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2011年06月07日

長観寺さんからの手紙

十三浜の長観寺さんから、筆でしたためられたお手紙を頂きました。
ありんこ支援隊宛のお手紙ですので
ご協力頂いたみなさまにご紹介させていただきます。

手紙

拝啓

悪夢のような三月十一日から二ヶ月半が経過しました。

雪が舞い散る中、寒さにうち震えながら過ごしたあの夜のことは
未だに私たちの記憶に鮮明に残っています。
おびただしい生命の残骸が水泡のごとく消え去り
瓦礫の山に茫然自失の状態でした。

そんな中、裸同然の私共に多くの衣類やら沢山の食料をご提供頂き
大変にありがとうございました。
加えて力強い励ましの言葉に涙があふれました。
被災して、人のありがたさを身にしみて感じております。

凍えるようなあの日から、季節は巡り
桜の時期も無我夢中で過ぎ、見回せば周りは花盛りです。

ライフラインの整備もボチボチ整いつつあり、
仮設住宅への入居も一部可能となってまいりました。
うちひしがれてばかりもいられません。
私共も新しい環境で心機一転、
今後の人生をやり直す覚悟を定めました。

まだまだ不安だらけの状態ですが、
何とか前に進むことができるようになりました。

それもこれも、全国の方々から寄せられた温かいご支援のたまものです。
大変にありがとうございました。

お礼が遅くなり大変申し訳ありませんでした。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

                              敬具

平成二十三年五月三十日

              月浜自治会 会長代行
                    (避難所)深明山 長観寺


ありんこ支援隊様


--


震災から80日が経ちました。
私たちが目にした現地の様子は、レポートでご報告している通りです。
永田町でバカバカしいやりとりが行われている今この瞬間にも
被災地の方々は、あの日を乗り越えて、
少しずつ復興への歩みを進めていらっしゃいます。


私たちが前回、力強く復活し始めた石巻に行って思ったことは
「今度は人を届けたいな」ということでした。

それは、以前に比べてずっと現地に行きやすくなっているので、
現地のボランティアの人手がどこも足りないという今、
行ける方はぜひ行ってほしいということと、もう一つ、
できるだけたくさんの方に被災地を見てほしい、ということがあります。
そしてできれば、現地に「友だち」や「心の親戚」を作って
「被災地」だから支援する、だけではなく、
「あの人がいるから応援し続ける」という場所になれば
思い合いのネットワークがもっと細かく、もっと強くなっていくと思うからです。

すでに、ありんこ支援隊でご協力を頂いている方の中にも
実際に現地ボランティアに行かれている方は何人かいらっしゃいます。

仙台で泥片付けの長期ボランティアに複数回行かれたNSMZUKIさん。

北海道から岩手の山田町へカヌー仲間の活動を手伝いに入られた又三郎さん。

フランスからご実家の福島に入られて、滞在中には
相馬で写真洗浄のボランティアに参加されたO&クロさんの弟さん

ありんこ発足の初期の頃からずっと影で支えてくださっているbinさんは
もう自分も動く時だと、東北へトランポでボランティアの旅に行かれています。


下記は又三郎さんがGWに岩手県山田町へ入ったときのレポートから
抜粋させて頂いたものです。

何か手伝えないか、と友人に言うと、付近の記録写真を撮って欲しいとのこと。
スタッフはみな忙しくて記録する人がいないのだとか。
ここでシャッターを切るのは、やはり躊躇したけれど、
記録しなければ意味がないので、
心の中でそっと手を合わせながらシャッターを切る。

又三郎さんが撮った被災地
Photo:又三郎さん
老人ホーム前の海。プレジャーボートなどの発着場になっており、
震災がなければ美しい海で遊ぶ人々がいたはず。
取り残されたステップワゴンの残骸が悲しい。

