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2011年05月27日
トレックエイドと牡鹿一周
仕事を前後にギュギュッと押し込んで、
水曜日に石巻へ行って来ました。
前回時間切れで行けなかった牡鹿半島にも行きたかったので
朝から十分に動けるように、今回は前日夜に新潟を出発。
仙台南インターチェンジを降りてすぐの駐車場で車中泊。
朝6時。トラックが行き交う音で目を覚ましたウトロン。
「ここどこ?」
あれ?こ、ここは!?(ギクッ)
そうです。今週末に引越しをするトレックフィールドさんの
新店舗前です。(現在改装中)
6月1日に移転オープンされるということで、
いつもお世話になっているトレックフィールドさんに
弊社からお祝いにプレゼントのレーザープリンタをお持ちしました。
名づけて「トレックエイド」です。^^
とれっくか~ちゃんには「ウトロンの開き」をプレゼント。(笑)
あと一週間ほどインターネットが使えないということなので
トロさんからご支援頂いたWiFiルータを
まずはトレックさんにお使い頂くことにしてお渡ししました。
「これ、長観寺さんに届けてくれる?」
とれっくか~ちゃんから、食品や下着をお預かりしました。
長観寺さんと仲のよいとれっくか~ちゃんは、
「もう落ち着いたし大丈夫って勝手にこっちで思ってたけど、
買い物に行く時間もなかなかとれないみたい。
電気だけは通ったみたいだけど、電話も水道も見通し無いらしいし。
それに、他所から人が訪ねてくることないでしょう?
だから来てくれるだけで嬉しいんだって。
この間も『ありんこさんがまた来てくれたのよ~』って言ってたし、
私が行く時も、『支援すると思って、上がって一緒におにぎり食べて行って』って。」
特に長観寺さんは、周りに何もない状態ですからね・・・
「避難所に行った人たちも少しずつ仮設住宅に移っていくけど
仮設に当選してしまうと、もう公的な支援を受けられなくなるでしょ?
避難所にいる時は毎日食事が配給されるからいいんだけど
仮設に入ったとたんに、自分でなんとかしなくちゃならなくなる。
食器も着るものも、全部また一から必要になってきて、
親戚や知り合いがいる人は何とかなっても、身寄りがない人は大変だよね。
だから抽選で仮設が当たっても、あまり嬉しくないという話もあるみたい。」
そうか・・・仮設に入って一安心、じゃないんですね。
長観寺さんへのお届け物を受け取って出発。
「じゃあまたね、ウトロン。」
10ヶ月になったウトロンを、か~ちゃんは軽々(?)持ち上げますが、
とれっくか~ちゃんにこうして抱っこしてもらえるのも
きっとあと数ヶ月でしょう。^^;
利府JCTから三陸道へ。
瓦礫の堆積場でしょうか。
トラックがどんどん運んでは降ろしていきます。
しばらくして、見覚えのある風景が左右に広がりました。
この道路は、3月20日、一番最初に通った道です。
道路を挟んで右と左ではまったく景色が違い、
片方はビルや家が並ぶ普通の町、もう片方は何もない荒野。
あの日は緊急車両だけが通行できたので、物々しい雰囲気だったけれど
今は普通に一般車両が行き来しています。
でも景色はあの時のまま。
トレックさんが長観寺さんから納豆をリクエストされたそうなので
私たちもドラッグストアで、他の避難所の分として少し買出ししました。
基本的には食事の量の心配はいらないはずなので
あったらいいな程度のものですが。^^;
先日お届けしきれなかったハッカ油の他、消臭剤、芳香剤、消毒ジェルなども。
ドラッグストアの店頭に、「58円」という値段でお茶碗やお椀が並んでいました。
きっととれっくか~ちゃんが言っていたように
仮設住宅に入るのに食器が必要という方が大勢いらっしゃるのでしょう。
最初は、稲井小学校のリーダーとして動いていらっしゃる
山口さんを訪ねてみることにしました。
山口さんは日中は避難所ではなく、
被害のあったご自宅兼お店の方にいらっしゃるとお聞きしました。
たしかこのあたりとのことでしたが・・・
あ、あそこかな?バイクが並んでいますね。
「おはようございます。」
山口さんは青空の下、スタッフの方とバイクを洗車されていました。
「これ全部、水没したバイクなんです。」
言われないとわからないほど見た目はきれいなマシンばかりです。
が、エンジンの中まで砂が入ってしまっていたり、
マグネシウム製のエンジンは海水で穴が開いています。
こちらは金属という金属に錆が出ています。
「水没したお客さんの家から引き上げたマシンです。
全部ばらしてみても、出てくるのは砂ばかり。
もう動かないし、どうしようもないものばかりですが、
業者間のやりとりでも何でもいいから、少しなりともお金に変えてあげて、
生活の足しにしてほしいと思って洗っているんです。」
今は毎日こちらでそうした仕事をされているんですか?
