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2011年05月23日
ハッカ油を届けに
先週、石巻へと行ってきました。
虫除け用のハッカ油と、スプレーボトル、
curveさんからの支援物資も。
震災から70日が経とうとしています。
前回石巻へ行ったのはGWでしたので、あれから3週間が経っています。
不謹慎な言い方かもしれませんが、
しばらく会っていない、懐かしい親戚を訪ねるような気分でもあります。
石巻市内で目にする自衛隊の車両も
当初よりも随分数が少なくなってきました。
まずは十三浜の方面へ。
車などはそのままですが、それ以外の大きな瓦礫が
随分撤去されているのがわかります。
道路を作るための護岸工事も勧められています。
石巻市街地では民間ボランティアの方が
各ご家庭の泥や瓦礫を運び出していますが、
(そしてそうしたボランティアは、
学生の春休みやGWが終わった今、急激に減少してしまい、
片付けの手が需要に対して足りなくなっていると
地元のニュースが伝えていました。)
こうした大規模な瓦礫の撤去作業は自衛隊が行っています。
海岸線に残った松を見ていても、
ここが風光明媚な地であったことは想像に難くありません。
まずは「虫が多く出てたいへん」と教えてくださった白浜荘さんへ。
色鮮やかな花が咲き誇っています。つつじでしょうか。
ちょうど社長さんが出てこられ、
今回もまた皆さん揃ってどこかへ行かれたところで
社長さん一人でお留守番なのだとか。
「虫除けは、あの後、自衛隊の人に言ったら
ものすごく大量に届けてもらったんですよ。
殺虫剤とか、蚊取り線香とか。」
ああ、そうでしたか。残念。いえ、残念ではないのですが。^^;
でもこれは、殺虫剤とは違うハッカ油なので、自然のもので
肌にも優しくて、虫を寄せ付けません。
香りもいいし、清涼剤としてもよく効くのでよかったらぜひ使ってください。
北海道の方が送ってくださったんです。
「ああ、ハーブですね。ありがとうございます。」
専修大学の学生さんがいらしているんですか?
「うちも明日から仕事を再開するんです。
宿泊の方はまだだめだけど、スクールバスを出していて
そちらの仕事がようやく始められるようになったので。」
少しずつ「生活」が取り戻されているお話を聞いて
私たちもホッとしました。
それにしても、こちらを訪ねて来る時は
雨や曇りの日が多かったのですが、
今日こうして晴れた日に来てみると、
以前はどんなにか美しい景色だったかが偲ばれます。
「以前は海も川も、遠くまで水が澄んでいて、
本当にきれいな景色だったんですよ。
みんな灰になっちゃいましたけどね。」
帰り道、郵便配達のバイクとすれ違いながら
(郵便も普通に届くようになったようですね。)
高台からの景色を見下ろしました。
「白浜荘」という名の通り、ここにはきっと
白砂青松の景色が広がっていたのだと思います。
「灰になってしまった」と社長さんはおっしゃっていましたが、
寄せては返す青い海を見ていると、自然が奪った美しい景色が
自然によってきっとまた戻る日がくると思えてきます。
電線工事も続けられています。
続いて長観寺さんへ。
もうこちらに避難されている方はいらっしゃらず
皆さんはGW前にはすでに公的な避難所である
公民館の方へ移られていますが、
お世話になったこちらの方へもご挨拶して、
またこちらに作業に来られる方たちにもお使い頂ける様に
ハッカ油もお届けしてきました。
「避難所本部」として使われていたテーブルや
仮設プレハブのお風呂なども片付けられています。
今も毎日、自衛隊による瓦礫撤去作業と、
警察隊による捜索作業が進められていて、
この日もお一人のご遺体が見つかったそうです。
ご住職が皆さんの命を守った高い塀に生えた水仙の株に
手入れをされていらっしゃいました。
今度は山をぐるりと回って、稲井小学校へ。
途中で通った町の中には、前回なかった仮設住宅街が
あちこちにたくさんできていました。
学校は始まっていますが、体育館が避難所となっています。
小学校のすぐ隣にある中学校の生徒さん達が、
学校の周辺を体操着でランニングしていました。
前回はリーダーの山口さんと外でお話したので
避難所の中を見ることはなかったのですが、
今回は中で留守番をしていた方と話をしたので
こちらの中の様子を見るのは初めてでした。
ダンボールで仕切られた小さなプライベートスペース。
会議用の椅子がストーブの周りにぐるりと並んでいるところが
皆さんの歓談の場のようです。
この避難所は3週間前の50人から30人に減ったそうです。
ハッカ油をお渡ししながら、
シュッと手首に吹きかけて差し上げると
「わ~、いい匂い、スーッとする!気持ちいいですね!
