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2011年04月19日
白浜荘、そして再び牡鹿へ
金曜日夜恒例の仕分け作業、
今回はビーバー隊からの27ケースも含まれていたので
少し早めに始めようと思いましたが、
GW向け広告の締め切り仕事をなんとか終えて
仕分けにかかり始めたのはやはり夜7時半。
「仕分け手伝いましょうか?」というコタンさんからのメールを読んで
携帯電話に向かって思わず手を合わせました。(-人-)
皆さんから送って頂いたたくさんの物資をクリアボックスに仕分けしていきます。
ありんこのページでデジタルカメラのことを更新したら
取説、付属品を揃えて、すぐに発送してくださったK藤さん、ライダーさん、
どうもありがとうございました。
絵本も、あっという間にたくさん集まりました。
児童書、学習冊子、子供用のパズルやぬりえも。
あ、オリビアだ!これ、私がもらっちゃおうかな。
ページを開くとそこにはお手紙が・・・
ひさいちの人へ
本をおくります。
まだよしんがいっぱいあるけど、がんばってね。
おうえんしています。
こやまもえより(小学校2年生)
う・・・もえちゃん、私ったら、やましいこと考えてごめんね。(TдT)
ちゃんとお手紙と一緒に被災地のお友だちに届けるからね。
さて、今回の石巻行きでいつもと違ったことが一つ。
現地石巻周辺でボランティア活動をしていて
このブログにコメントを下さった「ゆりさん」が、
私たちが次回行くまでの間に一度、長観寺さんを訪れて
その間の情報を送ってくださっていたことです。
以前のブログで「情報のこと」と題して、現状を正しく把握する難しさを書きましたが、
物資の支援は「現地の今」の情報がとても重要です。
ですが、この情報は、現地にいる方だからわかるというだけでなく
正確に実情を把握する力と、それを正確に伝える力が必要です。
例えば、避難所のどなたかに訪ねたら
「食料は毎日届いている」と言われたとします。
これを聞いて、「ああ、じゃあ大丈夫」と思うか、
どんなスパンで何が届いているのか、現在ストックはどれくらいあるのか、
届かないもので必要なものは何なのか等を把握できるかできないかで
その後にできる支援がまったく違ってきます。
木曜日に長観寺さんを尋ねていたゆりさんから届いたメールは
配給はおにぎり、食パン、ロールパン、バナナ。
食パンに付けるジャムなどが欲しいとのこと。
冷蔵庫がないのでバターはダメ、
野菜は差し入れで間に合っている。
果物はバナナ以外が欲しい。
私は今回グレープフルーツ12個、オレンジ13個、
りんご60個くらい差し上げました。
もし果物を持ってきたら、他の避難所がいいかも。
一日で食べきれる量の肉類(冷蔵庫がないため)。
果物の缶詰、
生クリーム、ヨーグルト(デザートにできる)
日持ちのする食品
というような内容でした。
そこで、ジャム、マーマレード、ピーナッツバターと、
魚肉ソーセージ、冷蔵保存のいらないレトルトミートボールなどを
用意して行くことにしました。
ちゅうめさんからも、パックの野菜ジュースをたくさん送って頂きました。
デザートにできるプリンもクーラーボックスで用意しました。
さて、仕分けとともに積みあがっていくクリアボッスを見上げると
どう考えてもそれいけウトロ号1台には載せ切れません。
かといって、今週持って行かないと一週間遅れてしまい、
今は必要だけど、来週にはいらないかもというものもあるし、
私たちの都合で持って行けないことで、
現地の方に一週間、不自由さを強いることもいやなので、
一緒に行ってくれるトランポ持ちの方を探しました。
@BOSSも、夜分に悪いと思いながら
気心の知れている数人に電話を掛けてみました。
taishoさんは「僕は行けないけれど、何人かトランポを持っていて、
ありんこさんの活動を知っている仲間がいるので声を掛けてみます」
そう言って直ぐに電話をかけてくれたようですが、
さすがに今晩言って明日と言うのには無理があり
可能な方がいなかったようで
「すみません、お役に立てなくて・・・」と
非常に悪がっていました。
いいえ、taishoさんのその真っ直ぐで純粋な気持ち、
とても嬉しかったです。
何も出来なくて・・・と言ってましたが、
十分に私達の心の支援になりました。
