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2011年04月05日
牡鹿半島の避難所へ
先週末は、tacさん達と同じように
地元で物資配達のボランティアをされている「たくみさん」とともに
激甚被災地である牡鹿半島の女川方面の避難所にご一緒させて頂きました。
また長くなりますが、そのご報告をさせて頂きます。
金曜日の夜、楽さんが娘さんと一緒に
スギヤマレーシングさんとライダーズランドYOYOさんにご協力頂いた
たくさんの物資を載せて東京から届けにきてくれました。
楽さん、そしてご協力頂いた皆さん、どうもありがとうございました。
【4月2日 土曜日】
土曜は朝から積み込みのための仕分け作業です。
皆さんから送って頂いたたくさんの支援物資。
バスに積んだ後にも分かりやすいように、
半透明のコンテナボックスに、仕分けをしながら入れていきます。
(こうすることで、残量も一目でわかりますし、
避難所に箱を降ろした時にも、何が入っているかわかりやすいはず。)
仕分けしたコンテナボックスを「それいけウトロ号」に積み込みます。
東北道は地震によってかなりの段差がありますので
荷崩れという二次災害が起きないように、タイダウンでしっかりと固定。
できるだけ早めに出発をとは思っていたのですが、
結局、前日も合わせて仕分けに5時間、積み込みに4時間。(泣)
(スタンドで支援用燃料を詰めるだけでもかなりの時間がかかります。)
お昼過ぎにようやくサロンドアトラスを出発しました。
全線が一般車両通行可となったので
これまでに比べて車の台数がかなり多くなっています。
今まではいなかった、警察によるスピード取締りも行われていました。
夕方5時過ぎ、仙台の街に到着。
市街地はもうほとんど地震の面影はなく、
バスの正面につけた「緊急支援物資運搬中」の横断幕が
何とも賑わう青葉の街に似つかわしくなく、
「いったいどこへ運ぶのですか!?」という感じ。^^;
トレックフィールドさんで、トレックさんが必要なものと
楽さんから預かった「心の避難所グッズ」、
そしてガソリンと灯油をいくつか降ろしました。
その足で、今度は1kmと離れていない、tacさんのお店、
ストレンジモーターサイクルさんへ移動します。
3週目にしてようやく少しtacさんに打ち解け始めたウトロン。(笑)
tacさんのところもトレックさん同様、運ぶ先はあるのに
支援物資をストックしておくスペースがない、という状況で、
本当はいろいろと降ろしたかったのですが、
必要最低限の物資(下着など)と燃料を降ろすのみ。
仙台市内は宅急便が届くようになったので
トレックさん、ストレンジさんに全国から支援物資が届くのですが、
先述の通りストックスペースがないことと、配る人が足りないことで
(地元に詳しい人が一緒でないと本当に届けたい所に届かないので)
現在、ボトルネック状態になっている、という問題が起き始めています。
幸い、弊社は新潟の片田舎にあり、店舗はもと大型量販店のテナントで
スペースだけは十分にあるので、
皆さんからお送り頂いた物資は山積みせずとも置いておけて
仕分け作業も駐車場に広げて行えるのですが、
これを仙台に運んできても、降ろすことができない状況です。
そこで、今回はこのままバスから物資を降ろさずに
tacさん、トレックさんのバイク仲間で、
地元に非常に詳しい「たくみさん」とともに、
「それいけウトロ号」で一緒に物資を運搬させて頂くことになりました。
とりあえず、たくみさんのいる石巻へ向かって、
今日は石巻の大型店舗の駐車場で車泊をすることに。
仙台と違って石巻へ向かうとなると、
飲食店が開いていない可能性もあるので、
高速に乗る前にコンビニでパンでも買っていこうと思ったら・・・
市街地から少し離れた国道沿いのコンビニには
パンもおにぎりもお菓子も、見事に何もありませんでした。(泣)
向かいで「すきや」が営業をしていたので、
暖かい牛丼でありがたく腹ごしらえをして石巻へ向かいました。
そういえば、2週間前の、被災直後の街の中でも
「吉野屋」が屋台で炊き出し&配給をしていたのを見ましたが、
この2つの牛丼チェーン店、人々に暖かい食事と希望を与えてくれますね。