ここは見ての通り西日が射すから暑いんですよ。
でも網戸がないから、窓を開けると
すぐに虫が入ってきて困っていたんです。
鍋や食事道具を置いてあるところにも虫が来るし。助かります!」
それはよかったです。
暑いときには首の後ろに一吹きすると体が涼しくなるそうですよ。
「人数が多いので、もう一本もらってもいいですか?」
もちろん!そのために持ってきたんですから。
他にあったらいいなと思うもの、ありますか?
「必要なものは山口さんにおまかせしています。
山口さんがいろいろ気づいてくれて、
こんなにいいものが届くんですから!」
(虫が出るって教えてくれたのは、白浜荘さんであることはヒミツです。^^;)
たぶんこちらの避難所は風が通りにくいので
これから暑くなるにつれて、寝苦しい夜を過ごされるんだろうなあ。
ありんこにできることはなんだろう・・・。
快眠のためのひんやりグッズとか、
汗拭きシートとか制汗スプレーとか?
暑くなると、食欲がわかなかったり、寝苦しかったり、
他にも寒い時にはなかった問題がいろいろ起きてくるでしょう。
命に関わる緊急の支援の時期は終わりましたが、
ダンボールで仕切られた空間が少しでも快適であるように
ありんこに出来ること、またみんなで考えていきたいと思います。
トレックさんのところへも牡鹿半島へも行きたかったけれど、
残念ながら今回は時間切れです。
帰り道では、あっという間にフロントガラスが虫だらけ。
夏が近づいているんですね。
ところで、昨日しどきからの帰りに
@BOSSがこんなことを口にしました。
「先週、震災以来初めて、久しぶりにある人に会ったんだけど」
「ありんこ」活動の開始後は、別の用事でお邪魔しても、
相手の方が気を遣って、予め用意していたわけでもない義援金を
財布の中から裸のまま取り出して渡してくださることがあったりして、
そんなバツの悪い場面が何度かあって以来、
「ありんこ」に関係の無い方には、妙な気を使わせてしまうといけないので
敢えて会わずにいたのだそうです。
でも、最近少し状況も落ち着いたし、別の用があったので、
@BOSSがしばらくぶりに顔を出してみると
「どう調子は?」
「最近になって、ようやく乗る時間も作るようにしてますが、
顔見知りになった被災地の皆さんを思うと、
なかなかバイクも気が乗らなくて・・・」
「ダメですよ、自粛は。
だから私は、テレビは見ないようにしているんです。」
この言葉に@BOSSは違和感を覚えたそうです。
「確かにいらない自粛はよくないと思うんだけどさ。
でも、自分がバイクに乗る気持ちを保つために
実際に今も存在している被災地の状況から目をそむけて
この震災と津波と原発の事実を自分の中から排除して、
それで気持ちの折り合いをつけるという方法でバイクに乗るのは、
やっぱり違うんじゃないかと思うんだ。」
そうですね、でもみんな実際には
心の中から忘れたりしないと思いますよ。
・・・とは思うものの、
@BOSSが感じているのと同じような不安は私にもあります。
震災から70余日。
今回稲井小学校へ伺って、ダンボールで仕切られた小さなスペースに
今も尚暮らしていらっしゃるご様子を目の当たりにしましたが、
私たちが目にするしないに関わらず、
今この瞬間にも、不便な避難所生活を余儀なくされている方々が
何万人という単位で生活をされていることは紛れもない事実です。
原発の影響で、着の身着のまま県外に避難させられ、
まだ一度も家に戻れない方が大勢いらっしゃるのは
ニュースでも伝えられています。
私のブログを「以前のような普通のバイクブログ」に戻ることを
