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2014年09月11日

みずとりぞうさん支援隊

特別大雨警報が各地で発令されていますが、宮城県石巻市も大雨で冠水したというニュースを今朝のニュースで見ました。

これはツイッターに画像付きで投稿された石巻の様子です。
「ニュース速報ジャパン」より)
“石巻の様子”

そんな中、トレックフィールドさんのとれっくか〜ちゃんから電話を頂きました。

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投稿者:かまた  posted at : 21:05 | コメント (3)

  

2014年03月12日

3年目の3月11日が巡ってきました

ありんこ支援隊

それ行けウトロ号

3月11日、震災から丸3年が経ちました。

@BOSSから、そして私、かまたから、それぞれの
「ありんこ支援隊」についての思いを記させて頂きます。

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投稿者:かまた  posted at : 19:00 | コメント (8)

  

2014年01月10日

青年の木

とれっくかーちゃんが追加で送ってくださったので1/17写真追加

山口輪業さん

祝、復活!写真はとれっくかーちゃんから送って頂きました。

山口輪業さん

このブログでも、何度かご紹介をしてきました、
震災でお店が跡形もなくなくなってしまった石巻の山口輪業さんが、
12月の末にバイクショップをついに再オープンされました!

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投稿者:かまた  posted at : 17:00 | コメント (4)

  

2013年07月19日

とれっくか~ちゃんレポ〈2013初夏〉

ご報告が遅くなりましたが、ありんこ支援金の中から
トレックフィールドさんに託させて頂きました。
とれっくか~ちゃんからの支援活動レポートが届きましたので
ここにご紹介させて頂きます。

(以下、とれっくか~ちゃんからのレポートです。)

******

7月9日 晴れ

支援品
皆さんの支援金で用意した支援の品々を車に積んで、

支援品
まずは長観寺さんへ。

北上川
前日の雨の影響なのか、泥色の北上川でした。

川沿いの道路は、復興作業のダンプがいっぱいです。
アチコチ工事中で停止させられました。
更に、宮城県警のパトカーや白バイご大活動中でした。
(取り締まり強化の日だったみたいです。)

長観寺さんへ
ニッコリサンパークの仮設に住む皆さんからご要望の
防虫剤などをいつもの納屋にお届けして、お昼までゆっくりお話してきました。

ふっくらサンダル
仮設住宅の方々が作られている『ふっくらサンダル』を頂きました。
とても、可愛くて、履きやすいです。(^-^)

北上川
長観寺さんの近くの「砂浜」が広くなってきたのが嬉しくて♪
小さいけど、波打ち際もできています。
震災後、初めて車を止めて写真を撮りました。

長観寺さんを後にして、雄勝は『船越』へ。

いつもの北上大橋(未だに一部架設です)を渡ります。
この橋のたもとに、多くの子供たちが被災してしまった、
未だに御家族の元に戻って来てないお子様もいらっしゃる
「大川小学校」があります。

震災前は、その小学校の名前すら知らずにいました。

震災後は何度どなく大川小学校前を通過しています。
あまりにも悲惨な現状を受け入れることができず、
避けていたと言った方がいいかもしれませんが、
今回は、小さなぬいぐるみをお供えして
手を合わせて来ることができました。

大川小学校
とても切なく哀しい場所です。

大川小学校
倒壊しそうだった沿岸部の小学校やら中学校、
更には大きな病院なども、今は解体が進んでいて、
建物が残ってはいないのですが
大川小学校は残されたままです。

船越に向かいます。

一軒だけ海産物店舗が開店していましたが、
大きな建造物は殆んど解体されてました。
中学校も、市立病院も。

美人坂より
峠を越え、船越のいつもの『美人坂』と呼ばれる坂にて、
緑が茂り葉っぱの隙間から船越の港を撮影しました。

海
海のすぐそばに、地元の方々の作業場や休憩所があります。

作業場
その近くで、前回支援させて頂いたお花が綺麗に咲いてました!
そして、津波に負けなかった桜の木はすっかり葉桜になってました。
この桜の木の名前を募集してたのですが、
ボソッと私(とれっくか~ちゃん)が呟いた
船越『希望の一本桜』と命名されていました。(^^)v

この日船越では、今年から始めた
「ひじき」の漁の日だったようです。

ひじきは、朝に漁をしてきて

手作業で15-20㎝くらいに切ります

小さな『海老』や『わかめ』や『イワノリ』や『汚れ』

このようなものを水洗いして

4〜5時間煮ます

お日様に当てて干します

ひじき
この日は、水洗いまでの作業で終了でした。
とても大変な作業です。

震災前は(船が大きかったから)、魚をたくさん獲ることができたのですが
大きな船のない現在、魚だけでは生計が成り立たないので(*_*)
情報を集めて「ひじき」の作業を始めたそうです。

中里さん
船越の親分『中里さん』が私の安全ヘルメットを被り
おどけてみせてくれました。

「仕事からいろんな事を学ばせて貰ってるよ!」

いろんな困難もあるはずなのに、
いつも前向きで、パワーを頂いて来てます。\(^-^)

昼頃船越に到着して、なんやかんやと
「ひじき」の水洗いを手伝わせてもらっていたら
いつの間にか3時過ぎていました。(^o^ゞ
一緒に作業させて頂いたのは初めてだったのですが
ほんのちょっとでも「助かったよ!」と言って貰えました。

船越のみなさんへ
船越の皆さんにお届けした支援品。

山口輪業さん
船越を後にして、今度は石巻市内の
山口輪業さんに向かいました。

山口輪業さん
親分(山口さん)は東京さ出張してて
お店にはいらっしゃらなかったのですが、
お留守番の弟さんに支援の品を託して来るとことができました。

******

7月17日 晴れ

バイクで支援活動したかったのですが積みきれず
やはりいつものwagonRで出動しました。

7月1日から仙台南部道路がNEXCO 東日本の管轄になり、
高速料金がチョイとお安くなりました

支援金も底がついてますので、今回の支援物資のお届けは
チョイとだけしかお届けできないのでした。

ナイロンひも
ご要望の、ふっくらサンダルを作成する時に必須のナイロンの紐と

Tシャツ
お古のTシャツのお届けでした。

ニッコリサンパークの仮設住宅には、
未だに178世帯の方々が暮らしてるそうです。
まだ、先の見えない未来に
不安や苛立ちやら、複雑な気持ちでいっぱいのはずなのに
いつもの笑顔で迎えてくださいます。

たわいもないお話をして、
あっという間に3時過ぎました(^o^ゞ

支援物資の要望を頂きましたが
支援金の残金が2,000円なので
直ぐ準備してお届けする事ができません。
今回は、圧縮袋です。
冬物の収容にセーターや布団やジャンパーなど
大!中!小の三種類を各種5枚づつ!

というわけで、
ありんこ支援隊さんのご協力お願いできますでしょうか?

髪飾り
ニッコリサンパークの方々のアクセサリーです。
以前支援させて頂いた材料で作成してくれてました。

あじさい
長観寺さんの階段わきのノリメンに咲いてる
アジサイが今年も綺麗に花を咲かせてました。


******


(以上、とれっくか~ちゃんのレポート)

とれっくか~ちゃん、ありがとうございました。
そして今も支援金を毎月お送りくださる皆さま、本当にありがとうございます。
ありんこ支援金の中から、今月もトレックさんにお送りさせていただきました。

物資の購入もお届けも、すっかり
現地に近いとれっくか~ちゃんにお任せしてしまって心苦しい限りですが、
私たちもせめて、とれっくか~ちゃんがよく言う通り
今もなお仮設住宅に住んでいる皆さんのことを
いつも忘れないでいつづけたいと思います。

忘れないこと。
やっぱりそれが一番の支援だと思うので。

投稿者:かまた  posted at : 22:38 | コメント (3)

  

2013年06月01日

中古ミシンをお譲りください

石巻で支援活動に動いてくださる「とれっくか~ちゃん」より
お電話をいただきました。

ミシン
長観寺さんの近くにある大きなお地蔵さまが目印の、
「にっこりサンパーク」の仮設住宅にお住まいの皆さんが、
中古の家庭用ミシンを必要とされているそうです。

草履
以前、Tシャツで作った草履をお送りくださいましたが、
この鼻緒などを縫うためだそうです。

ミシンに特別な機能は必要なく、修理せずに使えて、
直前縫いとかがり縫いができれば十分とのこと。
ご自宅に使わないまま眠っている中古のミシンがありましたら、
ぜひ支援品としてお譲りください。

もし「譲ってもいいよ」というミシンがある場合、
今回はトレックフィールドさんへお送りください。

【ミシンの送り先】
〒981-1241 宮城県名取市高舘熊野堂字余方上12-12
トレックフィールド

トレックフィールドさんでも周りに声がけをされているようですが
なかなかそう簡単に出てくるものではないので、

ミシン
とれっくか~ちゃんがまずは1台、
中古ミシンを購入してお届けするということで
ありんこ支援金から支援金をお送りさせて頂きました。

田んぼ
新潟もようやく田植えが終わり、
これから蒸し暑い季節になっていきます。

「来週末、支援品を持って仮設住宅に行く予定ですが、
虫除けスプレーや飲料水なども
お届けできたらいいなあと思っています。」
と、とれっくか~ちゃん。

いつもありがとうございます。
支援金を託すばかりで、一緒に伺えなくて申し訳ありませんが、
どうぞよろしくお願いお願いいたします。

投稿者:かまた  posted at : 21:20 | コメント (0)

  

2013年03月11日

3月11日

締め切りに終われて仕事をして過ごした日曜日、
少し早く家に帰ってテレビをつけると、
震災の特別番組をやっていました。
2年前、新潟からほんの少し離れた、でも同じこの日本で、
信じられない光景が広がっていて、
ただただ呆然とテレビを見ていたことを思い出します。

その後、居た堪れない思いから@BOSSが立ち上げた「ありんこ支援隊」。
「それいけウトロ号」で現地に何度も支援品を運びながら、
生きる意味について、いろんなことを考えさせられました。

あれからちょうど2年。
この国の小中学校の修学旅行は
震災被災地に行くといいなぁと思いながら、
遅い夕食を食べています。

「ありんこ支援隊」には
今も毎月支援金をお送りくださる方もいますし、
現地に貸し出したWiFiの料金2年間を支援し続けてくださる方もいます。

私自身、「ありんこ支援金」で何が出来るのか、
また、私自身も何が出来るのか、
これからもずっと考えていきたいと思います。

今朝のウトロン

まだまだ雪壁はこんなに高くて
春は遠いけれど、でもきっと来るはず。

投稿者:かまた  posted at : 23:05 | コメント (6)

  

2013年03月04日

とれっくか~ちゃんレポ

ご心配頂きました鬼の霍乱もようやく熱も下がりまして、
遅くなりましたが、とれっくか~ちゃんから送っていただいた写真を
一緒に送って頂いたメールとともにご紹介します。

トランポ
ありんこからお送りした支援金で
ねずみ退治グッズやガスコンロ用ボンベ、手芸用品など、
あれこれ必要グッズ仕入れて頂いて、
26日、他の支援品と一緒にとれっくか~ちゃん号で支援先へ。
トランポには先日お送りしたTシャツも乗っています。

まずは雄勝の船越レディースさんのところへ。

ワカメ
(船越は)ワカメ漁の日でした。
せっせと漁業をしておりました。
なんやかんやと忙しい様子でした。
震災前は、もっと忙しかったんじゃないかなぁ~と思いました。

茎ワカメ
レディースの皆さまも、朝から昼過ぎまでは、漁業。
その後、時間をみて、3月末までは、
ご注文頂いてる作品を頑張って作るみたいです。

船越レディース作業場
レディースさんの作業場は電気が通ってませんでした。

船越レディース
絵を書き込む方がレディースをやめてしまったので
作業にご苦労してるようすでした。

ストラップ
3月になったら(船越レディースさんは解散するため)
作品もなくなっちゃうと言われたので
自腹で数点購入しました。

欲しい方がいたらお分けしますので
トレックフィールドまでご連絡ください。
ネックレス、ブレスレットが1000円、
ストラップが700円です。

続いて長観寺さんへ。

にっこりサンパーク
長観寺さんの近くにある大きなお地蔵さまが目印の、
「にっこりサンパーク」の仮設住宅にお住まいの皆さんで
作り始めた草履やコサージュの材料を届けて頂きました。


手作り草履
長観寺さんでは、手作りなさる方が会いに来てくれ、
わざわざ、作って持ってきてくれました。
沢山の材料支援にとても喜んでいただけました。

手作り草履
お地蔵さまやコサージュ、布の草履などなど。

(ありんこにも送ってくださいました。ありがとうございます。
お送りしたTシャツはこんなふうに生まれ変わるんですね。)

のんびり、震災の時の話、避難所や仮設住宅での話、
世間話などしていたら、気づけば夕方の4時を回っていました。

最後は山口輪業さんのところへ。

山口輪業さん
山口さんのところは、
3月の10日くらいから解体工事が始まるとの事で
100メートルほど離れた所に、プレハブ2つでの営業になるそうです。

山口さん、お元気でしょうか。
今年もチームの皆さんは、モトクロス全国大会に挑戦をされることでしょう。
みんなで応援しています。

そして、とれっくか~ちゃんさま、支援活動、そしてレポートを
ありがとうございました。m(_ _)m
か~ちゃんもしっかり食べて、その細っこい体に精をつけてくださいね!