すばらしい企業だと思います。(-人-)
石巻に着いたのは夜9時。
ためしにバスの中で、手元式のLEDランタンを点けてみました。
自分の周りを照らすには十分だと思います。
(灯りの周りに鏡を置くと、灯りが増えて
さらに周囲が明るくなるとどこかで読みました。)
明日に備えて、おやすみなさい。
【4月3日 日曜日】
私は運転席と助手席の間の補助席を出して、
その上にキャンプ用マットを敷いて寝ましたが、
@BOSSはバスの後方、物資を入れたコンテナの山と
燃料を入れたガソリン缶との間にコットを置いて
荷物番として(?)寝ました。
余震がこなくてよかったですね・・・( ̄∀ ̄;)汗
朝8時、たくみさんと今日のルートを打合せします。
今日はこれから、牡鹿半島にある5つの避難所へ行く予定だそうです。
たくみさんは地元仙台の方で、tacさんたちと同じように
公的な支援を受けていないと思われる小さな避難所や、
道が悪くて他の人が回って行かないような場所の避難所を見つけては
ボランティアで物資を届けています。
そういった避難所を見つける「カン」と「嗅覚」は天才的だそうで、
とれっくと~ちゃん曰く
「たくみ君にとっては、きのことりをするようなもの」なのだとか。
私たちは週末にしか来ていませんが、たくみさんは
自分の職場が再開されるまでの今の期間、
2日に一回は、こうして現地に行っているそうです。
昨日から物資を持って宮城入りしている「ちばてつ」さんも一緒に回ります。
(ねこバスでは回りませんでしたが。^^;)
石巻の街の中は、まるで除雪機が雪を左右にどかしたかのように
道の両側に瓦礫の山が積まれていて、川や沿岸部に近づくにつれて
被害の様子が酷くなっていきます。
北上川河口に浮かぶ中瀬にある不思議なドーム型の建物は、
石巻市出身である石ノ森章太郎さんの記念館「石ノ森章太郎萬画館」。
海は青空を映して、こんなに穏やかできれいなのに・・・。
今こんなことを言う時ではないのかもしれませんが
震災でこんなことになる前に、東北の海岸線へ
ツーリングに来なかったことが悔やまれます。
どんなにか美しかったことでしょう。
牡鹿半途へ入ると、一気に被害の度合いが高まります。
海岸線にあったはずの港や漁村はすべて押し流され、
まるで爆撃にあった後のようです。
自衛隊により急ピッチに道が通れるように瓦礫を空けられた後は、
こうして電気や水道の復旧工事車両が次々に入ってきて
ライフラインの復旧を急ぎます。
今朝のニュースで、被災地の約95%は電気と水道が復旧し、
あとの5%がなかなか作業車が入れず、
復旧までにまだまだかなりの時間がかかると報道されていましたが
牡鹿半島はその5%に当たる所です。
最初の避難所は比較的ご年配の方が多い「旅館めぐろ」さん。
この民宿に約30名の方が避難をしていらっしゃいます。
私たちが着くと、みなさんが外に出られて出迎えてくださいました。
物資を広げると、中から今必要なものを選ぶのですが
「この後行く避難所の方の分もあるでしょうから」と
必要なものだけ、それも必要最低限の数だけを取られます。
「いつもはここで自炊して、ここで食べるんですよ。」
ドラム缶に火をおこして煮炊きをされているのだそうです。
手前の丸太がイス代わりです。
Photo:とれっくと~ちゃん
ありんこ支援隊が発足して、まっ先に支援物資をお送り頂いた
浜松の「うなぎの鈴恭」さんの「うなぎの柔らか煮」をお渡ししました。
鈴恭さんは「被災地の方にうなぎでも食べさせてあげられたら・・・」と
ずっとご夫婦で思っていらっしゃったそうですが、
ご家族でやっているお店で、大鍋ひとつで手作りをされ
パックの包装も全部手作業のため、あまり数が作れないので
支援物資として送ることは諦めていたところに
私のブログを読んでいてくださったご主人が
少数でも直接、被災地に物資を届ける「ありんこ支援隊」のことを知り、
今回こうして私どもに託してくださったものです。
そんな経緯をお話しながら、めぐろさんの方にお渡しすると
「まあ~、そうですか、本当にありがたいことです。
ほらみんな、うなぎだって!うなぎ!」と大変喜んでくださいました。
単に必要な物資を届けるだけでなく、物資にこめられた思いを手渡しするのも