望んでいらっしゃる声もあります。
でももう「以前と同じ日常」はなくなりました。
支援のつもりで、久しぶりに訪れた「しどき」でも、
海沿いの会社に勤めるキッズのお父さんが
津波でトランポも会社ごと流されてしまい、仕事もままならず、
当然、今年はレース活動どころではなくなってしまったのですが、
知り合いが貸してくれたマシンとトランポでしどきを訪れ、
子どもさんに練習をさせてあげているという様子を
期せずして目にしたことは前回のブログに書いたとおりです。
北関東や東北に近づけば、そんな話は
耳や目をふさいだとしても飛び込んでくる
無数に存在している被災の事実で、それが「普通の日常」です。
敢えて書かなくてもいいのかもしれませんが、
敢えて書かないと、もう東北は大丈夫と
忘れられてしまうんではないか。
それが私の不安です。
そんなことを話をしたら@BOSSは、
「3.11震災で断ち切られてしまった『当たり前だった日常』を、
全て元通りにすることは、困難だし不可能なことだけど」
と前置きし、
「たとえばあんたの『憧れのカレ君』がレース活動を再開できる日を
早めてあげられるような支援方法は無いものだろうか?とか、
大勢の全日本ライダーを抱えるチーム監督だったのに
ご自分もチーム員も被災して、今は避難所のリーダーとなって、
避難所生活の向上に奔走されている山口さんが
再び全日本にライダーを輩出されるチームを再建する手助けは出来ないか?とか、
ライダーの輪を軸にした支援を考えることはできるよね。
これはほんの一例だけど、実際の手を差し伸べられなくても
そんなことを大勢で考えて、悩みながら、少しでも糸口がつかめたらと思う。
俺たちみたいに、震災から免れて、仕事も生活も日常生活もレース活動も
今までどおり続けられるライダーは、心の中に被災地のことを『共存』させて、
自分なりに悩みながら、その気持ちを抱きながら
尾崎塾長が言うように『粛々と』『精一杯』
ライディングを続けることが大事だと思うんだ。」
@BOSSは言います。
もちろん、なかなか乗る気になれないというなら、
それはそれでいいと思うけれど、自粛はするべきではないと思う。
でも、被災地を気にしないで乗る、というのは間違いだ、と。
「避難所の皆さんの顔を思い浮かべながら、
この『バイク活動』を何につなげていこうかと考えて
アクセルをひねる事ができたらいいなと俺は思う。
一番良いのは、バイク活動を支援活動に連動(両立)して乗ること。
それが難しくても、東北の友人のことを思いながら、
心に留めながら、気にかけながら乗るというだけでも良いかなぁと思う。
知り合いがいないなら、本当に作っても良いかも。
被災地に住む知り合いのライダーさんを。」
そうですね。
自分に被災した友人や知人がいると、それは続けやすいし、
私と@BOSSは福島やいわきにたくさんの友人がいますし、
宮城にも、活動を通じて知り合いライダーさんが新たにできました。
私もありんこの活動で目にし耳にしたことは、
できるだけブログで書いていきたいと思います。
では、私たちはどうなのか。
小さな支援をしながら、すっきりとバイクに乗れているのか。
答えは「ノー」です。
私たちはちょこちょことありんこの活動を行っていることで
「やった気」になっているように思われるかも知れませんが
決してそんなことはなく、ありんこの活動で気が晴れることも無く、
ずっと答えを模索し続けながら、いまだ迷宮の中にいます。
@BOSSは今年は復帰後の挑戦として、
EUな方とJEC全戦を回ってみようと考えていたようですが
その初戦が震災で中止となり、それをきっかけとして