「避難所の掃除を終えて、朝7時にここへ出勤して、
夜7時まで仕事をしたら、また避難所へ戻ります。
見てわかるように、ここの前の道路が波打ってしまって、
ここが一番低くなってしまったらしいんです。
隣はそうでもないのに、うちは一階が全部水没してしまって・・・。」
僕のバイクも昨日やっと引き上げてきました。
もう動かないでしょうけどね、と指差された先には
@BOSSには懐かしい2ストのマシンが。
「僕は昔、県警の白バイ隊のインストラクターをしていたんですよ。
30mの一本橋とかね、今は全然そんなことできませんけど。(笑)」
ひゃ~~~( ̄∀ ̄;)汗
チームとしての活動は、やはりしばらくお休みですか?
「いや、6月の名阪は参戦する予定です。」
そ、そうなんですか!?
「この間SUGOにも練習に行ってきました。
チームのメンバーはみんな被災したので、レースの練習もままならないし、
九州や北海道まで全日本MXを転戦はできないけれど
SUGOと名阪だけは行くつもりです。
去年ルーキーに負けて表彰台に乗れなかったIBの子には
今年IAに上がれなかったらやめろと言ってあります。
みんな実力は拮抗しているのに上がれないというのは
もう気持ちの問題ですから。」
き、厳し~~!!( ̄∀ ̄;)汗
「ほら、全日本のトップ選手だってそこまでやってるんだよ。
あんたなんてどれだけ甘いか、わかったでしょ?」
あの~、@BOSS、一緒にしないでくださいよ・・・・・( ̄∀ ̄;)汗
「あ、MXやってるんですか?」
いえ、と、とんでもないっ!!私はやっとキックが一人で
掛けられるようになった位ですから・・・^^;;;
「バイクにも乗れないし、みんな避難所での生活で
若い子たちなんか特にストレスもたまっているだろうし
今度みんなで集まって飲むか!と声をかけたら
いつのまにか30人くらい集まることになって、
おいおいちょっと待て、入る店が無いぞ、ということになっちゃって。」
避難所だけでなく、そういう面でもリーダーでいらっしゃるんですね。
「今はここでこうした作業をやっていますが、
もしかしたら店は移動しなくてはならないかも。
でも貸し物件も土地も、震災前の3倍の価格になっちゃって。
だから今すぐどうこうは決められないんですが、
でも少しずつやっていこうと思ってます。」
ありんこ支援隊は基本がオフロードライダーつながりの支援でもあるので
もしご希望があれば、稲井小学校の避難所リーダーであり、
全日本MXでもご自分のチームをお持ちの山口さんに
WiFiルータを活用して頂けたらと思っていました。
でも、トレックフィールドさんから、
山口さんのご自宅には、一応ADSLが通じたと聞いたので、
そうするとルータは不要かなと思ってしまったのですが、
実際にお聞きすると、結局家も越さなければならないかもしれないし、
デスクトップなのでここへ来ないとインターネットはできないし、
また、避難所にあるPCはあまり自由に使っていいものではないそうで
インターネット環境はかなりご不便なようです。
そこで、トレックさんのインターネット接続工事が完了されたら
トロさんのWiFiは、やはり山口さんにノートPCと一緒にお渡しして
避難所のため、チームのため、地元のバイクショップ再開のために
思う存分使って頂くことにいたしました。
山口さん、お忙しい中、本当にありがとうございました。
チームの皆さんの活躍も応援しています。
続いて牡鹿方面へ。
市街地から来ると、いつもここで景色がが一変する交差点。
でも、かなり泥や瓦礫が片付けられてきれいになった印象です。
牡鹿半島は1ヶ月ぶりですが、変わっているでしょうか。
