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2011年03月22日
情報のこと、と思ったけれど
きっかけは、トレックフィールドさんでした。
現地で食料などが手に入りにくい人に
必要な物資を宅配バイクで届けているというトレックさんの掲示板の
「今現地で不足しているもの」が書かれていたリストをプリントアウトして
目に見える直接的な支援として、これらの物資を
仙台にも届けたいと@BOSSが言い出したのでした。
買い出しをした隣の市のマツモトキヨシでは
お米にもラーメンにも「お一人様2つまで」と書いてありましたが
店長さんに事情を説明したところ、
「そういうことであればいくつでも」と、快くご協力を頂いたばかりか、
「足りなものは無いですか?奥から出してきますので」と聞いて下さったり、
商品のパッキングを手伝って下さったり、
内容物の名前をダンボールに書く太マジックを用意してくださったり。
本当にありがとうございました。
また、買い出しをしていたら(ζ`)さんからメールが。
「今回の買い占めに荷担させてください。」とのこと。
お申し出、ありがたくお受けいたします。
こうして出発準備をし、前日に@BOSSは
念のためトレックさんにメールで確認をして、
日曜日、仙台へ向けてミワ家とともに出発しました。
緊急車両登録の手続きを受けた津川手前のサービスエリアには
これから被災地へガソリンを運ぶ輸送車がずらりと並んでいました。
現在、東北地方の高速道路を走っていいのは緊急車両のみ。
救援物資を運んできたのであろう、県外ナンバーのワゴン車、
家族を迎えに行くらしい軽自動車も混じっていましたが、
それ以外は、おそらく避難する人を乗せてくるための大型バス、
警察庁、消防庁、自衛隊などの特殊車両ばかりで物々しい雰囲気です。
高速を降りて、仙台の中心市街地に入ると・・・
中越地震を経験した私達が想像していた地震後の町並とは
少し・・・いや、随分違いました。
車は普通に走っていて、道行く人は日曜の買い物に出た感じで、
ガソリンスタンドは閉まっている店が多かったものの、
カップルがファーストフードを手に食べながら歩いていたり
コンビニも外食チェーン店も所々オープンしており、
萩の月のお店も営業して、花屋さんの店先では花も並んでいて、
街全体に(被災地に対して失礼な表現かもしれませんが)
日曜ののどかな雰囲気さえただよっています。
確かにスタンド前の道路やコンビなどでは長い行列が出来ていますが
サロンドアトラスでも壁や天井が落ち、
すぐ前のセブンイレブンは2階の窓が全て落ちて、
ガラスが駐車場いっぱいに飛散し、
国道が崩落して寸断され、道路のアスファルトはいたるところがうねり、
マンホールや橋げたが突き出して、車の通行がままならなかった
あの中越地震を思い出すと、実は、少しだけ拍子抜けをしてしまいました。
(もちろん、街が無事である方が喜ばしいことなのですが・・・)
そこからもう少し海寄りにあるトレックフィールドさんに近づくと
少しずつ道路にひび割れがあったり、瓦が落ちた家などが
目に入るようになりました。
初めてお会いするとれっくと~ちゃんにお話を聞きました。
地震後の仙台の市街地は余震はまだまだ続くものの、
数日前から物資も入り始め、一応日常は戻ってきているようですが、
家などに被害が無くても物資の供給が滞っていたために、
周辺のお店で買い物が出来ず、食べものなどが底をつく
いわゆる「買い物被災者」が多数いたそうでした。
とれっくと~ちゃんは、こうした方たちに物資を届けて支援しています。
と、話を聞いている間にも小さな余震が襲ってきて
トレックさんはワンちゃんを連れ出してお店の外に避難しました。
とれっくと~ちゃんが、海に近いエリアではもっと被害が大きくて
そちらは道も悪く、まだまだ物資が届かず、
同じく仙台在住のAD/tacさんが、そういう小さな避難所に
物資をボランティアで届けているということで
彼に連絡をとってみてはどうかとtacさんに電話をしてくれました。
実は@BOSSも、トレックさんから1kmほどしか離れていない
tacさんのお店にも物資を届けるつもりでいたので、
留守かどうか、お店に連絡をして頂けて助かりましたが、
物資を被災地に届けに出ているのか、この時はtacさんと連絡はとれませんでした。
それであれば、ここから今日私たちが行ける範囲で、
もっとも物資が届かないエリアに届けようということになり
会津で私たちと合流したゆーじさんが、
「亘理小学校では物資が届かず、おにぎり1個を4人で分けている」
という情報をネット上の災害関係のコミュニティで見つけ出しました。
その情報は約12時間前にアップされていて、しかも
現場に近い人がアップしていたらしい、ということだったので、
ここから1時間半の亘理小学校へいくことに。
念のためゆーじさんは、その情報をアップした人に
「物資を積んで近くにいるので現在の状況を教えてほしい」というメッセージを送りました。
亘理の町に入ると、倒壊したような建物はありませんが
ガソリン不足が原因なのか、確かに道を走る車の数が激減しています。
その時ネットに情報をアップしたという人から返信があったそうで
ゆーじさんがパソコンを開いてみると、返信メッセージの内容は、
「ぜひ亘理小学校に行ってあげてください!」
・・・あれ?もしかして、現地の被災者ではない?