一旦気持ちがリセットされたようです。
太田パパのISDEファミリー参戦の目標も、
残念ながら震災でリセットされましたが、
その後は、バイクで恩返しと気仙沼支援に奔走されています。
私自身も、私がバイクに乗ることが、何かに繋がればいいなと
おこがましいことを思いながら、乗る理由を模索しています。
「理由なんかいらない、楽しいから乗る」という気持ちにはなれず、
しどきで乗るのも、それなりの理由でもあります。
この、何も考えずに心晴れ晴れと乗れない気持ちを
「病んでいる」と一言で片付けてしまいがちですが、
晴れない気持ち、悶々とした思い、それがどこから来るものなのか、
突き詰め、答えを求めて悩むことも、震災で変化した今の日本には
必要で大切なことだと@BOSSは言います。
「たとえ答えが見つからなくても、考え、ともに苦しむことも大切だ」と。
芋おやじさまがご自身のブログ「ひぐらし」に
「なんか毎日が楽しくないですね
早く元の生活に戻り
アハハ、オホホで過ごしたいものですね」
とコメントされていましたが、
芋おやじさまは「アハハ、オホホに戻れる日は来ない」ことを
分かって書いていらっしゃるだけに、この言葉は胸に来ました。
津波の悪夢うなされ、被災地のニュースに共振して悩む日が続く中、
その自分と正面から向き合いながら、新潟まで下道で訪ねてくださり
その後、レース活動を再開された(ζ`)さん。
でもきっとまだずっと悩んでいると思います。
そしてそれが、私が(ζ`)さんを信頼する理由でもあります。
前日も小名浜港の港湾内の瓦礫撤去作業をし、
いわきの街や自分の会社の従業員のことを考えると
バイクに乗っていいのかと思ってしまうと言いながら、
支援活動をする私に「かまたさん支援」といいながら
しどきに来て、講習をしてくれるゆーじさん。
(その思いに応える結果がなかなか出せなくてごめんなさい。(TдT))
自分のしてることなんて偽善だという思いを抱きながら
川内村への募金活動をして、これを届けて来た福島市に住むいぐべ父ちゃん。
偽善と思いながらも何かせずにはいられない父ちゃんの気持ち、
バカ話をしながらも、痛いくらい伝わってきます。
毎朝、季節が夏に向かって進んでいくのがわかります。
これから大地にどんどん緑が多くなっていきます。
林道の雪も融けて、いよいよ北国もオフロードシーズン到来です。
「長い目で、友人知人に協力していくつもりで
自身の日常とバイク活動が続けられれば
自分にとってもきっと一番いい答えが出るよ。
だから、考えること、悩むことをやめちゃいけない。」と@BOSS。
私も見つけたい答えは見つからないままですが、
これからも悩みながら、バイクに乗ろうと思っています。
投稿者:かまた 2011年05月23日 21:35
コメント
投稿者:ナック 2011年05月23日 23:51
通常の生活を送ることが一番の支援ではないかと思っています。
被災された方だって、他の人の楽しみまで我慢してほしいとは思っていないでしょう。
地元の中小企業の復興に向けた活動も展開していますが、自分としてはこうして通常の生活を送れることに感謝しながら、仕事をしたりしています。
投稿者:ナック 2011年05月24日 00:26
昨年のTBIのときにとても悩んだんでしたっけ。
以前からあった感覚なのですが・・
奥さんや子供をほったらかしにして、
自分だけGWにバイク三昧してていいものかと。
特に昨年は仕事が大変な時期だったし。
じゃあ、ほかの時期にたくさん家族サービスをすれば、
GWに晴々とした気持ちでTBIに行けるか?
