできますが
お家でできるだけのことをしてあげるという方法もあります。
どうされるかは飼い主さんが選んでください。」
先生の言葉は
「もう回復はない」ということを意味していました。
バニウトロは死ぬんだ。
突然、その事が現実として突きつけられました。
バニウトロがこの世から消えていく。
私は今日、先生のこの言葉を聞くまで、バニウトロについては
「治るか、治らないか」ということでしか捉えていませんでした。
「治らない」の先に何があるのか考えてはいなかったのです。
ほんの2週間前まで、あれだけ元気だったバニウトロだから
麻痺は完治しなくても、障害を抱えながらでも、
あと1年くらい、寿命を全うするまで
介護をされながら生きてくれるだろうと
漠然と、そして楽観的にと思い込んでいたのです。
それが・・・・・・。
今、私の目の前で横になっている
息の荒いバニウトロを見ながら
涙がポロポロと止まらなくなりました。
前回も説明をうけたことでしたが
感染系なら、抗生物質で進行を抑えて
神経に効く薬を与えていけば
多少麻痺が残ってもよくなる可能性はあるけれど、
脳障害や腫瘍系だった場合には・・・・・・。
自宅は留守がちだし、私は医療のプロではないので
重要なサインを見逃しはしないかという不安はありますが
バニウトロのことを思えば
病院で一人寂しく治療を受けるより
家で看病されたほうがきっといいに違いない。
それに私だって、預けたままにして
病院から電話で「亡くなりました」という報告は聞きたくない。
「最後まで一緒にいよう。」
バニウトロは連れて帰ることにしました。
バニウトロ7才の冬。散歩しながら雪を食べる。
バニウトロ8才、越前浜にて。
とりあえず3日分のお薬と栄養剤を手渡しながら先生は
「脳腫瘍の場合、あるいは脳腫瘍でなくても、脳がやられると
三半規管だけでなくいろいろなところに麻痺が出てくる。
広がり方とその速さを見ていると、おそらくそうです。
顔面麻痺や傾きだけでなく、ものを飲み込めなくなったり
呼吸困難になったりしてくるかもしれない。
こんなことを言って本当にごめんなさい。
でも、あまりバニウトロちゃんの苦しむのが長引くようであれば
人間には許されていませんが
動物には安楽死ということも法律では許されていることだけ
覚えていてください。」
バニウトロはもう緑の田んぼ道や、桜の下を散歩できないんだ。
大好きな海で、もう泳ぐことも出来ないし、
大好きなバスの運転席の隣を陣取って
旅行に行くこともできないんだ。
バニウトロは大好きだった事を、
もう、何ひとつできないんだ・・・。
バニウトロ8才、妙高高原にてロバのシロと。
バニウトロ9才、ビールを分け合う。
バニウトロ11才、バスでお出かけ。
帰りの車の中でも涙が止まりませんでした。
そんな私に@BOSSは
「俺もバニウトロがなんとか良くなってほしい、と祈っていた。
でも、あなたには酷な話だけれど、
ここ数日のバニウトロの状態を見て、実は死を悟ってしまった。
俺が昔16年飼っていた犬の最期の時と同じように、
死を実感をしてしまった。
それで、あなたにはバニウトロの状態を書き出させて
先生に今の状態を診て頂いて、今日の診断をして頂いた。
何故なら、このままあなたが治るか治らないかも
よくわからず、なんの実感もないまま
希望的観測だけで、安穏と看病をしていて
ある日突然バニウトロが死んでしまうよりも
先生から「これはもうダメです」とはっきり言ってもらった上で
あなた自身が「バニウトロは今、最期の時なんだ」という実感を胸に
バニウトロとの残りの時間を意識しながら
その一秒、一秒、一瞬、一瞬に、
泣きながらでも、精一杯のことをしてあげた方が
数倍辛いけれど、数倍いい最期だと思ったからだ。
その方が、死にゆくバニウトロから
その瞬間、瞬間に本当に多くの事を
取りこぼす事なく、手渡してもらえると思うんだ。
それに、その看病の間に、
今までバニウトロにやってしまったことや、
やれないでしまったことへの後悔と反省を心に刻んで
向き合ってあげる、それが一番いいことだと思う。」
それを聞いて、バニウトロに
今までごめんね、ごめんねという気持ちでいっぱいになりました。
ブラッシングをしっかりしていれば
もしかしたら背中のイボはできることもなく
それが破裂して麻酔を使う縫合手術もなかったかもしれない。
外耳炎の治療もきちんとしていれば
こんなにひどい炎症を起こすこともなかったかもしれない。
今、私は寂しさにどうしようもない気持ちでいるけれど