「ありんこ支援隊」だと思っています。
「せっかく来て頂いたので中でコーヒーでもどうぞ。」
中にあがらせて頂くと、旅館の大広間でラジオをつけて、
70~80代くらいの皆さんがストーブの周りで過ごしていらっしゃいました。
「まあ、パンでも食べて。」
いや、とんでもない!とお断りしたのですが、余ったものだからと言われるので
朝ご飯を食べていなかった私たちは、ありがたく山崎パンを頂きました。
「毎日必ずパンだけは届くの。でも年寄りには食べきれなくてね~。」
コーヒーを飲みながらいろんなお話を聞きました。
「警報なんて鳴らないですよ。ここは地震が来たら津波、って決まってますから。
地震の後、このすぐ前の山に登ったら、
右からも左からも津波が来て、いや~、怖かった、怖かった。
目の前で家も何もかも、ぜ~んぶ流されていくんだもの。
見ている中で、登った屋根ごと流されていた二人だけ助かったね。」
「うちのばーちゃんもね、普段は車いすだったけど
歩こうと思えば歩けたんだから放っておけば自分で避難できたと思うのよ。
でも息子(ご主人?)が車に乗せて避難しようとしたから
結局車ごと流されちゃってねえ。」
そんな話を、明るく普通に話されます。
あまりにもこうした話が、当たり前になってしまうほど多いのでしょう。
たくみさんが
「今、被災者に限り1泊3食で2000円というような温泉旅行がありますよね」
というような話をしたら
「いいわねえ、行きたいねえ、でもその2000円がないときたもんだ。
通帳もカードも全部流されちゃったからねえ。あははは。」
あまりにも明るく言うので、思わずつられて笑ってしまいました。
内容は決して笑い話ではないのですが。
ストーブのまわりでこうしてお茶を飲んで話をしていると
まるでお正月に田舎で集まった時のようです。
違うのは、皆さん帰る家がなかったり、
家族のだれか(或いはすべて)を津波で亡くされていること。
「いつかありんこ支援隊でここの皆さんを、
さっき言ってた温泉旅行にご招待したいなあ。それいけウトロ号で送迎して。」
次の避難所へ向かうバスの中で、ぽつりと@BOSSがそう言いました。
津波の破壊力を物語る壊れた家。
次は60人ほどの方達が避難されている「牡鹿モータース」へ。
ここの社長さんがリーダーとなって、
全員が「炊事係」「洗濯係」「掃除係」「調達係」など
仕事の担当を決めてから、避難所の中がうまくいくようになった、と
たくみさんが社長さんからお聞きしたそうですが、
60人といえばもうひとつのコミュニティ。
いつ終わるとも知れない集団生活を諍いなくまとめていくには
リーダーシップと公平な役割分担が必要なのでしょう。
3箇所目は病院がそのまま避難所となっているところです。
入院患者さんだけでなく、勤務中に家を流されて
帰る家がなくなった看護師さんやドクターも大勢いらっしゃいます。
またここはたくみさんが前回来るまで、
被災した日から20リッターのガソリンがたった一度だけ届いただけで
水やご飯は届いても、それ以降燃料がまったく届かなかったそうです。
「ガソリンと灯油も頂けるのですか!助かります!」
責任者らしい男性がそう言われました。
建物としてはきれいに残っていますが、
他と同様、ライフラインはすべて断たれていて
水の出ないトイレにはこんな貼り紙が。
(大きい方をする場合は、新聞紙に包んで
専用のバケツに入れるようにという指示もあります。)
ここで物資を広げたら、病院の中から一人、また一人、
「見ていいですか?」と遠慮がちに出てこられました。
「子どもと主人のパンツ、もらっていいですか?」
もちろんですよ。
「ほら、子ども用の肌着!」
「うわ~、うれしい、タートルネックだよ、ほら!」
Flat-Aさんが提供してくださった、冬物のニットやカットソーを
買い物を楽しむように選ばれていました。
楽さんが用意してくれた10枚1セットの派手派手柄ショーツも
笑いながら広げては、MだLだと選んでいらっしゃいました。
女性としては、物が届くことだけでなく、選ぶこと自体が楽しいもので、
こうした時間を届けられたことも、「アリ」だからできたことかもと思います。
電気が来ていないのにこんな大きな施設、
夜は暖房なんかないですよね?
