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2011年07月15日

雄勝の船越集落へ

石巻の「雄勝(おがつ)」は、道が通れるようになるのが遅く、
支援の手が、他に比べてなかなか入りにくいエリアだったと聞きます。

今はようやく行き来できるようになった雄勝ですが、
その雄勝の「船越(ふなこし)」という集落に
とれっくか~ちゃんに近しい親戚の方がいらっしゃいます。

震災の津波でほぼ壊滅状態となったその集落に、不自由を承知で残り、
たった3人で、船越の復興を願い、踏ん張って頑張っていたところ、
ふるさとに戻って、また海と共に暮らしたいという人が
一人、また一人と戻って来られて、
今では約40~50人の方たちが自分達の手で
船越の復興のために、地元で頑張っているんです、
という話をとれっくか~ちゃんから聞きました。

その船越に初めて行くと言うとれっくか~ちゃんに
同行させていただくに当たって、

短パン・帽子
夏用七分丈ジャージ&短パンと麦わら帽子。

虫除けスプレー
虫除けスプレーと殺虫剤。

ゴミ箱
フタ付ゴミ箱、フタ付ポリバケツ。

レトルトご飯
レトルトのごはんと、レトルトカレー。

カップ麺
カップめん各種。

ブルーシート
ブルーシートなどなど、とれっくか~ちゃん経由の
船越の方たちからのリクエストの品を
皆さんからお預かりした支援金で購入させていただきました。

そのほかにも、

大型扇風機
こちらの大型扇風機は、(ζ`)さんから送って頂いたもの。
「あ"~~あ"~~あ"~~あ"~~」
これこれウトロン、白戸家のお父さんか、おまえは。

うなぎのやわらか煮
また今回は「土用の丑の日」が近いこともあり、
被災地の皆さんに、暑さに負けず、おいしいうなぎで
スタミナをつけて頂きたいということで
「元気の出る支援物資」として、
うなぎの鈴恭」さんから以前支援物資として
お送りいただいたことのある「うなぎのやわらか煮」を
ありんこ支援金で購入させていただきました。

この佃煮を煮てくださった、ジャズシンガーでもある
鈴恭さんの奥さんのブログに、今回のうなぎに込められた思いが綴られています。

とれっくか~ちゃんとは水曜の午前8時の待ち合わせでしたが、
朝の東北道&三陸道はどれくらい混むのか時間が読めなかったので
支援物資を「それいけウトロ号」に積んで、仕事を終えて夜出発。
深夜1時に、河北ICのすぐ近く、待ち合わせ場所である
「道の駅・上品(じょうぼん)の郷」に着きました。

この日の夜は23度くらいで、そう蒸し暑くもなく、
トランポにコットで寝てもぐっすり眠ることができました。


翌朝5時。

道の駅上品の郷
ウトロンの声で目が覚めました。
もうたくさんの人が行き来をしています。

ボランティアバス
神奈川県からのボランティアバス。
夜通し走って来たのでしょう。バスから降りて腰を伸ばしたり、
コンビニで朝食を買って食べるボランティアの皆さん。

寄せ書き
立ち寄りコーナーには、大きな寄せ書きが。

私たちもコーヒーとサンドイッチで朝食をとって、
さて、待ち合わせまであと1時間近くあるなあと思っていたところへ、
とれっくか~ちゃんから電話が入りました。

早めに家を出たにも関わらず、三陸道はものすごい渋滞で
とても待ち合わせ時間には間に合いそうもないので、
先に船越へ行ってほしい、とのこと。
東北の車は高速道路が無料となったためか、
三陸道のICというICの入口と出口で長蛇の列となっているのだとか。

まずは地元の方との待ち合わせ場所となっているらしい
「船越小学校」を目指します。

北上川沿いに雄勝方面へ。

大川小学校を通りました。
小学校跡を見下ろす所に小さな献花台が作られていて
たくさんのお花が供えられていました。

鉄板道路だった道
雄勝へと向かう北上川の土手は、ずっと鉄板道路でしたが
今はその鉄板も取り外されて、砂利道となっています。
雄勝地区に震災直後、いち早く入ったうなぎ工房さんがこの様子を見たら、
きっと感無量なのではないでしょうか。