投稿者:かまた  posted at : 19:25 | コメント (2)

  

2013年02月23日

Tシャツ支援

「こんにちは、元気ですか?
お願いがあります。
先日仮設に行ったらサンダルを作っていました。
材料になるTシャツが足りないそうです。
投げる様な物のがあれば欲しいそうです。
よろしくお願いします。」

先日のブログで長観寺さんからのメッセージをご紹介したところ、
ミワ家と北海道の又三郎さんから支援のTシャツが届きました。

少し笑ってしまったのは、

箱
偶然にもお二人が、申し合わせたように
同じヘルメットの箱で送ってくださったこと。(笑)

お二人からのTシャツに私のTシャツを加えて60枚ほどを、
今日トレックフィールドさんにお送りしました。

Tシャツ
Tシャツって高いものではないのですが、
クタクタになっても、思い出が結構つまっているもので、
着なくなったものもなかなか捨てられなかったりしますよね。

これを着て渋柿夫妻はツーリングに行ったりしたんだろうな~、なんて
勝手に想像(妄想)しながら箱に詰めなおしました。(笑)
これら思い出のTシャツは、どんなカタチに生まれ変わるのでしょうか。
楽しみです。

さて、とれっくか~ちゃんは、別途お送りした支援金で

ネズミ捕り
船越地区等への支援品のネズミ退治用品や

カセットボンベ
カセットボンベ、ビニールテープ、軍手、ビニール、手袋、布テープのほか、
長観寺さんから手芸用品材料の支援依頼を頂いたということで
それらの買出しに行ってくださって、Tシャツと一緒に
来週お届けくださるそうです。

どうぞよろしくお願いします。m(_ _)m

雪
しかしよく降りますね。。。
この週末は少しからだを休めてバイクはお休みします。

投稿者:かまた  posted at : 10:35 | コメント (4)

  

2013年02月05日

船越レディースさん解散

とれっくか~ちゃんから、嬉しいメールが届きました。
船越レディースさんからのメールの転送です。

「こんにちは。今年は雪が多いですね。
いつもありがとうございます。
(船越)レディースですが、今年早々に1人が家庭の都合で辞め、
2人が 震災前に働いてた水産加工屋さんから声がかかり辞めました。
私もうちの船が完成したので抜ける事にしてたので、
結局レディースは解散する事になりました。
とれっくか~ちゃんさんはじめ、皆さんにいっぱい応援して頂き感謝です。
3月いっぱいで終わりにします。ありがとうございました。」

「雄勝石」でストラップを作る活動をされていた船越レディースの皆さんが
それぞれの生活やお仕事が少しずつ形になってきたことにより、
船越レディースを解散することになったというご報告です。

船越レディース
photo:トレックフィールドさんのアルバムから
この作業場での活動も3月一杯ということですね。

ストラップ
photo:トレックフィールドさんのアルバムから
船越レディースの皆さんが作られた作品。

「電話で、これからも私たちの支援活動を継続させて頂くことを伝えました。
それぞれの復興が形として実現してきてます。
これからも頑張っていく姿を支援&応援していきたいです。」

(by とれっくか~ちゃん)

私たち「ありんこ」も、これからもずっとつながっていきたいと思います。(^o^)/

それから、「長観寺さん」からもこんなメールを頂いたそうです。

「こんにちは元気ですか?
お願いがあります。
先日仮設に行ったらサンダルを作っていました。
材料になるTシャツが足りないそうです。
投げる様な物のがあれば欲しいそうです。
よろしくお願いします。」

長観寺さんにいく途中にあった、大きなお地蔵さまのある場所の
仮設住宅に住んでいらっしゃる方々が、
手作りのスリッパ、のれん、小さなお地蔵さまを作り始めたのだそうです。

お地蔵さん
「ありんこ支援隊」が通っていた頃の「お地蔵さん」。
きっと今は見違えるようにきれいになっていることでしょう。

「Tシャツの他にも手芸用品が必要な感じでした。
いろいろ、情報収集して、手作り作業のお手伝い用品を購入したいと思ってます。」

(by とれっくか~ちゃん)

Tシャツは裂いて使うそうなので、
もう着なくなったものを洗ってお送りしようと思います。
(新品は新品で、送れば着ていただけるかと思います。^^)

今月の20日頃に送ろうと思いますので、
もしご自宅に着なくなったTシャツがありましたら、
ありんこ支援隊宛にお送り下さい。
一応お送りくださる前に、おおよその枚数を
コメントかメールでお知らせいただいてからお願いします。


週末のレポはまた後日。

投稿者:かまた  posted at : 19:12 | コメント (0)

  

2013年01月25日

「小さな命の架け橋」のこと

昨日@BOSSから
「こんな活動をしている人がいる」と教えてもらいました。

「小さな命の架け橋」
http://ameblo.jp/ganman2013/entry-11454857433.html

福島の原発事故による避難区域で、
家につながれたまま取り残されてしまった犬たちへの
ガンマンさんという方の個人的なボランティア活動です。

犬
photo:ガンマンさんのブログより

犬
photo:ガンマンさんのブログより

犬
photo:ガンマンさんのブログより

おそらく前日まで、大好きな家族と共に
幸せに暮らしていたであろうのに、
突然家族がいなくなり、人の気配が無くなった町で
一人ぼっちで繋がれたまま、
寒い雪の中、不安と飢えに耐えている犬たち。

ブログを読んで居たたまれなくなりました。

「福島の子をせめて普通の暮らしに近づかせてあげたいとの願いから
ハウスを順次建築して参ります」

ということですが、ガンマンさんがブログのプロフィールでも書かれている通り

「私を信頼して頂き活動へのご協力を頂ける方のみよろしくお願いします。」

そんなところも、ありんこ発足時の@BOSSの気持ちに通じるものが感じられ、
私には何も出来ませんが、せめてもの足しにと協力金を送金させてもらいました。
(これは、ありんこ支援金からではなく、私個人のお金です。)

私自身がいわゆる「拡散」というものが好きではないのですが、
私の個人の思いとして、ここにご紹介をさせて頂きました。

この記事を読んだ皆さまも、先ずはブログをお読みいただき
それぞれの心の中で、賛同とご協力のお気持ちが
湧いた方がいらっしゃっいましたら、
出来ることを、出来る範囲で行って頂けたら嬉しいです。

ガンマンさんのブログは突然(一方的に)削除されたこともあるらしく、
活動にはいろいろ難しい問題があるのかもしれませんが、
どうか、一頭でも多くのワンコが安心できるようになりますように。

***

さて、ありんこ支援隊からは、トレックフィールドさんに
「後方支援隊」として活動資金をお送りさせていただきました。

それから、仕事仕事と言い訳しながら
なかなか更新せずにいた「ありんこ隊リスト」
やっと更新しました。^^;;

いつもご協力くださる皆さま、本当にありがとうございます。
「出来ることを出来る範囲で」のありんこ支援隊ですが、
春になったらもう少し「出来る範囲」を増やしていきたいと思います。


追伸

Noriさんから、ありんこ支援隊の「癒し部隊シャリ隊長」宛に
万病のクスリが届きました。

犬
Noriさん、どうもありがとうございます。m(_ _)m

投稿者:かまた  posted at : 20:15 | コメント (0)

  

2012年11月29日

ありんこ後方支援隊【とれっくか~ちゃんレポ】

ご報告が遅くなりました。
私はどうやらブログの更新もままならないまま年の瀬を迎えそうなので、
もうとれっくか~ちゃんからのレポをそのままアップさせていただきます。

とれっくか~ちゃん、本当にありがとうございます。(涙)

というわけで、以下、か~ちゃんからの先日の支援のレポートです。


11月21日

明日の支援活動の積み込み完了
ワゴンRに積み込めました。
高速料金の節約できますね。

とれっくか~ちゃん

いろいろ写真撮りました物資は、と~ちゃんから送ってもらいますね。
明日の支援活動の写真も出きるだけつたえられるように写してきます。
お預かりしてます支援金ですが、残金332円です。

梱包

(この梱包作業がまた一仕事なんですよね。本当にありがとうございます。)


11月22日


とても穏やかな天候の中の1日でした。

今回の支援活動に当たり
支援物資購入の支援金を『ありんこ支援隊』さんからご協力を頂き
準備させていただきました。
トレックフィールドに寄せられてる支援金も
同時に支援物資購入資金に使わせていただきました。
支援金をいつもありがとうございます。

道路

この日も南部道路→東部道路→三陸道を走り、雄勝は船越地区へ。
この日は『鮑(アワビ』捕りの日だったようです。
昼チョイと前に船越に到着しました。

漁港

そこには漁を終えた浜の方々がいらっしゃいました。
共同で設置した倉庫が出来上がってました。
部屋ごとに区切られてます。
船も、漁師さんたち各自に行き渡ったとのこと。
作業もこの倉庫で各自行われてゆくそうです。

船越作業小屋

震災後は漁業部会として、皆で漁をして町に収入として頑張ってきた船越!
これからも、お互いに力を合わせて生きてゆくことに変わりは無いのですが
個々の漁、作業そして収益!!
復興の一歩ですね!!
チョイと長目のビニール手袋は大人気でした。
少ししか準備してなかったので
次回は(いつになるか??)
作業にお手伝いできる支援物資を準備してあげれたら
喜んでもらえるのかな!!と感じてます。


船越"

船越レディースさんは7名で活動してます。
この日は3名だけでしたが・・・
毎日、1時間かけてこの船越に通ってきてる方もいらっしゃいました。

「仮設住宅にいても、何もすることないからね。
この歳で新しい仕事もできないし・・・・
後2人居たんだけど、まだ若いから町で仕事してるんです。
でもね、時々手伝いにきてくれるんです!!
父ちゃんたちが漁ができるようになったので。」

と、明るい顔でお話してくれました。

ストラップ

レディースさんのアクセサリーは進化し続けていまっす(^_^)v
日当にもならないんだけど・・・な~んても言ってました
そんな彼女たちの活動は、船もなく仕事もなかった船越の光でした!
これからも彼女らの活動の傍に寄り添える支援を続けたい!
そう思ってます。

大川小


昼も過ぎ、長観寺さんへ。

長観寺さん

若奥様と元住職(10月に引退式をしたそうです)がいらっしゃいました。
たわいも無い世間話をしたり、
以前支援させていただいた方が元気に過ごしてる話を聞いたり・・・。

そして、若住職の息子さんが23日から『修行に入る』とのこと。
副住職が住職に、その息子さんが副住職として修行に
お寺も、一息ついたところのようです。
長観寺の向かいの山が高台移転地になり、工事が始まってました。
30軒ほどの移転地なのですが・・・・
「10軒戻ってくるかな!!」てことも話してました。


そんなこんなで・・・・3時過ぎてしまいました。(^^ゞ
石巻市内のバイク屋さんへ。

山口輪業さん

いつもの笑顔で迎えてもらいました(^_^)v
ショップはプレハブで営業してますが、その後ろに自宅が建ってます。
しかしその自宅の解体を年内にしないと助成金が下りないとのこと。
今の場所から20mくらいの所にプレハブを移動して青空営業だ!って笑ってました。

「トイレは??」と聞くと
わははははは・・・・・無い!!
「何とかナルッショ!!」

そして、船越に支援してたスクーターが動かなくなったって事で
引き上げてきていただいてましたm(__)m
しかし・・・直して乗る状況じゃなかった。
処分を頼んでお世話になったスクーターにサヨナラしてきました。


いっぱいお話をしてきました。

帰り道は石巻市内から渋滞!!
三陸道は入り口から渋滞!
小一時間走ったら・・・睡魔の登場!!
三陸道に新設された「春日パーキング」に小休憩して
無事に帰宅しました。


これからも、支援活動を続けたいです。
震災から1年と8ヶ月が過ぎようとしてますが、
これからも草の根支援は必要と感じてます。


この支援活動にご理解&ご協力をよろしくお願いいたします。

ということで、とれっくか~ちゃんから頂いた支援活動レポを
そのまま転載させていただきました。

トレックフィールドさんのサイト
写真と当日のようすが紹介されています。ぜひご覧ください。

とれっくと~ちゃん、か~ちゃん、本当にありがとうございました!

投稿者:かまた  posted at : 21:30 | コメント (6)

  

2012年11月13日

ありんこ後方支援隊

(11/15、一番下にとれっくか~ちゃんからの追伸を追記しました。)

支援品

「早速お買い物しました。
カメムシコロリ、ビニールテープ
ホチキスの針、洗濯洗剤
13476円支出しました(^^)v」

と、スマホ初心者のとれっくか~ちゃんが(笑)
昨日、スマホで撮った写真を送ってくださいました。

話は少しさかのぼりますが、
先月、とれっくか~ちゃんより電話を頂いた際にお聞きした話を
記憶の限りではありますが、ほぼそのまま書きます。

「この間は船越の人たちにビニールテープを持って行ったの。
魚を獲る網に目印としてつけるんだって。
そんなのが必要なんて、話を聞かない限り分からないもんね。
現地の人たちが何が必要なのか、もう本当に行かないとわからない。
でも、一番の支援はやっぱり、顔を見せることなんだよね。
それは分かっているし、何にも持って来なくていいよ、
会いに来てくれるだけでいいよって言ってくれるけど
かと言って、やっぱり手ぶらじゃね。^^;
だから行くときは軍手とかビニール手袋とかを
100均で買って持って行ってたんだけど
もう活動資金が500円しかなくなっちゃって・・・」

ありんこから支援品をお送りしようにも
私もこの時期は休日無し、休憩無しで、朝から晩まで仕事仕事で、
買い出しになどまったく動けない毎日。
そこで今回は皆様からお預かりしているありんこ支援金の中から
トレックさんに活動資金の形でお送りさせていただきました。

とれっくか~ちゃんも言っているとおり、
何が必要とされているかは、ますます多様化して
その人に会いに行ってみないとわからない、
でも聞いても何が必要なんて、現地の方たちは決して言わない、
だからとれっくか~ちゃんのように、
会いに行って、察して、次に行く時に
「こんなの持って来たよ~」と手土産のように持って行くのが
理想的な支援のカタチなのかも知れません。

「でも、寒くなってきたし、みんなで分け合えるホッカイロとか、
長観寺さんのように檀家さんが毎日来るお寺さんはお茶とか、
買わなくてはいけないものをもらえるのって
やっぱり助かると思うんだ。」

その長観寺さんは、お寺の下が空洞化してしまっていて
転居を勧められているのだとか。
でも、お寺の転居ってどれだけお金がかかるんでしょう。

船越の皆さんが漁で使う網を作ったり、
船越レディースの皆さんが雄勝石のストラップを作ったりと
活動の拠点にしてきた小学校も取り壊しが決まったそうで・・・

そんな話も、とれっくか~ちゃんが動いて下さるから聞ける話で
私にできることはそれをお伝えすることくらいです。

今も支援金をお送りくださる又三郎さんから、

「やはりいちばん怖いのは、
一般の方々の記憶から被災地のことが薄れることですね。
震災からまだ1年7ヶ月しか経っていないのに、
なにかもう遠い昔のことのように思われつつあるような気すらします。
そうならないためにも、例え細々であっても、
とれっくか~ちゃんのような活動は大事だと思いますし、
わたしも東北に行く機会があれば、できるだけ、
現地の様子を実際に見たいと思っています。」

そして、うずまき@えじまさんからも

「支援の方法もいろいろ難しくなってきたようですね。
しかし必要とされている方が居られ、喜んでもらえる方法であれば、
規模や形は気にしなくても良いのかな?と思います。 」

というメールを頂きました。
ありんこも、私がもう少し時間がとれるようになったら、
冬の支援品を送る準備をしようと思います。

・・・と、ここまで書いたら、またとれっくか~ちゃんからメールが。

「今日は雄勝石で作るネックレスの材料が不憫しているということなので
アクセサリーの材料を購入しました!」

支援品

(以下は11/15追記)