「ないですよ~、コート来てこのまま寝てます。でも寒い。
だからタイツとか、スパッツとか、暖かい下着はホントに嬉しいです。」
下着はここでほぼなくなりました。
皆さんに聞いた「出来たらほしい物メモ」。
ほぼ空になったコンテナボックスを片づけていたら
一人の看護師さんが私におずおずと、
「あの・・・・また来て頂けるんですか?」
これを聞いて、またまた涙が出そうになりました。
そしてこの言葉を、全国にいるありんこさんたちに届けなくちゃ、と思いました。
プカプカと、海に浮かんで海岸に打ち寄せては戻る冷凍コンテナ車。
これから牡鹿半島の中でも最も被害が大きいと
誰もが口を揃える女川へ向かいます。
途中、自衛隊の作業者が通るために
車を止めて待つように指示がありました。
今こうして私たちが牡鹿半島の海岸線を車で通れるのは
自衛隊が瓦礫撤去の作業をした後だからで
訓練された彼らの機動力は本当にすごいとあちこちで思いました。
この日、女川の海はとても静かでした。
ENEOSのガソリンスタンドの建物と火葬場だけを残し、
すべての建物が崩れ、流されていました。
tacさんがご自分のブログで女川について
「沿岸の街という街、集落という集落に一つ一つ
小型の核爆弾を落としたような感じ」と書いていましたが
まさにその通りの光景が目の前に広がっています。
何があったのか、どんな街だったのか、もはや想像することすらできません。
4軒目は女川原子力発電所内を通らなくてはなりません。
通行許可証をもらうために、身分証明書を見せて手続きを受けます。
携帯電話のスイッチも切るように言われ、切ったかどうかのチェックも。
たくみさん、よくこんな道ぞいの避難所を見つけましたね・・・
原発を通過して、4軒目の避難所は前網地区。
個人のお宅に20人ほどが非難されていました。
もうあまり物資が残っていなかったのですが、
小学生くらいの子どもがおかずを選ぶ時に
「カレーもあるよ」と手渡そうとしたら
「う~ん、カレーよりふりかけがいいや!」
そういえば、これまでのどこの避難所も、
レトルトカレーには誰一人手を出していません。
毎日カレーばかり食べていることが多いのでしょう。
ここで手元式ランタンをお見せしたら
「おお、こりゃあいい!今まではろうそくで暮らしていましたが
そのろうそくもちょうど切れかかっていたんです。」
よかった。少しの灯りですが、どうぞお使いください。
自衛隊はおにぎりやパン、水と言った
「命をつなぐため」の物資を運んでくれますが
たぶん届けなくても命に関わら別状ない物資は運んでこないので
ありんこ支援隊としては、自衛隊の運ぶ物資を補う意味で
「心をつなぐため」の生活用品を届けられたらと思います。
最後の避難所は今回の中で一番人数が多い寄磯小学校です。
約100~120名の方がここで暮らしていらっしゃいます。
ここは漁師さんと思われる、元気のいいお父さん達が多い避難所でした。
ガソリンや灯油は時々自衛隊が運んで来てくれますが、
何時来るかは分からないし、かなり少なくなっていたそうで
大変に喜んで頂きました。
コンテナのもう残り少なくなってしまった物資をすべてお渡ししながら
すみません、下着も靴下もたくさん持ってきたつもりだったのに
お父さん達の分が一枚も無くなってしまいました、と言ったら
「いいんだ、ここへ来てくれただけで。」
ここでも手元式ランタンをお見せしたら
「自宅で避難している家は発電機もないから、これ渡すといいな!