その年のGWはその年にしかないわけで、
いくら他で穴埋めしても決して晴々とした気持ちには
なれないのかな・・なんてね。
その時、私のコーチに言われたのが、
「感謝してバイクに乗って」
ということでした。
だから、徹底的に楽しまなければと。
その楽しさが家族にも伝わって、家族も楽しくなって。
自分は、そういう徹底的に楽しめるものがあるってことに
とても感謝しています。
こういう感覚でいろいろなことに取り組むことができれば、
最高の成果を出せるって実体験していることが
大切なんじゃないかなと思います。
とりとめのない話でごめんなさいm(__)m
投稿者:@BOSS 2011年05月24日 07:48
>ナックさん
一個目のコメントですが
そうなんです、尾崎さんのブログも引用させてもらっていますが
粛々と日常を再開させることが、この先につながると思うのです。
そして「粛々と」と書くのは、2番目のコメントではありませんが
常に心の中に「家族」(広い意味でいえば、知人友人のみならず、
この世に生きる見ず知らずの人も含め、
今で言えば被災地の知人でしょうか)のことを存在させて
忘れず、思いやりながら、それらに「気持ち」を費やして
自らの「生」を懸命に楽しんだら
その一生懸命さが、めぐり巡って心に据えている方々にも
何かしらの力となって伝わるのだと思います。
単に自己完結でなく、大勢とつながっていて
大勢とともに存在して生きているという感覚でしょうか・・・。
抹香くさい話しになってしまいましたが
TBIの出場をきっかけに考えたナックさんのエピソードのように、
今回の震災が、今まで考えたこともなかった事を真摯に考える
そんな時代の転換期にもつながってくれたら思っています。
追伸
直接的支援と、間接的支援。
自粛はいけませんが、被災者を想い、
心の中で「後ろめたい」と悩んで、苦しむことも
決して悪いことではなく、それはむしろ良いことだと
ある高名なお坊様が仰っていました。
投稿者:こるなっこ 2011年05月24日 15:12
こんにちは。
支援活動お疲れ様です。
私の場合、「もし自分がバイク乗りに出掛けてる間に余震があったらどうしよう?それでもし万が一私がいない所で家族に何かあったら・・・」と考えてしまい、今までは乗りに行けませんでした。
でも今回モトビルド神原さんからのお誘いや、ママの「何とかなるよ」の言葉に、今回少し乗ってみようかな、という気持ちになりました。
それに、ここ茨城でも、そして今回のモトビルド神原さんのイベントにいらっしゃる方の中にも、被災されてる方がいらっしゃると思うのですが、その方に直接「happyクッキー」で、支援とまでは到底行きませんが、ひと時の幸せ気分を分けられれば、と思い、KTM125DUKE試乗会と、BOGT31のお手伝いに参加する事にしました。
これからも悩みながら、少しづつ進んで行こうと思います。
ありんこのように!
投稿者:O&クロ 2011年05月24日 17:42
あの日以来、被災地はもちろん、遠くの私たちも何かが変わったと感じています。今までの日常を続けていても、やっぱり何かが違います。弟は福島、相馬に入って少し前に帰ってきました。今、両親がこちらに来ています。
両親は東京大空襲を経験しているので、私達より強い感覚を持っているようです。老後は福島で思っていたので、今外から見るFUKUSHIMAは悲しくて、でも希望も見えて来ていて・・・・。何を書いて良いのかわからないのですが、それでも今まで通りの日常(もちろん笑いもある)を続けて行くしかないと思っています。
投稿者:かまた 2011年05月24日 19:11
>ナックさん
うまく書けないんですけど、
バイクに乗るのを我慢しているわけではないんです。
乗れる時間は持てるようになったし、乗ればとても楽しいし、
こうしてまた練習できることをありがたいと思います。
長かった冬を越えて雪が融けて芽吹いた新緑も、
乗りながら、きれいだなあと愛しく思うし、
しどきでキッズとミニコースを走っても楽しいし、
山道をトラ車でトコトコ走るだけでも、ああ、幸せだなあと思います。
でも前みたいに、目を三角にして乗る理由が見つからないって言うか、
何かいろんなものの優先順位が私の中で変わっちゃったみたいで、
以前は週末になると、当たり前のように乗っていたのが
何となくバイクを前にして「ぽつねん」と途方に暮れるんです。
ラリーとかレースの目標を設定すればいいのかな?
でもそれがしたいわけじゃないって言うか。
今バイクで何がしたいって聞かれたら、
ハンターカブみたいなバイクで旅に出て、
いろんな人やいろんなエピソードに出会いたいかも。
(ま、明日にはラリーに出たい!とか言ってるかもしれませんが。^^;)
私こそ、とりとめのない話になっちゃってすみません。
こんな話、コメント欄で書いてもうまく伝わらないので
今度一献お付き合いください。
>こるなっこさん
見ましたよ、KTMロゴグラハムクッキー改めライ麦クッキー。(笑)
マーブルのアイスボックスクッキーも、画面からサクッと音が聞こえそうです。
手作りのお菓子はそれだけで気持ちがぽわんとしますが、
こるなっこさんのは作ってるのが本当に楽しそうで、
粉をこねるのを見ているだけでも幸せになりますもんね。゚。( ̄▽ ̄)ポワーン
次のBOGT31は、モトビルド神原さんのイベントと共催で、筑波山周辺で行われるんですね。
笠間には一度だけ、ちょろっと行ったことがありますが、不思議な町ですよね。
(個人的にはモトビルドさんのページに紹介されていた
「招き猫亭コレクション」に心惹かれます。笑)
今回の参加、ママさんの「何とかなるよ」の後押しも嬉しいですね。
そんな風な「思い合い」がいっぱい詰まったこるなっこさんのクッキーで
参加される皆さんがhappyになりますように!