雄勝の横断幕
「おがつ ふっかつ ぜったい勝つ!!」の力強い横断幕。

よく行政が作る、交通安全の標語の書かれた立派な塔の看板や、
年間予算を消化するためなんだろうなあと思ってしまうような
景観を損なう無意味な看板には腹を立てている私ですが、
こうした横断幕や、「がんばるぞ、○○!」という
手書きのメッセージを見ると、やっぱり熱いものがこみ上げてきます。
それを作った人、書いた人の顔が浮かぶからです。

雄勝へ
津波の爪あとは今も生々しく残ったままですが

雄勝
あれだけあった瓦礫が、あとは運ぶだけという状態に山積みされて、
きれいに片付けられていることに驚きました。

雄勝の瓦礫
郵便局やチェーン店の看板のかけらがあったりするこのあたりは
雄勝の中心地(商店街)であったと思われます。

船越小看板
見落としそうな「船越小学校入口」の看板がありました。

船越地区へ続く坂
急な坂を海へ向かって下っていきます。

期の隙間から
木の間から見える入り江が船越の集落でしょうか。

船越地区
湾へと続く一本道を突き当たりまで降りていくと、

船越小学校
海まで数十メートルのところに船越小学校がありました。
数人の方が、デッキブラシで床の掃除をしていらっしゃいます。

船越小学校の瓦礫
グラウンドに集められた瓦礫の向こうに校舎が見えます。
学校の時計はあの日の時刻を指したまま。

船越小校舎
この校舎の3階まで津波が押し寄せたのだそうです。
この校舎は避難所ではなく、集会場として使われているそう。

避難所だった家
ずっとこの集落に残って、復興の中心となっていらっしゃる
中里さんのお宅へ。

中里さん
一時は多い時で30人くらいの方が、
ここに寝泊りをされていらっしゃったのだとか。
今でも活動の拠点となっていらっしゃるようです。

ヒマワリ
「震災の時は雪も降って寒かったのに
今はもうウソみたいに暑いね~」
お庭に植えられたヒマワリの花が咲いています。

湧き水
ここは他と同様、水道も電気も使えなかったのですが、
震災の直後からこの山の湧き水が滾々と流れ出て、
この清水に助けられて暮らしていらっしゃったそうです。
冷たい山の水に冷やされたグレープジュースをご馳走になりました。

貼り紙
船越の皆さんから、ボランティアへのメッセージが。

トレック号
運んできた物資を降ろし終わったところへ、とれっく号到着。
支援物資の中には、集落の足となるスクーターもありました。

「行政を当てにして待っているだけじゃどうにもならない。
助かった船で自分達で漁に出て、ワカメやウニを採って
それを売って復興の資金にしていきたいと思って
みんなで頑張ってるんです。」

日焼けした顔で、そう語ってくださる皆さんの声には
復興を目指す力強さがみなぎっています。

市場
「自慢のウニを食べてってよ。」
小学校の下にある市場へ案内していただきました。

クレーン
津波でひしゃげたクレーン。
「市場」と言うより、「市場だった場所」と言った方が
正しいかもしれませんが、セリは行われなくとも
今再びここから毎日漁に出て、水揚げが行われています。

漁
ちょうどウニ漁から戻ってきた船。

ウニとホヤ
「食べてみて。」と、採れ立てのウニとホヤを
目の前でさばいてくださいました。
では遠慮なく・・・

美味しい!!大きい!!甘い!!
「ウニ3切れで卵1個分の栄養があるんだよ。」

ウニ
全国のありんこの皆さん、すみません。m(_ _)m
今は幻となりつつある三陸の海の幸を
@BOSSとともに、たらふく食べさせていただきました。(-人-)
ホヤも柔らかくて、本当に美味しくて、ほんのり磯の香りがして
もう他で食べられなくなりそうな美味しさです。

とれっくか~ちゃん
残念ながら生ものが苦手なとれっくか~ちゃん。
子どものようにウニと戯れています。^^;

手作りの養殖重り
私たちには「セクション」にしか見えませんが(笑)、
ワカメの養殖に使う、手作りの重りだそうです。

組合長さん
「あそこに大きな灯台があったんだけども
津波で跡形もなく消えちゃってね。」と組合長さん。

ウニの水揚げ
ウニが水揚げされて計量されているようす。
「組合長!すごいですよ!今日は434採れました!」
434個ですか?とお聞きしたら434kgだそうで。^^;