ここも夜トイレに持っていけるように、入口の所さ置いておけばいいべ。」
「これがあれば夜道もムードが出るな!あっははは!」
明るい方達です・・・( ̄∀ ̄;)汗
以前tacさんが、避難所の方達にほしい物を聞いても
遠慮してほとんど言わない、と言っていましたが
思うに、私たちからしたら不自由と思われることも
辛抱強い東北の方たちは、この状況を仕方ない事と受け入れて、
寒さも暗さも、不自由さとして感じていないのかもしれません。
でも最後の方でもう一度「あったらいいなと思うもの」を聞いたら
「寒いから、トックリの服みたいのがあるといいな。」
「お、トックリはいいな。」
「あと、普段履きのズックみたいのとか。」
「でも無ぐてもいいんだよ。出来たらでいいの、出来たら。」
お父さんたち、必ずまた来ますね。
どうか風邪などひかずにお元気で!
牡鹿半島から女川港を通過しての帰り道、瓦礫の山を通りながら、
だんだんこういう風景に慣れていく自分を感じました。
もう、木の枝に車が引っかかっていようと、
家の屋根に船がひっくり返っていようと驚くことはありません。
それがいいことなのか、悪いことなのかはわかりませんが
そうでないと人間は生きていけないように出来てるのかもしれません。
町中のガードレールの下に、魚の死骸がありました。
津波の直前はどこを泳いでいたのでしょうか。
石巻の市役所脇で、たくみさん、ちばてつさんと分かれました。
今日は本当にありがとうございました。お疲れさまでした。
石巻の町中で、外国人ボランティアによる炊き出しが行われていました。
もう一箇所だけよる所があります。
石巻商業高校でケイタリングをされているSSERのテントを訪ねました。
石巻の町中がものすごく渋滞していたために
ちょうどお忙しいであろう調理時間に訪ねることになってしまいました。
この日は3人のスタッフが女川に250食分の食事を作るために行かれたので
ここでは2人だけで120食の食事を作っていらっしゃるのだそうです。
いくら慣れていらっしゃるとは言え、2人で120食って大変ではないですか?
「ご飯は他から届くので、作るのは汁物だけですから大丈夫です。
でもそうでないと温かいものが一つもないんでね。」
ほんとうにお疲れさまです。
前回ヘドロに覆われてドロドロだったグラウンドも乾いていたので
ずっとバスの中にいたウトロンを少し走らせました。
すると何か大きな物を口に加えて来ました。
さ、さかな!Σ( ̄⊥ ̄lll)
SSERのテントにもガソリンや軽油を届けて帰る予定だったのですが、
300リッター用意したガソリンも、5軒の避難所に分けてほとんど無くなってしまい
結局、軽油しかお渡しすることができませんでした。
※追記
SSERの石巻スタッフの方にお渡しした鈴恭さんのうなぎの佃煮、
5日のつぶやきブログに女川の避難所にて炊き込みご飯になったと書いてありました。^^
午後6時、帰途につきましたが、週末はボランティアが全国から集まるためか
高速に乗るまでの道のりは長い長い渋滞ができていました。
暗くなった頃にようやく高速へ。
高速道路の左右に、イルミネーションがまったくないエリアが出てきます。
新潟なら山の中だったりして、こうした風景は珍しくないのですが
「停電でしょうかね?」
「いや、ここは名取町だよ。」
一瞬ライトに照らされて見える立ち入り禁止の看板。
そうか、ここは私たちが行った名取地区なんですね。
心で手を合わせながら通り過ぎました。
今回はじめて実際に避難所へ直接物資を運ばせて頂きましたが、
避難所によって必要とされる物資がまったく違うことを知りました。
また「命をつなぐ食料」は自衛隊から運ばれるので
ありんこ支援隊としては、その「生きていくための必要最低限」の
もう一段階上の、笑顔の出る物資をお届けできたらと思いました。