投稿者:かまた 2011年05月24日 19:15
>O&クロさん
そうなんです。
テレビのバラエティ番組から笑い声が流れ、
私たちもそれを見て笑い、今まで通りの日常を過ごしているのですが、
今までと同じように「いつの間にか元通り」にはならないことを
みんなどこかで感じていると思います。
でも、NSMZUKIさんがコメントされていたように、
水で押し流されて倒れた大木に水鳥がやって来て巣を作ったり
崩れた山肌から新しい芽が出ていたりして
自然が営みを止めずに新しい命を作り出しているのを私も見ました。
>今外から見るFUKUSHIMAは悲しくて、でも希望も見えて来ていて・・・・
新潟で何年かを過ごした仲のよいカナダの友人が、
メールの終わりにこんなことを書いてくれました。
Good luck with your work there!
I hope there are some happy stories beside the sad ones!
なんだか私こそ何を書きたいのか、まとまりがなくなってしまいましたが、
いろんなものが元には戻らないけれど
今までには考えたり感じたりしなかった、ささやかだけれど大切なものを
いつも身近に感じるようになった気がします。
そうしてこれからも普通の日常を生きていくのだと思います。
投稿者:(ζ`) 2011年05月24日 21:17
どうも、こんばんわ。
以前は強迫観念的な、何かするべきだ、何かしなきゃ、という衝動で動いていたことがありました。
理不尽な格差を埋めるためには、みんなが不幸に近づかないといけないのでは、と考えていたこともありました。
でも平均して不幸な人が増えることは、何かの解決にはならないんですよね。
最近はこんなこと思ってます。
バイクのレースって、ものすごく贅沢な趣味だと思うのです。プロじゃないんで、バイクに乗らなくても
日常生活何一つ困ることはありません。いっぽうで何も正当な理由が無く亡くなった方がいたり、
生きていても普段の生活がギリギリの方もたくさんいます。自分や家族は生きていて、こういう贅沢が
できるということに感謝しなくちゃと。
そして、余裕があって贅沢できる部分はとりあえず半分にしてみて、その贅沢が回り回って被災地の
支援に繋がるなら間接的な支援ですし、半分にした残りの余裕を直接的な支援に回せれば自分の中の
均衡も図れるんじゃないかと思ってます。思うことで落ち着いています。
ありんこの活動報告で、そのバランスの片方を保つことができています。ありがとうございます。
バイクに乗る機会は少なくなるかもしれませんが、その分家族と過ごす時間を増やしたいと思っています。
投稿者:いぐべ父ちゃん 2011年05月24日 22:47
恐縮です
が、現場を見ると尚更そう思います。
芋おやじが一緒に行ってくれたから、今回は涙をこらえる事が出来ましたが・・・
偽善だと思うなんて、俺ってどんだけ偉いんだ?こんな俺でも応援してくれる人が沢山いっぺした!