1ヶ月前は桜が咲き、まだ山肌が見えていたけれど
今は新緑に覆われて、緑がぐんと増えました。
万石橋を渡って牡鹿半島へ。
石巻の市街地はずいぶんきれいになったと感じましたが
やはり牡鹿は、道はきれいになったものの、大きくは変わっていません。
これから立てられる電柱が積まれています。
(なかなか普段目にすることのない風景ですね・・・^^;)
「東浜災害本部」という立看板も前回まではなかった気がします。
少しずつ小さな私設避難所が統合されているのでしょうか。
湾が見えてきました。浮かぶ船が増えた気がする、と@BOSS。
牡鹿町は捕鯨基地で栄えた町でもあり、
またホエールウォッチングを観光の一つに歌っていて
「クジラ」をまちのシンボルとしているようです。
が、看板には「電源立地の町おしか」と書いてありますね。
女川原発が立地しているので、いろいろな施設の整備に
交付金が出ていたのでしょうね・・・
いつも通りがけに気になっていた
「ドライブイン」「ミンククジラの刺身」と
手書き文字で書かれた小さな飲食店。
あとで聞いたら「瑞幸」さんというお店だそうですが、
ここに「営業中」という文字が!
まだ観光のお客様は少ないと思いますが、
営業を再開されたんですね!
特につながりはないけど、ちょっと嬉しいニュースです。
(次回来るときは寄ってみようかな。)
瓦礫にかなり錆が目立ってきました。
海にも赤錆が・・・。
ああ、あそこにも小さな避難所があるんですね。
交差点に「めぐろさん」の新しい(?)看板が立っていました。
「めぐろさん」から数百メートルも離れていないところで
工事が行われています。何の工事だろう?
このあたりでは仮設住宅は作れないと言っていたけど・・・
懐かしいピンクの建物が見えてきました。
私たちが駐車場にバスを停めるとすぐに窓から
「いらっしゃい、ご飯食べてって。」と声が。
ああ、ちょうどお昼時に来てしまいました・・・^^;;;
入るとちょうど「中日新聞」さんの取材を受けているところでした。
「みなさんでお茶を飲んでいる写真を撮らせてください。」
という記者の方のリクエストにも関わらず、
どうしてもカメラ目線になるサービス精神旺盛な社長さん。
どことなく太田パパに似ている気が・・・(笑)
ああ、でも皆さん以前よりずっと笑顔になられましたね。
社長さんはいつも元気で笑顔だけど、他の皆さんは
最初に来た頃はストーブを囲んで、宙を見つめるような目で
ほとんどお話されなかったのに、よく話し、よく笑っていらっしゃいます。
たくさん焼いたからたくさん食べて、と安倍川餅をご馳走になりました。
女将さんが調理をされた、ツナとたまねぎの炒め物も。
「支給物資、最近お餅が多いんですよ」と女将さんが言われます。
焼くだけで食べられるし、そうそう腐らないからと
私たちも最初の頃、お餅を支援物資リストに入れていましたっけ。
「パンもあるよ、食べて。」
テーブルの上のおにぎりの消費期限が昨日なのを見ても
たぶん十分に、食べきれないほど主食は届いているけれど
できるだけ、捨てないでみんなで頂こう、というお気持ちなんだと思います。
@BOSSも私も記者の人も、一人3つか4つずつお餅を頂きました。
仮設住宅への引越しのボランティア。
へ~、いろんなボランティアがあるんだなあ。
こちらは鳴子温泉への招待日を書いた紙のようです。
でも社長さんと女将さんはいつもお留守番されます。
そういえば、すぐ近くで工事をしていましたが・・・
「ああ、あれね、ここに仮設住宅が建つことになったんだよ。」
本当ですか!よかったですね、近くに建つことになって!