又三郎さんが撮った被災地
Photo:又三郎さん
山田町役場から、市街地中心部を望む。
知られていないが、震災当日、山田でも大火が起こり
市街地の4割が焼けてしまったという。
そのため、焼失した建物は撤去されて、役場職員さんによれば
「ずいぶんきれいになったんですよ」とのこと。

又三郎さんが撮った被災地
Photo:又三郎さん
翌日は地元漁師さんの協力を得て、漁船で海上捜索。
併走するのは、全国各地から集まったPWCを操るライフセーバー。

又三郎さんが私に下さったメールにはこうありました。

仲間に盛岡在住の、ハーレーと初代セロー乗りの友人がいまして、
彼が震災以降「何をしたらいいのか」「現地に行って現状を見たい気持ちと、
行ってはいけない気持ちで揺れている」と聞いたので
「見るだけでもいいから、現地に行きなさい」と言いました。
見て、感じた中から、自分にできることを考えればいいではないか、と。


実は@BOSSも私も、そのことを最近とても強く感じます。

いろいろな悩みの答えは、現地にあるのではないかと。

春休み、GWが終わって
どこの自治体でもボランティアの人手を募集しています。
1日だけのボランティアバスツアーもありますし、
行ける方は前述の方達のように、長期で入られるのもよいと思います。

ありんこでは募集されている自治体などの紹介はしませんが、
まずは自分で探すところから始めて、
自分なりに、現地にもう一歩深く関わってみるのが
次の段階の支援なのではないかと思います。

そして、一人でも多くの方が現地でボランティアに参加することで
少しでも復興が前に進むことと同時に、
現地で活動をすることは、私たちが生きていく上で大切な
たくさんのことを学ばせていただけると、これまでの経験で思うのです。


自分の日常生活を自分の現場で、以前のように淡々と行うこと、
それはもちろん正常化のために大切だけれど、
それだけでは現地を変えるチカラは現地に届かない、
というのが@BOSSと私の考えです。

「被災地以外の私たちが、普段通りの生活を送ることが一番の支援」

そういう声が増えて来ているのに伴って、
もともと支援に携わらないながらも、
さまざまなな余興的活動を自粛していた多くの方々が
震災前と同じような生活に戻りつつあります。

「不謹慎では・・・」という不安に縛られていた状態から、
自粛というタガが外れて「今までどおりの生活」を再開しても
ようやく「後ろめたくなくなって来た」という感じでしょうか。

政治が相変わらず被災地と被災者に対して、対岸の火事のごとく、
当事者意識の欠如した権力闘争に明け暮れているのは
今に始まったことではなく、しようもないこととしても、
同じような波に乗って、私達の意識までもが
「今もそこにある」被災地から、遠のいて来ていないか気になります。

新聞
GW以降、被災地ではボランティアの人数が半数以下に激減し、
瓦礫撤去や仮設受託への引越し手伝いなどの支援活動が
人数不足で危機的状況にある、というのが実際です。
宮城県のボランティアセンター担当者の方は
「継続的、長期的な支援をいただきたい」と呼びかけられています。

つまり、私達が「普通の日常生活」に戻るだけでは、
これら被災地では何の足しにもなっていないということなのです。


もちろん、震災直後の様に、被災地から遠く離れた地域でまで
必要以上の自粛により、経済活動を低迷させてしまうことは
負のスパイラルとなって、世の中全体を復興支援すら出来ぬほどの不況に
陥れかねない危険性はありましたから
これはいち早く「通常の経済活動」に戻して
非被災地の生活を支援できるところまで回復させ、足元を固めることは大切です。

ただ、このことに乗じて「普通に生活しましょう」と言っていても
その後、被災地での被災者の復興の足しになるかといえば
答えは「NO」です。

「長い目で見れば、支援に・・・」
「間接的には、支援に・・・」という論理は
最初に書いた「後ろめたさを消去したい」という
「自己都合」の言い訳になってはいないかと思うのです。

その事は、被災地に行けばすぐに気づきます。
自分の消費活動が、今、目の前にいる被災者の方々を
どんな風に支援しているだろうかと考えれば、すぐに判ります。

私たちが日常生活に普通に戻るということ、
これが「一番の支援になる」事はありえません。

あえてフォローすれば、それは日本を経済破綻させないために
非被災地で最低限行うことでもあるので、「必要です」とは言えますが、
被災者のため、支援のためにはつながりません。


ではいったい何が役に立つのか?