三陸ワカメ
今、スーパーに行くとわかりますが
三陸のワカメが店頭から姿を消してしまいました。
ここ、船越で養殖されていたワカメも、
刈り取りを2日前に控えて被災してしまい、1基を残して壊滅。

そこで、船越の皆さんは天然物のワカメを採って
これを塩蔵にした「津波に負けなかったわーっかめ」という
船越の特産品を売り出して、復興資金にされています。
本当に貴重な、幻の三陸ワカメ、
申し訳ないことに、私たちもお土産に頂いてしまいました。

ところで、船越集落には、早い頃から
小さな避難所を支援する私たち「ありんこ支援隊」のように
小さな集落を応援する「Team SAKE」というグループの皆さんが
深く関わって支援をされていらっしゃるとお聞きしました。
船越の復興への歩みをつづるブログでも
現地の様子がずっと紹介されていますので
ぜひこちらも読んでいただければと思います。

TeamSAKEさんの活動レポートにあった
船越集落のある方のお話を読ませて頂いた中で、
それがここの皆さんのお気持ちなのではないかと思う言葉があったので
ここに抜粋し、ご紹介させて頂きます。

息子さん夫妻とお孫さんを失われた方は、
「最初は悪さした海をみたくねぇと思ったけど、
息子らと同じ風にあたり、同じ季節を感じて生きていきてぇから、
今は船越の復興に全力を注ぎたい。」

「これまで以上の生活は望まない。
失って初めてわかった家族、船、家、仲間の大切さ。
船越の豊かさ。なんでもねぇ生活がどんだけありがてぇか。それをまたやりてぇ。
にくい海だけど、俺らはその海の恩恵を預かってきた。また海と暮らしてぇ。」
とお話してくれました。

(「Team SAKE:第6陣船越集落」より)

最後に皆さんと一緒に、お話の中にあった
今回の津波で亡くなられた若いご夫婦と、その赤ちゃんの
お墓をお参りさせていただいて、船越の集落を後にしました。

とれっくか~ちゃんとはここでお別れ。
か~ちゃんはこの後、長観寺さんに向かうと聞いていたので
ありんこ支援隊からの長観寺さんへの支援物資は
とれっくか~ちゃんの「魔女の宅急便」に託しました。

ということで、私たちはいつもとは逆周り。
今度は雄勝から女川方面に入って牡鹿半島へ。

雄勝瓦礫
青い空と入道雲と瓦礫の山。

雄勝作業車
たくさんの作業車が、休むことなく瓦礫の撤去作業を行っています。

女川方面へ
女川も、随分瓦礫が運び出されて
当初よりかなり片付いてきた感じがします。
舗装道路も新しくなっていました。

女川方面へ
今は自衛隊の車両を目にすることはほとんどなく、
一般の会社が作業を請け負っているようです。

瓦礫
それにしてもこの瓦礫の山。
最終的にはどういう風に処分をすることになるのでしょう。

めぐろさん看板
牡鹿半島のめぐろさんにお邪魔しました。

仮設住宅集会場
めぐろさんのすぐ近くに建設中の仮設住宅。
手前はホタテの殻の山です。
デッキのついた一番手前の仮設住宅は、
バリアフリーの集会場になるのだそうです。

仮設住宅
この地区も約80%の家が津波で流されてしまい、残っているのが約20軒。
仮設住宅は60軒建つそうです。
入居は抽選で決まり、8月頃から入れる予定だとか。

鈴恭さんうなぎ
めぐろさんの皆さんには、
ぜひ鈴恭さんのうなぎを食べて頂こうと持ってきました。
今は何人くらいいらっしゃいますか?
「まあ、うなぎ!ありがとうございます。
前にも頂きましたよね。今25人いるんですけど、いいですか?」
もちろんです。これでスタミナをつけて
夏バテにならないで頑張ってくださいね!