「うちもね、宿の傾いた部分を何とか工法っていう方法で
補修ができるっていう山形の業者さんが来たから、
いま見積もりを頼んでるんだよ。まだ返事は来ないけどね。
お金も時間もどれくらいかかるかわからないけど
俺だってもう10年は働ける。お金は借りて返せばいい。
俺達もね、こうして応援してくれる皆さんのためにも、
必ずもう一度民宿をやるって決めたんだ。」
今度余震が来たら駄目かもしれない、と前回言っていた社長さんの口から
力強い言葉をお聞きして、本当に嬉しかったです。
その時は支援物資としてそれ行けウトロ号にお客さんを乗せてきます。
あ、みんなバイクで来ればいいのか。(笑)
そういえば、燃料はどうですか?
「すぐそこのガソリンスタンドが営業を再開したよ。」
よかったですね、と言いましたが
「でもガソリンを入れたくても、先立つものが無くてね・・・」
実は私たち、現地の状況がわからず、
念のため空のドラム缶は載せてきたのですが、
必要かどうか判らなかったので、そのままやって来たんです。
ということで、一旦めぐろさんを出て、
営業を再開したというガソリンスタンドへ。
(ここも一ヶ月くらい前にようやく再開したそうですが、
初期の頃は自衛隊などの緊急車両だけに入れることになっていたそうです。)
皆さんからの支援金でドラム缶に給油してもらい、
ドラム缶ごとお渡ししてきました。
じゃあ社長さん、また来ますね。
「うん、何も無くてもいいから、ちょくちょく顔出してよ。
それで、みんなで来てくれたら、ここで懇親会をしようよ。
俺はこう見えて歌が上手いんだよ。歌手崩れだから。」
他の方からの話を聞くと、本当に歌が上手いらしいです。
ありんこ隊を乗せて来る日が来たら、ぜひご披露くださいね。
他の皆さんのリーダーをされながらの避難生活が
2ヶ月以上となり、余震もまだ続く中で、
ちょっと疲れて最近少し高血圧気味だそうですが、
未来に向かって歩き出された民宿めぐろさん。
これからも応援したいと思います。
そうか、ここに仮設住宅ができるのか・・・。
以前伺ったときは、市の土地でないと建ててもらえない、
でもみんなこの土地を離れたくない、
生まれ育った町、海の側で暮らしたいと思っていると
言っていらっしゃいましたもんね。
こんなにすぐ近くで、気心の知れた方とふるさとに住めるなら
住む方も安心だし、私たちも嬉しいです。
なんだか私たちにとっても、ここに避難されている皆さんが、
だんだん親戚の方のような気持ちになってきています。
砂浜に取り残された船。この70日でだいぶ埋まってしまいました
「めぐろさん」の近く、海岸線に
家が半壊状態で残っているお宅があり
時々人がいらっしゃるのは見たのですが、
今までは寄れずに通り過ぎていました。
でも今日は、表で何か洗い物をしていらっしゃったので
ハッカ油の小瓶を渡しに初めて寄ってみることにしました。
すぐ近くに避難所があるのですが、
家の2階は何とか住めなくもないので
避難所へ配給をもらいに行きながら自宅に住んでいるのだとか。
「8月になるとこのあたりに仮設住宅ができるので
それまではこうして暮らすことになると思います。