亘理小学校に着いてみると、自衛隊がすでに大本営を設置していました。
と言うことは、もうきちんと管理体制下に置かれているようです。
玄関では、ボランティアの方がご飯の炊き出しをして、
子どもたちも手伝いながら、たくさんのおにぎりを作っています。
水やお米、サランラップなども、箱で山積みされていました。
体育館を覗いてみると、確かにそこはテレビで見る避難所そのままで
広い体育館にぎっしりと布団が並び、たくさん服を着込んだ方達が
その上で座ったり横になったりしていらっしゃいました。
「班長」と呼ばれるボランティアの責任者の方に、少しだけお話を伺いました。
「昨日から自衛隊が入って、風呂の準備もしてもらっています。
食料や水は、昨日当たりから急速に、充分な量が届くようになりました。
食事は一日2回なのですが、皆、動かないのであまりお腹も減らないんですよ。
今は米が十分あるので、次は野菜がほしいところですが
これは保存の問題もあるし、難しいですね。
この亘理地域には4つの避難所があるのですが、
そこにバランスよく食材が行き渡るように、本部で物資の仕分けをしています。
そうしないと、量の把握ができなくて、
何があって何をいつまでにどれくらい使おう、ということを考えるのが
自分達ではかなりの労力になってしまうんです。」
次に必要なものは何ですか?という問いには、
「皆、着替えをしたがっていますので、次は新しい下着なんかがほしいですね。
毛布はもう足りているので、これ以上送ってもらっても逆に困ってしまいます。
あとは、ひげを剃りたいという人がいるので、そういった道具とか、
自転車なんかが各避難所に数台あるといいですね。
みんなで順番に使えば、どこかへ出かけて来れますし。
ガソリンはもう全然町にないのですが、入ってきても
皆お金がなければ車にガソリンを入れることはできないので・・・」
班長さんにお礼を申し上げて、避難所を後にしました。
おそらく、この避難所では2~3日前までは物資が届かず
これだけの人数の方達なので、ネット上の情報にあったように
「1つのおにぎりを4人で分けている」という状況であったのかもしれません。
しかし、今日はすっかり変わっています。
今日の時点で必要なのはお米ではありませんでした。
でもこれはこの避難所の今の状況であって、
他の避難所ではまったく違う物資が必要とされているかも知れません。
自衛隊がここに入っていると言うことはおそらく
私たちがネット上で普通に検索できるような情報で知る避難所には
国や自治体からの援助物資は行き渡り始めていると思われます。
建物には入れないので、非難所の駐車場に停めた軽トラの荷台で暮らすワンコ。
おまえも頑張って生きるんだよ。
亘理小学校を後にしながら、「情報」について考えさせられました。
誰がいつ、何をソースに、どこからアップした情報なのか。
事実なのか、発信者の思い込みなのか、信憑性はあるのかないのか。
「転載された情報」には、特に注意が必要です。
似たような情報の中で、緊急の度合いと、必要な内容が正しく伝わるためには
書き手側の「伝える力」と、読み手側の「読み取る力」も関係します。
また、既におきている問題でもありますが、例えば私がネット上に
「亘理小学校ではガソリンを使わずに済む自転車を必要としています」
と書いたとしたら、それは今の事実であっても
明日は変わるかもしれないし、800人収容の避難所に必要以上の、
たとえば500台の自転車が届けられる可能性もあります。
では、「今一番物資が届かずに困っている小さな避難所」に
私たちが持ってきた物資を届けるには、どこでそれを探せばいいのか。
一番間違いがないのは、困っている方から直接声を聞くことですが、
そうでなければ、電話が繋がる限り、
その現場に「今」いる方から電話で話を聞くことです。
声なら緊急の度合いも分かりますし、何より詳しいことが確認できます。
そうしているうちに、AD/tacさんと連絡がとれました。
時間的にもこれから届け先を探すより、現地で活動をされている
tacさんに物資を託す方が間違いないということになり、もう一度仙台に戻ることに。
戻りながら、亘理小学校から約3キロしか離れていない海岸部の道を通りました。