ありがとうございました。
そんな中、カカ1号&カカ2号さんが、
「私たちで役に立つなら、喜んで!」と
2つ返事で協力してくれることになりました。
二人ともバイク乗りでトランポ持ちですが、それぞれ家族持ちでもあります。
にも関わらず、今日の夜言って明朝出発という無理な話しに
「大丈夫、大丈夫!」と即座に対応してくれてありがとう。(TдT)
ようやく深夜11時過ぎに仕分けが終わりました。
送って頂いた箱のまま積んでいくものもいくつかありますが、
ほとんどはカテゴリーによって半透明のBOXに詰めていく事で
現地で必要なものの出し入れがとても早くなるのと、
残量がひと目で把握できるので、
時間がかかっても仕分け作業は必要なのですが
コタンさんが手伝ってくれなかったら、徹夜作業だったかも・・・^^;
【土曜日】
土曜日朝6時、カカ1号&2号さんがサロンドアトラスに来てくれました。
(あとで聞いたら、5時に「早着」していたんだとか。^^;)
カカさんのハイエースに物資を載せて、7時石巻へ向って出発。
まずは先週の日曜に伺った、十三浜を目指します。
途中高速でいきなり渋滞が始まり、何だ何だと思ったところへ
ちょうどいわきの「ゆーじさん」から電話がかかってきたので
ま、まさか原発で何かが!?と思いましたが、
渋滞は単に週末ボランティアが増えたための自然渋滞であって
電話の内容はいわきの現状の報告でした。^^;
「いわきは3.11より余震が大きくて、今回壊れる家もあるくらい。
原発はねえ、なんかこっちに住んでる人は、もう仕方ないって諦めてる感じ。
もっと遠くどこかへ避難しようにもお金がかかるし。
逆に20キロ圏内から、いわきに避難してくる人もいるし。
でも慣れって怖いね。誰もマスクや帽子なんかしてないよ。
それより今いわきで怖いのは、人だね。
火事場泥棒みたいな強盗・空き巣が多くなって、治安が悪くなった。
みんなだんだんお金もなくなっていくでしょ。
なんかさ、人がゾンビ化しそうなのが怖い。わかる?そういう恐怖。
それよりさ、今は南風が吹く時期だから
いわきより、ありんこさん達が行く地域の方が
放射線量は気をつけないとだからね!」
原発施設の仕事にも関わりのあったゆーじさんは
私たちのガイガーカウンターでもあります。( ̄∀ ̄;)汗
石巻河南ICから北上川河口方面へ。
このお地蔵さんは、ほんの少し位置がずれただけで
津波の後にも同じ場所に鎮座しています。
先週来た時には通れなかった道も通れるようになっていたり、
新しい道を作るための杭が打たれていたり。
道路が復興していく速さには@BOSSも驚いていました。
今まで道が寸断されていたために、他に比べて
物資支援が遅れがちだったこのエリアも
これからどんどん支援の手が入っていくようになると思います。
先述のゆりさんからのメールには、
長観寺さんの少し先に「白浜荘」さんという旅館があり
そこも避難所になっているらしいけれども、
その日は持って行った物資をすべて長観寺さんに差し上げて、
白浜荘さんには行く事ができなかった、
ということが書かれてあったので
私たちはこの日一番最初に、白浜荘さんへ伺ってみることに。
長観寺さんを一旦通り過ぎ、途中、たくみさんととれっくか~ちゃんと合流。
白浜荘さんは海岸を見下ろす高台にありました。
白浜荘さんに34名、そのすぐ下にある個人宅2軒に29名、
合計63名の方が避難をされていらっしゃるとのこと。
長観寺さんと同じく、自治体に把握はされていたものの
ここへ来るまでの国道が寸断されていたため
物資は長観寺さんと同じような届き方だったようです。
そのため、長観寺さんと同じセットで用意をしてきた
ジャム関係、レトルトの肉料理を手にされると
「奥さん、ほら、ジャム頂きましたよ!うれしい!」
こんなに喜んで頂けるということは、
やはり食パンやロールパンを何もつけずに
そのまま食べていらっしゃるということのようです。
お聞きしたら、長観寺さんについてのゆりさんのメールにあった通り、
配給は、おにぎり、食パン、バナナが届き、
野菜はある日一度にたくさん配給される日があるので、
特に今のところは大丈夫です、とのこと。
プロパンで、ある程度自炊することもできているそう。
雨が降っていたので、玄関までの軒下に物資を並べさせていただくと
「えー、コーヒー、嬉しい!いいんですか?