そう考えるようにしようと、Y2のビデオ編集をしていて感じました。
投稿者:GO 2011年05月24日 22:52
御無沙汰でしております。
とは言ってもブログはちょくちょく覗かせていただいてるのですが(^^;
このたび、とうとう1200GSを買ってしまいました。こういうタイミングなんで、いくぶん後ろめたさもあったのですが僕がバイクを自粛しても支援にはなりませんし。
まだ海の上なんで納車は当分先になりそうですが・・・。
@BOSSのお言葉が胸に染みました。
納車されたら東北へツーリングに行って、たくさん、、は無理だけどなるべく消費してこようと思います。
投稿者:NSMZUKI 2011年05月25日 15:52
「迷っているなら、乗らない。」
知り合いのレーシングチームに代々伝えられていた事です。
いや、本当に危ないのでやめておいたほうが良いです。
私も実際に、あっと言う間にコース外に飛びました。
逆に乗りたいときは何が有っても乗ってしまっています。
かまたさんのおかげで思い出しました。
私が関西遠征を始めたのは、阪神大震災の時でした。
あの時は被災地支援など考えずに、出まくっていました。(岡山、鈴鹿、セントラル)
レースも中止にも成らなかったですし、エントリーが減って大変だと言う話は聞いていたのかもしれません。
今となっては、記憶も定かではないですが・・・。
ただ、成れないコースを覚えるのに必死だったのは覚えています。
ついでに九州のオートポリスが大変だ閉鎖されそうだと言うのも聞いて、それじゃあと、はるばる走りに行きました。
「勢い」だけです。
今は、
確かにそれどころでは無いです。
なぜかレースに出られる環境では無くなっています。
一人目の子供のときはまだ走っていました。
二人目が生まれた辺りから、レースの時に子供をあずけようと思っていた実家が水没し、中越があり中越沖があり、
老朽化したトランポが廃車になり、次の車が中々出来上がらず、そのうち会社からリストラされ、それから2年就職難民です。
しかし、そのおかげで、東北支援が出来ています。sugoがレースを開始するのなら、是非エントリーしたいとこですが、
余りにブランクが有り過ぎですね。
最近は長距離乗るのは年に一度がやっと。
しばらくは泥かきで支援したいと思います。
次の仕事まではまだ間が在りそうですので。
ちなみに、嫁は関西人です。
私は、新潟地震の前日生まれの親不孝者です。
決して遭いたくは無いですが、
災害からは縁が切れそうも無いです。
投稿者:Nori 2011年05月26日 01:04
支援活動、お疲れさまです。
ありがとうございます。
週末には3回目をお送りしたいなと思ってます。毎度、微量ですが。。。
バイクに乗っている時は、悩まないで下さいね。
乗る前、降りた後、悩みましょう。
茶化してしまうことが多いけど、先輩方のバイタリティや実行力は「真似できないな」って、尊敬申し上げているのですよ。(ホント)
「一日一偽善だコノヤロー」と泉谷しげる氏も仰っておりますし、胸を張るまでもないかも知れませんが日陰を歩くようなものでも決してありませんので、普通に、極めて普通に、気負うことなく生きていきましょうよ。って、オイラが偉そうに言えることじゃないっすね。てへ。
投稿者:ナック 2011年05月26日 02:16
じゃあ、今度健康センターへ乱入しますかね?
>今度一献お付き合いください
投稿者:かまた 2011年05月26日 13:51
>(ζ`)kawaseさん
>プロじゃないんで、バイクに乗らなくても日常生活何一つ困ることはありません。
そうそう、すご~くよくわかります。
困ることと言ったら、体がポヨンとなまることくらいですかね。(笑)
でもバイクって、8の字練習でさえも、無心になって必死になれるので
(なにせ、普段は邪念ばっかりなので^^;)
そういう真剣な時間が生活の中で持てるということは
これからも大事にしたいと思っています。
そして、乗る時にはその時間を持てることに感謝しながら、真剣に乗りたいと思います。
@BOSSからも、正しい答えがあるわけじゃない、
でも考えることが大事だと言われました。
私もそう思います。
昨日、また石巻へ行って来ました。
今回(ζ`)kawaseさんと一緒に来たかったな~と思ったくらい
現地の方からいろいろなお話をお聞きして、
私の方が元気チャージさせてもらって帰ってきました。
またご報告しますね。
>いぐべ父ちゃん
ま~た涙こらえながらY2ビデオ編集してたんだべ?(笑)
石巻に行くたびに、しどきに行くたびに、JCTを通りながら
父ちゃんはじめ福島のみんなのことを思います。
思うだけで何にもできないんですけどね・・・
あ~、こういうことを書くのも偽善ぽい~って思うけど
大好きな福島、隣の県なのも何かの縁、
父ちゃんのことも福島のことも応援してっがら、一緒にがんばっぺ!