海に近づくにつれ、皆言葉を失っていきました。
道は車が通れるほどには片づけられていましたが
電柱は折れ、車が屋根の上でひっくり返り、家は潰れ、全ての物が流れ・・・
津波の水位を示す痕跡高は家の2階部分にまで達していました。
「3.16○○県警隊、済。なし」と、各家の壁に
生存者の捜索が済んだことを知らせるテープが貼ってありました。
ここには数日前まで人が住み、町があったはずなのに
今あるのはただ瓦礫の山、山、山。
そんな瓦礫の道を、飼い主を失ったのか、一匹のダックスフントが
宛ても無く走っていて、余計に悲しい気持ちに。
瓦礫で道を塞がれ、折り返そうとした時に、
ビニール袋を手にした老夫婦が神社の鳥居の前で
ぽつんと立っていました。
「どこへ行かれるんですか?」@BOSSが声をかけました。
「家を見に来て、亘理小学校へ戻るところなのだけれど、
頼んだタクシーが30分たっても来ないから
歩いて戻ろうかと思っていたところです。」
私たちも今そこから来たんです。送りますので良かったら乗ってください。
「ここ荒浜では150人以上の人が亡くなったんですよ。
私の家の隣近所でも6~7人の方が亡くなりました。」
怒りでもなく、絶望でもなく、現実を受け入れるしかない静かな悲しみで
150人という数字を、車中で淡々と語られます。
私たちはさっき来た瓦礫の町をもう一度戻りつつ、津波の話を聞きました。
「そうですか、新潟から。ありがとうございます。
私たち、親戚の家に一旦避難したんだけれども、
そこも水が出ないし、食事も全部作ってもらっていながら何も手伝えないし
それなら避難所の方が気を使わなくていいって移ってきたんですよ。」
食事は足りていますか?寒くありませんか?
「2~3日前は寒かったけど、今日は暖かいですね。
食事はまあ、私たちは年寄りだからそんなに食べないし、
第一、贅沢は言っていられないですよ。」
亘理小学校に着くと「せっかく遠いところを来て下さったから」と
手に持ったビニール袋から何かを出して私達に手渡そうとします。
いえ、まさかダメですよ!私たちがお二人から頂くなんてとんでもない。
「いえ、私は神社の者なんです。これは御神饌です。お守り代わりにどうぞ」
そういって「川口神社」と書かれた粉菓子を下さいました。
「本当にどうもありがとう、お気をつけて。」
バスを降りられる際に、頭をさげられ、そう言いながら握手を求められた時、
暖かい手を握りながら、涙がこぼれそうになりました。
中越地震のとき、テレビから毎日の様に流れる映像で
「頑張って、頑張って!」とあまりにも連呼された経験から
被災者の方へは「頑張って」と言わないと決めていた@BOSSも
避難所の入り口に立ち、手を振って見送って下さるお二人に
車の窓を開け「お体に気をつけて、頑張ってください。また・・・」と
思わず言ってしまっていました。
何もお役に立てなくて本当に申し訳ありません。
お二人に見送っていただきながら、そんな思いでいっぱいでした。
tacさんのお店に向かうために、再び高速に乗りました。
(高速を走れるのは緊急車両のみです。)
ここで見た、高速道路の左右に広がる風景は一生忘れません。
何もない・・・・・・。
まるで、写真で見たことがある、原爆投下後の広島のようでした。
私がカメラを構えると、ゆーじさんに「かまたさん」とたしなめられたけれど
ここが復興したらこの景色は無くなります。
ネットに上げるつもりはないけれど、私が死んでも写真は残るかもしれないので
「心で、手を合わせながらでもいいから」という@BOSSの声もあり
手を合わせてから、一度だけシャッターを切りました。
何もないその広大な荒れた景色の中に、ピンクの丸い何かがぽつんとありました。
死んだ豚でした。
再び仙台市内に入った頃、もう一度tacさんから電話がありました。
ちょうど今、物資の配達からお店に戻ってきたとのこと。
夕方5時半、tacさんのお店、ストレンジモーターサイクルに着きました。
お話をするのは今日が初めてです。
丸坊主にして迷彩柄のジャケットを着たtacさんは新卒兵のようでした。
tacさん、私たちの持ってきた物資、役に立てて頂ける所がまだありますか?