仮設に移ったらこの家は壊すでしょうね、住めないし。」
私たちありんこは、いくつかの避難所を回っていますが、
そのまわりにはまだ無数のこうした避難生活があるはずです。
全部を支援の対象にすることはできませんが、
支援活動をする人が増えれば、対象となる家も増えていきます。
湾の瓦礫が見上げる空を、鯉のぼりが元気よく泳いでいました。
女川から雄勝へと向かう道で、
以前は通れなかった道路が開いていました。
被災地をかなり見慣れたつもりの私たちでも
初めて訪れる集落の景色は、今でもやはりショッキングです。
まるで砂漠のよう・・・・・
ようやく最近通れるようになったばかりのようですが
何かあったらまた通行止めになりそうです。
「壊滅状態だったんだね・・・」と@BOSSがつぶやきます。
ようやく道がこうして付けられて通れるようになっていますが、
おそらく数週間前までは、どこが道かもわからなかったと思います。
道路が通れなければ、捜索も物資運搬も何も進みません。
「雄勝方面 大型車両は通行不可」とありますので
このまま雄勝地区へ抜けられるようです。
ビルの屋根の上に上がったままの大型バス。
荒涼とした風景の中、自衛隊の車両が作業をしています。
北上川沿いに出て、十三浜の長観寺さんへ。
「毎回すみません、ありがとうございます。
この間頂いたもの(ハッカ油)、重宝していますよ。」
そう言ってくださった後に、
「随分片付いたと思いませんか?」
町があった場所を眺めながら、そんな話をされました。
「ここは家も何も、外灯一つないから、夜になると本当に真っ暗になるんですよ。」
そういえば電気は通ったんでしたっけ?
「お寺の建物だけは電気を通してもらったんですが、他には何の灯りもないでしょう?
本当に、何も見えないんですよ。」
「地震以前は、この高台のお寺から町を見渡すと
この町全体に、たくさんの家の明かりが灯っていたのに
今は、本当に何にも無くて真っ暗なんですよ。
たま~に、海辺の道路を通る車のライトが見えるだけで・・・。」
「お寺が避難所になっていて、皆さんが一緒にいたときは
そんな事は思いもしなかったんですが、皆さんが避難所に移られて
家族だけがお寺に残ったら、ああ、この町には今、私たちしかいないんだなぁって。
こんな中を通学させて、部活が終わって真っ暗な中戻るのもどうかと思ったので
娘は今、石巻の親戚の家に預けて、そこから高校へ通っています。
週末だけ帰ってくるんですけどね。
このごろ慣れたのか、だんだん気持ちが強くなってきたみたいです。」
・・・お話を聞かないと、、気づかない事でした。
何週も通っていながら、片付いてきている様子から
復興に近づいていると、勝手に考えてしまっていましたが、
確かに町の痕跡を残す広い空間に、人がいるのは長観寺さんだけです。
この町が、以前のように家の灯りで満たされる日がくるのでしょうか・・・。
そうそう、これはとれっくか~ちゃんから預かってきた物資です。
「ああ、ありがとうございます。
避難所に何も持たずに逃げてきたままの方がいて
そのおばあちゃんの下着をお願いしたんです。」
あの・・・ご自身のお体は大丈夫ですか?