(この写真は送っていなかったかも。)
支援品
雄勝石の仕上げに使用するニスです。
この商品は、定期的に要望がきてます。

これからの購入予定

カップ麺、作業ビニール手袋です。
19日に買い出し
20日にお届け予定してます。

久しぶりの大量支援ができます。ハイエースでの出動(*^▽^)/★*☆
ここ数ヵ月は、軽自動車でボチボチと行ってきました。
おかげさまで、私自身がワクワクしてます。

とれっくか~ちゃん、ありがとうございます。
私まで元気をもらっています。
私たちからも近々送らせていただきますね!(^o^)/

投稿者:かまた  posted at : 23:45 | コメント (2)

  

2012年08月03日

ありんこ宅急便 〔夏〕

少し前の話になりますが、
トレックフィールドさんから小さな包みが届きました。

トレックフィールド
とれっくか~ちゃんからです。
雄勝の「船越レディース」さんたちが作ったと言う
「手作りストラップ」を送ってくださいました。

ストラップ
石や貝を使ったストラップと一緒に、ひとつひとつ、
船越の皆さまによる手書きのメッセージが添えられていました。

「ありがとうございます。一歩ずつゆっくり前へ進みます。」

「応援ありがとうございます。これからも頑張ります。」

ストラップは数に限りがありましたので、
私の独断ですが、今も支援金をお送りくださる何人かの方に
代表として送らせていただきました。
でも、ありんこ支援隊全員に頂いたものと思っています。
船越地区の皆様、そしてとれっくか~ちゃん、どうもありがとうございました。


さて、昨夜、今度はとれっくと~ちゃんからメールがありました。

ご無沙汰してます。とれっくと~ちゃんです。
8耐お疲れ様でした。
BOSSさんの三角巾が痛々しいですね。
お大事にしっかり治してくださいね。

7月31日にとれっくか~ちゃんが
山口輪業さん、船越地区、北上地区に行ってきました。

船越では、昨年は街に消毒剤を何回も施工してくれてたけど
今年は、何もしてもらえて無いとの事。
小さな虫が(ブヨや蚊)が沢山発生して、アチコチ刺されて、大変そうでした。

で、追加で欲しいものを聞いてきました。

○防虫スプレー

○虫コナーズアミド用

○ハエ取りリボン

○虫さされの薬

○水取りぞうさん(除湿)

○カビ取りハイター

だそうです。

現状、残念ながらこちらの支援金では足りず十分には買い揃えられません。
もし可能であればありんこ支援隊さまから上記物資をご支援補助いただけると幸いです。

7月の末にお送りするつもりで、少し準備をしていたものに
今回リクエストを頂いたものを用意しました。


虫除け
虫コナーズ、カビキラー、キンカン、ムヒ、ごきぶりホイホイなど。

除湿剤
除湿剤、ハエ取りリボン、虫除けスプレー。

衣類
女性用と男性用の下着とTシャツ類。

ウトロン
取り急ぎ、トレックフィールドさん経由で、雄勝の皆様にお渡しいただけるように、
第一陣として、今日発送いたしました。

雄勝の船越集落へ、とれっくか~ちゃんと行った日も、暑い夏の日でした。
ヒマワリが咲き、冷たい山の水で冷やしたジュースを
ご馳走していただいたのを覚えています。

雄勝の皆さま、待っていてくださいね。
とれっくと~ちゃん、か~ちゃん、どうぞよろしくお願いいたします。

投稿者:かまた  posted at : 21:12 | コメント (2)

  

2012年04月19日

牡鹿だより

朝のミーティング中に届いたクール宅急便。

宅急便
メンマ??( ̄∀ ̄;)汗

品名欄には「わかめ」と書いてあります。
あ!めぐろさんだ!

「割烹民宿めぐろ」さんの女将さんから以前お話を伺ったとおり、
小渕(こぶち)浜の皆さんが、特産品のわかめ漁を再開するために
津波で流されてしまった家の跡地に漁のための小屋を建て、
昨年秋に種付けをして、みんなで準備を進めてきて
この2~3月に初めての収穫をするのだということでしたが、
そうして収穫されたわかめを、送ってくださったのでした。

わかめ
生のわかめと、塩蔵わかめ、そして歯ごたえのありそうな新鮮なメカブ。
箱を開けたら、きれいな磯の香りが辺りに漂いました。
牡鹿半島の真っ青な海が目に浮かぶようです。

めぐろさん、ありがとうございます。
採れたてのわかめはもちろん嬉しいのですが、
何よりも皆さまの手で育てられて収穫されたわかめを
こうしてお送り頂けることに感動しています。
一年前の今頃は、想像もできないことでした。

仕事のあと、女将さんにお礼の電話をかけました。

「皆さんお変わりありませんか?そう、よかった。
小渕浜は他より復興が進んでいるらしいの。
わかめ漁は人手不足だったけど、ボランティアの方に手伝ってもらって
今月末で漁は終わるって言ってたかな。
でもおかげさまで現金収入になるわけだから、みんな喜んでます。」

小渕浜のわかめ漁のことは私もニュースで見ましたが、
お話を伺って想像していたよりも、ずっと大規模な漁でびっくりしました。
でも、その貴重なわかめをこんなにたくさん・・・。

「塩蔵のわかめも入れたけど、生のわかめも入っていたでしょう?
ぜひそれを食べて比べてほしいの。
おいしいんですよ~。本当に歯ごたえがぜんぜん違うから。
皆さんによろしくお伝えください。またぜひ牡鹿にいらしてくださいね。」

わかめはありんこ支援隊に頂いたものですが、
ありんこ全員で分けることはできませんので、
今回は手渡せるありんこさん達にお渡ししたいと思います。

そうそう、めぐろさんの社長さんが当時の話をされている動画が
YouTubeにあったのでご紹介します。
まさにこんな方です。

懐かしいなあ。
ガソリンがなかなか手に入らなかったあの頃、
ようやく近くにガソリンスタンドが営業を再開したのはいいけれど、
「でも、先立つものがなかったら、どうしようもないよね。」
と笑いながら言っていた社長さん。

「一歩でも二歩でも前に進むことが、生きた人の使命だから。」
その言葉どおり、絶対にもう一度民宿をやる、
自分達が一軒始めれば、よし、うちも!と続く宿が必ず出てくると思うから。
そう言って、借金をして、宿を直して、ついに再出発を実現されました。

社長さん、女将さん、もう一度、本当にありがとうございました。
初めてお邪魔したのは去年の4月の頭。
仮設に移られた皆さまもお元気でいらっしゃいますでしょうか。

あれからちょうど一年、ウトロンも大きくなりました。
今度は必ず泊まりで伺います。
皆さまにお会いできる日を心から楽しみにしています。

投稿者:かまた  posted at : 23:32 | コメント (2)

  

2012年03月10日

3月11日、あれから一年

あれから一年がたとうとしています。

ありんこ支援隊も、この一年の区切りに
一旦けじめをつける方がいいのだろうかと
毎月支援金をお送りいただきながら、動けずにいることに悩んでいました。

でも「区切り」って何の区切り?
「けじめ」って誰のために?
被災地の生活は、一年たったから、
はい、ここで一旦けじめをつけます、ではないはずなのに。
そんな思いもありました。

そうした中、ありんこの言いだしっぺである@BOSSから
CCメールをもらいました。

私の悩みを感じとってくださった方から
「もし支援金が重荷になるようなら、支援金の受付はいったん止めても、
ありんこの解散宣言は不要なのではないか」というメールを頂いたことに対して
@BOSSが書いた、長い長い返信のメールです。

-----

(ありんことしてのレスポンスがなかなかできないのは)
かまたの重荷という事ではありませんので、ご心配なく。


震災時は、活発に活動できましたが、
幸いにしてと言いますか、被災エリアでもなく、
会社として、通常通りの業務の委託を受けている手前、
冬場のスキーシーズンは100日間会社に缶詰状態で
予約システム、コールセンター業務の責任を負っているというのが、
返信レスポンスの遅延の理由ですのでご容赦ください。


被災者が家や家族や大切な人を失い、仕事や故郷まで失っている現状で、
仕事がこれまでどおり行われ、それに追われていると言うのは、
おこがましいことではありますが、それで地に脚をつけて
その立場だからこそ、できる支援をするということ。


震災から一年の3月11日に向けて、
あれこれと世の中的に動きがある中で、
私達ありんこ支援隊も、これまでの支援者の方々に
何らかの発信の必要をと思い、心に多くの文言を留めておりますが
先ずは、発足者として、発足の経緯と理由を再度表記しますと
あの、想像を絶する被災地の現状を目にして
「どうする事も出来ない、いたたまれない気持ち」の行き所を求めた結果です。


亘理町から仙台に至る高速道路を緊急車両認識票のお陰で走行した時、
そこから広がる全ての景色が、津波に浚われた後の廃墟の様相を呈し、
幹線道路のあちこちには遺体安置所。
食うや食わずで身を寄せ合って避難している被災者の方々。


差し伸べる自分の手のあまりもの小ささに
「俺一人が何かをしたところで、このすさまじい現状がどうなることで無い・・・」と
絶望したのがキッカケでした。


それでは何もしないでいいのか・・・?



「私は気持ちが暗くなるから、そういうテレビは消して、考えないようにしています」
そういう言葉を言った年功者がいました。


この方を「人でなし!」と、一概に蔑むことが出来ないのは、
この人自身が「いたたまれない気持ち」で、自分が気鬱になる事を避けたいと言う
自己防衛で言っているからで、私も皆に「気鬱になって、暗くなりましょう」と
声がけをしたい人間ではないので、その気持ちが判らないではありません。


ただ、その「いたたまれなさ」の元となる震災という事実を無くすことは不可能ですし、
どんなに足掻いても亡くなった方が帰ってくる事も無く、悲しみは癒えませんが、
でも、だからと言って、その事実を、被災者で無い自分達が「無かった事にしよう」と、
目や、心の中から排除することだけは、人としてやってはいけないと思いました。


だから、どんなに小さな事であっても、悲しみが癒えなかったとしても、
その方々の傍らで、「自分に出来ることを、できる範囲で、できる限り」やろうと決めました。


それが発足のキッカケで、その意思に共感して、賛同してくださる方々がいらっしゃったら
その活動の主旨に乗じて、ご協力してくださることには感謝をして、拒みません。
しかし、逆に
「何かできることがあったら言って」「協力するから、声を掛けて」と言う申し入れ、
つまり「私達が直接お願いしたら、応えますよ」という申し入れには、お断りしていました。


あくまでも、ありんこは
「その人の心の、自発的な行為で」というスタイルでした。


言い方を変えますと、
「来るものは拒まず、去るものは追わず」で、
この「未曾有」という言葉しか当てはまらない非常時の
「とんでもない、『何事』がおきている」時に
「何かあったら」という言葉や、
私達がお願いしなかったら、「何もしない」という方に
「いたたまれない」という、当事者意識が必要な支援活動への
参加要請は優先事項でなかったからです。


駄記事ですが、ブログなどで公に情報を発している立場では
少なからず、(偉そうな言い方になってしまいますが)
「啓発」や「啓蒙」を意識した情報発信で、共感者による社会の変革や向上という
社会貢献に繋がる活動を行うべきだと考えていますが
その意味でも
「痛ましい事実が多いけれど、目をそむけず、痛みを感じ、
そのいたたまれなさ、矛盾や不条理を感じながらも、
この震災に、たとえ小さくて微力な手でも、その手を差し伸べる事で
少しでも協力でき、少しでも役に立つなら、
被災地、被災者を対岸の火事としないで、
同じ日本人、同じ人間として、3.11の事実や記憶を共有して
今を乗り切り、そして今後の人生をおくるべきでは」と、
発信していこうという考えでした。


従いまして、(長くなってしまいましたが)
ありんこ支援隊の解散や活動の終結は、
今後も宣言できる立場では無いと思っております。


原発事故を冷温停止で収束、と言っても、終息はありません。
双葉、相馬、浪江、飯舘など、故郷を離れざる得なかった方々の
新たな生活は始まったばかりで
戻れる日まで原発事故に終わりは無いと思います。


明日3月11日、震災で家族や大切な方々を失った方々は、
ようやく一周忌を迎えるにすぎません。
亡くなった方々は二度と戻って来ませんので、
その家族を多く失った方々の悲しみの癒えない生活も、
一年前の今日にはあった、今は聞けなくなった
家族の笑い声に満ちた食卓も元に戻る日は二度と訪れません。


その事実を受け入れ、いたたまれなさに折り合いをつけて、
その悲しい記憶の上に新たな希望や喜びに満ちた人生を求め、
今日という日を、一日ずつ積み重ねていくわけです。


私自身も、そんな東北の方々の気持ちを我がことに置き換えて、
これからの人生を積み重ねるにあたり
一年目の3月11日を過ぎようと、
今後、一生をかけて、ありんこ支援隊であり続ける覚悟です。



ありんこ支援隊は、「出来ることを、できる範囲で、できる限り」で
なんのノルマもありませんから、行わないことが悪でもありませんし、
もちろん除隊も卒隊もありません。


ふと思い立って、できることを、出来る範囲で行えば
その瞬間はありんこ支援隊隊員なのですから。


そして、上にも書きましたとおり
大切なことは、金銭や物品が必ずでは無いと思っています。


心の中で東北の血の繋がらない親戚が
今日も悲しみの記憶に負けずに、
今日という日を生きて、積み重ねている事を思い出し
涙したり、胸を熱くしたり、「よし、俺もがんばろう!」と思うだけでも
それは3.11に当事者意識を持つ人として
東北の方々と「繋がっている」のですから。


あまりにも多く使われすぎて、やや陳腐になりつつありますが
それこそが「絆」と言うものだと思いますから。


長くなってしまいましたが、3.11、一年目を前にして。

ありんこ支援隊 越後ヒゲアリ より


-----


ほとんど、原文のまま載せました。
そして、それが私への答えでもありました。


昨日、WiFiルータの支援をして下さっているトロさんから、
「ここ3ヶ月の利用がまったくないので、確認して頂けますか」というメールを頂き
お渡ししている山口さんにお聞きしてみたところ、


昨年、インターネット環境が整い、今年になってからは使用していませんでした。
使用料を、支援の方にあまり負担させては・・・・のような事も考え、
なるべく必要な時のみの使用にとどめていました。
必要な方がいたら使ってもらってください。

というお返事を頂きました。

使い放題であることを、私たちもきちんとお伝えせずに、
申し訳ないことをしたと反省し、
チーム遠征などで遠くへ行かれる時なども使って頂けるように
また、山口さんのチームや仕事周辺で必要な方がいたら使って頂けるよう、
やはりWiFiルータは、山口さんに託すことにしました。