投稿者:かまた 2011年05月26日 13:57
>GOさん!
うわ~~~、お久しぶりです、と思ったら、
>このたび、とうとう1200GSを買ってしまいました。
(ノ゚д゚)ノ オオォォ~~~!!!
「飛びなはれ!」から3年、ついに手に入れたのですね!
おめでとうございます。
東北GSツーリングに行かれる時はぜひ一声かけてくださいね。
パニアバッグをお土産でいっぱいにして来ましょうね。(←一緒に行く気満々。)
>NUMZUKIさん
> 「迷っているなら、乗らない。」
@BOSSの教えは、「迷っているなら、飛べ!」です。(笑)
やろうかやるまいか迷っている時は、
いつも背中から蹴り落とされて今日まで来ました。
(もちろん、引用する場面や相手によるのですが。)
ちなみに今私は、悩んではいるけれど
迷っているわけではないのでバイクに乗ります。^^
それはさておいて。
長期ボランティアに行きたいけれど行けない方が大勢いらっしゃる中で
NSMZUKIさんのおかげで泥が片付いた家があります。
昨日石巻へ行った時も、一時に比べて泥が片付いていてびっくりしました。
NUMZUKIさんを送り出して、お子さんと一緒にお留守番をされている奥さまも
現地には行かないけれど、大切なボランティア活動をされていると思います。
いろんな状況はありますが、私もNUMZUKIさんを見習って
これからも出来ることをやっていきたいと思います。
投稿者:かまた 2011年05月26日 13:59
>Noriさん
3回目、ありがとうございます。
あの・・・ちゃんと食べていらっしゃいますか?
(と、ちょっと心配してみたりして。笑)
バイクに乗っている時の悩みはただ一つ、
「どーしてこんなに下手なのだ!?」ということです。(泣)
そしてそれは、降りた後に悩まないからだ、という@BOSSによる説もあります。
>「一日一偽善だコノヤロー」
私もそう言いながら、胸を張って偽善をしようっと。
Noriさん、ホントにありがとう。
>ナックさん
今週末はしどきではないのですが、
近いうちにまた行きますので、ぜひお願いします。
@BOSSとともに、ハワイア~ンな出で立ちでお待ちしております。m(_ _)m
>じゃあ、今度健康センターへ乱入しますかね?
投稿者:51photomoto 2011年05月26日 18:51
お久しぶりです。
私は福島から帰ってきて、なんか気が抜けてます。
福島や相馬の人たち、特に被災した人と話したときのことですが、なによりも普通にすること、考えずに生活することが大事と考える人が多かったです。考えすぎたら心も病むし、それが病気に繋がってしまいます。もちろん目の前のことは考えて!ですけどね。
ボランティアに奔走している人も同じ考えで、考えたら行動する。失敗しても、くよくよしない。気楽に行こうよ!ってのが合言葉のようになってました。
なにより重要なのが病気や怪我に対する注意ですから、そこだけ考えて普段と同じように、が大切かな、と思います。
心情的に元に戻ることはなくても、それを力に!です。
ありんこの力は小さくないですよ。
投稿者:かまた 2011年05月27日 16:06
>51photomotoさん(O&クロさんの弟さんですね)
福島での活動、お疲れ様でした。
フランスへ帰られたら、浦島太郎のようだったのではないでしょうか。^^;
そちらへ帰る前は、南相馬で写真洗浄のボランティアをされていたんですね。
51photomotoさんが作られた「フォト・レスキュー」のマニュアルの中に、
>写真の洗浄は、その写真の持ち主の方を思って作業しなければなりません。
とありましたが、写真は本当に特別なものですよね。
その人にとっては命の次に大事という写真もあるかもしれませんし、
手元に残されたたった一枚の写真、というものもあるかも。
そう思ったときに、よく51photomotoさんがそのボランティアに出会ったなあと
勝手に神様に感謝しながらブログを読ませて頂きました。
きっとあのマニュアルは、これからたくさんの写真を救っていくと思います。
ありんこも、例え考えても立ち止まったりせずに
元気に前に進みたいと思います。^^