「ここ数日で道路も急激に修復されたので、
大きな避難所にはもう物資がかなり届くようになりました。
でもボクが行くのは、地元でしかわからないような、
神社に避難している人のところとか、道が悪くて行けない海岸線とか、
そういう所なので、食料品はまだまだ必要とされています。
大丈夫です、地元の青年団なんかと直接連絡を取っているので。」
そうですか、それなら間違いないですね、と、
今日あった出来事をかいつまんでtacさんに話すと
「そうなんです、こういう時の情報は、とにかく鮮度が命です。
特に今は、3時間くらいで状況がどんどん変わってきていますから。」
確かに今日はその事をつくづく感じました。
荷物を運び終わるとtacさんは
「今日はワンコは来ていないんですか?」
もちろん来ていますよ、ウトロン、ほらtacさんだよ。
もしウトロンでtacさんがほんの少しでも疲れを癒して頂けたなら
今日一番人の役にたったのはウトロンかも。(泣)
本当はここに残って、物資の仕分けでも肩たたきでも、何でもいいので
tacさんのお手伝いをしたいくらいですが、そういうわけにもいかず、
せめてウトロンだけでも残していこうかと思ったくらいですが
やはりそういうわけにもいかず。
結局tacさんに物資を託して、あとをお願いするしかありません。
tacさん、お手伝いできなくて申し訳ありませんが、
どうかよろしくお願いします。
これからも何か私たちでできることがあったら、いつでも申し付けてください。
「必要なもの」「必要なこと」は刻一刻と変わって行きます。
それもものすごいスピードで。
このブログだって、私たちが仙台に行ったのは日曜日ですが
書いている今日は火曜日なので
すでに現地はここで書いている内容と変わっているかと思います。
今回のブログでは、「情報のこと」と題して
今回学んだ、情報を選ぶ際の注意点や、
主要な情報を一元化して、できるだけ無駄をはぶいて
効率的にいろいろな効果をあげていくことの重要性について書くつもりでした。
けれど・・・
tacさんのご実家は、今日見てきたあの海岸のエリアにあり、
おそらく流されてしまったと思います、とご自身が言われていましたが、
それを確認することもできないまま、こうして自主的なボランティアで
小さな避難所に、一軒一軒、必要な物資を運ばれています。
自治体の手が届かない避難所にピンポイントで物資を届け、
今まさにそこで困っている方たちを、現実に助けているtacさんを見ていたら、
なんだか私たちのしていることは、募金も、今日こうしてやって来た物資支援も
被災者の方をなんとか応援したいという自分の希望を叶えるための
自己満足でしかないのかも、という気さえしてきます。
帰りのトランポで、長かった今日の一日を思い出しながら
いろんなことを反省しました。
結局、新潟にいる時にtacさんと連絡をとり、
最初からここへ届けていたら、時間的には半分で済んだ今日の一日でした。
しかし、それでは判らないままに終わった事もたくさんあった筈です。
ここへ来る前に、テレビで幾度となく見た津波の被災地のようす。
知ってはいるつもりでしたが、実際に目にすると知らなかったも同然でした。
亘理町の荒浜地区で見た景色、高速道路で見た景色があまりにもショックで、
正直、まだ心がまとまっていないのです。
夜が明けてアラームがなり、私はこれまでとそう変わらない朝を迎えています。
でもここから200キロ離れた場所には、あの風景が広がっている。
目が覚めたら、すべてが夢であったら・・・。
ウトロンに癒されているのは私自身です。
「それいけウトロ号」は緊急車両登録が出来ましたので、
要請がありましたらできるかぎり出動したいと@BOSSも言っています。
(遠征力だけは自信があります。)
でも、すでに自治体が把握しているところは、
勝手に動くと現場の混乱を招くもととなるので、
自治体に任せたほうがいいというのも事実ですし、私たちもそう思います。
FaceBookで@BOSSが先に今回の報告をアップしたという記事を
メールで教えてもらいました。
その中に、
「『おこがましい自己満足』との自戒を込めた上での現地入りでしたが、
若林、名取の現状を眼にして打ちのめされました。
支援はしないよりしたほうがよいことは判っていましたが、
自分の行動など、一匹のアリ以下だと・・・。」とありました。
これは、ミワ家の二人も、私も、今回痛切に感じたことでした。
その記事に対してAD/tacさんからメッセージを頂いたそうです。
「ありがとうございました。たとえ一人一人はアリ(蟻)だとしても