まだ子犬だった頃に、会社を始めたばかりで、しょっちゅう深夜まで
留守番をさせられていたバニウトロは、もっと寂しかったのかもしれない。
バニウトロの砂時計の砂がサラサラと落ちていく。
あとどれくらい時間が残っているのかわかりませんが
今の今まで感じてはいなかったこの「限られた時間」、
それが心からわかった今、精一杯のことをしてあげたいと思いました。
今回頂いたお薬と高カロリー栄養補助食品。
しっかり飲み込めるように注入器を使います。
先生から教わったとおり、ごはんも水も注入器で
口の脇からのどへ入れてあげます。
夜中、2時間おきに寝返りを打ちたがりますが
自力ではうまく起きることができません。
がんばれ、がんばれ。
一晩バニウトロのそばで横になりながら
時々目を覚ましては、バニウトロの静かな寝息に安堵しました。
昨日までは、生きていることが当たり前だったけれど
よく考えてみれば、それは決して当たり前のことではなかったんだ。
それをバニウトロが教えてくれました。
バニウトロ9才、桜の丘を散歩。
朝、会社へ車を走らせながら窓の外を眺めると
山々はすっかり春の景色。
満開だった桜は少しずつ散り始め、
色とりどりの花があちこちに咲き始めました。
裸だった大地には柔らかな新しい緑が芽吹き始めています。
一つの生命が終わって、また新しい生命が始まる。
バニウトロもその一つ。
大きな自然のサイクルの中で
この世に生を受け、もうじきその命を終えていく。
春の花々と芽吹いたばかりの木々の緑を
今朝は、これまで感じたことのなかった荘厳な思いで眺めました。
「人生には始まりがあって、終わりがある。」
この当たり前のことを、昨日まで
実感として意識もしていなかった私。
そんな話を朝、会社のミーティングでしたところ、@BOSSが
「それを感じられるようになったことが
バニウトロからのプレゼントだよ。
そして、あなたがそれを生かして生きていくことが
バニウトロがこの世に生を受けた、
何物にも変えがたい本当の証になるんだよ。」
本当にそうだなと思いました。
家の前の桜、毎年三分咲きで終わっていたのに
ここへ越してきて以来初めて、今年は満開に咲き誇りました。
バニウトロと一緒にこの桜の下を散歩したかったな。
家に着いて桜を見上げると、
ついそんな感傷的な気持ちになりますが
バニウトロは家の中で麻痺と闘っています。
私も感傷にひたることなく、
現実の中でバニウトロと生きなくては。
バニウトロ10才の秋。
皆さんには、バニウトロをご心配、そして応援いただき
本当に心から感謝しています。
バニウトロはもうすぐ虹の橋を渡ろうとしていますが
まだもうちょっと、渡る時間を待ってくれているみたいです。
その時間がどれくらいあるのかはわかりません。
でもその日まで、後悔のないように過ごせたらと思います。
バニウトロの誕生日に
バニウトロからもらった素晴らしい贈り物のおかげで
虹の橋を渡るバニウトロを見送る日まで、
私ももう少し頑張れると思います。
どうか、見守っていてください。
2008年05月01日
GW、バニウトロと旅する
皆さん、たくさんの温かいコメントや応援のメール、
本当にありがとうございます。
話せないバニウトロに代わって、心からお礼をいいます。
なかなかコメントやメールのお返事を書けなくてすみません。
でも、皆さんの貴重な体験や思い出を聞かせて頂いて
私自身も励まされ、癒され、勇気づけられ、
毎日、気持ちを新たにしています。
家の前の桜も散り始め、タンポポが花を咲かせました。
日々、外の景色が変わっていきます。
誕生日から5日後の29日、
大急ぎで送って頂いた栄養補助剤「ニュートリカル」が
家に届いたその日のことでした。
バニウトロは咽頭麻痺が進み、
呼吸は鼻からしかできなくなってしまいました。
固形物はもちろん、流動食も、水すらも
もう飲ませることはできません。
これはもはや、バニウトロの残されたエネルギーだけで
どこまで持つかというのと同じことです。
苦しそうなバニウトロ。
時々、のどが塞がり呼吸が止まりそうになり
口をこじあけて気道を開き、呼吸をさせました。
すでに3度ほど生死をさまよい、その度に
虹の橋を渡りかけたバニウトロは戻って来てくれましたが
水を飲めなくなって今日で3日、
信じられない生命力でバニウトロは頑張っています。
でも、そんなバニウトロに
何も食べさせる事も飲ませる事もできず、時々
ただバニウトロの苦しさを長く延ばしてしまっているだけなのでは?