その日常生活で経済活動の歯車を回す傍らで
やはり直接的か、間接的に「復興支援」を行うべきだと思います。

繰り返しになりますが、ここで言う「間接的支援」というものも、
「いずれ、めぐり巡って、被災者の為になる」というような
希望的観測的なものではありません。

でも、どうか誤解しないで頂きたいのは、
決して自粛を勧めているのではありません。
私たちライダーは、バイクにはどんどん乗るべきだと思いますし、
復興中だからと、乗りたい気持ちを押し殺す必要はないと思います。
けれど、それを「間接的支援」と考えるのは間違いです。
あえてそれを言うなら、日本の経済振興(経済破綻の防止)のためにです。

もし「被災者支援」の為に乗ろうとするのなら、
チャリティーイベントで募金をするなどすれば支援になりますが
ただ単に乗るだけであれば、それ自体は、
直接的にも間接的にも、被災者支援にはなりません。

FRD
Photo:楽さん FREERIDE DAY RIDE&SHARE MEETING in木更津

FRD
Photo:楽さん 豪華なゲストライダーを迎えてチャリティーオークションも行われました。

ですから、震災前からバイクを趣味として乗っていた私たちライダーは、
これからも部品も燃料も消費して、それら産業の衰退を防止して、
日本の経済力を底上げする活動を復活させながら、
もう一方で、直接的、あるいは間接的な支援活動にも
時間とお金と労力と、そして「支援の気持ち」を
被災地に向けることが大切なのではないでしょうか。


そのためには今まで以上に、
時間もお金も持ち出しが必要にもなるでしょうし、
今まで以上にスケジュールも忙しくなるはずですが、
それらは震災で協力・援助を必要としている方々へ
自分の時間やお金を使うことであり、支援は「人を支える」ことですから
負担が増えるのは当然の事だと思います。


Photo:林道ファン
「バイクを半分にして、残り半分は支援にしようと思います」と、
コメントで(ζ`)さんが言っていらっしゃいましたが、
そのように、今あるご自身の10の余力の配分を、
5:5ずつに振り分けるのもよいと思いますし、

尾崎塾長
Photo:塾長の車庫日記(勝手にすみません・・・)
尾崎塾長が書いていらっしゃたように、
今までが10だったら、自分を12にパワーアップして
より頑張る、という考えも正しいと思います。
そして、今まで通りの10の配分でバイクに乗りつつ、
他に2という時間と労力を新たに増やして
支援活動をはじめられてもよいかと思います。

清水自転車組合
Photo:Studio.keepota
翌週は家族の集大成としてファミリーでチーム参戦している
JEC爺ケ岳のレースであるにも関わらず
気仙沼に自転車修理のボランティアに行った太田パパ。(右)

様々な形があろうかと思いますが
少なからず、読者の方がいるこのブログで
「ありんこ支援隊」として、ライダーの皆さんへの協力をお願いしてきた立場から
今一度考えて、この様な思いと答えに至りました。

何度も書きますが、自分達だけが「今までどおり」に戻っても、
「何処かで誰かが適当に上手くやってくれるだろう」では
何も変わらない、何も前には進まない、ということです。

緊急支援の次の段階に入った今、
今までの皆さんの生活に、支援につながる何かを、
一つでいいのでプラスして、それを始めて頂けたらと思います。

「出来る事を、出来る範囲で」
自分の持つ小さな力を、実際に被災地のために使うこと。
ありんこ支援隊も、節電からもう一歩踏み込んだ支援活動を
これからも、みなさんと一緒に長く続けていきたいと思っています。