山口さんのメールの結びには、

私も、今月から仮設住宅を
バイクの無料点検に訪問をしようと思い、準備しています。
去年、みなさんに支援して頂きましたが、
今度は、自分も支援する側に立っていきたいと思います。

とありました。
読んでいろいろなことが思い出されて、ちょっと泣いてしまいました。

山口さんへのお礼のメールの最後に
「何かお手伝いすることあれば」と書こうとして、
急いで消しました。

ありがとうございました。
私たちも「できることを、できる範囲で、できる限り」やっていこうと思います。

最後に。
いぐべ父ちゃんが「境界線」のことを書いていました。
あの日から、私もよく同じことを感じます。
いろいろな境界線が日本にできてしまって、
それは私たちの力ではどうしようもないことが悲しいけれど

心にだけは境界線を作らない人間でありたいと思います。

あれは、東北に起こったことではなく、日本に起こったことなので。

投稿者:かまた  posted at : 18:00 | コメント (8)

  

2011年12月23日

ありんこ宅急便

かなり寒いとお聞きした仮設住宅の皆さまに
何かお送りできるものがあれば・・・と
リストを書いてFAXをお送りしていたところ
牡鹿半島の民宿めぐろさんからお返事を頂きました。

FAX
「インフルエンザがはやっています。風邪をひかないようにね!」
う・・・ありがとうございます。(TдT)

FAXを頂いたのは2週間くらい前なのですが、
雪が降ったり、仕事が終わる頃には店が閉まっていたりと、
なかなかまとめて買出しに行くことが出来ず、
ようやく本日、発送準備ができました。

婦人用下着
冬用の婦人下着と、フリース素材のひざかけ。

ご年配の婦人用下着、特に
若者向けは「レギンス」、年配向けは「ズボン下」と呼ばれる下着の
ポピュラーなサイズが今ひとつわからず、
お店で買い物をしていた60~70代くらいの方たちに
「すみません、お母さん達の下着のサイズはいくつですか?」
などと聞きながら一緒に選んでもらったり。(笑)

紳士用下着
ご年配向け紳士用の下着はもっとよくわからず。^^;
お父さんたちはブリーフの方がいいのでしょうか??
(小中学生はボクサーショーツを好む、というのは知っていますが。)

洗剤
台所用洗剤と、お風呂用洗剤、ガラスマイペット、クレンザーなどなど、
年末大掃除用というよりも、たぶん日常用の洗剤類。
それから手荒れ用のハンドクリームも。

これらはみんなありんこの皆さんからお預かりしているありんこ支援金から
用意させていただきました。

お菓子とデジカメ
それから、頼まれていたデジカメ2台のほか、
(デジカメは以前ありんこで募集したものがまだあったので。)
(ζ`)さんからの「うなぎパイ」、又三郎さんからの「きなこチョコ黒大豆」、
北Kuniさんからの野菜や花の種、新潟の果物に、お正月用切り餅など。

24日に楽さんがめぐろさんに宿泊客として訪ねて行くということで、
ホットプレート、加湿器、手袋は、楽さんが東京で購入して、
現地に持って行ってくれることになりました。
(楽さん、ありがとうございます。(TдT))

新潟回りで仙台へ向かってもいいよ、と言ってくれたのですが、
新潟の天候は、この週末かなりの荒れ模様だし、
楽さんも残業が入って出発が遅くなるらしく、
久しぶりに会って、話もいろいろしたかったけれど、
積もる話はまた今度、ゆっくり飲みながら、ということにして、
楽さんたちは新潟へは寄らず、東北道で直行することになりました。

ウトロン
ということで、こちらからの荷物は「ありんこ宅急便」でお届けします。
(実際に配達するのはクロイヌではなく、クロネコですが。笑)

めぐろさん、仮設住宅の皆さん、待っていてくださね。

投稿者:かまた  posted at : 23:30 | コメント (5)

  

2011年12月10日

めぐろさん営業再開

初雪
今朝起きたら、いきなり冬がやってきていました。

もうあれから一ヶ月なんだなあ。

牡鹿半島の「割烹民宿めぐろ」さんから
ありんこ支援隊宛てにお手紙が届いたのは
今からちょうど一ヶ月前、11月の始めの頃でした。

お手紙

小渕浜は山の紅葉も深まり、日増しに秋も色づいてまいりました。
平成23年3月11日に発生しました東日本大震災、
また、それに伴う大津波により、
私たちの宮城県沿岸部は壊滅的な被害を受けました。
未だかつて経験したことのない震災・津波で、
地域の人たちのダメージは心身共に計り知れません。
しかし、全国の皆様からの温かい励ましのお言葉やご支援をいただき、
少しずつですが、やる気と笑顔が戻ってまいりました。

日本人の力、人間力というのは、つくづくすごいと思います。
私どもは、皆様から応援していただいたパワーに感謝し、
みんなに愛される民宿をモットーに
これからも頑張っていく所存です。

そしてこのたび、新鮮で美味しい魚料理と笑顔を提供する、
安らぎの宿「割烹民宿めぐろ」は
皆様のおかげで力強くリニューアルオープンをすることができました。
心より感謝いたします。
皆様と明るく再会できる日を楽しみに、家族・スタッフ一同、
心よりお待ち申し上げております。

平成23年11月吉日

                        割烹民宿めぐろ


4月の始め、初めてめぐろさんを訪ねた時には
正直、営業再開など想像もできなかった状況でしたが、
社長さん、女将さんの強い信念と、全国の皆さんの応援で、
とうとう実現されたのですね。

ご自身が被災されて、民宿もかなりのダメージがあったのに
小渕浜の避難所として地域の方々を受け入れ、
また社長さんが常にリーダーとして皆さんの安全を守ってきたことは
これまで何度かブログで紹介してきたとおりです。
どんな時でも笑顔を絶やさない社長さんには、
物資をお届けする私たちの方がいつも励まされていました。

その後、その仮設住宅が民宿の目と鼻の先に出来たこともあり、
仮設の皆さんへの支援物資をめぐろさん宛てにお送りさせて頂くたびに
何度か電話やFAXでお話しする機会がありましたが
今回の営業再開の朗報を受けて、ぜひ今度は宿泊客として訪ねて、
懐かしい小渕浜の皆さんにお会いしたいと思うようになりました。

が、秋が深まるごとに、今度は私たちが仕事でまったく動けなくなり、
ありんこ支援金もありんこの皆さんからお送り頂くのに、
お預かりするだけでなかなか支援活動に使うことができず。
なんとも心苦しい毎日です。(TдT)

という話をしたら、
「お正月にめぐろさんに泊まりに行ってはどうか」
と@BOSSから提案がありました。
私たちは大晦日と元旦くらいしか休めそうにないし、
同じどこかへ泊まりに行くのなら、めぐろさんに予約して、
一年の節目を皆さんとともに迎えられたら
それは私たちにとっても嬉しいことです。
(もちろん宿泊費をありんこ支援金で出したりしませんから。^^;)

ということで、FAXでお聞きしてみたら、先日お電話を頂きました。
営業再開後は、復興工事の方やボランティアの方の予約が入り、
スタッフの皆さんも休みなし、働き尽くめの毎日なのだそう。

「本当にありがたいことなんだけどね、
でもみんなまったく休めていないんで、
せめて大晦日と元旦だけは宿に予約を入れないで
一人ひとり休もうということにしたの。本当にごめんね。」
と申し訳なさそうに話されました。

ああ、それならそれで私たちはまったく構わないのです。
かえって気を使わせてしまってすみません。^^;
では、春になったらまたバスに物資とウトロンを積んで
また皆さんに会いに行きますね。
でも、予約がたくさん入ってよかったですね。

「うん、ボランティアの人は一時より減ったけど
今は仮設住宅を二重サッシにする工事の人が来ているみたいね。
やっぱり仮設住宅はかなり寒いんだって。」

そうですか・・・
じゃあ、ありんこから仮設の皆さんに保温グッズをお送りしたら
まためぐろさんからお渡しいただいてもいいですか?

「すぐそこなんだから全然いいですよ。
そういえば、仮設に入った××さんが、デジカメがほしいって言ってたけど
前に送ってもらったリストにあったデジカメ、
まだあるようなら2台くらいお願いしてもいいですか?」

もちろんです!
(以前ありんこで募ったデジカメがもう少しあるのです。)

「でも急がないから、何かのついでの時で構わないですよ。」

ということで、カメラと一緒に、寒い仮設に住む皆さんにお届けする、
温かい下着や防寒具などの準備をしたいと思います。
これは皆さんからお預かりした支援金から購入させて頂きますが、
もし皆さんから物資(というか応援グッズ?)としてお送り頂くならば
仮設住宅でのお茶の時間に、少しでも彩りを添えて頂けるように、
皆さんの住む土地の特産品やお菓子などに
皆さんから現地の方への手紙をひと言添えてお送り頂けたら
一緒にお送りしたいと思っております。
(長期保存のできる、かさ張らないものでお願いします。)

「そうそう、この間、ワカメの種付けをしたんだよ。」

ワカメ?どこにですか?

「どこって(笑)、旅館のすぐ裏の海に。
あ、知らないんだね。ここら辺はワカメが特産品なの。
歯ごたえが合って、おいしいんだよ~、本当に。
毎年この時期に種付けをして、翌年の2月~3月に刈り取るの。
震災の日もちょうど刈り取りの日だったんだけど
ワカメだけじゃなくて、道具から何から、みんな流されちゃったからね。
全部の道具を一から揃えて、やっと種付けが終わったところ。
ワカメは一番の収入源になるから、こうして種付けがまたできてよかった。」

来年の春が楽しみですね。
雪が融けた頃に必ずまた伺いますね。

「こっちは雪はぜんぜん降らないけど、そっちは降るの?」

2~3mは積もりますよ、と言ったら
じゃあスキーはプロ級だね、
いえいえ、それとこれとは話がまったく違うんです、
雪の上で怪我せず転ぶことだけはプロ級ですが、などと
たわいも無い話をしばらくして、電話を終えました。

電話を切ったら、心がポッと温かくなるのを感じました。
ああ、また今回もこちらが元気をもらっちゃった。

さあ、私もがんばろうっと!


【お知らせ】

以下、楽さんからのメール(一部抜粋・無許可)です。

関西の総帥が支援物資をお届けに北へ向かいます。
今回は児童福祉施設へ直接訪問するって事になりました

http://www.motorcycleforce.net/

自分の友人からも直接
クリスマス用のお菓子を沢山ご用意していただけたり
子供用のGOODSをご用意いただけるので
連休利用してワタシも行く所存です。

地方で買うより全然安いと思うのでまたまた中野で
発熱する遠赤靴下、あったか下着なども購入していこうかと考えています。
ほんとうにお年寄り多いですからね!
(子供用&お年寄り用)
購入数はTACちゃんとい相談してみます。
これらの肌着類は前回お邪魔した
南三陸の仮設住宅にお渡しして
そこから各家庭に分けていただくことになります。

この人は、私とは別な意味で
休むと言うことを知らないみたいですが・・・( ̄∀ ̄;)汗

ということで、楽さんが紹介してくれたMotorCycleForceさんのサイトに目を通して見ると、
地元の子ども達へのクリスマスプレゼントとして
お届けされると言うことです。
子ども達への支援金・支援物資をご協力いただける方は
MotorCycleForceさんに問い合わせてみてください。

最後に。

仕事とはいえ、ここ最近は
ありんこ支援隊としてまったく活動できていないのに
ありんこ支援金をお送りくださる皆さま、本当に本当にありがとうございます。

何に使わせていただくのが一番いいのか、現地の皆さんと相談しながら
確実に現地の方のお手元に渡せるようにお届けしたいと思います。

Noriさんから頂くお手紙には、毎回素敵な切手が貼られているのですが、
今回は元気の出るこんな切手でした。

切手

そうだ、僕らはアトムの子供なんだから、
みんなで力を合わせて素敵な未来にしなくちゃ、ですね。(笑)

がんばりまっす!

投稿者:かまた  posted at : 19:50 | コメント (4)

  

2011年10月08日

まつヨメさんから

※10/11 ステッカーご協賛の件、追記しました。

この週末もやっぱり仕事となって(泣)
きれいな秋晴れの青空を恨めしく見上げながら出勤したら、
ありんこ支援金を様々なトライアルの大会で募金してくださっている
まつヨメさんからこんなメールが届きました。

かまたさん、こんにちは。
中部はやっと秋らしくなり、朝晩は寒くなってきました。
新潟の方はもっと冷え込むのではないでしょうか。
皆さま、お元気ですか?

今更ですが、送り損ねていました
もてぎでの募金活動の写真を送ります。
こんな感じで選手やチームのご協力を得て行いました。

デ・ナシオンも終わり、
全日本も残すところ中部(16日)と東北(30日)の後2戦になりました。
三重県も名古屋も自然災害にあってしまいましたが
幸い、自分の住んでいる地域は影響がなく
中部大会も滞りなく開催されます。

また、何かの機会があれば、
自分の出来る範囲で呼びかけを続けて行きたいと思います。
では、みなさま、お風邪など召しませんようにお過ごしください。


ということで、もてぎでの世界選手権時の募金活動のようすを
お送り頂いたお写真とともにご紹介させていただきます。

ポップ
まつヨメさん手作りのポップを使って、
こんな感じで、トライアル・デ・ナシオンの募金箱のとなりに
ありんこ支援隊の募金箱を置いてくださっています。
(なんだか恐れ多い気が・・・^^;)

募金
アズーロもてぎ出張店さんの店先でしょうか。
あれ?もしかして募金をしてくださっているのは、
じゅんぼうさんとkikiちゃんによく似ている気が・・・??