「回診に来てくださる先生に、
精神的なバランスを崩しているようだからって
漢方薬を飲むように言われて飲んでいたんですけど
ようやく、もう飲まなくていいねって言われたんですよ。
自分では何ともないって思っていたけど
やっぱり自分の中ではいろいろあったんでしょうね。
でも最近ふっきれた気がするんです。
『ここで生きていくしかないんだ!』って。」
その言葉は、諦めからくるものではなく、
もっと力強いものにあふれていました。
震災から75日。
以前は道が通れなくて、寄磯小学校へ行くにも、雄勝地区に行くにも
ぐるりと回り道をしないといけませんでしたが
今回は初めて牡鹿半島をきれいに一周して、一部を除いて海沿いに移動できました。
今回石巻に来て、前回書いた悩みに一つの答えをもらった気がします。
いつも笑顔で、未だ避難されている方の面倒を見ながら、
民宿の営業再開へと心を強くもって進み始めためぐろさん。
避難所の責任者として動かれている一方で
チーム監督としても再始動し、チームメンバーを励まし、
自分にとっては手間賃すら生まない仕事でも
お客さん、あるいは仲間の生活の足しになるようにと
仕事も朝7時から夜7時までされている山口さんは、
ご自分のお店も流された方です。
家族以外はその町に誰もいない中、灯り一つない夜が明けると
朝、目の前に広がるのはあの日津波に流された町。
電話も水道も見通しがつかず、ほとんど外部とつながらない中で、
避難所の方を助けている長観寺さん。
仮設住宅に当選するということは、
公的物資の支援を断ち切られるという現実。
被災地での復興は、誰かが、いつの間にかやってくれる
そんなオートマティックなものでは無いという事を改めて思い知りました。
被災者ご自身も思い悩んで、気持ちを奮い立たせて努力され、
少しずつ少しずつ、行き先に不安を感じながらも、前に進んでいるのが本当です。
それに手を貸すのが支援なら、直接的、間接的にかかわらず
協力できることがあれば、どんなことでも協力をするのが支援なのだと思いました。
それは物資や義援金だけではなく、
訪問して顔を見せてくれるだけでもうれしいのだと
「めぐろさん」の社長さんもおっしゃっています。
冗談抜きで、肩をもんだりすることも、お手伝いだと思います。
今、そんな気持ちのこもった直接的支援を断る方はいないと思います。
長い支援のためには、みんながこれから個人個人で
現地に「友だち」や「心の親戚」をもつことが、
とても重要なことになっていくような気がします。
そして、被災された皆さんが今より前に進むための
実質的なお手伝いになることなら
「偽善かも」などと自分の心に言い訳をする必要もなく、
これからもみんなで応援していきたいと思います。
みんな、一緒にがんばっぺ!
投稿者:かまた 2011年05月27日 17:03
コメント
投稿者:又三郎 2011年05月27日 22:51
灯りの話、わたしも連休に岩手県の山田町へ行っていたのですが、その時に感じました。
国道沿いの繁華街、であったはずにもかかわらず、日が落ちると真っ暗になってしまい、ヘッドライトに浮かび上がるのは廃墟。
ど田舎暮らしで真っ暗な風景には慣れているはずなのに、妙に怖い感じがしました。
ウトロンの開き、わたしも見てみたいです…。^^
投稿者:NSMZUKI 2011年05月28日 12:34
そうかマグは穴が開くんだ・・・。
明日から又行って来ます。
その前に横浜へ寄ってから行きます。
(又さん、連絡ありがとう。)
長期は、今回が最後、
後はツアー等を使った単発支援に成りそう。
無事、7・8・9月は仕事が入りました。
早く片付けて、まだ支援が必要なら又行けるかな。
投稿者:かまた 2011年05月30日 16:02
>又三郎さん
連休中の応援隊員活動、お疲れ様でした。
そして支援金もありがとうございました。
自分の手のひらさえ見えない真っ暗な暗闇の話は
私も「ランタンを届けよう運動」の時に書いたのですが、
家に電気が通れば、もうその段階はクリア、と何となく思ってしまっていました。
でも、家に電気が来ても、外には町が無いから灯りが何も無い、という現状は
言われるまであまり考えていませんでした。
一般的なソーラーのガーデンライトは、ライトがそこにあるのはわかりますが