毎日みんなよく飲んでいるから。あ、ココアもある!」
コーヒー、紅茶、ココアなどのお茶関係、下着、長靴、
トイレと台所用品、化粧水、雨合羽、安全靴、野菜ジュース、etc
ガソリンと灯油もお渡しし、
ランタンと乾電池もたくさん手にとっていただきました。
まだまだここへ電気が通るのは先のようです。
絵本もお届けしてきました。
男の子は乗り物と戦隊ものが好きですね。
今回、Ayumiさんの提案で、鯉のぼり(100均ですが^^;)を数本用意して
物資の箱の隅にそっと置いてみましたが、
小さな男の子が喜んで3本、勇ましく肩に抱えていきました。
その後、長観寺さんへ。
自衛隊の方が捜索作業をされていました。
白浜荘さんは避難所が被災現場から少し奥まって離れているので
道を降りていかなければ被災の様子を目にすることはありませんでしたが・・・
長観寺さんの階段を登り、物資を運んで振り向くと、
そこには皆さんが長年暮らした町が広がっています。
長観寺さんは現在、一週間前の50名から
35名くらいまで避難されている方の数が減ったそうです。
本当はここから少し離れた、「サンパーク」という公式避難所に
できるだけ移るようにと自治体から言われているそうなのですが、
大切な方、大切なものがここに眠っていて
まだ見つからないということもあって
やはりここを離れがたいのだと思います、と
お寺の方が言われていました。
小学生くらいの子ども達だと、絵本や靴の入った箱を前に
あれがいい、これがいいと声を上げながら選んでくれますが
中学生、高校生くらいになると、一歩引いて遠くから眺めています。
自分から何かを探して手に取ろうとはしません。
私たちがこうした物資を運んでくることも
どんな気持ちでいるのか、とても気になります。
彼女達の心が安らぐものがあったら、届けてあげたい、
そう思うのですが・・・。
食料品や、台所用品、トイレ消臭剤、洗濯用品など
細々した生活物資はたいへん喜んでいただきましたが、
用意した物資の中で、大きなもの、ブルーシート、スコップやホース、
サイズが大き目の長靴や安全靴、台車などがほとんど余ってしまいました。
どうしよう・・・。
本当は私たちは、このエリアでほとんど使って頂けると思っていたので
カカさんにお願いをして、今回持ってきたのですが
それはある、それも昨日持ってきてくれた、というものが多くて
こうなるとあとは全部持ち帰りかも・・・。
帰りながら、近くにあるという公的避難所がどんな様子か
一応行ってみることにしました。
ソフトバンクの移動基地局。
サンパークの避難所には大きな白いテントが立ち並び
あらゆる職種の工事車両が入ってきていました。
ここで必要な物資は言えば届くようになっていると思われるので
あえて聞くこともせず、私たちはサンパークを後にしました。
カカ1号&2号さんも、とれっくか~ちゃん、たくみさんも
明日は用があるということなので、石巻で解散することに。
今日は一日ありがとうございました。お疲れ様でした。
さて、皆さんと別れて@BOSSと相談しました。
おそらく、先週の感じでは、牡鹿半島ではどこの避難所も
物資はもう行き渡っていると思います。
かといって、皆さんから送っていただいた物資や
お預かりした義援金で調達した燃料を無駄にしたくはありません。
でも、ありんこ支援隊としては、荷物を空にするためだけに
特に必要ないというものを避難所に一方的に
ど~んと置いてくることだけはしたくありません。
それと、月曜日は朝イチから動かせない仕事が入っているし