チームMITANIパドック
チームMITANIパドックでも募金箱を設置してくださったそう。
左は今回のデ・ナシオンにも参加された、IAS柴田暁選手。
そして右の方は、TEAM MITANI監督、
MITANI鈴鹿店・店長の『三谷知明(ともあき)』さんです。

「あと、写真を撮り損ねましたが、知明さんのお父さまで
MITANI多気店『三谷正次(まさつぐ)』さんにも
多大なご協力いただきました。」(by まつヨメさん)
とのこと。
本当にありがとうございます。m(_ _)m

Betaパドック
そしてこちらはBetaパドック。

Betaパドック
左から、IAS小川毅士選手、IAS野本YOSSY選手、
(お二人とも、今回のデ・ナシオンに参戦されました。)
そしてチーム監督のカドナガ社長。(でかい・・・( ̄∀ ̄;)汗)
YOSSYはSUGOでのJNCCエンデューロに参戦するようですよ。

ご協力くださった皆さま、本当に本当にありがとうございました。
この場を借りてお礼を申し上げます。

お気持ちだけでも嬉しいのに、
こうしてその時のようすを写真でみると
ますますありがたさと嬉しさが湧いてきます。
そして、皆さまから預かった大切な支援金とお気持ちを
間違いなく東北の皆さんにお届けしなくては、改めて思います。

@BOSSの小さな思いから始まったありんこ支援隊ですが、
こうして、思いを手から手へつないで下さるすべての皆さまに
本当に心から感謝いたします。


(以下、10/11追記)

まつヨメさんより、
「もうひとつ、報告に付け加えさせていただいても
よろしいでしょうか」と、追伸を頂きました。

ステッカー

写真は、ありんこ支援隊に募金していただいた方へ
配布しましたステッカーです。
トライアル雑誌の『ストレート・オン』の編集長・泥稔さんが
草大会や地方戦などで災害支援にご協力してくださった
ライダーの方々に配布するために作られたものです。
ありんこ支援隊募金の応援にと、
募金を始めた平谷大会の時から、
このステッカーを提供していただいています。
もちろん、私のバイクにも貼ってありますよん(( d(^-^*)

とのことです。
あ、かわいいステッカー!

ステッカー
『ストレート・オン』編集長・泥稔さま、
本当にありがとうございます。
この場を借りて、心から御礼申し上げます。

投稿者:かまた  posted at : 09:20 | コメント (5)

  

2011年09月21日

うれしいお知らせ

前回、ありんこ支援隊から現地に直送した支援物資を
トレックフィールドさんが写真に撮って、アルバムにアップしてくれましたので
ご協力頂いた皆さまにご報告とお礼を込めてご紹介します。

稲井小の皆さんへ
トレックフィールドさんのアルバムより
避難所として使われていた稲井小学校を
もう明け渡さなければならない皆さんへ
山口さんからお渡しいただけるようにとお送りした日用品。

山口輪業さん
トレックフィールドさんのアルバムより
その山口さんのお店もプレハブが建ち
少しずつ前に進んでいるのがわかります。
(でも、ご自宅は被災されているので避難所生活です。)

アルミシート
トレックフィールドさんのアルバムより
それから、長観寺さんからリクエストのあった断熱用のアルミシートや

ストーブ
トレックフィールドさんのアルバムより
仮設住宅用の石油ストーブ、

じゅうたん
トレックフィールドさんのアルバムより
2畳用、4.5畳用のカーペットなどなど。

北上川沿い
トレックフィールドさんのアルバムより
長観寺さんへ向かうとれっくか~ちゃんが撮影した北上川沿いの道。
とてもきれいになっていて驚きました。

長観寺さん手前
トレックフィールドさんのアルバムより
左の端に長観寺さんが見えます。
周りがずいぶん片付けられたのが、以前の写真と比べてもわかりますが
まだまだ、「瓦礫を片付けている」というのが現状のようです。

トレックフィールドさん、ありがとうございました。


さて。

今日は皆さんに嬉しいお知らせがあります。

牡鹿半島の「割烹民宿めぐろ」さんが、
10月から正式に営業を再開されるそうです!

まだまだとても震災前のように観光客を対象というわけにはいかないので
最初は牡鹿半島に来られている復旧作業の作業員さんや、
ボランティア活動の方をお客様に迎えるところからだそうですが、
でも、数ヶ月前から考えたら、想像もできなかったことです。

以前めぐろさんにお邪魔したときに、社長さんが、

「お金も時間もどれくらいかかるかわからないけど
俺だってもう10年は働ける。お金は借りて返せばいい。
俺達もね、こうして応援してくれる皆さんのためにも、
必ずもう一度民宿をやるって決めたんだ。」

「今はみんな気を落として、諦めているかもしれないけれど、
うちが一軒始めれば、よし俺も!という宿や店が出てくると思うし、
そうなってほしいよね。」

と言われていたことを思い出します。

複合機
そのめぐろさんから「FAXコピー機」のご依頼があったので
ありんこ支援金から支援物資としてお送りしました。

複合機
それから、インターネットを利用するためにPCのご希望があり、
上州GS/GGさんから以前お預かりしたデスクトップPCを2台発送しました。

松本充治さんがブログの中で

「被災直後から続けられてきた緊急支援は一段落したとはいえ、
支援自体はまったく終わってはいませんし、
その支援自体も、これから被災地の復旧復興が進むにつれ、
第二段階の生活支援、第三段階の自立支援と変わっていきます。」

と書いていらっしゃいましたが、
第二段階の生活支援から自立支援へと移っていくペースは
地域や人によってあまりにも異なっていて、時に驚いてしまいます。

とれっくか~ちゃんも日記
「人によって 生きてる環境によって
必要としてることや物が違ってます」
と、支援の協力を求めることの難しさ書いていて、
私もそのことをとても感じるこの頃ですが、
そんな中で、今回めぐろさんから営業再開のことを電話でお聞きしたのは
本当に、本当に嬉しいニュースでした。

もちろん、私たちありんこがお手伝いしたことはほんの一部で、
全国からたくさんの支援・応援があったわけですが、
今回のブログを書きながら、
これまで牡鹿に行ったときのレポートを読み返していたら、
毎日自衛隊によってパンとコンビニのおにぎりだけが届いていた
あの途方に暮れるような、先の見えない日々から
「もう一度民宿をやるんだ」と、いつも前を向いていた
社長さんの笑顔と決意を思い出して
ちょっと涙が出てきてしまいました。


そして、もうひとつ嬉しかったこと。

この夏、ずっと車庫で眠っていたCRM250を引っ張り出し
CRMのパーツやローダウンキットで検索していた時に
私のブログにたどり着いたという、北海道のKuniさん。

支援物資
道東でスーパーを営んでいらっしゃる関係で
保温サポーター、石鹸、歯ブラシ、シップ薬など
細かく分けてお配りできる品を、たくさんお送り下さいましたので
すぐ目の前に仮設住宅があるめぐろさんに送らせていただきました。

タバコ
それからタバコも。
社長さんの嬉しそうな顔が目にうかびます。(笑)

ありんこ支援隊宛ての荷物の中には、Kuniさんからの手紙が入っていました。

ほんの気持ちですが、支援物資を送ります。

CRMを引きずり出し、『バイク乗りに返り咲く』
そう思ったときに、かまたさんのブログを拝見しました。
初心に戻り、簡単に大型二輪免許を取得し
デカくて速いバイクに乗る若い衆の模範となる
@BOSSさんのようなライダーを目指そうと思います。

今度は、一生バイクと過ごせるような気がしています。
がんばるの連鎖、ありがとうございました。
引き続きブログ楽しみにしていますね。
また支援物資に協力しますね。連絡ください。

ヒガシエゾアリ Kuni

また、スーパーの店頭に募金箱を置いて下さったそうで
それもそのままお送り下さいました。

義援金
数日前までまったくお互い知らなかったのに、
今、北海道のKuniさんのお店で募金をしてくださった方のそのお金を
こうしてこの手にお預かりしている縁の不思議さを感じます。

3月20日に被災地に行って絶望的な無力さを感じた、
やるせない思いから@BOSSが始めたありんこ支援隊でしたが、
こんな形で広がっていくなんて、当初は思いも寄りませんでした。
それが、ありんこの活動日記からだけでなく、
CRMローダウンの日記と言ったら、
ラリーの準備で私が必死こいてるブログなわけで、
そんな記事からつながったのも、ちょっと嬉しいことでした。(笑)

コスモス

ということで、みなさん、長い支援を続ける中で、
いつかありんこ支援隊で、牡鹿半島のめぐろさんの民宿に
ツーリングに行きましょうね!

投稿者:かまた  posted at : 09:05 | コメント (2)

  

2011年09月06日

ありんこご報告

このたびの台風12号の被害を受けられた皆さまに
心からお見舞いを申し上げます。


さて、石巻にある稲井小の体育館を避難所にされていた皆さんが
いよいよ避難所を明け渡さなくてはならなくなり、
それにあたって、もし必要なものがありましたら・・・と
避難所のリーダーである山口さんにお聞きしました。

避難所は、全員が行き先が決まったから閉鎖するのではなく
いついつまでに避難所を明け渡してほしい、と提示されるものの、
仮設住宅の抽選に当たらない方は
出る日だけが決まっても、行き先が決まってないわけで
山口さんは、何とかその期限を市と交渉しながら
最後まで撤収に関わるおつもりだそうです。

以下、山口さんからのメールの抜粋です。

現在、稲井小学校に避難していますが、6世帯14名が生活しています。
市からは3食の食事と日用品の支援を受けてきました。
が、最近日用品の入荷が殆どなくなりました。

基本的には避難所閉鎖に伴い、徐々に廃止の方向に向かっているようです。
洗濯洗剤、歯磨き粉等がかなり不足してきています。
今現在は、各世帯で各自購入しています。

とくにどうしても必要なもの・・・・・と考えると、
自分の心の中では、いつまでも頼りにしていいのか・・・・・と
いつも考えているのも事実です。
しかし、これまでみなさんの支援があって、
もの凄く助けられ感謝しています。

こうした各避難所の状況は、ニュース等で取り上げられない限り
私たちにはなかなか見えてこないのも悲しいところであり、
また、時が過ぎるに連れて、被災された方々の環境が、
地域によって、またそれぞれのご家庭によっても全く異なり、
何かお手伝いをさせて頂きたいと思いながらも
以前に比べて、何がお手伝いになるのか
状況をお聞きするまでわからないというジレンマもあります。


ちょうどトレックフィールドさんからも
ありんこ支援隊に応援要請がありました。
仮設住宅用の床断熱材、カーペット、座布団、
こたつセット、反射式ミニストーブ などなど
長観寺さんから仮設に移られた方たちの冬支度の品のようです。

ストーブ
この週末も休日出勤ではありましたが、近くのホームセンターへ行って
商品をチェックして、その後インターネットで
コタツセットやストーブ、カーペット等、ご依頼いただいた商品をすべて
発送手配を整えさせていただきました。

外はまだ暑いけれど、今年はストーブがもう並び始めています。
仮設住宅で使われる方が多いからか、
やはりコンパクトなコタツやストーブ関連の商品は
かなり品薄な状態になっているようです。
コタツなど、9月後半にならないと納品されないものがありました。

また、山口さんご一家も、転居先は見つかったものの、
お布団がないとのこと。
(そういう必要最低限ものは、市が用意するものと思っていました。
用意される場合、されない場合、さまざまあるようです。)
これも、とれっくか~ちゃんが聞き出さなければ
きっとご自分からはおっしゃらなかったと思いますが・・・。

お布団
あまりかさ張らない方がいいですよね・・・。^^;

各種洗剤
「もし可能でしたら、女性が家事をするうえで必要な日用品や、
台所用品などをお願いします。
少しでも、この6か月間一緒に頑張った方達に渡してあげたいと思っています」
・・・と、山口さんが遠慮がちにメールの最後に添えられたご希望の品々も。

クリアBOX
それから、これもトレックさん経由でお聞きした、
引越しや収納に使うたくさんのクリアボックス。

今回、ありんこの皆さまからお送りいただいた支援金で、
これらを用意させて頂きました。

このところ仕事がたてこんできて、休みもなかなかとれず
(気付けばバイクにももう一ヶ月乗っていません。泣)
この大きな荷物たちを、「それいけウトロ号」で
いつものようにお届けすることはできないかもしれないので
今回は長観寺さん、稲井小、めぐろさん等へ
ネットから直送させていただきます。

本当はありんこの皆さんの思いを一緒に届けつつ
現地の皆さんのお顔を見てお渡ししたいのですが・・・。
とれっくか~ちゃんは、「顔を見せるのも支援だから
自分達のところに送ってくれれば届ける」と言ってくれましたが
クリアボックスやストーブ、こたつなど大物がとにかく多く、
しかも納品日がばらばらになるかもしれないので、
顔を見せるのは別の機会にトレックさんのタイミングでお願いすることにして
今回は宅配業者におまかせすることにしました。


AD/tacさんもご自身のブログで書かれているとおり、
物資の支援には賛否両論があるかもしれません。
でも、私も@BOSSも、今回頂いた山口さんのメールにあった
そのお気持ちをお聞きしただけで
今後も何らかの形で、それに応えていきたいと思っています。

それに、物資支援がメインの活動とは言っても、
必要と言われたものを、ただ用意して渡すのが
ありんこ支援隊の支援ではないと思っています。
いつも書いてきたように、ありんこにできることは小さくて高が知れています。
それぞれの方たちが「一戸」となった今、
仮設住宅に入られた全戸を応援する事は到底できません。

だから、どうしても、これまでお会いしたことのある方たちを中心に
小さな応援をしていくことしかできなくなっていくかもしれませんが
関わった皆さんとは、血のつながりの無い親戚のように
これからも細く、深く、つながっていきたいと思っています。

@BOSSに今回改めて言われたことは
「支援者(ありんこに協力してくださる皆さん)」の思いを裏切ることなく、
その思いを形にして、被災された皆さんを支援していくのがありんこだ」
ということでした。

ありんこ隊リストを見ていただくとわかるように
この半年間、毎月支援金をお送りくださる方が少しずつ増えてきて
それは私たちにとっても考えていなかったことなので、
とても励まされることであり、私たち自身の心の支援にもなっています。

今回、お預かりした支援金のほとんどを使わせていただきました。
ご協力くださった皆様、本当にありがとうございました。
私たちが直接お届けして、皆さんの思いがどこへ届いたか、
お預かりしている責任としてレポートする義務感も常に感じてはいますが、
今回はどうしても難しかったです。


お金の話は難しくて、ここで「これからもご協力をお願いします」と書くのは
どう言葉を変えてみても、催促になってしまいますし、
また、他の形で(現地への旅行や、短期ボランティアへの参加等)
支援をしている方たちだっていらっしゃるのに、
ありんこ支援に協力してくださった方のリストまで作っている身としては、
いらぬ心の負担をかける恐れがあるのも嫌だというのも本音ですし・・・・。

でも、書きます。

ありんこ支援隊はご存知のとおり、
「出来ることを、出来る範囲で、出来る限り」がモットーです。
だから、仕事があるけど、そんなことより被災地へ!とか、
支援金がなくなったら、GSを売ってでも!ということはしませんが^^;
出せる範囲で持ち出しをしながらでも、新しく出来た東北の「親戚」のために
これからも、「出来る限り」続けていきたいと思っていますので、
もしよろしかったら、ふとニュースか何かを見て思い出したときにでも
ご協力をお願いできたら嬉しいです。