周りにあるものまでは映し出さないので
かなり強力なガーデンライトみたいなものがあったら
教えていただけると嬉しいです。>皆さま
ウトロンの開き・・・・どうしてこんなに開けっぴろげな犬に育ったんでしょう。^^;
夏に弱い犬種なので、そちらで一夏預かって頂ければウトロンも嬉しいかも。(笑)
>NSMZUKIさん
又三郎さんとは古いお知り合いなんでしたっけ。
泥片付けの旅、お疲れ様です。
連休でもないとなかなか長期で行ける方は少ないので、
本当に貴重な力になっていると思います。
NSMZUKIさんみたいに自分で動ける方はそれで動けますが、
時間はあるけれど一人では動けない、という方は
ボランティアバスツアーへの参加もいいですよね。
又三郎さんやNSMZUKIさんのように、現地にお手伝いに行くことによって、
そこの復興が少しでも進むことはもちろん、
何より、手伝ったその町に対して特別の思いが生まれることは、
これからのためにとても大切なことだと思います。
ありんこも、これからは物資だけでなく、人と人、心と心のつながりが
実際に増えていくような活動が提案できたらいいなあと思っています。
帰って来られたらぜひお話を聞かせてください。
投稿者:うなぎ 2011年06月07日 03:21
ご無沙汰しております。
雄勝を通られたのですね。
GWの光景から、更に片付いてますね。
自衛隊車両の画像、奥の建物は小学校校舎なんですが、
GWの時点でも校庭前の民家跡地に車両が入れる状態ではありませんでした。
この様子だと、向かって校舎左手のY字分岐脇の崩壊した観光バスも撤去されたのかなぁ。
『今度は遊びにおいで』
と雄勝町の皆さんに誘われてるので、夏には行こうと思ってます。
ソーラーランタン
UNHCRから送られたソーラーLEDランタンが結構明るく、かつ使い勝手が良かったです。
雄勝町へは200個程送られました。
現在余っていないか聞いてみますね。
またUNHCRは先月末に石巻市へ3000個追加支援予定だったそうなので、もしかしたら担当へお願いすれば十三浜へ回して貰えるのではないでしょうか。
投稿者:かまた 2011年06月07日 16:26
>うなぎさん
初めて雄勝地区を通りましたが、
目にするのはまだほとんど自衛隊か工事車両くらいで、
ここまで道を開けるだけでも、本当に大変だったのだろうなあと想像します。
うなぎさんが初めて行かれた頃は、道すらなかったのでしょうね。
夏にうなぎさんの顔を見たら、きっと雄勝地区の皆さんは懐かしく、喜ばれると思います。
私たちも今度石巻へ行くときは、地元の名産品なんかも持っていけたらと思っています。
十三浜にはソーラーランタンが階段のところにいくつかありますが
周りを照らすほどは明るくなく、やはり心もとない感じでした。
ただ、月浜地域に一軒しか残っていないので、
公的機関から数を回して頂くには難しいかもしれないですね。
私たちも少し考えてみます。
投稿者:とれっくと~ちゃん 2011年06月07日 20:43
御礼が大変遅くなりました。m(_'_)m
お借りしていたWi-Fiルーターは明日とれっくか~ちゃんが山口輪業さんへ届けに行ってくれます。
おかげさまでネット鎖国を回避できて通信業務に穴をあけずに引越しできました。
本当にありがとうございました。
明日は長観寺さんへもリクエストがあった衣類や日用品をどっさり買い込んで持って行く予定です。
他の食品系は明後日たくみさんが配送予定です。
支援は復活継続中です。(^_^)v
投稿者:@BOSS 2011年06月09日 09:25
> とれっくと~ちゃんさま
その後の引越しなどお手伝いできずに
申し訳ございませんでした。
ついついトレックエイドを
後回しにしてしまっています
Wi-Fiルーターは、トロさんからの支援ですが
でも、お役に立てて私たちもうれしいです。
山口輪業さんには、今度、ノートPCを
お届けすると約束をしていたので、
こちらも再びお伺いしますね。
おっ!たくみさんも活動再開ですね。
先日めぐろさんの社長さんも
最近、来ないけれどお元気ですか?と
心配されていたので
是非、また顔だけでも見せてあげてくださいと
お伝えください。
支援ともども、これからもよろしくお願いいたします。
(もちろん、バイクも♪)