と思わないでもありません。
非常に歯がゆく、無力さに苛まれます
バニウトロに私たちができることは見守ることだけ。
せめてもの償いとして、楽しい思い出をと
バニウトロの意識のある限りは、例え意識が薄れても
バニウトロが頑張って、生命を燃やす限り、いつもいつも
バニウトロが大好きだったことを
話しかけてあげるようにしています。
「よし!バニウトロ、くるまに乗ろう!」
「乗った?じゃあバニウトロの席はどこだっけ?」
「お散歩に行こう、お散歩。今日はグラウンドまでだよ」
「バニウトロ、海に行く?一緒に泳ごう!」
「明日の朝は、バニウトロの大好きな佐渡だよ!」
元気だった頃、バニウトロといつも話していた会話です。
そのほとんどを理解しているはずで
バニウトロが大好きだったものばかりです。
特に「くるま(バス)に乗る」と「お散歩」という
シチュエーションがお気に入りで
朦朧とした意識の下、
「くるまにピョン!」「お散歩」という言葉を聞くと
バニウトロの手足がパタパタと動きます。
鼻先にイカの丸干しを置いて海の香りを演出。
バニウトロは海に向かう「くるま」の中で
潮の香りに気づくと、辺りをキョロキョロと見回して
まだ海の景色が見えない距離でも、ソワソワして
くるまを降りる準備をはじめるくらい海が好きでした。
もうおしっこもウンチも出ることはないし
お水もごはんもあげることはできないけれど
想像の世界で、私たちとバニウトロは
毎日、いろいろな所を旅して、散歩をして、泳いでいます。
病気にならなかったら、バニウトロと一緒に
3度目の北海道に行くはずだったこのゴールデンウィーク。
「ウトロ」という名前の由来である
北海道斜里郡斜里町ウトロの町を、3度目となる今回も
また訪ねるという願いは叶いませんでしたが
ゴールデンウィークだったおかげで一日中一緒にいることができ、
この3日間で、バニウトロは夢うつつの意識の中かもしれませんが
北海道から九州までの旅を何度もすることが出来ました。
大好きな佐渡へも、この3日間で20回くらい渡ってきました。
今、私たちは、悲しく辛いながらも
静かで、幸せな時間を一緒に過ごしています。
食事はもちろん水も飲むことができない状態で、
バニウトロはほとんど寝ることもなく
すでに丸3日間、生きながらえています。
おそらく、呼吸困難か衰弱がそう遠くないとは思いますが
最後まで、一緒に楽しく旅を続けたいと思います。
バニウトロはもうすぐ虹の橋を渡ってしまいます。
でもバニウトロに聞いてみたら、
バニウトロは、大好きなバスに乗って
虹の橋を渡るつもりのようです。
最後のバスに乗るときも、パタパタと足を動かして
うれしそうに乗ってほしいと願っています。
そして、上手にバスに乗れたら、
私たちは、こう声を掛けてあげようと思います。
「おやすみ、バニウトロ。また明日、泳ごうね」と。
2008年05月02日
虹の橋行きのバスに乗る
平成20年5月2日、午前0時45分、
バニウトロが永眠しました。
享年12才と1週間と45分。
とても静かな最後でした。
昨日の日記でご報告した通り
水も飲めない状態が続く中がんばっているバニウトロを見て
もしかすると、バニウトロの生命力とは別に
脱水症状や尿毒症で死んでしまうのでは、と思いましたが
すでに、舌を巻き込む可能性があり
車での移動も危険な状態でしたので
GWで往診が不可能な先生とも相談し
近くの獣医さんから来てもらうことにしました。
かんぞうの花が咲く、佐渡の大野亀。丘の上で風に吹かれる。
山形のお釜。荒涼として、まるで火星のような景色。
「バニウトロ、ほ〜ら、お水だよ。」
夜7時すぎ、その先生に習って@BOSSが
鼻から胃へ直接チューブを通して
吸収のよい電解水と栄養食を送り込みました。
がんばっているバニウトロに飲ませる
これが最後のお水とご飯です。
いつもは何も口にできないバニウトロの側で
ご飯を食べる事に、申し訳なさを感じていましたが
バニウトロがお水とご飯を食べたこともあって
私たちも何となく安心して、その夜は
コタンさんが買って来てくれた差し入れを頂きました。
夕食後、しばらくすると
バニウトロの動かないはずの後ろ足がぴくぴくするので
見てみたら、一生懸命ウンチを出そうとしています。
もう丸3日間、水を飲めなくなってから、