投稿者:かまた  posted at : 08:33 | コメント (12)

  

2011年08月11日

ありんこモロモロ

「まつヨメさん」(直接お会いしたことはありませんが、
トレックフィールドさんのイベント報告に載っていた写真を見て、
そのインパクトのある髪の色に、あ、このお方は
全日本トライアルの会場でよくお見かけするお方!と判明)が
今回募金をしてくださった支援金の内訳に、

柴田暁選手
Photo:「自然山通信」より。勝手に使ってすみません。(><)
IASの柴田暁選手の名前がありました。(ノ゚д゚)ノオォォォ

柴田暁選手
Photo:「自然山通信」より(同上)
柴田選手と言えば、今回の全日本トライアル北海道大会、
国際A級スーパーで、黒山、小川両巨頭に続き
3位に入賞されたスーパールーキーです。

「ありんこ支援隊」はオフロードバイクつながりで
被災地の小さな避難所を応援する、小さな小さな活動です。
と歌ってはいますが、「オフロードバイクつながり」とは言うものの、
実際には私のブログを読んでくださる方のつながりがほとんどで^^;
必ず事前にメールをやりとりするので、直接お礼を伝えることができるのですが、
まつヨメさんのように、募金活動をしてくださる方の場合、
お一人お一人にお礼を言うことが出来ませんので、
柴田選手始め、募金にご協力くださった皆さまに
この場を借りて心から御礼申し上げます。
本当にありがとうございます。
無駄にすることなく、大切に使わせて頂きます。


話は変わりますが、
先週末は行く予定にしていた白馬バイカーミーティングを変更して、
久しぶりに「しどき」に行ってきました。

ちょうど全国で様々なレースやイベントが行われた日でもあり、
しどきに来る人はやはり少なかったのですが、
(あ、でもバイク初めてというレンタル団体が来られていましたね。)
そんな中、KTMディーラー「フロンティア」さんが
また試乗会を催されていました。

KTM試乗会

これまでも何度か開催されていることは告知ポスター等で知っていましたが、
風評被害によって、いわきにあるしどきへの来場者が激減する中、
よく何回も開催されるなあと思っていた私。

が、帰ってきてからフロンティアさんのホームページで
この試乗会について書かれた「今、思う事」と題された
スタッフの方の日記を読んで、なんとも胸が熱くなりました。

これは震災から2ヶ月たったゴールデンウィークに、
フロンティアさんが「しどき」で試乗会を開催されるに当たっての
思いを書かれたものです。
5月に書かれた記事ですが、8月になった今読み返すと
更に試乗会に込められた思いが深く伝わって来る気がします。

現在多くの場所でチャリティイベントが開催されております。
それはそれで、すばらしい事と思います。
しかしながら、東北地方の復興には10年、20年かかると思います。
この様なイベントは一時的には盛り上がりを見せますが、
いつの間にか忘れられているケースを良く見ます。
私たちの思い描いている「いわきへの応援」は、
これからも続けていかなければならず、この一回で終わらせたくありません。
ですから今回のイベントはチャリティの要素は無くし、
「いつもの行事」として行ないたいと思っています。
来月もその次の月も実施したいと思っています。

いつも通りの事をいつも通りにやって、
その事が少しでも何かの役に立てればと思います。
いつも通りの事にほんのちょっとの「特別」を加える事でも、
自分の気持ちの中で何かが変わると思います。

1000年に一度と言われるこの震災。
誰も正しい答えなんて知らないと思います。
その答えはいろいろあっていいと思います。

だから楽しんで、良い思い出を作って帰ってください。
そしてせっかく来たのだから、いわきの温泉にでも入っていってください。

(FRONTIAさんの「できるだけ日記」の「今、思う事」から抜粋)

その時の思いのまま、今もこうして毎月試乗会を開催されています。

今回@BOSSもKTM150XCや、250SX-Fを試乗させてもらったようですが、
ぜひマシンに興味ある方、いわき支援の気持ちも込めて
次回試乗会へ参加されてみてはいかがでしょうか。


またまた話は変わりますが、この8月には顔を出せそうにないので
昨日、牡鹿半島の「めぐろさん」に電話をかけてみました。

めぐろさんで避難生活をされていた皆さんは、
7月の末には、歩いてすぐのところに完成した仮設住宅に移られ、
それぞれに新しい生活が始まったようです。

「でも毎日みんな、お茶を飲みに来るけどね。(笑)」

今までとあまり変わりない感じですね。^^;
でも、そのめぐろさんも懸案の床上げ工事が完了し、
次はお風呂やトイレなどの水まわりの工事が始まるとか。
そしてそれが終わると、いよいよ民宿営業再開だそうです。

これまで避難所として、地域の皆さんを受け入れながら、
民宿再開に向けてゼロから準備をされてきた経緯は
このブログでのレポートでも知る範囲でお伝えしてきましたが、
これまでのことを少なからず目にしてきた私たちにとっても
これは嬉しいニュースです。

物資
仮設住宅に入られた皆さんにお分け頂けるように、
ありんこ隊の皆さんからお預かりした支援金で、
少しばかりですが、乾麺やカップ麺、蚊取り線香などと、
社長さんにビール券をお送りさせて頂きました。
(本当は弊社ビールサーバを積んでお邪魔したいのですが・・・^^;)

「仮設に入られた皆さんは、何を必要とされていますか?」

仮設の状況はエリアによっても随分違うと聞いているので
ここはめぐろさんの方に直接聞いてもらうことにしました。

「誰か、のれんが欲しいって言ってたなあ。
あ、それからみんな衣裳ケースが欲しいんだって。
フタのあるタイプでなくて、引き出し型のやつ。」

了解しました。
でも引き出し型のは今回送ることはできないので
次回バスに積んでお持ちしますね。
その時までに、また必要な品や足りないものなんかを
リストアップしておいて頂けると嬉しいです。


さて、サロンドアトラスもお盆休みに入ります。
免許を取って3年、毎年この時期は北海道GSツーリングでしたが、
このお盆休みはバイクには一切乗らず、
いつも待ってばかりのウトロンに孝行しようと思います。

それでは皆さま、楽しい夏休みを。

投稿者:かまた  posted at : 21:20 | コメント (2)

  

2011年08月05日

NO HUG NO LIFE

チャリティバンダナ
東日本大震災で飼い主と離れ保護されたワンコ、にゃんこのために
eo-chanたちが活動しているボランティア。
NO HUG NO LIFEのチャリティバンダナをご紹介します。

チャリティバンダナ
対角線上に、大きいロゴと小さいロゴが入っています。

このチャリティバンダナの収益金は、
被災地の犬をたくさん預かっている保護団体の
夏のクーラー代になる予定だそうです。
フードなどはメーカーからも提供してもらえるそうなのですが、
今後の問題は、保護している場所の冷房代ということで・・・。

以下、eo-chanのメールから。

「昨夜、新潟の役所に勤めている知り合いとも話しましたが、
やっぱり保護されている犬達猫達の飼い主を探すのは大変そうです。
本当は1頭でも飼い主さんと再会してほしいけど、
今回の震災は飼い主さんが亡くなってる場合がとても多いと思うので、
新しい飼い主さんのもとへ1頭でも行けたらいいなと願ってます。
神戸の震災の経験を、新潟の保健所でも生かしていると聞いて
良かったと思いました。」

届いたら、バンダナを巻いたウトロンの写真を撮って
送ってほしいとと言われていたのですが、
なにせ、布ものカミカミが大好きなウトロン。

バンダナウトロン
わーっ、こらこら飲むなっ!食いモンじゃないっつーの!

バンダナウトロン
ありゃりゃ、ロゴマークが長い舌で隠れちゃった。( ̄∀ ̄;)汗

せっかくのきれいなオレンジが映えるように、
一面の田んぼのグリーンをバックに撮りたかったけど
これ以上撮影をしようとすると、バンダナに穴が空きそうなので
こんなところで勘弁してやってください。^^;

犬や猫は我が家にはいないけれど、オレンジ色のマシンならある、
という皆さまにもぴったりのお色です。(笑)
ぜひご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。m(_ _)m


さて、ありんこ支援隊の活動も、毎週通っていた震災直後に比べて
今は月一回くらいの割合に落ち着いてきましたので
レポートも月イチくらいになったのですが、
今もありんこ支援金へのご協力を、細く、長く続けて下さる方が大勢いらっしゃいます。

「遅くなりましたが、今月の送金です。(なんか家賃か月謝みたい^^;)
今月もちょびっと、なんですが、細々でも続ける方を優先して…と、言い訳してますが。」

な~んてメールと一緒にありんこ支援金を送ってくださる又三郎さんはじめ、
すでに5回目、6回目の支援金を送って下さるぬーにゐさん、Noriさん。
また、例年はトライアル・デ・ナシオンの応援ために
大会で募金活動を行っているという「まつヨメさん」が、
今回はありんこの応援のために募金活動を行ってくださったり、
MXパークくんまの皆さんはチャリティーのためにイベントを企画してくださったり・・・

本当にありがとうございます。
お一人お一人のご紹介は「ありんこ隊リスト」に代えさせて頂きますが、
ありんこ支援隊は、表には出てこないけれど、
こうしてご協力くださるすべての方の総意による活動です。
この場を借りて心よりお礼を申し上げます。

ありんこ支援隊ご協力者リスト

なかなか以前のように毎週被災地へ行くことはできなくて、
ご協力を頂く皆さまにも少し申し訳ない気持ちになってしまいますが、
お預かりした大切な義援金・支援金は、
現地の復興につながるように、大切に有効的に使わせて頂きます。

また、現地に行かれる方、行かれた方、
見たこと、出会ったことなどを周りに、また私どもにも
お聞かせ頂けたら嬉しいです。^^

投稿者:かまた  posted at : 20:55 | コメント (7)

  

2011年07月15日

雄勝の船越集落へ

石巻の「雄勝(おがつ)」は、道が通れるようになるのが遅く、
支援の手が、他に比べてなかなか入りにくいエリアだったと聞きます。

今はようやく行き来できるようになった雄勝ですが、
その雄勝の「船越(ふなこし)」という集落に
とれっくか~ちゃんに近しい親戚の方がいらっしゃいます。

震災の津波でほぼ壊滅状態となったその集落に、不自由を承知で残り、
たった3人で、船越の復興を願い、踏ん張って頑張っていたところ、
ふるさとに戻って、また海と共に暮らしたいという人が
一人、また一人と戻って来られて、
今では約40~50人の方たちが自分達の手で
船越の復興のために、地元で頑張っているんです、
という話をとれっくか~ちゃんから聞きました。

その船越に初めて行くと言うとれっくか~ちゃんに
同行させていただくに当たって、

短パン・帽子
夏用七分丈ジャージ&短パンと麦わら帽子。

虫除けスプレー
虫除けスプレーと殺虫剤。

ゴミ箱
フタ付ゴミ箱、フタ付ポリバケツ。

レトルトご飯
レトルトのごはんと、レトルトカレー。

カップ麺
カップめん各種。

ブルーシート
ブルーシートなどなど、とれっくか~ちゃん経由の
船越の方たちからのリクエストの品を
皆さんからお預かりした支援金で購入させていただきました。

そのほかにも、

大型扇風機
こちらの大型扇風機は、(ζ`)さんから送って頂いたもの。
「あ"~~あ"~~あ"~~あ"~~」
これこれウトロン、白戸家のお父さんか、おまえは。

うなぎのやわらか煮
また今回は「土用の丑の日」が近いこともあり、
被災地の皆さんに、暑さに負けず、おいしいうなぎで
スタミナをつけて頂きたいということで
「元気の出る支援物資」として、
うなぎの鈴恭」さんから以前支援物資として
お送りいただいたことのある「うなぎのやわらか煮」を
ありんこ支援金で購入させていただきました。

この佃煮を煮てくださった、ジャズシンガーでもある
鈴恭さんの奥さんのブログに、今回のうなぎに込められた思いが綴られています。

とれっくか~ちゃんとは水曜の午前8時の待ち合わせでしたが、
朝の東北道&三陸道はどれくらい混むのか時間が読めなかったので
支援物資を「それいけウトロ号」に積んで、仕事を終えて夜出発。
深夜1時に、河北ICのすぐ近く、待ち合わせ場所である
「道の駅・上品(じょうぼん)の郷」に着きました。

この日の夜は23度くらいで、そう蒸し暑くもなく、
トランポにコットで寝てもぐっすり眠ることができました。


翌朝5時。

道の駅上品の郷
ウトロンの声で目が覚めました。
もうたくさんの人が行き来をしています。

ボランティアバス
神奈川県からのボランティアバス。
夜通し走って来たのでしょう。バスから降りて腰を伸ばしたり、
コンビニで朝食を買って食べるボランティアの皆さん。

寄せ書き
立ち寄りコーナーには、大きな寄せ書きが。

私たちもコーヒーとサンドイッチで朝食をとって、
さて、待ち合わせまであと1時間近くあるなあと思っていたところへ、
とれっくか~ちゃんから電話が入りました。

早めに家を出たにも関わらず、三陸道はものすごい渋滞で
とても待ち合わせ時間には間に合いそうもないので、
先に船越へ行ってほしい、とのこと。
東北の車は高速道路が無料となったためか、
三陸道のICというICの入口と出口で長蛇の列となっているのだとか。

まずは地元の方との待ち合わせ場所となっているらしい
「船越小学校」を目指します。

北上川沿いに雄勝方面へ。

大川小学校を通りました。
小学校跡を見下ろす所に小さな献花台が作られていて
たくさんのお花が供えられていました。

鉄板道路だった道
雄勝へと向かう北上川の土手は、ずっと鉄板道路でしたが
今はその鉄板も取り外されて、砂利道となっています。
雄勝地区に震災直後、いち早く入ったうなぎ工房さんがこの様子を見たら、
きっと感無量なのではないでしょうか。

雄勝の横断幕
「おがつ ふっかつ ぜったい勝つ!!」の力強い横断幕。

よく行政が作る、交通安全の標語の書かれた立派な塔の看板や、
年間予算を消化するためなんだろうなあと思ってしまうような
景観を損なう無意味な看板には腹を立てている私ですが、
こうした横断幕や、「がんばるぞ、○○!」という
手書きのメッセージを見ると、やっぱり熱いものがこみ上げてきます。
それを作った人、書いた人の顔が浮かぶからです。