25人の方が避難生活を送られているめぐろさんには
今でも毎日毎日50個のパンとおにぎりが届くそうですが、
数を減らして欲しいとお願いをしても減ることはなく、
しかも届くのはその日が消費期限のものなので
とっておくわけにもいかず、捨てるのも忍びなく
私たちは今回も、たくさんのおにぎりとお茶をお土産に頂きました。^^;

お葬式から帰って来られた社長さんとお茶を頂きました。
どなたかご近所で亡くなられたんですか?
「いや、津波で行方不明になってまだ見つからないんだけど、
いつまでもそのままじゃ気持ちの区切りもつかないからって
きちんと葬儀をすることにしたというお宅なんだよ。」

めぐろさん
前回お邪魔した時に話を伺った、
建物の底上げ工事をすることが決まり、
ちょうど明日からその工事が始まるのだそうです。
めぐろさんも旅館の復活に向けて、本格的に始動し始めました。

「この底上げのほかに、風呂がだめになっちゃったから
水周りを整えるのにかなりかかるとは思うけど、
とにかく、まずはうち一軒だけでも始めれば
周りは『よし、うちも!』と後に続くと思うんだ。
皆さんからもこうして応援してもらっているんだもの、
絶対また旅館を始めるからね。前に進むしかないもんね。」

底上げの施工が決まったこともあり、
黒く日焼けをした社長さんの決意は、
前回よりもさらに力強いものとなっていました。
「ごめんね、やることがいっぱいあって、
俺は行かなくちゃならないけど、ゆっくりしていってね。」

そういうと、社長さんはすぐ前の駐車場を
借りてきたユンボで整備し始めました。

私たちが届けるガソリンも、できるだけ無駄にしないように
大切に大切に使ってくださっているようです。
どうか前進するための作業に必要なことなら
遠慮せず使ってくださいね。

ガソリンスタンド
と言うことで、今回も空のガソリン缶を持って近くのガソリンスタンドへ。
もう一度めぐろさんに行って、軽油とガソリンをお届けしました。

そういえば、ガソリンスタンドのすぐ近くに
牡鹿で一軒というコンビニがオープンしていましたね、と言うと
「コンビには出来たけど、やっぱり先立つものがないと
行っても何にも買えないよ。」と社長さんは笑っていましたが、
今はここの復興工事に訪れている業者さんで
コンビニは商品を並べるのも間に合わないほどの大賑わいでした。
ここ小渕浜も、少しずつ確実に前進しているようです。

めぐろさん裏
めぐろさんの裏手の海。
ここの瓦礫もずいぶん片付けられました。
「旅館を再開しても、果たして
お客さんが来てくれるか不安なんだけどね・・・。」
と女将さんが言われましたが、きっと大丈夫です。
全国のみなさんが復興支援でここを訪れると思います。
ありんこ支援隊も微々たる力ですが、応援します!

今度ここを訪れるときには、何人かの方が
仮設住宅に移られていることと思います。
その頃には支援物資の内容がまた変わっているかもしれませんが、
暑さに負けないで、営業再開に向かって頑張ってくださいね。
私たちもまた近いうちに必ずお邪魔します。

「めぐろさんに来ると、本当にこっちが元気をもらうなあ。」
運転しながら@BOSSがそうつぶやきました。

小渕地区
そうそう、以前お邪魔したことのある個人のお宅にも
うなぎをお届けしました。
一軒は女川のお宅で、家の裏から湧き水が出ることから、
仮設のお風呂を沸かして、近所の避難所の皆さんに
入ってもらっているというお宅。
通ったらちょうど外に人がいらっしゃったので
「以前ブルーシートとランタンを持って来た者です。」と言ったら
「ああ、あの時の!使ってますよ、ほら。」と
ビーバー隊長からのブルーシートを指差しました。
今回は皆さんが夏バテされないようにと、
うなぎをお持ちしましたとお渡ししたら、大変喜んでくださいました。

もう一軒は、以前ハッカ油の小瓶をお渡しした
寝るのは自宅の2階、食事は避難所という半自宅避難のお宅です。
「私たちの地域の仮設住宅は、まだ更地の状態だけど
もうじき工事が始まって、8月中には完成するんじゃないかな。
どうもありがとうございます。ごちそうさまです。」

万力橋
万力橋を渡って、牡鹿半島から石巻市街地へ。

石巻市街地
毎回ここを通りながら、この瓦礫、どうするんだろうと
いつも見るだけで途方に暮れそうな通りでしたが、
今回は瓦礫がきれいに片付いているだけでなく
何店舗かのお店が、営業を再開する準備を始めていました。
ここのHomacも翌々日には仮設営業をスタートするそうです。

信号機
その一方で、石巻市街ではまだまだ無灯の信号機も多く、
各交差点で、警察が一日中誘導をしています。

今度は稲井小学校の避難所のリーダーをされている
山口さんのお店へ。
あれ??前回にはなかった「SUZUKI」の看板がついてる?
「ああ、これはSUZUKIの営業の人が、
無くちゃだめだろう!と言って付けてくれたんですよ。」

山口さん
山口さんのMXチームのIB、佐々木選手は
先日のMX北海道大会inわっさむ
1位と3秒差の2位になったそうです。すごい!おめでとうございます!