おしっこもウンチもあきらめていたのでびっくり。
寝ていてうまく踏ん張れないので
足裏に手を当てて力みやすいようにしてあげて
あともう少し、というウンチを引っ張りだしてあげると
お水のせいか、前回のような干からびたウンチではなく
しっかりした、形のよい大きなウンチがスポン!と私の手に。
なんだか、バニウトロの赤ちゃんを取り上げたみたいで
「これが、バニウトロの赤ちゃんだったらね〜」と
思わずみんなで笑ってしまいました。
まだ古いバスの頃。タンクのお水を飲む。
「早く降りよう!」とバスを覗き込むバニウトロ。
佐渡にて。三度のメシより海が好き。
夜10時30分。
バニウトロを囲む形でみんなで横になり
この3日間あまり眠っていない@BOSSもヨーダ婆も、
ちょっとした安堵感で、順番に寝息を立て始めました。
バニウトロの荒い呼吸の音だけが部屋に響きます。
私もほどなく、うとうとし始めました。
深夜0時30分。ふと目が覚めました。
なんだかバニウトロの呼吸が違う。
今考えると、少し不思議。
バニウトロの息は激しくなったわけではなく
私が目を覚ますような変化ではなかったのですが
もしかしたら、バニウトロがお別れを言うために
私を起こしてくれたのかも、という気がしてなりません。
呼吸がいままでより静かで間隔が遅い。
前の晩は@BOSSが、バニウトロの傍らで
やはり寝息が静かになると起きだして
呼吸の様子を見守る番をしてくれていました。
昨晩はその度にちゃんと荒い息に戻ってくれていたのですが
この時の呼吸は、明らかに静かで遅かったのです。
「バニウトロ、バニウトロ !」
私の声で@BOSSもヨーダ婆も目を覚ましました。
そして、今日までに既に3度、
息の止まりそうになったバニウトロを見てきましたが、
私たちはこの時、バニウトロが
とうとう虹の橋行きのバスに
乗ってしまおうとしていることがわかり
皆の目から涙が流れました。
でも、悲しい顔は見せないで、見送る約束です。
皆、バニウトロに顔を寄せました。
そのバニウトロのおでこや耳には
私たちの涙がポトリ、ポトリと落ちましたが
でも、精一杯の声の笑顔で語りかけてあげました。
「バニウトロ、くるまに乗った?」
「よーし、ピョン!あぁ、乗れたねぇ」
「よし、じゃあ、バニウトロの場所はどこだっけ?」
「そこかあ、よしよし。海に行くよ、海!!」
「あぁ、よしよし、もうすぐ、海だよ!」
「ゆっくり休んで、明日泳ごうね」
「バニウトロ、よしよし、頑張ったね」
「うん、うん、よく頑張った、えらい、えらい」
「よしよーし。バニウトロ、いいこだねぇ」
もう誰も「頑張れ」とは言いません。
そんな私たちの声が届いてくれたのでしょう。
みんなが声をかける中、
バニウトロの目の焦点が合ってきました。
それまでは上の方向を向いていた黒目が
元気だった頃のように、真っ正面で
私たちの顔を捉えています。
「おっ!バニウトロ、見えるか?海だよ」
「よしよし、今日はゆっくりお休み」
「よしよし、いままで良く頑張った、えらい、えらい」
「よしよし、バニウトロ、疲れたよね」
そして、決して言いたくはなかったけれど
頑張ったバニウトロに、最期のご褒美の言葉を。
「よしよし、今日はもう、おやすみしていいよ」
「おやすみ、バニウトロ。」
「また明日・・・、また明日、泳ごうね」
安心したかのように、バニウトロの息は段々小さく細くなり
そしてフッと呼吸と心臓が止まりました。
私が目を覚ましてから
わずか15分くらいのことでした。
「バニウトロ、よく頑張ってくれたね、ありがとうね。」
最後にたくさんのおしっこをしました。
とても愛おしい温かさのおしっこ。
それはバニウトロが生きていた最後の証でした。
本州最南端、下関の関門橋をバスで訪ねる。対岸は九州。
@BOSSに寄りかかって嬉しいバニウトロ。
運転席の後ろ、一番広い特等席が「バニウトロの場所」
こうして、最後の日、バニウトロは
お水を飲み、ご飯を食べ、ウンチをして、おしっこをして
お別れを言って、ぜ〜んぶやりきって
虹の橋行きのバスに乗りました。
4月30日の3度に渡る危篤状態の時と打って変わって
安らかで、すっきりとして、
私たちは別れがたくて、辛くはあったけれど、
泣きながらも笑顔で見送れる最後でした。