雄勝へ
津波の爪あとは今も生々しく残ったままですが

雄勝
あれだけあった瓦礫が、あとは運ぶだけという状態に山積みされて、
きれいに片付けられていることに驚きました。

雄勝の瓦礫
郵便局やチェーン店の看板のかけらがあったりするこのあたりは
雄勝の中心地(商店街)であったと思われます。

船越小看板
見落としそうな「船越小学校入口」の看板がありました。

船越地区へ続く坂
急な坂を海へ向かって下っていきます。

期の隙間から
木の間から見える入り江が船越の集落でしょうか。

船越地区
湾へと続く一本道を突き当たりまで降りていくと、

船越小学校
海まで数十メートルのところに船越小学校がありました。
数人の方が、デッキブラシで床の掃除をしていらっしゃいます。

船越小学校の瓦礫
グラウンドに集められた瓦礫の向こうに校舎が見えます。
学校の時計はあの日の時刻を指したまま。

船越小校舎
この校舎の3階まで津波が押し寄せたのだそうです。
この校舎は避難所ではなく、集会場として使われているそう。

避難所だった家
ずっとこの集落に残って、復興の中心となっていらっしゃる
中里さんのお宅へ。

中里さん
一時は多い時で30人くらいの方が、
ここに寝泊りをされていらっしゃったのだとか。
今でも活動の拠点となっていらっしゃるようです。

ヒマワリ
「震災の時は雪も降って寒かったのに
今はもうウソみたいに暑いね~」
お庭に植えられたヒマワリの花が咲いています。

湧き水
ここは他と同様、水道も電気も使えなかったのですが、
震災の直後からこの山の湧き水が滾々と流れ出て、
この清水に助けられて暮らしていらっしゃったそうです。
冷たい山の水に冷やされたグレープジュースをご馳走になりました。

貼り紙
船越の皆さんから、ボランティアへのメッセージが。

トレック号
運んできた物資を降ろし終わったところへ、とれっく号到着。
支援物資の中には、集落の足となるスクーターもありました。

「行政を当てにして待っているだけじゃどうにもならない。
助かった船で自分達で漁に出て、ワカメやウニを採って
それを売って復興の資金にしていきたいと思って
みんなで頑張ってるんです。」

日焼けした顔で、そう語ってくださる皆さんの声には
復興を目指す力強さがみなぎっています。

市場
「自慢のウニを食べてってよ。」
小学校の下にある市場へ案内していただきました。

クレーン
津波でひしゃげたクレーン。
「市場」と言うより、「市場だった場所」と言った方が
正しいかもしれませんが、セリは行われなくとも
今再びここから毎日漁に出て、水揚げが行われています。

漁
ちょうどウニ漁から戻ってきた船。

ウニとホヤ
「食べてみて。」と、採れ立てのウニとホヤを
目の前でさばいてくださいました。
では遠慮なく・・・

美味しい!!大きい!!甘い!!
「ウニ3切れで卵1個分の栄養があるんだよ。」

ウニ
全国のありんこの皆さん、すみません。m(_ _)m
今は幻となりつつある三陸の海の幸を
@BOSSとともに、たらふく食べさせていただきました。(-人-)
ホヤも柔らかくて、本当に美味しくて、ほんのり磯の香りがして
もう他で食べられなくなりそうな美味しさです。

とれっくか~ちゃん
残念ながら生ものが苦手なとれっくか~ちゃん。
子どものようにウニと戯れています。^^;

手作りの養殖重り
私たちには「セクション」にしか見えませんが(笑)、
ワカメの養殖に使う、手作りの重りだそうです。

組合長さん
「あそこに大きな灯台があったんだけども
津波で跡形もなく消えちゃってね。」と組合長さん。

ウニの水揚げ
ウニが水揚げされて計量されているようす。
「組合長!すごいですよ!今日は434採れました!」
434個ですか?とお聞きしたら434kgだそうで。^^;

三陸ワカメ
今、スーパーに行くとわかりますが
三陸のワカメが店頭から姿を消してしまいました。
ここ、船越で養殖されていたワカメも、
刈り取りを2日前に控えて被災してしまい、1基を残して壊滅。

そこで、船越の皆さんは天然物のワカメを採って
これを塩蔵にした「津波に負けなかったわーっかめ」という
船越の特産品を売り出して、復興資金にされています。
本当に貴重な、幻の三陸ワカメ、
申し訳ないことに、私たちもお土産に頂いてしまいました。

ところで、船越集落には、早い頃から
小さな避難所を支援する私たち「ありんこ支援隊」のように
小さな集落を応援する「Team SAKE」というグループの皆さんが
深く関わって支援をされていらっしゃるとお聞きしました。
船越の復興への歩みをつづるブログでも
現地の様子がずっと紹介されていますので
ぜひこちらも読んでいただければと思います。

TeamSAKEさんの活動レポートにあった
船越集落のある方のお話を読ませて頂いた中で、
それがここの皆さんのお気持ちなのではないかと思う言葉があったので
ここに抜粋し、ご紹介させて頂きます。

息子さん夫妻とお孫さんを失われた方は、
「最初は悪さした海をみたくねぇと思ったけど、
息子らと同じ風にあたり、同じ季節を感じて生きていきてぇから、
今は船越の復興に全力を注ぎたい。」

「これまで以上の生活は望まない。
失って初めてわかった家族、船、家、仲間の大切さ。
船越の豊かさ。なんでもねぇ生活がどんだけありがてぇか。それをまたやりてぇ。
にくい海だけど、俺らはその海の恩恵を預かってきた。また海と暮らしてぇ。」
とお話してくれました。

(「Team SAKE:第6陣船越集落」より)

最後に皆さんと一緒に、お話の中にあった
今回の津波で亡くなられた若いご夫婦と、その赤ちゃんの
お墓をお参りさせていただいて、船越の集落を後にしました。

とれっくか~ちゃんとはここでお別れ。
か~ちゃんはこの後、長観寺さんに向かうと聞いていたので
ありんこ支援隊からの長観寺さんへの支援物資は
とれっくか~ちゃんの「魔女の宅急便」に託しました。

ということで、私たちはいつもとは逆周り。
今度は雄勝から女川方面に入って牡鹿半島へ。

雄勝瓦礫
青い空と入道雲と瓦礫の山。

雄勝作業車
たくさんの作業車が、休むことなく瓦礫の撤去作業を行っています。

女川方面へ
女川も、随分瓦礫が運び出されて
当初よりかなり片付いてきた感じがします。
舗装道路も新しくなっていました。

女川方面へ
今は自衛隊の車両を目にすることはほとんどなく、
一般の会社が作業を請け負っているようです。

瓦礫
それにしてもこの瓦礫の山。
最終的にはどういう風に処分をすることになるのでしょう。

めぐろさん看板
牡鹿半島のめぐろさんにお邪魔しました。

仮設住宅集会場
めぐろさんのすぐ近くに建設中の仮設住宅。
手前はホタテの殻の山です。
デッキのついた一番手前の仮設住宅は、
バリアフリーの集会場になるのだそうです。

仮設住宅
この地区も約80%の家が津波で流されてしまい、残っているのが約20軒。
仮設住宅は60軒建つそうです。
入居は抽選で決まり、8月頃から入れる予定だとか。

鈴恭さんうなぎ
めぐろさんの皆さんには、
ぜひ鈴恭さんのうなぎを食べて頂こうと持ってきました。
今は何人くらいいらっしゃいますか?
「まあ、うなぎ!ありがとうございます。
前にも頂きましたよね。今25人いるんですけど、いいですか?」
もちろんです。これでスタミナをつけて
夏バテにならないで頑張ってくださいね!

25人の方が避難生活を送られているめぐろさんには
今でも毎日毎日50個のパンとおにぎりが届くそうですが、
数を減らして欲しいとお願いをしても減ることはなく、
しかも届くのはその日が消費期限のものなので
とっておくわけにもいかず、捨てるのも忍びなく
私たちは今回も、たくさんのおにぎりとお茶をお土産に頂きました。^^;

お葬式から帰って来られた社長さんとお茶を頂きました。
どなたかご近所で亡くなられたんですか?
「いや、津波で行方不明になってまだ見つからないんだけど、
いつまでもそのままじゃ気持ちの区切りもつかないからって
きちんと葬儀をすることにしたというお宅なんだよ。」

めぐろさん
前回お邪魔した時に話を伺った、
建物の底上げ工事をすることが決まり、
ちょうど明日からその工事が始まるのだそうです。
めぐろさんも旅館の復活に向けて、本格的に始動し始めました。

「この底上げのほかに、風呂がだめになっちゃったから
水周りを整えるのにかなりかかるとは思うけど、
とにかく、まずはうち一軒だけでも始めれば
周りは『よし、うちも!』と後に続くと思うんだ。
皆さんからもこうして応援してもらっているんだもの、
絶対また旅館を始めるからね。前に進むしかないもんね。」

底上げの施工が決まったこともあり、
黒く日焼けをした社長さんの決意は、
前回よりもさらに力強いものとなっていました。
「ごめんね、やることがいっぱいあって、
俺は行かなくちゃならないけど、ゆっくりしていってね。」

そういうと、社長さんはすぐ前の駐車場を
借りてきたユンボで整備し始めました。

私たちが届けるガソリンも、できるだけ無駄にしないように
大切に大切に使ってくださっているようです。
どうか前進するための作業に必要なことなら
遠慮せず使ってくださいね。

ガソリンスタンド
と言うことで、今回も空のガソリン缶を持って近くのガソリンスタンドへ。
もう一度めぐろさんに行って、軽油とガソリンをお届けしました。

そういえば、ガソリンスタンドのすぐ近くに
牡鹿で一軒というコンビニがオープンしていましたね、と言うと
「コンビには出来たけど、やっぱり先立つものがないと
行っても何にも買えないよ。」と社長さんは笑っていましたが、
今はここの復興工事に訪れている業者さんで
コンビニは商品を並べるのも間に合わないほどの大賑わいでした。
ここ小渕浜も、少しずつ確実に前進しているようです。

めぐろさん裏
めぐろさんの裏手の海。
ここの瓦礫もずいぶん片付けられました。
「旅館を再開しても、果たして
お客さんが来てくれるか不安なんだけどね・・・。」
と女将さんが言われましたが、きっと大丈夫です。
全国のみなさんが復興支援でここを訪れると思います。
ありんこ支援隊も微々たる力ですが、応援します!

今度ここを訪れるときには、何人かの方が
仮設住宅に移られていることと思います。
その頃には支援物資の内容がまた変わっているかもしれませんが、
暑さに負けないで、営業再開に向かって頑張ってくださいね。
私たちもまた近いうちに必ずお邪魔します。

「めぐろさんに来ると、本当にこっちが元気をもらうなあ。」
運転しながら@BOSSがそうつぶやきました。

小渕地区
そうそう、以前お邪魔したことのある個人のお宅にも
うなぎをお届けしました。
一軒は女川のお宅で、家の裏から湧き水が出ることから、
仮設のお風呂を沸かして、近所の避難所の皆さんに
入ってもらっているというお宅。
通ったらちょうど外に人がいらっしゃったので
「以前ブルーシートとランタンを持って来た者です。」と言ったら
「ああ、あの時の!使ってますよ、ほら。」と
ビーバー隊長からのブルーシートを指差しました。
今回は皆さんが夏バテされないようにと、
うなぎをお持ちしましたとお渡ししたら、大変喜んでくださいました。

もう一軒は、以前ハッカ油の小瓶をお渡しした
寝るのは自宅の2階、食事は避難所という半自宅避難のお宅です。
「私たちの地域の仮設住宅は、まだ更地の状態だけど
もうじき工事が始まって、8月中には完成するんじゃないかな。
どうもありがとうございます。ごちそうさまです。」

万力橋
万力橋を渡って、牡鹿半島から石巻市街地へ。

石巻市街地
毎回ここを通りながら、この瓦礫、どうするんだろうと
いつも見るだけで途方に暮れそうな通りでしたが、
今回は瓦礫がきれいに片付いているだけでなく
何店舗かのお店が、営業を再開する準備を始めていました。
ここのHomacも翌々日には仮設営業をスタートするそうです。

信号機
その一方で、石巻市街ではまだまだ無灯の信号機も多く、
各交差点で、警察が一日中誘導をしています。

今度は稲井小学校の避難所のリーダーをされている
山口さんのお店へ。
あれ??前回にはなかった「SUZUKI」の看板がついてる?
「ああ、これはSUZUKIの営業の人が、
無くちゃだめだろう!と言って付けてくれたんですよ。」

山口さん
山口さんのMXチームのIB、佐々木選手は
先日のMX北海道大会inわっさむ
1位と3秒差の2位になったそうです。すごい!おめでとうございます!