上にも書いたように、トレックさん、tacさんのお店は
現在キャパオーバーギリギリです。
また、現在毎日のように物資を運ばれているたくみさんも
仕事に復帰したらそういうわけにはいかなくなります。
そこで私たちは皆さまからの支援物資を貯めておく中継地点でもあり、
また必要に応じては「動く倉庫」として
今回のように、顔の繋がった避難所に物資を届けていきたいとも思っています。
毎日の協力者リストの更新や物資内容の確認と入力、
頂いたメールやコメントへの返信、ブログの更新、
そして時々仕事などをしていると
あっという間に一日が終わっていきます。
「体をこわさないように」「無理をしないように」
「働かせるのはヒゲアリだけにして休むように」等々
いろいろご心配を頂いていますが、
疲れて休みたい時は本当に休みますので
どうぞご心配なさらないでください。
「女川原発で放射能をあびて、
エチゴヒゲアリは仮面ライダーに変身したりして。」
@BOSSが笑えないジョークを言っていますが、
今のところ背中に羽根などは生えていないと思われます。(笑)
元気な理由は、被災地の方の笑顔と
皆さんから頂くコメントやメールのお陰でもあります。
頂くメールは、許されるならば全部公開をしたいほど
どれも心がほっこりと暖かくなり、時には涙が出ることも。
本当にありがとうございます。
今日はホームページのリストを更新できませんでした。
メールのお返事もあまり書けませんでした。
でもこのブログが、皆さまへのメールです。
では、明日もがんばりましょう!
追伸
長い長いブログを書いて、若干お疲れモード気味でしたが、
これを見てすっかり癒されました。゚。( ̄▽ ̄)ポワーン
長い長いブログを読んで疲れたあなたもどうぞ癒されてください。
投稿者:かまた 2011年04月05日 21:10
コメント
投稿者:スケテツ 2011年04月05日 21:32
オードリー、ヒゲアリさん、お疲れさまでした!
(-_-)で、その看護師さんは伊東美咲似とかだったりしませんでした?
投稿者:オードリー 2011年04月06日 09:23
>スケテツさま
伊東美咲似とかだったりしたら、ピンポイントで被災地入りですか?( ̄∀ ̄;)汗
>(-_-)で、その看護師さんは伊東美咲似とかだったりしませんでした?
投稿者:taisho 2011年04月06日 12:40
お疲れさまでした。
ありがとうございました。
投稿者:スケテツ 2011年04月06日 14:07
誰に向かってもの言ってるんですか・・・
そんなの当たり前じゃないですか。
支援どころか籍、移しちゃいますよ。
(-_-)v
>伊東美咲似とかだったりしたら、ピンポイントで被災地入りですか?( ̄∀ ̄;)汗
投稿者:ちばてつ 2011年04月06日 21:55
そう言えば、伊東美咲似の方、いらっしゃいましたよね。
行くべし!
それはともかく、
日曜はご一緒させていただきありがとでした。
「それいけウトロ号」は大きくて羨ましいな~
物資の量が半端じゃない。
ガソリン300リットルもあったんですか。
仙台にボトルネックの荷物があるんなら
行って、ネコバスに入れて戻ればよかったです。
なかなか都合よく動けませんが
次こそは
求められる物を求めている人に、出来るだけ沢山、
なんて思っちゃいますよね。
あまりに圧倒的な状況に、焼け石に水と思っちゃいがちですが
だからこそ的確な有効な手で、って感じですか。
投稿者:ニケツのGS 2011年04月06日 22:23
最近ではソーラー発電のランタンがあるみたいですね!ひとつ取り寄せて、確認してみます!(価格が結構高いので、いきなり大人買いするのも怖いので)
それから、被災者の支援物資に子供のおもちゃなどを入れたらいかがでしょう?トランプとか、将棋やオセロ等、子供から老人まで、楽しめると思うのですが・・・・・?