@BOSSも私も、もう一ヶ月以上休んでいないので、
日曜は一日ゆっくり体と頭を休ませた方がいいかも・・・と思っていたのもあり
残った大量物資を前に考え込んでしまいました。
必要とされる物資を届けるのであれば、
たとえ疲れていても喜んでやれる力が湧いてきますが
必要でないかもしれないものを届けるのは足が重い・・・。
とりあえず残った物資をトレックさんに届けて私たちは新潟へ帰り、
後日どこかに配ってもらうという方法もあります。
でも・・・・・・。
話し合った結果、やっぱり私たちは自分達の足でこれを届けてみて
どこでももう不要とされることで、本当に牡鹿で物資が行き渡ったかを、
この目で見届ける責任があると思い直しました。
もう一日残って回ってみることにします。
ということで今日もテント泊です。
近くにお風呂もないし(泣)、今日はこのまま寝ます。
おやすみなさい。
明け方近く、ものすごい風で目が覚めました。
テントが横風を受けて、今にもひっくり返りそうです。
@BOSSが四隅をしっかり止めてくれていたので
実際にひっくり返ったりすることはないのですが
「怖い」と思うような強風です。
真っ暗な中、ゴオオッという風の音に「帰りたい」と思いました。
その時、あ、私は帰れるんだ、
でも家を流された方たちは、どこにも帰れないんだ、と
水を浴びせられたような気持ちになりました。
【日曜日】
いつのまに再び寝たのか、
朝5時、ウトロンに顔を舐められて起こされました。
よし、牡鹿半島へ行こう。
行って、必要とされれば届けて来れるし、
どこにも物資を必要とされなければ、
牡鹿でのありんこの使命は終わりと確認できる。
朝6時30分、渋滞を避けるために早めに出発。
コンビニはセブンイレブンもローソンも
まだ24時間営業はしていないので
昨日とれっくか~ちゃんからもらって
少し固くなってしまった手作りおにぎりをありがたく頂きました。
他のコンビニとは流通経路が違うのか、
ファミリーマートはなぜかどこも営業をしています。
それともこれも、被災地支援という経営者の方針なのでしょうか。
多分、そうだろう、と@BOSS。
女川の港へ入るあたりで、荷崩れしそうな荷物を直そうと停車すると
すぐ後ろに、70代くらいの小さなおばあさんが立っていました。
バスの停留所でもないし、何しているんだろう?
すると、おばあさんは自衛隊の車両が通るたびに
「ありがとうございます!気をつけて行ってきてください!
ありがとうございます!」
あらん限りの大きな声で叫びながら、日本国旗を振って
深々とお辞儀をしています。
朝7時には自衛隊が持ち場につくので、おそらく毎日ここで
お礼を言いながら、一台一台見送っているのだと思います。
私達も、被災地をこれまで5週間通って見てきましたが
現地での自衛隊の方々の活動に頭が下がる思いは一緒でした。
自衛隊の方にその声は聞こえないかもしれないけど、
そうせずにはいられないのであろうおばあさんの気持ちが伝わって、
少し涙が出ました。
今日は最初に寄磯小学校へ行くので、いつもと反対周り。
こちら側から女川へ入るのは初めてです。
カーキ色の車両が、あちこちですでに作業を開始しています。
夕方通ると、いつも灯りが点いている仮設の小屋。
発電機があるようですが、避難所なのかどうかはわかりません。
でも今日は表に人が出ていらっしゃったので、@BOSSが
「何か必要なものがないか、聞いてみよう。」
支援物資を運んできたんですが、ブルーシート、お使いになりますか?
すると、
「え?いただけるんですか?