みなが動けば力になります。
勿論全員来てくれとは言いませんが、ご援助は大変力になりました。
きっちり現地まで届けます。」
tacさん、ありがとうございました。
偶然にも目にした被災地の惨状、あれが数県にわたっているのかと思うと、
募金も、物資援助も、自分のしていることなど、
やろうがやるまいが復興に関係ないのではないかと
ものすごい無力感を感じてしまいますが、
それでもやっぱり何か先に進むことをやらなければ、と思わずにいられません。
悲観と傍観。それだけはやってはいけないと思うので。
投稿者:かまた 2011年03月22日 14:35
コメント
投稿者:スケテツ 2011年03月22日 15:49
正直に言いなさい、泣いていいんですよ。
今度あった時にこの胸を貸してあげます。
(ちなみに下着は『黒』が好みです)
>暖かい手を握りながら、涙がこぼれそうになりました。
その御神饌は良くまんが日本昔話に出てくる正直者だけが手に出来るという類のアレです。
その効力がほぼ無限で一生の間、それ行けウトロ号の乗員の災厄から身を守ってくれますから、背景に写っている黒い犬に食べられないように気をつけてください。
そのアリはエチゴヒゲアリという新種であることが判明しています。
>自分の行動など、一匹のアリ以下だと・・・
投稿者:O&クロ 2011年03月22日 18:04
今日、弟が福島に入る予定です。
バイクの仲間が福島市、相馬市の情報を送ってくれています。昨日の話では相馬でもかなり物資が届いていて必要なのは物資を動かせる人やインフラ整備に必要なな人員だそうです。被災した若い人たちが体を動かしたいと動き始めているそうですから、それも少しづつ改善かれていくでしょう。
スキルのある人は行動すれば良いと思います。わずかでも改善できるなら良いのです。後方支援は誰もが嬉しいものです。
投稿者:オードリー 2011年03月22日 19:13
>スケテツさま
ありがとうございます。・゚・(ノД`)ヽ
今この瞬間、その胸をお借りして泣けたらどんなにかと思いますが、
今回学んだ通り、なにしろ状況は3時間くらいで変わりますもので。
>今度あった時にこの胸を貸してあげます。
御神饌は3つ頂いたので、みんなで分け合いました。
それ行けウトロ号に1つ、ミワコング号に1つ、ゆーじさんが1つ。
みんなが無事で、必ずまたあのご夫婦とお会いできますようにと願いつつ、
バスの中の、できるだけ高いところに載せておきます。
(この日ウトロンは、バスのコンバータのコードをガジガジ食べてしまいました。泣)
>背景に写っている黒い犬に食べられないように気をつけてください。
エチゴヒゲアリ・・・・
茶化しては申し訳ないと思いつつ、
こんなに、ハムレットのように悩んでいるのに「エチゴヒゲアリ」・・・。
辛い時にこっそり思い出します。(笑)
>自分の行動など、一匹のアリ以下だと・・・
投稿者:かまた 2011年03月22日 19:17
>O&クロさん
そうですか!じゃあ、もしかしたら今頃すでに
ご実家に着いているかもしれないですね。
これで遠く海外にいるO&クロさんも安心できますね。
福島市内もかなりライフラインは復旧してきたそうなので、
あとは物流とガソリンが早く安定することを願っています。
(政府の見通しでは、ガソリンは今週中にはということですが。)
それにしても、被災されて避難している若い方が
復興のボランティアに参加されるなんて本当に力強い話ですね。
そんな話を聞くと、後方支援にもまた力が入ります。
福島市は近いので、何か必要なものがあったら言って下さい。
と言っても、福島市に物が入ってくれば
あと私がお届けできるのは、癒しグッズくらいしかありませんが・・・^^;
投稿者:(ζ`) 2011年03月23日 06:39
テレビを見たら、家が残っててそこで暮らしている人は、避難所に届いた物資はもらうことができないそうです。
自宅難民の中には、体が弱くて避難所生活が難しい老人や病人もたくさんいる、と放送してました。
(この情報もいつ時点のか分かりませんが)
まだ行政の手の届かないところへは、アトラスチームやAD/tacさんの力が助けになる、と思ってます。
10万人の自衛隊の支援に比べれば、数人の物資運搬なんてアリのようですし、
100億円の東京都の支援に比べて、コンビニのおつりが何の役に立つのか。
でも、じゃあほっとけばいいの? という所であって・・・
ボランタリズムは行なっている本人が否定してはいけませんよ。
かならず、助かってる人がいます。心は見えないが、心づかいは見えるんです!