投稿者:かまた  2011年06月07日 16:00

コメント

投稿者:Oとクロの弟   2011年06月07日 18:58

紹介していただいて恐縮です。
たいしたことをしていないので、少し恥ずかしいです。
友人や知人が被災していることで、なにかしなければ、という気持ちが強かったのですが、実際は微々たることしかできませんでした。それでも現地に入って話を聞いて、少しだけ手伝うと、自分の気持ちも整理されてきました。
やはり行ける人は現地に行くのがいいと思います。いまやアウトドアの経験がなくても大丈夫ですから、よほど常識外れでなければOKでしょう。なにか特産品を買うとかして、売店で話をするだけでも、なにか変わると思います。
それから現地に行かなくても、現地や現地に行く人の助けになるような助言、アイディアはとても助かりました。それがなければ写真洗浄も上手く運ばなかったと思います。私もこれからは助言のほうに回って動いて行こうと思ってます。かまたさん、@BOSSの話、勇気と希望を頂きました。この場を借りて、ありがとうごとうございます。

投稿者:bin   2011年06月07日 21:20

今、東松島ボランティアセンターに参加してます。宮城県内でテント、車中泊に優しい環境です。日々、色々な事が起こりますが、色々な支援が出来ます。一件実働2hなので女性はもちろん60代の先輩でも大活躍してます。バイクで来ている方も居ます。普段はキャンプできない公園にテントを張って、現在無料の市営風呂に入れます。午前午後に受付があります。ツーリングがてら、5名以上は優待?ありです。立ち眩みする様な重労働から物足りない軽作業まで、実体験しながら実支援できますよ!

投稿者:NSMZUKI   2011年06月08日 13:10

 一旦、帰ってきています。
色々家の事を片付けて、又行こうと思います。
次の職場がまだ始まらず、これは「被災地へ行け」との天の声と思っています。
私も、久々のアウトドア生活を楽しんでしまっています。
私は岩沼に居ましたが、ほぼ活動も仕上げの段階です。(沿岸部はこれからですが)
避難所も無事閉鎖となりました。
東松島の市営風呂はウラヤマしいですね。岩沼には無い・・・。

大雨で、田んぼが水没してました。(水が掃けない)
まるで太古の姿に帰りつつあるかのように、
草ぼうぼうの沼と化してました。
それと、ハエが巨大化している!。
丸々として、見事。
確かに、スコップですくったヘドロの下でしぶとく生きているのは蛆虫(ハエの幼虫)でした。
沼と化した田んぼでもこれから虫の発生が予想されます。

ボランティアにも災害派遣車両証明が発給されるように成りましたね。
これは助かります。
今までは高速代、自腹で行ってたので。

投稿者:又三郎   2011年06月08日 22:42

本当に大したことはしていないので、お恥ずかしい限りです。

これから仕事も立て込む時期なので、海を隔てた東北には、なかなか足を運べないと思います。

ですが、いつも彼の地のことは思っています。
こちらからでも、できることを考えていきたいと思っています。

投稿者:かまた   2011年06月10日 17:06

お返事が遅くなりました。

>Oとクロの弟さん

勝手にご紹介してすみません。^^;(今に始まったことではありませんが。)
恥ずかしながら、私は「南仏しゃしんかん」で初めて「写真洗浄」なるものを知って
いろんなボランティアがあるんだなあと思ったものでした。

「たいしたことをしていない」、それはありんこも全くその通りで、
自衛隊のように一気呵成にガーッと応援できたらいいと思うのですが、
ほんの限られた場所で、自分たちにできる小さなことをするのが精一杯で
私たちが動いた事で何かが進んだのかどうかも、よくわからないくらいです。
でもこれからは、そのいろんな小さな「たいしたことのない力」がたくさん集まって
前に進んでいくのだと思います。