実はここは避難所ではないんですが、お風呂を沸かすことができるので
この先にある海尖閣さんに避難されている方たちが入りに来るんです。」
じゃあ、目隠しや風除けに使えますね。
ランタンもありますが・・・
「いやあ、ありがたいです。毎回何かあるたびに
発電機を起こさないといけなかったので
ランタンですぐ灯りが点くのなら・・・」
こちらは下着や食料は大丈夫ということでしたので
他に、雨合羽や女性の方用の化粧水、ハンドクリームなど
これがあると助かる、と言われたものをお渡ししました。
お風呂場に支援物資をお届けしたのは初めてですが、
あのお風呂にも今夜ランタンが灯って、
少しだけ明るい夜を過ごして頂けたら嬉しいです。
今は静かで美しい海。
救援物資でしょうか、捜索でしょうか。
ヘリコプターがホバリングをしています。
あれから2度の大きな余震と、細かい余震があり、
初回にはなかった亀裂が道路にたくさん入っています。
あちこちで応急手当のような修復をした跡もみられますが
地震と修復の追いかけっこのようです。
今大きな余震が来たら、私たちも帰れなくなるかもしれません。
最初の頃、寄磯小学校へ行くためには
女川原発内(ナビのグレーゾーン)を通らなければなりませんでしたが
今は通ることなく避難所へ行くことができます。
松林の中に見える白い建物が原子炉建屋です。
ところどころに立っている、「原発反対」の手書きの看板には、
「建設やめるか、事故で止めるか」と書かれた文字が・・・。
土砂崩れを防ぐネットは張られていますが、
頼むから揺れないで~(><)
ここは一部崩れていますね・・・( ̄∀ ̄;)汗
海辺に面した寄磯小学校には
100人規模の方が避難されていらっしゃいますが
皆さんのリーダーとなっているお父さんがいて
避難所内のあらゆることを把握していらっしゃいます。
「今日は罹災証明書を作ってもらう日で、
今役所の人が来ていて順番に手続きしているんだよ。」
というようなことを女川弁(?)で言われますが、
半分くらいしかわかりません。^^;
「あ、スコップは使う。ありがとう。」
「ホースは昨日山形の業者さんが来て、プールから
水を引けるようにしていってくれたからいらない。」
「雨合羽、下着はあれば使えるから置いていって。」
という具合に、いる、いらないがはっきりしています。
女性の皆さんにも見ていただき
トイレ掃除用具、台所掃除用具、下着、絵本、
マジック、化粧水、ハンドクリーム、リップクリーム等
ダンボールに詰めながらお渡ししました。
(ビーバー隊長、ここの避難所は広いコンクリート敷きなので、
女性の方に台車はとても喜ばれましたよ。^^)
防寒具については、
「ここは暖かくなったから、大丈夫。
でも、ここで使わないからって言っても粗末にしないでね。
もっと北の方へ持っていってあげて。まだ寒いはずだから。」
はい、そうします。
「あと洗面器みたいなのってありますか?顔を洗うのに。」
ああ、すみません。バケツは昨日他でお渡ししてしまったし・・・
ひしゃくがありますけど。
「ああ、それでいいわ、ありがとう。」
リーダーのお父さんに「これはどうですか?」
「ああ~、これはみんな喜ぶよ~。いいの?こんなに。
福島に行った人から聞いたけど、今どこに行っても
一人2箱くらいしか買えないんだってね。」
というようなことを女川弁(?)で言われますが
やっぱり半分くらいしかわかりません。^^;
リーダーさんに手渡したタバコを見つけた若い男性が「あっ!」
「夜になったらちゃん~とみんなに分げてやっがら。」
こうして大きな物資は、ホースを残してほとんど
必要なものとして喜んで受け取っていただきました。
下着も前回は「昨日届いたからいらない」ということでしたが
やはり状況はその時その時で変わっていくのでしょうか。
あと残ったのは燃料とランタンだけ。
ここは周辺地域の電気が通るのははまだまだ先なのですが
この避難所だけは小学校が始まるからということで
特別措置であと数日で電気が通るのだそうです。
洗面器も、たぶんこれまでは
水が使えなかったから必要なかったのが
給水車が来てプールに水をためていくようになったので
限られた資源を無駄に使わないように、洗面器が必要となったのでしょう。
必要とされる物資は、その避難所の生活状況に合わせて
どんどんと細分化されていきます。
沖に浮かべたたくさんの船。
瓦礫撤去作業をする車両。
先週にはなかった真新しい電柱が等間隔で立っています。
一旦つながってまた電気が点かなくなったという
「めぐろさん」へ続く道にも電柱が立ち並び、電気を送っています。