バニウトロ、本当にありがとう。
バニウトロと一緒に過ごせて楽しかったよ。
この最後の一週間、バニウトロと
片時も離れる事なく過ごす事ができましたが
これがGWでなかったら絶対に不可能なことでした。
初めて満開となった家の前の桜といい、
お別れの時に目を覚ましてくれたことといい、
最後のお水も、ごはんも、おしっこも、ウンチも、
どれもこれもが一つの大きな丸でつながって
完結したという気持ちです。
夜が明けました。
バニウトロの枕元には
いつも使っていた食器にごはんとお水を入れ、
タンポポの花と、ココナッツの線香をあげています。
とても静かです。
外は今日も気持ちのよいお天気。
バニウトロとお散歩したくても、もうできない。
それを思うと、つい涙が出てしまいますが
もうちょっとの間だけ、
泣き虫ウトロのままでいさせてください。
佐渡、風島海浜公園をお散歩。
夕日を追いかけて沖へ沖へ。泳げ、泳げ。
何回乗ったかわからない、佐渡汽船のカーフェリー。
九州、道の駅「きくすい」にて。気持ちのいい夕暮れ。
バニウトロは、きっと今頃、バスの中で
大好きな、運転席の後ろの席を陣取って
一緒に過ごして来たこの12年間の
いろいろな景色を眺めながら
気持ち良さそうに風に吹かれて
虹の橋へ向かって走っていることでしょう。
バニウトロ、よかったね、うれしそう、
素敵なバスだね。バニウトロ号だね。
12年間ありがとう。
大好きだったよ。
「またね。また、おいで。」
2008年05月05日
バニウトロ、空へ
5月3日。晴れ。
今日は、バニウトロとの本当のお別れの日。
バニウトロはすでに虹の橋行きのバスに乗って
旅立っていったのですから、
今、ここに横たわっているのは
バニウトロが生きている間に使っていた
言わば、借り物の黒と茶色と白の体。
名前を呼んでも、身体をなでても
もう返事は返ってきません。
それはもう十分にわかっていても、別れがたくて
最後のお別れの時まで、バニウトロに生前したように
首のふさふさした毛をなでて、
肉球をさわり、匂いを確かめ、抱きしめながら
「時間が止まってくれたら」と祈らずにはいられませんでした。
午後3時、@BOSSがバニウトロのために
バスの用意をしてくれました。
バニウトロの、今生での、本当に最後のバスへの乗車です。
すっかり葉桜となった家の前の桜の木。
今日はすぐ隣にバニウトロがいなくて寂しそうな@BOSS。
お向かいのTさんのお母さんと息子さんが、
野辺送りをしてくださいました。
犬を飼ってはいけないという、昔からの慣習のあるこの村で
留守中、バニウトロを心配してくれた方たちです。
「あなたの家は忙しくて、バニウトロはお留守番が多かったから
このGWはずっと一緒に居れてうれしかったと思うよ。
看病されている間、できるだけ長い時間一緒にいたいと思って
もっと甘えていたい、と最後までがんばったんだよ、きっと。」
Tさんのお母さんがそうが言いながら、
バニウトロの頭をなでてくれました。
途中、コタンさんと左助にもお別れ。
左助がクンクンとバニウトロに鼻を寄せています。
コタンさんは、バニウトロが道中お腹をすかせないようにと
おやつを持たせてくれました。
「またね、バニウトロ。元気でね。」コタンさんとお別れ。
@BOSSが運転するバスの中、
ヨーダ婆と私はバニウトロの枕元に座り
赤ちゃんにするように、バニウトロの手をにぎりながら、
佐渡旅行中によく聞いた子守唄、
「童神(わらびがみ)」を歌ってあげました。
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
(古謝美佐子作詞・佐原一哉作曲)
バニウトロは12才だから
人間でいえば、80〜90才。
私たちよりずっとおばあさんですが
こうしていると、やはり子どものよう。
この身体にもう触ることすらできなくなってしまうなんて
まだ信じられない気持ちです。
午後4時30分、
私たちが手を合わせて見守る中、
バニウトロは荼毘に付されました。
煙は、時に激しく、時に緩やかに
ぶなの枝を揺らしながら、高くたなびいて
大空へと舞い上がっていきました。
これでもう、バニウトロはリードなしで、自由に
いつでも私たちのそばにいることができるね。
バニウトロ、私たちが見える?