デカール
NA STYLEさんで作ってもらったというデカール。
(確かNA STYLEさんご自身も被災されていらっしゃるようですが・・・)

小学校の避難所にと、(ζ`)さんからお預かりした
大型扇風機をお渡ししたところ、
もしかしたら避難所がなくなってしまうかもしれない、とのこと。
小学校側から、そろそろ出てほしいという要望が出されたようですが、
仮設住宅への入居が決まっているわけではなく、
他の避難所へ移るしかないという状況の方も多いようです。
先が見え始めた方、先が見えない方、さまざまです。

「仙台に大雨洪水警報が出ましたよ。」
えっ!本当ですか!?
「4時半頃になると、三陸道は混んで動けなくなるから
利府の辺りまで高速を使わないで下道で行った方がいいですよ。
絶対高速に乗っちゃダメですよ!」というご助言に従って国道で帰ることに。

松島
国道から見える三陸道は確かに車がトロトロでほとんど動いていません。
普段なら通らない日本三景「松島」の
白砂青松の美しい海岸を見ながら帰路に着きました。
リアス式海岸の東北の海は本当にきれいです。
夏休み、もしツーリングの行き先に迷ったら、
東北支援ツーリングもお勧めします。

どしゃぶり
福島に入ると、いきなり
バケツをひっくり返したような激しい雨。
この夏の夕立が通り過ぎたら
少しは涼しくなるでしょうか・・・。


テレビのニュースでは、復興が進んでいない、というニュースもあれば、
地元ではこんなに頑張っています、というニュースもありますが、
どれも本当なのだと思います。
いろいろな進捗状況や環境や構成されている人によって
ほんの隣り合った集落でも、状況はそれぞれだと思います。

これから連休や夏休みで、長期の休暇がとりやすい時期になります。
まだ行ったことのない方は、もし機会があったら、
ツーリングでもボランティア活動でもいいので、
被災地へ行かれて、現地の方と言葉を交わしてみることをお勧めします。

テレビからだけでは伝わってこなかったものが
心に生まれるかもしれません。

投稿者:かまた  2011年07月15日 19:15

コメント

投稿者:eo-chan   2011年07月15日 20:54

暑い中、お疲れ様です。m(_ _)m
ワタクシも何らかの支援ができないか
ずっと考えてました。ちょうど良い時にお話しを
いただき、被災した動物達の支援へ、微力
ながらお手伝いが出来ることになりました。
http://totoz.exblog.jp/12996544/

継続が何より大切だと思います。
自分の出来る事で、それが叶えば
何よりの幸せです。

かまたさんも、@BOSSさんも、これから
暑さ本番、お体に気をつけてくださいね。

投稿者:asami@unagi   2011年07月15日 23:27

お疲れ様でした!!
そして届けてくださって、本当にありがとうございます。
いつか必ず、行ってみたいと思いました、
TVの向こうではない、「目の前の」東北に・・
そこにがんばって暮らしている人々に会いに・・・

明日からも仕事がんばります!
がんばってらっしゃるみなさんに恥ずかしくないように。

投稿者:ビーバー隊長   2011年07月16日 02:22

暑い中、ご苦労様でした。
こちらから送ったブルーシートも重宝していただいてるようでよかったです。
でも、これからは物の支援だけでなく、人的支援がもっと重要になってきますね。
私はようやく足が治り、今月30、31日といわき市で活動することになりました。
足より、初回点検を終えたばかりのGSでの初ロングツーリングのほうが心配ですが、、、