もうボランティアに特別なスキルを必要とせず、
受け入れ側もGWにあったような制限を取り払っているので
行ける方は、ぜひ現地へ行ってほしいなと私も思います。
こちらこそ、O家の皆さんには、勇気の出る言葉をたくさん頂きました。
ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。


>binさん

お疲れ様です。
現地の元気がbinさんのコメントから伝わってきます。
やっぱり現地からの声は大切ですね。^^

自治体によっていろいろあるのでしょうけれども、
今はボランティアの受け入れ体制が、かなり整えられているようですし、
それに、一件実働2hなら、とても参加しやすいですね。
帰って来られたら、また現地の様子を皆さんにお伝え頂けたら嬉しいです。
どうか体にお気をつけて、頑張ってください!

投稿者:かまた   2011年06月10日 17:31

>NSMZUKIさん

「天の声」に従って、もう何度目になるかわからない遠征、本当にお疲れ様です。
NSMZUKIさんの目で見られたことをコメントに頂くだけでも
現地が少しずつ、でも確実に前に進んでいることや、
東北の季節が変わっていっているようすが伝わってきてありがたいです。

>ボランティアにも災害派遣車両証明が発給されるように成りましたね。
>これは助かります。

そうなんですか!私たちも自腹で行っているので、
高速割引がなくなるとちょっと辛いなあと思っていたんですが^^;
今度話を聞いてみます。(だめでももちろん支援は続けますよ。^^)


>又三郎さん

ほんの一部だけですが、ご紹介させて頂きありがとうございました。
やっぱりテレビからだけではなく、現地へ行かれた方の声は
行きたくても行けない皆さんにとって、貴重な情報だと思います。

それに上のコメントでも書きましたが、
「大したこと」ができる人なんて、孫さんか柳井さんか自衛隊くらいなもので(笑)
私たちはみんな大したことなんかできませんよ。^^;
でも、たとえ行けなくても、それが北海道からでも、南仏からでも、
みんなの思いがつながって彼の地を支えていくことが大切だと思っています。

本当にいつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

投稿者:NSMZUKI   2011年06月11日 09:59

災害派遣車両証明、

物資運搬なら、以前から出ていると思ってました。
ボランティアに出るように成ったのは5月以降らしいです。

でも中型以上は、20日以降は東北方面は全て無料だったような・・・。

ここに詳しく出ています。
   ↓
http://www.mlit.go.jp/common/000146806.pdf
元はここ
   ↓
http://www.mlit.go.jp/report/press/road01_hh_000178.html

投稿者:かまた   2011年06月13日 09:20

>NSMZUKIさん

ありがとうございます。助かります。
それいけウトロ号は中型ではないもので、
これを参考に当たってみます。

投稿者:bin   2011年06月13日 21:01

土日で帰宅しましたが、東松島に戻りました。
梅雨入り前に乾いてきたヘドロを少しでも取りたいです。
最近、仮設住宅へ搬入する家財道具の作業があります。皿、茶碗などを2名分セットにします。今日は350セットを作りました。
まだまだ泥だしもあります(土建業が忙しく自宅が遅れた方、自衛官なども居ます)。
ただ、仮設の物資作業をすると350人の方が近々、入居出来るんだなぁと、ホットします。
老眼、暗い、キー小さいのでこれにて失礼します。

投稿者:かまた   2011年06月14日 18:22

>binさん

お疲れ様です。
週末の雨の中での移動、大変だったのではないでしょうか。^^;
binさんのコメントから、確実に、着々と、「何か」が進んでいる感じがして、
読んでいる私たちもホッとします。

仮設住宅に入ったら入ったで、次の支援が必要となってくると思いますが、
また現地からの生の情報をお聞かせいただけると助かります。

暑くなったり寒くなったり、寒暖差が激しいこの頃ですが、
binさんもお体に気をつけて!

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