もうめぐろさんにお届けできるものはほとんど残っていないのですが、
帰る前に顔を出して行こうと思います。
女性陣が何か洗い物をしていました。
旅館で使っていた食器のようですね。
「これね、海水をかぶっちゃったけど、私たちがいつか
ここを離れて新しい避難所へ移る時に持って行けるようにって
社長が言ってくれたのでみんなで洗っているの。
二度目の嫁入り道具だって。(笑)」
以前来たときには、ストーブの周りで
ただじっとストーブ(あるいはどこか)を見つめて
ラジオを聴いていたおじいちゃんも
今回は私たちに「遠いところをありがとう。
うちもすぐこの近くなんだけど、み~んな流されちゃったよ。」
そんな話を自分からして下さるようになりました。
オレンジの作業着を来た社長さんが帰って来られました。
「ああ、いつもすいませんね。ありがとう。」
すみません、今日は2日間の最後にお邪魔したので
燃料とホースしかないんです。^^;
「あ、ホース使うよ、切って使えば周りの家でも使えるし。
それにガソリンも灯油も軽油もなくなってきていたから
入れてもらえるとありがたいなあ。
できるだけ燃料を使わないで済むように軽トラで動いているんだけどね。」
他の避難所は燃料は昨日届いたところが多くて
あまり出なかったから、全部こちらに入れていきますね。
ガソリンを携行缶に移す社長さん。
あ、あとタバコも社長さんに残しておいたんです。
と、2カートンをお渡しすると、
「あ~!」といいながら、手を合わせた社長さん。
昨日、他の皆さんは被災地支援で
鳴子の温泉保養所へ招待されて行ってこられたそうですが、
避難所を空けるわけにはいかないので、社長さんはお留守番。
女将さんと社長さんが休むことは一時もありません。
余震がくれば一番に起きて皆さんを起こし避難させ、
いつもいつも誰よりも動いていらっしゃる社長さんに
ほっと一服休んでいただけたら、ありんことしても嬉しいです。
めぐろさんの玄関を出たとたんに
大きな地響きがして地面が揺れだしました。
「余震だ。でも慣れちゃうね。あんまりしょっちゅう揺れると。」
どうかお気をつけて。また来ます。
結局こうして、積んできた物資は全部必要とされて
バスは空っぽになったのでした。
不思議です。
牡鹿半島ではもう物資の支援は行き届いたと思っていたけれど
決してそんなことはありませんでした。
けれど必要とされる物資は確実に変わってきています。
そして、それらは、ここからたった25kmしか離れていない
津波を受けていない石巻市街地で手に入るものも多くなってきました。
ありんこ支援隊の支援のスタイルも変わっていくと思います。
石巻で手に入るようになってきたものは、
皆さんからわざわざ新潟に送っていただく必要はなくなってきますので
買って揃えるのが金額的に難しい中古デジカメなどはお願いしながら
次の支援のカタチに移っていくでしょう。
私たちも、皆さんにとってもいい支援のカタチを探りながら、
これからも、息の長い支援をしていきたいと思います。
帰り道、「福島県土湯温泉の湯」を運ぶ自衛隊の運搬車を見ました。
温泉に入っていただくための支援活動なのでしょうか。
東北にも桜が咲き始めました。
月曜日、@BOSSは長岡市の保健所で
被曝チェックのスクリーニングを受けて来ました。
(念のため、ウトロンも連れて行ってもらいました。
私は会社を離れられなかったのですが、数値的には同じでしょう。)
結果、自然界の放射能レベルが60くらいなのに対し
@BOSSもウトロンも、最高で80から100くらいだったそうです。
「直ちに健康に影響を・・・」とも遠くかけ離れた数値でした。
最近、ヨーダ婆はまた知り合いから下着を集め、
今度は「ジジシャツ」をたくさん手に入れて会社に持ってきてくれました。
29日には、所属している「花の会」で
地元の避難所に、避難されていらっしゃる方と一緒に
花を植えるのだと楽しそうに言っていました。
コタンさんのブログで紹介されてされていた
「私たち、この人だけを助けることにしたの。」と言っていたおばさん。
みんなが誰かをそうしたら、これってすごいことだと思います。
帰りの高速でそんな話をしていたら、@BOSSが
「たぶん、ヨーダ婆もそのおばさんたちも、
現地の人のことが、もう自分の心に入って、
考えなくても当たり前にやっているんだろうね。
親身になって考える、っていうのは
親身になれない人には難しいことだけど
親身になっている人には実に簡単で
何気なくやっちゃう普通の事なんだと思う。」