> 被災者の方へは「頑張って」と言わないと決めていた@BOSSも
支援のために「頑張って」る人からの言葉なら、正しく伝わると思います。
投稿者:コタン 2011年03月23日 09:00
お疲れ様でした。
長い距離の移動には慣れている皆さんなので 身体の心配はしていませんが、目から耳から入ってくる被災地の現状に 心がヘトヘトになったと思います。
今回の震災が起きてから 『 情報 』 をキャッチするチカラについて 考えさせられました。
自分の居る場所で 出来る範囲のことをやる私のような者は 情報に振り回されず、正確に受け取ること。
チームアトラスのように機動力を発揮する者は カマの言ったように 情報の鮮度を見極める(簡単なことではありませんよね)ということになるのでしょうね。
国中が動いているのだから 「 それいけウトロ号 」 は確かに蟻かもしれませんが、蟻にしか入っていけねいところがあります。
長いスパンで被災地を応援していきましょうね。
この震災をバネに 日本が新しい歩み出しをしなければいけないのだと思います。
元の状態に戻すのではなく、今までとは違った進化をしなければと思います。
それは日本全体でやっていくことで、世界に見せていかなければならない姿勢です。
投稿者:umi 2011年03月23日 15:46
ダックスフントがその後どうなったか気になります・・・(;´Д`) うぅっ。。
投稿者:@BOSS 2011年03月23日 16:35
umiさん
以前の記事で、行政や警察官、云々と言いましたが
もちろんumiさんの様な人情味あふれる立派な行政マンや、
一緒にトライアルを練習する白バイ隊の皆さん
人命を守る立派な警察官など、
(そして原発に行ったハイパーレスキュー隊の一人も
一緒にバイクに乗った仲間の方ですし)
行政や警察の中にも、立派に働いている方が
たくさんいる事は判っていますので・・・。
・・・・泣かないで下さい
> ・・・(;´Д`) うぅっ。。
投稿者:かまた 2011年03月23日 20:37
> (ζ`)kawaseさん
後方支援の、そのまた更なる後方支援、本当にありがとうございました。
私たちもまた、次の「アリだからこそ出来ること」の準備を始めます。
気持ちを先走らせるのではなく、
細かくいろんな事に「心づくし」をすることが
スムーズで効率のよい結果を生み出すのだと思います。
そしてその心づくしの根本は、関係するすべての方々への
「思いやり」なのだと思います。
>コタンさん
あなたについていきます!!!!
>この震災をバネに 日本が新しい歩み出しをしなければいけないのだと思います。
>元の状態に戻すのではなく、今までとは違った進化をしなければと思います。
>それは日本全体でやっていくことで、世界に見せていかなければならない姿勢です。
日本がこれまでと違った進化をするということは、
私たち一人ひとりが、これまでの自分から進化して
変わることなのかも知れないですね。
「私」という人間は、(当たり前だけど)自衛隊が変えてくれるわけじゃない。
「自分の出来ることを何かやりたい」と思うなら、
自分一人くらい変えていかなくちゃ!
投稿者:オードリー 2011年03月23日 20:40
>umiさま
一緒に犬のボランティアに参加しますか・・・(TдT)
投稿者:Oとクロの弟 2011年03月24日 09:49
その節は情報ありがとうございました。
福島市の実家に着きました。
ここはライフランの復旧がほとんど終わっていて、各家の細かい補修が必要な程度です。
もちろんガソリン、灯油がないのは問題ですが、その他の物資も入りつつあります。
相馬の友人の話を聞くと、最初の1週間が山だったようです。私としては、入るのが数日遅かったと思ってしまいました。ま、そうはいっても近所の手伝い、災害復興に関わっている友人の手伝いなんかは出てくるでしょう。
それと、近くに動ける人がいる、というのが安心につながるようです。
たしかに早い情報の動きに後手に回ってしまって無力感を感じるかもしれませんが、それでもできることはあるはずだし、ぼくらが出来ないと思うようになってしまうことが問題です。
いつかはゴールに着きますよ。それまでのんびりでも走っていきましょう。
手伝うことがあれは言ってください。福島市なら中継地には最高ですから。
投稿者:onomitiさん 2011年03月24日 09:59
ご苦労さまです本当にご苦労さまです.心からお礼を言います.現地へ行って動けない自分に腹がたちます.悔しいです.物資や義援金でしか協力できない自分の心の狭さを思うと本当に情けないです.私の勤めてる会社も関東地区からの部品が入らないとの事で操業停止になり自宅待機になりました.ひょっとして会社危ないかも.そんな事で落ち込んでた自分が恥ずかしいです.かまたさん達の活動記を読んでて涙が止まりませんでした.有難う色々な意味で本当に有難う.私は尾道から自分に出来る事探して実行します。
投稿者:木の実 2011年03月24日 10:29
>募金も、物資援助も、自分のしていることなど、
>やろうがやるまいが復興に関係ないのではないかと
>ものすごい無力感を感じてしまいますが、
そんなことはないと思いますし、悲観して落ち込むことは全く無いと思います。
支援には”今の危険を取り除く”ためのものもあれば、
”今後何年、何十年もかかる復興・発展を支える”ためのものもあるのではないでしょうか?