投稿者:NSMZUKI   2011年07月18日 23:42

お疲れ様です。

東北道仙台付近も出入り口は大渋滞でした。
何とか成らんのか?。

やっと仕事が始まり、以前のように毎週は支援に行けなくなりました。
岩沼は、明日から縮小体制だそうで、
復興に多少は役に立てたのだろうか。

町の社共がやっと重い腰を上げまして、
陸前高田へ行ってきました。(ボランティアツアー)
こちらは平地に在った街は全滅ですが、
高台の集落では養殖の再開に向けて
準備作業をボランティアがやっていました。

よほど私ら町民は行いが良いのか丁度、
海岸を片付けて居る時に地震・・・。
近くで、捜索していた機動隊より連絡、
「津波注意報が出ました」、「避難してください」。
一番近い高台へ機動隊と共に歩いて避難。
1時間45分、足止めでした。

貴重な体験をさせて頂きました。

投稿者:かまた   2011年07月19日 09:07

>eo-chan

お返事が遅くなりました。m(_ _)m

NO HUG
NO LIFE

このメッセージを見て、ホントにそうだなあと思って
昨日1歳になったウトロンを、思わずハグしました。
私も協力させて頂きます。
あとでeo-chanにメール書きますね。

でも、ウトロンにこれを着けると、きっと食べてしまうに違いないので^^;
このKTMカラーのバンダナは、@BOSSの首に巻いてもらうことにしたいと思います。(笑)


>asami@unagiさん

この時期、鈴恭さんが休む間もない繁忙期でいらっしゃるのは
ホームページからも十分にわかっていたのですが、
にも拘らずご協力頂いて、こちらこそ本当にありがとうございました。

asamiさんが「繋がっている」ということを書いていらっしゃった通り、
「思い」は繋がっていることを私も感じます。
「それいけウトロ号」で運ぶ物資は、
asamiさんがその手で煮て真空パックしてくださったものであり、
皆さんが被災地のことを思いながら振り込んでくださったお金で購入したものであり、
また、皆さんが現地を想像しながら、その手でダンボールに詰めてくださったものです。
そして、私たちがお渡しする現地の方も、
それらが皆さんからの応援であることを知ってくださっていますし、
だからこそ頑張らなくちゃ!と言ってくださいます。

これからもずっと長く思い合っていけたらと思っています。

投稿者:かまた   2011年07月19日 09:58

>ビーバー隊長さま

「使ってますよ、ほら!」と指差されたブルーシートを見た時は
私たちも何とも嬉しかったです。
思わず「ビーバー隊長!見てください!」と思ってしまいました。(笑)

牡鹿に行った短い時間でも、
外国人のグループが炊き出しをされていたり、
カヌーのボランティアが海上捜索をされていたり、
また、めぐろさんでも、一人の青年が社長さんの土木作業を手伝われていたり、
さまざまなボランティアの方を目にしました。
これから仮設住宅に移るまでの段階と、多くの方が仮設に移られた後の段階と、
それぞれでまた支援が変わってくると思いますが、
ありんこ支援隊も、出来ることを出来る範囲でやっていきたいと思います。

足の具合もよくなられたと言うことで、まずは一安心です。
月末のいわき支援、頑張ってきてください!
(GSでの初ロングツーリングもお気をつけて。^^;)


>NSMZUKIさん

お帰りなさい、お疲れ様でした。
しばらくの間、高速は時間をずらして乗るしかなさそうですね。

私たちも何度か現地で大きな余震は経験しましたが、
津波の避難まではさすがに・・・。
ボランティアに行かれた皆さんも、緊張されたでしょうね。
でも、ご無事でよかったです。

現地の方は、そうした日常を送っていらっしゃること、
その中で、新たに生活を作り出そうとされていることを、
私も忘れないで過ごさなくちゃ、と思います。

また次回行かれる機会がありましたら、
NSMZUKIさんが見られた現地のようすをお聞かせください。

投稿者:通もん。   2011年07月23日 10:57

先日母と出先で昼食をとりまして、もてなすこちら側が、いい年こいてまたごちそうになってしまいました(汗)
なので、その分、我が愛しの母からの義援金という事で送金いたしました。

かまたさん、@BOSS、ウトロン。
あとはよろしくお願いします。

投稿者:かまた   2011年07月25日 09:29

>通もん。さん

ありがとうございます。
では「ありんこリスト」には「通もん。母」さまのお名前も記させて頂きます。

ホントにどうもありがとう。

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(「通りすがり」などの匿名系はご遠慮ください)



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