そうですね。ありんこ支援隊の物資リストにはないのに、
ばーにーパパがタバコを被災地の方にって
あんなにたくさん買って持ってきてくれたのだって
きっと被災地のお父さんたちのことが心にふっと思い浮かんだのだと思います。
だって、寄磯小の男衆の皆さんも、めぐろさんの社長さんも
あんなに嬉しそうな顔で受け取っていらっしゃいましたもんね。
留守中会社の入口に、越後長岡のおっさんオフローダーさんが
「被災地の子どもさんへ」と書いたメモを入れて
届けてくれたココアも、白浜荘さんでとても喜んでいただきました。
被災者のことを想う、想像力。
一方的な思い込みによる押し付けや、自己満足のための支援は
単に相手や周りの人を傷つけるだけに終わる事もあるけれど、
大事なことは「被災地と皆さんの気持ちが少しでも前に進むこと」。
みんながいつも心のどこかに「被災地のこと」を思いながら
すごくすごく普通に、こうしたことが空気のように広がっていって、
いろいろな支援のカタチが生まれたらいいなと思います。
笑顔になってもらって、自分も嬉しい。
それが支援の気持ちだと思います。
被災地をはかなんで強迫観念と良心の呵責のような
自らの「負の気持ち」を晴らすために支援を行おうとするところには
被災者への想いが欠けているので
そういう理由での支援はしないでほしいな、と@BOSSは言います。
みんなが大きな親戚のように他の人を思いやる。
そんな日本になったらいいな、と思います。
私も日本の力を、信じています。
【追伸】
スポーツランドしどきの皆さんから、昨日ポストカードが届きました。
拝啓
先日は遠路わざわざお越しいただき、
スタッフ一同深く深く感謝申し上げます。
まだまだ余震は続いておりますが、コース、施設に被害はなく、
少しずつお客様に走っていただいております。
今回改めて、しどきがいかに皆様に愛されているか、私達も認識し、
又、幸せな事とし、胆に銘じて、このコースを守り抜いて行きます事に、
しどきスタッフは全力を尽くして参ります。
本日しどきに桜が咲きました。
宮城、岩手、八戸と必ず桜は北上していくことでしょう。
本当にありがとうございました。 敬具
しどきの皆さん、こちらこそありがとうございました。
大好きなしどき、早く走りに行きたいです。
投稿者:かまた 2011年04月19日 13:10
コメント
投稿者:bin 2011年04月19日 15:11
お二人の「目」と「耳」により、親身な活動を支援できること、改めて感謝します。
かまたさんの長めのレポートって、 ハッキリ言って 、、、好きです。
読んでは驚き、涙し、奮起し、また笑い。 ありがとうございます。
投稿者:NSMZUKI 2011年04月19日 17:31
お疲れ様です。
もう要らん、持って帰って、といわれるまでやりましょう。
私も、野暮用で一旦帰って来ましたが、
又金曜から泥片付けに行きます。
やる前は呆然としますが、意外とこれが片付くので、楽しいです。
投稿者:tac 2011年04月19日 20:55
本当に毎週お疲れ様です。
頑張りすぎるとまいっちゃうので、根を詰め過ぎない様にやって行きましょうね。
俺も「毎週平日の朝に運び、日曜はバイクに乗る」と言うスタイルになって来ました。
近いから出来る事ですけどね。
そのうち一緒にバイク遊びしましょうね。
投稿者:越後長岡のおっさんオフローダー 2011年04月19日 22:24
お疲れ様です。
少し休養なさって下さい。
投稿者:ビーバー隊長 2011年04月20日 08:12
ほんとうに、ほんとうに、御苦労様でした。
ご報告を読みながら、打ち合わせの上とはいえ、
送らせていただいた物資が、かえってご負担になってしまったのではないかと危惧しましたが、
お役にたつことが出来てほんとうに良かったです。
これもお二人(プラス一匹)の強い意志のおかげと感謝しています。
避難所生活はまだまだ続きそうな状況です。
私も腰を据えて次に出来ることを考えていきます。
はたらきありにも休息は必要です。
ちょっと休んで、またがんばりましょう。
投稿者:海底軍艦 2011年04月20日 17:57
はじめまして。
政治的に正しくない、しかし必要な物資の一つ「煙草」を贈る心遣いがとても嬉しく米します。
激烈なストレス下にある被災者の方々に、どれだけの慰めになるでしょう。
公的機関や大手のNGOでは、政治的に扱い難い物資かもしれませんが、それを届けるのが「零細義援隊」(失礼)ならではと言えるかもしれません。
私が言うのも変ですが、喫煙者の一人として、ありがとう!