投稿者:@BOSS 2011年04月07日 08:39
ニケツのGSさま
ご提案ありがとうございます。
おもちゃ類は、3月26日に公開した品目で
既に募集をしておりました。(下記)
最新の品目では募集表記をしておりませんが、
(書くと、必要以上に大量に寄せられるので・・・)
今でも時々荷物の傍らに入れてくださる方も
少なくありません。
ですので、避難所の生活を想像の上、
お気づきになった品物を少量送っていただくことは
可能です。
> ●場所をとらない娯楽ゲーム
> トランプ
> ぬりえセット
> パズル
> 知恵の輪 など
> ※新品でなくても構いません。
昨日はbinさんから、
缶詰やふりかけを使った食事のレシピや
物資配達時のアイデアなどもお寄せいただきました。
そんな知恵も、どしどしお寄せください。
投稿者:かまた 2011年04月07日 09:17
>taishoさん
「ありがとう」を言うのは私たちの方です。
あの日、久々にtaishoさんにお会いできて、ものすごく嬉しかったです。
義援金、支援物資、そして応援、本当にありがとうございました。
>ちばてつさん
日曜はご一緒させていただいてありがとうございました。
私たちもこれまでは話に聞いていただけの牡鹿半島でしたが、
たくみさんのおかげで初めて現地の様子を知ることができ、
必要なところに必要な物資を的確に届ける、ということの重要性を
改めて考えさせられました。
>あまりに圧倒的な状況に、焼け石に水と思っちゃいがちですが
私もそういう思いに押しつぶされそうな時がありました。
またありんこで支援してくださる全国の皆さんから頂くメールにも
何もできない自分の無力さへの辛さが綴られていることが多いのですが、
だからこそ、小さな力を合わせて、自分達に出来ることをやろう!とみんなで動いています。
また今度、アリとネコで笑顔を届けに行きましょう!
投稿者:K藤 2011年04月07日 19:45
お役に立てた様でホント良かったです。
これもお二方がこの様な窓口を設けて行動されているからこそ出来た事です。
有難うございます。
投稿者:Nori 2011年04月08日 01:09
エチゴヒゲアリさん、オードリーアリさん、サーヤアリさんも。お疲れ様です。
私にできること、頑張らないといけないなと。思います。
投稿者:かまた 2011年04月08日 08:21
>K藤さん
ご協力、本当にありがとうございました。
@BOSSも言っていましたが、K藤さんが送ってくださったものは、
自衛隊がトラックから降ろす段ボールの山とは異なる支援物資であったと、
楽しそうに服を選ばれていた看護師さんの笑顔を見て、私も心からそう思いました。
>Noriさん
ど、どうしたんですか!( ̄∀ ̄;)汗
でも、その通りだと思います。
それぞれの立場で出来ることを、やっていきましょう!
投稿者:2ケツのGS 2011年04月10日 12:14
ソーラー式のランタン入手しました!結構使えそうなので、月曜日に送ります!
投稿者:かまた 2011年04月11日 21:26
>2ケツのGSさん
ありがとうございます!
ソーラー式は、とても助かります。
投稿者:some_ryu 2011年04月23日 20:16
ふんばろう東北支援プロジェクトの情報から
寄磯小学校に長靴とかカッパとかを送ってます。
現地の情報を知りたかったので、とてもありがたいです。
投稿者:かまた 2011年04月25日 16:51
>some_ryuさん
はじめまして。
お力になれたら幸いです。
現地の情報は刻一刻と変わっておりますので
できるだけ最新で、正しい情報を毎回参考にされることをお勧めいたします。
また逆に、現地の情報をお聞かせいただけたら
お互いにより充実した支援を行えるかと思いますので
何かありましたら、ご連絡いただけると嬉しいです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。