こうしてバニウトロは、煙となって天高く昇っていきました。
お骨拾いまでの間、私たち3人は八方台へ。
いつもなら、ここにバニウトロが写っているはずなのに、
今日は3人の影だけ。
バニウトロが一緒に居たら、どこへでも
笑って出掛けることができたのに。
この物足りなさ、寂しさに慣れる日が来るのでしょうか。
八方台から降りてくる頃には、日はすっかり傾き
真っ赤なまあるい夕日が沈みかけていました。
「バニウトロは今頃どのあたりにいるだろうねえ」
ヨーダ婆が空を見上げていいました。
こんなにきれいな夕焼けの中、天に昇っていったんだね。
よかったね。本当にきれいな一日だったね。
午後7時、お骨拾い。
あっけないほど小さくなったバニウトロ。
足の方から順番に皆で拾っていきます。
バニウトロの骨を拾いながら
ヨーダ婆は泣いていたけれど、
私はなんだか、はっきりと一本の線を引かれたように
私の中で何かが一つ終わるのを感じました。
夜8時30分。バニウトロと一緒に家へ。
私たちが家に入った後に、バニウトロが入ってこない。
シャリは、しばらく玄関で待っていました。
シャリ、バニウトロはここにいるんだよ。
バニウトロのお骨を載せている祭壇代わりの台は、
26日の日記の1枚目の写真で
シャリとバニウトロが乗っているベンチです。
決して高価ではないけれど、
まだ会社を始めて間もなかった頃
@BOSSが清水の舞台から飛び降りるつもりで買った
ダイニングテーブルセットの思い出のベンチ。
バニウトロとシャリの爪あとがいっぱい残っています。
バニウトロの大好きなパンと
佐渡の思い出の花、菜の花をたくさん供えました。
佐渡、海の見える菜の花畑にて。バニウトロとの思い出の花。
バニウトロ、見える? きれいでしょう?
ほら、大好きなパンだよ。もうお薬は入っていないよ。
ココナッツのお香を焚いて手を合わせました。
おかえり。そして、おやすみ、バニウトロ。
ゆっくり休んでね。
このブログを読んでくださる皆さん、
闘病中、そして虹の橋を渡るその日まで
バニウトロを温かく見守って頂いて
本当にありがとうございました。
皆さんからのコメントやメールは
この数週間の私の心の支えでもありました。
お一人お一人にお返事はできませんでしたが
この場を借りて、心よりお礼を申し上げます。
普段、「絶対そんな事は違う」とか、「絶対できない」とか
自分の思い込みで何かを決めつけがちな私は
「絶対」という言葉を使わないように気をつけていますが
もう「絶対に」バニウトロの身体に触れることはできない。
その事実がまだまだ私を打ちのめします。
けれど、今まで、仕事中には気にもかけなかった
お留守番をしていたバニウトロの存在を
今はどこにいても思い出し、気持ちの中に宿しています。
いなくなってからでは本当に遅いのですが・・・。
朝、目を覚ましても、バニウトロがいない。
その現実に少しずつ慣れていくことに
今はまだ、どうしようもない寂しさを感じてしまいますが
バニウトロが見せてくれた最後の数日間を思い出すたびに
心から誇らしく思うとともに
私もバニウトロに恥じない生き方をしなくてはと思います。
(もう一つのブログにそのことを書いたので、よかったら読んでください。)
ブログを通じて、
一緒にバニウトロを見送ってくださった皆さん、
本当に本当にありがとうございました。
また時々バニウトロのことを思い出してやってください。
皆さんが忘れることのないように
私もまた、バニウトロの思い出話を書きたいなと思っています。