今の被災地で、必死に救援に当たっている皆さんが救った大切な命があります。
数年後、せっかくのその命が、、、
自ら失われてしまうとか、
心身の健康を害してしまうとか、
家族崩壊で子供が悲しい思いをするとか、
生きる為に犯罪に関わってしまうとか。。。
そんな悲しいことが起きてしまったら、こんな残念なことはないですよね。
本当の復興というのは、緊急対応ではなくて、緊急対応の次のフェーズから、だと私は思います。
たかが募金であっても、被災された方が再び生きる喜び、生きがいを得る為の産業基盤整備にも使われるのであれば、それは復興に役立つことになりませんか?
被災していない私達が、計画停電にもめげずにしっかり経済を回し、、、
雇用を増やして被災地の若者の就職先を用意する、
時々は被災地に豪遊(?)して地域の旅館組合や商工会にお金を残してくる、
被災地で生産された農作物や工業製品を積極的に買う、
なんて事も立派な支援だと思いませんか?
出来ることは、その人の職業や専門性や経験でそれぞれ違うので、貢献できるフェーズも異なるのは当然の事だと思います。
大事なのは、被災地に向けている今のその気持ちをずっと忘れずに、継続的に支援を続けていくことではないでしょうか?
書きながら半分は、募金ぐらいしかできない自分に言い聞かせています。
つまらん事を長々と書いてすみませんでした。
投稿者:とれっくと~ちゃん 2011年03月24日 15:14
遠くからありがとうございます。
お会いできて嬉しかったです。
ばたばたしてて何もお構いできませんでごめんなさい。
情報の件はホントに難しいです。
でも「できる人が出来ることを出来る範囲で」頑張れれば良いと思ってます。
ウチは地味~に近隣の仲間支援と盛り上げに専念してました。
集まった物資やメッセージのおかげで、たくさんの笑顔と涙と元気と感謝に出会えました。
とても良い経験をさせてもらってます。
バイク乗りは「乗ってナンボ」です。必ず近いうちに復活イベント企みます。(^_^)v
投稿者:かまた 2011年03月24日 16:50
>Oとクロの弟さん
あまりお役に立てず、申し訳ありませんでしたが^^;
遠く海の向こうから福島への無事のご帰国、本当にお疲れさまでした。
その町の生活と住む人々を知っているOとクロの弟さんであればこそ、
きっとご実家の皆さまも、どんなにか心強いことと思います。
>いつかはゴールに着きますよ。それまでのんびりでも走っていきましょう。
そうですね。
ゴールへ向かう方法やルート、スピードは一人ひとりが違っても
同じ方向へ進んでいけば、いつかは必ずみんなで着きますね。
こうして福島市という中間地点に、心強い中継地ができましたので
お力をお借りすることがあると思いますのが、その時はどうぞよろしくお願いします。
逆に、新潟からお手伝い出来ることがある時は何でも言ってください。
>onomitiさん
物資や義援金で尾道から協力されているのだから、
ご自分のことを心が狭いなんて攻める必要はこれっぽっちもないですよ。
onomitiさんと同じように、本当は今すぐ現地に行って
どんなことでもいいから直接何かお手伝いしたいと思いながら、
それが叶わず胸を痛めている方が全国に大勢いらっしゃると思います。
私たちは東北に隣接しているのでonomitiさんより動きやすいというだけで
気持ちはonomitiさんとまったく同じです。
私も宮城から帰ってきた時は、自分の無力さに
どうしようもなく切なくなってしまいましたが、
ブログを書きながら、被災者である川口神社のご夫婦が言って下さった
「本当にどうもありがとう」という優しい言葉を思い出して
私がここで落ち込んでいる理由は一つもないなと思い直しました。
今、日本は製造と物流が一時的にパニックになっているので
お仕事に影響を受けて不安になることもあると思いますが、
どうか不安にいたずらに心を左右されず、普段読めない本を読んだり、
「今自分にできること・尾道編」の作戦を練ったり、
onomitiさんの元気が出ることをして、来るべき時に備えましょう。^^
投稿者:かまた 2011年03月24日 17:00
>木の実さん
>本当の復興というのは、緊急対応ではなくて、緊急対応の次のフェーズから、だと私は思います。