投稿者:カカ1号 2011年04月20日 22:09
先日はお声を掛けていただき有難うございます^^。帰りの車中 2号と共に思いはヒトツ、また届けてあげたいねぇ(自分で物資揃えてないから心苦しいけど・・・)現地の子供達にふれあい「次くるなら〇〇持っていってあげたいねぇ!」と話はつきませんでした。“2号”と共にお世話になりました。
投稿者:かまた 2011年04月21日 20:16
皆さん、お返事が遅くてすみません。
今、GW前の締め切りとコールセンターが重なって
ほとんどメールやコメントをお返しする時間がとれないのです。
物資も送って頂いているのですが、ありんこリストを
なかなか毎日更新できなくて本当にすみません。m(_ _)m
>binさん
暖かい後方支援を、いつもいつもありがとうございます。
いいんですよ、「長め」だなんてオブラートに包んで頂かなくても
「長すぎる」とストレートに言って頂いて・・・(笑)
皆さんからの支援物資をお預かりして現地に行き、
ありんこの目から見た様々な出来事や出会いを
皆さんとできるだけ共有したいと思っているので
どうしても長くなってしまうのですが、
その分更新頻度は少なめに設定していますのでお許しを。(笑)
>NSMZUKIさん
お疲れ様です。
自衛隊の機動力とはまた別の、一人一人の手足を使った片付け作業、
先週もそうしたボランティアの方をたくさん見ました。
明日からまた現地入りとのこと、どうかお気をつけて。
帰ってこられたら、またお話を聞かせてください。
いってらっしゃい!
>tacさん
お疲れ様です。
ありんこで動くこと自体は大丈夫なのですが、
ただいま仕事仕事の毎日に体がまいりそうです。
(ありがたいことなのですけどもね。^^;)
長く支援活動を続けるためにも、
バランスのいいサイクルを作り出さないとですね。
tacさんとバイク遊び・・・゚。( ̄▽ ̄)ポワーン
すんごく嬉しいけど、正直、どんな遊びか想像もつきません。(笑)
>越後長岡のおっさんオフローダーさん
ありがとうございます。(ココアも。)
>ビーバー隊長さん
今回は、ミスマッチとは逆の意味で、物資支援の難しさを感じました。
どこに何が必要とされているのか、読み違えて行き先を間違えると
まったく違う結果になってしまったかもしれません。
でも、お預かりしたすべての物資を喜んで頂けてよかったです。
台車をニコニコしながら押す寄磯でのお母さんの顔を
ビーバー隊長にお見せしたかったです。^^
>海底軍艦さん
はじめまして。
この煙草を持って来てくれたばーにーパパの心には
被災地のお父さんたちのことが見えていたんだと思います。
物資の支援は、緊急のもの、生活に必要なもの、心を潤すものと、
いろいろな面を持っていますが、これからも
現地の方の笑顔が増えるような「零細義援隊」ならでは(笑)のものを
一つでも多くお届けできたらと思っています。
>カカ1号さん
今回は無理なお願いにも関わらず、快くお返事頂いて
本当にありがとうございました。
おかげでたくさんの物資をお届けすることができました。
カカさんたちと一緒に動けて、私たちもとても嬉しかったです。
またぜひ一緒にお届けしましょう!^^