そうか、その通りですね。
私は「復興支援」のスパンを「今」と「今からもう少し先」くらいで捉えてしまい
自分は何も出来ない、と焦っていたのかもしれません。
今は災害から助かった命を一人でも多く守るために、
早急にしなければならないことが山積みの緊急時で
自衛隊や消防隊、道路や橋の復旧、大量の物資運搬、医療チームなど専門部隊が動く時。
(もちろんその中で、草の根でできることはお手伝いしていこうと思いますが。)
私たち一般市民が本当に力を発揮しなくてはいけないのは
この後にやってくる生活の場なんですね。
私がゆーじさんと買い出しをした時に
最後のタマゴを譲ってくださった地元の方、あれだって一つの支援の形だし
とれっくと~ちゃんが「町の人が喜ぶから」と
お菓子や細かな生活用品をお店の前に並べておくのも支援の形。
その人のいる場所でできることをと思えば、支援の形は無限ですね。
そして大事なのは、一過性でなく、思い続け、支援を続けること。
テレビを見て心を痛め、「自分に何が出来るんだろう?」と悩んでいる一人一人に
ぜひ木の実さんのコメントを届けられたらと思います。
木の実さん、ありがとうございました。
被災地の旅館組合にお金を残してくる際は、ぜひ一緒に行きましょう!
投稿者:かまた 2011年03月24日 17:03
>とれっくと~ちゃん
こちらこそありがとうございました。
私も「生とれっくと~ちゃん&か~ちゃん」にお会いできて嬉しかったです。
被災地である仙台の街を「のどかな雰囲気」だなんて書いてすみません。
でも、お二人が笑顔で本当によかったです。
買い物に出れずに困っている近所の方に、バイクで物資を届ける
と~ちゃんの地味~な活動(笑)のおかげで
物資と一緒に元気をもらった方がたくさんいると思います。
こういう隣近所での草の根の活動が、地域でたくさん起これば
支援と笑顔と元気の輪はどんどん広がっていくんだなあと思いながら
お店の外で道行く人に声をかけると~ちゃんの話を聞いていました。
余震はまだまだ続くようですが、
トレックさんならではの活動と復活イベントをこそっと応援しています。^^
投稿者:シャケオ 2011年03月24日 22:01
募金は現金じゃなくても出来るので、是非呼びかけてみて下さい。
ポイントやマイルでも募金が出来ます。
中途半端なポイントやマイルが有る方は是非募金をお願いします。。。と呼びかけて頂けると、うれしい。。名取川シャケオ
投稿者:かまた 2011年03月25日 13:42
>シャケオさん
こんにちは。
以前コメント欄では、ポイントで募金できることをご紹介したことがあるのですが、
遡ってコメントをすべて読む方は少ないと思いますので
いつでも目にして頂けるようになんとかしてみます。
どうもありがとうございます!
投稿者:grace 2011年04月05日 11:07
初めて伺いました。graceと申します。
突然、コメントを差し上げる失礼をお許しください。
私は生まれ育ち共に仙台で、現在は神奈川在住です。
かまた様が出会った、亘理の川口神社のお2人は私の大切な恩師ご夫妻です。
地震発生以来、行方がまったく分からず、航空写真で被害を見て全身から血の気が引き、この3週間必死で四方八方を探していたところ、こちらのブログの記事が検索結果に表示されました。
ご無事であることが分かり、ほっとしました。
本当にありがとうございました。
投稿者:かまた 2011年04月05日 13:11
>graceさん
はじめまして。
コメントを読んでびっくりしました。こんなことってあるんですね。
私たちにとっても、とても印象深い方達で、
あのお二人との出会いがあったから
「ありんこ支援隊」が始まったと言っても過言ではありません。
津波の時はご自宅にはいらっしゃらなかったそうなので
お怪我もなく、お疲れではあったと思いますがお元気そうでした。
何より私たちのことをあれほど気遣ってくださるなんてと
本当にありがたく、また申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
また亘理の町に行くときには、お二人を尋ねてみたいと思いますが、
もしgraceさんからご連絡がとれた時には、どうかお礼をお伝え頂けると嬉しいです。