デカール
NA STYLEさんで作ってもらったというデカール。
(確かNA STYLEさんご自身も被災されていらっしゃるようですが・・・)

小学校の避難所にと、(ζ`)さんからお預かりした
大型扇風機をお渡ししたところ、
もしかしたら避難所がなくなってしまうかもしれない、とのこと。
小学校側から、そろそろ出てほしいという要望が出されたようですが、
仮設住宅への入居が決まっているわけではなく、
他の避難所へ移るしかないという状況の方も多いようです。
先が見え始めた方、先が見えない方、さまざまです。

「仙台に大雨洪水警報が出ましたよ。」
えっ!本当ですか!?
「4時半頃になると、三陸道は混んで動けなくなるから
利府の辺りまで高速を使わないで下道で行った方がいいですよ。
絶対高速に乗っちゃダメですよ!」というご助言に従って国道で帰ることに。

松島
国道から見える三陸道は確かに車がトロトロでほとんど動いていません。
普段なら通らない日本三景「松島」の
白砂青松の美しい海岸を見ながら帰路に着きました。
リアス式海岸の東北の海は本当にきれいです。
夏休み、もしツーリングの行き先に迷ったら、
東北支援ツーリングもお勧めします。

どしゃぶり
福島に入ると、いきなり
バケツをひっくり返したような激しい雨。
この夏の夕立が通り過ぎたら
少しは涼しくなるでしょうか・・・。


テレビのニュースでは、復興が進んでいない、というニュースもあれば、
地元ではこんなに頑張っています、というニュースもありますが、
どれも本当なのだと思います。
いろいろな進捗状況や環境や構成されている人によって
ほんの隣り合った集落でも、状況はそれぞれだと思います。

これから連休や夏休みで、長期の休暇がとりやすい時期になります。
まだ行ったことのない方は、もし機会があったら、
ツーリングでもボランティア活動でもいいので、
被災地へ行かれて、現地の方と言葉を交わしてみることをお勧めします。

テレビからだけでは伝わってこなかったものが
心に生まれるかもしれません。

投稿者:かまた  posted at : 19:15 | コメント (8)

  

2011年06月07日

長観寺さんからの手紙

十三浜の長観寺さんから、筆でしたためられたお手紙を頂きました。
ありんこ支援隊宛のお手紙ですので
ご協力頂いたみなさまにご紹介させていただきます。

手紙

拝啓

悪夢のような三月十一日から二ヶ月半が経過しました。

雪が舞い散る中、寒さにうち震えながら過ごしたあの夜のことは
未だに私たちの記憶に鮮明に残っています。
おびただしい生命の残骸が水泡のごとく消え去り
瓦礫の山に茫然自失の状態でした。

そんな中、裸同然の私共に多くの衣類やら沢山の食料をご提供頂き
大変にありがとうございました。
加えて力強い励ましの言葉に涙があふれました。
被災して、人のありがたさを身にしみて感じております。

凍えるようなあの日から、季節は巡り
桜の時期も無我夢中で過ぎ、見回せば周りは花盛りです。

ライフラインの整備もボチボチ整いつつあり、
仮設住宅への入居も一部可能となってまいりました。
うちひしがれてばかりもいられません。
私共も新しい環境で心機一転、
今後の人生をやり直す覚悟を定めました。

まだまだ不安だらけの状態ですが、
何とか前に進むことができるようになりました。

それもこれも、全国の方々から寄せられた温かいご支援のたまものです。
大変にありがとうございました。

お礼が遅くなり大変申し訳ありませんでした。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

                              敬具

平成二十三年五月三十日

              月浜自治会 会長代行
                    (避難所)深明山 長観寺


ありんこ支援隊様


--


震災から80日が経ちました。
私たちが目にした現地の様子は、レポートでご報告している通りです。
永田町でバカバカしいやりとりが行われている今この瞬間にも
被災地の方々は、あの日を乗り越えて、
少しずつ復興への歩みを進めていらっしゃいます。


私たちが前回、力強く復活し始めた石巻に行って思ったことは
「今度は人を届けたいな」ということでした。

それは、以前に比べてずっと現地に行きやすくなっているので、
現地のボランティアの人手がどこも足りないという今、
行ける方はぜひ行ってほしいということと、もう一つ、
できるだけたくさんの方に被災地を見てほしい、ということがあります。
そしてできれば、現地に「友だち」や「心の親戚」を作って
「被災地」だから支援する、だけではなく、
「あの人がいるから応援し続ける」という場所になれば
思い合いのネットワークがもっと細かく、もっと強くなっていくと思うからです。

すでに、ありんこ支援隊でご協力を頂いている方の中にも
実際に現地ボランティアに行かれている方は何人かいらっしゃいます。

仙台で泥片付けの長期ボランティアに複数回行かれたNSMZUKIさん。

北海道から岩手の山田町へカヌー仲間の活動を手伝いに入られた又三郎さん。

フランスからご実家の福島に入られて、滞在中には
相馬で写真洗浄のボランティアに参加されたO&クロさんの弟さん

ありんこ発足の初期の頃からずっと影で支えてくださっているbinさんは
もう自分も動く時だと、東北へトランポでボランティアの旅に行かれています。


下記は又三郎さんがGWに岩手県山田町へ入ったときのレポートから
抜粋させて頂いたものです。

何か手伝えないか、と友人に言うと、付近の記録写真を撮って欲しいとのこと。
スタッフはみな忙しくて記録する人がいないのだとか。
ここでシャッターを切るのは、やはり躊躇したけれど、
記録しなければ意味がないので、
心の中でそっと手を合わせながらシャッターを切る。

又三郎さんが撮った被災地
Photo:又三郎さん
老人ホーム前の海。プレジャーボートなどの発着場になっており、
震災がなければ美しい海で遊ぶ人々がいたはず。
取り残されたステップワゴンの残骸が悲しい。

又三郎さんが撮った被災地
Photo:又三郎さん
山田町役場から、市街地中心部を望む。
知られていないが、震災当日、山田でも大火が起こり
市街地の4割が焼けてしまったという。
そのため、焼失した建物は撤去されて、役場職員さんによれば
「ずいぶんきれいになったんですよ」とのこと。

又三郎さんが撮った被災地
Photo:又三郎さん
翌日は地元漁師さんの協力を得て、漁船で海上捜索。
併走するのは、全国各地から集まったPWCを操るライフセーバー。

又三郎さんが私に下さったメールにはこうありました。

仲間に盛岡在住の、ハーレーと初代セロー乗りの友人がいまして、
彼が震災以降「何をしたらいいのか」「現地に行って現状を見たい気持ちと、
行ってはいけない気持ちで揺れている」と聞いたので
「見るだけでもいいから、現地に行きなさい」と言いました。
見て、感じた中から、自分にできることを考えればいいではないか、と。


実は@BOSSも私も、そのことを最近とても強く感じます。

いろいろな悩みの答えは、現地にあるのではないかと。

春休み、GWが終わって
どこの自治体でもボランティアの人手を募集しています。
1日だけのボランティアバスツアーもありますし、
行ける方は前述の方達のように、長期で入られるのもよいと思います。

ありんこでは募集されている自治体などの紹介はしませんが、
まずは自分で探すところから始めて、
自分なりに、現地にもう一歩深く関わってみるのが
次の段階の支援なのではないかと思います。

そして、一人でも多くの方が現地でボランティアに参加することで
少しでも復興が前に進むことと同時に、
現地で活動をすることは、私たちが生きていく上で大切な
たくさんのことを学ばせていただけると、これまでの経験で思うのです。


自分の日常生活を自分の現場で、以前のように淡々と行うこと、
それはもちろん正常化のために大切だけれど、
それだけでは現地を変えるチカラは現地に届かない、
というのが@BOSSと私の考えです。

「被災地以外の私たちが、普段通りの生活を送ることが一番の支援」

そういう声が増えて来ているのに伴って、
もともと支援に携わらないながらも、
さまざまなな余興的活動を自粛していた多くの方々が
震災前と同じような生活に戻りつつあります。

「不謹慎では・・・」という不安に縛られていた状態から、
自粛というタガが外れて「今までどおりの生活」を再開しても
ようやく「後ろめたくなくなって来た」という感じでしょうか。

政治が相変わらず被災地と被災者に対して、対岸の火事のごとく、
当事者意識の欠如した権力闘争に明け暮れているのは
今に始まったことではなく、しようもないこととしても、
同じような波に乗って、私達の意識までもが
「今もそこにある」被災地から、遠のいて来ていないか気になります。

新聞
GW以降、被災地ではボランティアの人数が半数以下に激減し、
瓦礫撤去や仮設受託への引越し手伝いなどの支援活動が
人数不足で危機的状況にある、というのが実際です。
宮城県のボランティアセンター担当者の方は
「継続的、長期的な支援をいただきたい」と呼びかけられています。

つまり、私達が「普通の日常生活」に戻るだけでは、
これら被災地では何の足しにもなっていないということなのです。


もちろん、震災直後の様に、被災地から遠く離れた地域でまで
必要以上の自粛により、経済活動を低迷させてしまうことは
負のスパイラルとなって、世の中全体を復興支援すら出来ぬほどの不況に
陥れかねない危険性はありましたから
これはいち早く「通常の経済活動」に戻して
非被災地の生活を支援できるところまで回復させ、足元を固めることは大切です。

ただ、このことに乗じて「普通に生活しましょう」と言っていても
その後、被災地での被災者の復興の足しになるかといえば
答えは「NO」です。

「長い目で見れば、支援に・・・」
「間接的には、支援に・・・」という論理は
最初に書いた「後ろめたさを消去したい」という
「自己都合」の言い訳になってはいないかと思うのです。

その事は、被災地に行けばすぐに気づきます。
自分の消費活動が、今、目の前にいる被災者の方々を
どんな風に支援しているだろうかと考えれば、すぐに判ります。

私たちが日常生活に普通に戻るということ、
これが「一番の支援になる」事はありえません。

あえてフォローすれば、それは日本を経済破綻させないために
非被災地で最低限行うことでもあるので、「必要です」とは言えますが、
被災者のため、支援のためにはつながりません。


ではいったい何が役に立つのか?

その日常生活で経済活動の歯車を回す傍らで
やはり直接的か、間接的に「復興支援」を行うべきだと思います。

繰り返しになりますが、ここで言う「間接的支援」というものも、
「いずれ、めぐり巡って、被災者の為になる」というような
希望的観測的なものではありません。

でも、どうか誤解しないで頂きたいのは、
決して自粛を勧めているのではありません。
私たちライダーは、バイクにはどんどん乗るべきだと思いますし、
復興中だからと、乗りたい気持ちを押し殺す必要はないと思います。
けれど、それを「間接的支援」と考えるのは間違いです。
あえてそれを言うなら、日本の経済振興(経済破綻の防止)のためにです。

もし「被災者支援」の為に乗ろうとするのなら、
チャリティーイベントで募金をするなどすれば支援になりますが
ただ単に乗るだけであれば、それ自体は、
直接的にも間接的にも、被災者支援にはなりません。

FRD
Photo:楽さん FREERIDE DAY RIDE&SHARE MEETING in木更津

FRD
Photo:楽さん 豪華なゲストライダーを迎えてチャリティーオークションも行われました。

ですから、震災前からバイクを趣味として乗っていた私たちライダーは、
これからも部品も燃料も消費して、それら産業の衰退を防止して、
日本の経済力を底上げする活動を復活させながら、
もう一方で、直接的、あるいは間接的な支援活動にも
時間とお金と労力と、そして「支援の気持ち」を
被災地に向けることが大切なのではないでしょうか。


そのためには今まで以上に、
時間もお金も持ち出しが必要にもなるでしょうし、
今まで以上にスケジュールも忙しくなるはずですが、
それらは震災で協力・援助を必要としている方々へ
自分の時間やお金を使うことであり、支援は「人を支える」ことですから
負担が増えるのは当然の事だと思います。


Photo:林道ファン
「バイクを半分にして、残り半分は支援にしようと思います」と、
コメントで(ζ`)さんが言っていらっしゃいましたが、
そのように、今あるご自身の10の余力の配分を、
5:5ずつに振り分けるのもよいと思いますし、

尾崎塾長
Photo:塾長の車庫日記(勝手にすみません・・・)
尾崎塾長が書いていらっしゃたように、
今までが10だったら、自分を12にパワーアップして
より頑張る、という考えも正しいと思います。
そして、今まで通りの10の配分でバイクに乗りつつ、
他に2という時間と労力を新たに増やして
支援活動をはじめられてもよいかと思います。

清水自転車組合
Photo:Studio.keepota
翌週は家族の集大成としてファミリーでチーム参戦している
JEC爺ケ岳のレースであるにも関わらず
気仙沼に自転車修理のボランティアに行った太田パパ。(右)

様々な形があろうかと思いますが
少なからず、読者の方がいるこのブログで
「ありんこ支援隊」として、ライダーの皆さんへの協力をお願いしてきた立場から
今一度考えて、この様な思いと答えに至りました。

何度も書きますが、自分達だけが「今までどおり」に戻っても、
「何処かで誰かが適当に上手くやってくれるだろう」では
何も変わらない、何も前には進まない、ということです。

緊急支援の次の段階に入った今、
今までの皆さんの生活に、支援につながる何かを、
一つでいいのでプラスして、それを始めて頂けたらと思います。

「出来る事を、出来る範囲で」
自分の持つ小さな力を、実際に被災地のために使うこと。
ありんこ支援隊も、節電からもう一歩踏み込んだ支援活動を
これからも、みなさんと一緒に長く続けていきたいと思っています。

投稿者:かまた  posted at : 16:00 | コメント (10)

  

2011年05月27日

トレックエイドと牡鹿一周

仕事を前後にギュギュッと押し込んで、
水曜日に石巻へ行って来ました。
前回時間切れで行けなかった牡鹿半島にも行きたかったので
朝から十分に動けるように、今回は前日夜に新潟を出発。

仙台南インターチェンジを降りてすぐの駐車場で車中泊。

朝6時。トラックが行き交う音で目を覚ましたウトロン。
「ここどこ?」

トレックさん新店舗
あれ?こ、ここは!?(ギクッ)

オープン
そうです。今週末に引越しをするトレックフィールドさんの
新店舗前です。(現在改装中)

6月1日に移転オープンされるということで、
いつもお世話になっているトレックフィールドさんに
弊社からお祝いにプレゼントのレーザープリンタをお持ちしました。
名づけて「トレックエイド」です。^^

とれっくか~ちゃん
とれっくか~ちゃんには「ウトロンの開き」をプレゼント。(笑)

あと一週間ほどインターネットが使えないということなので
トロさんからご支援頂いたWiFiルータを
まずはトレックさんにお使い頂くことにしてお渡ししました。

「これ、長観寺さんに届けてくれる?」
とれっくか~ちゃんから、食品や下着をお預かりしました。

長観寺さんと仲のよいとれっくか~ちゃんは、
「もう落ち着いたし大丈夫って勝手にこっちで思ってたけど、
買い物に行く時間もなかなかとれないみたい。
電気だけは通ったみたいだけど、電話も水道も見通し無いらしいし。
それに、他所から人が訪ねてくることないでしょう?
だから来てくれるだけで嬉しいんだって。
この間も『ありんこさんがまた来てくれたのよ~』って言ってたし、
私が行く時も、『支援すると思って、上がって一緒におにぎり食べて行って』って。」

特に長観寺さんは、周りに何もない状態ですからね・・・

「避難所に行った人たちも少しずつ仮設住宅に移っていくけど
仮設に当選してしまうと、もう公的な支援を受けられなくなるでしょ?
避難所にいる時は毎日食事が配給されるからいいんだけど
仮設に入ったとたんに、自分でなんとかしなくちゃならなくなる。
食器も着るものも、全部また一から必要になってきて、
親戚や知り合いがいる人は何とかなっても、身寄りがない人は大変だよね。
だから抽選で仮設が当たっても、あまり嬉しくないという話もあるみたい。」

そうか・・・仮設に入って一安心、じゃないんですね。

長観寺さんへのお届け物を受け取って出発。

抱っこ
「じゃあまたね、ウトロン。」
10ヶ月になったウトロンを、か~ちゃんは軽々(?)持ち上げますが、
とれっくか~ちゃんにこうして抱っこしてもらえるのも
きっとあと数ヶ月でしょう。^^;

三陸道へ
利府JCTから三陸道へ。

瓦礫
瓦礫の堆積場でしょうか。
トラックがどんどん運んでは降ろしていきます。

しばらくして、見覚えのある風景が左右に広がりました。
この道路は、3月20日、一番最初に通った道です。
道路を挟んで右と左ではまったく景色が違い、
片方はビルや家が並ぶ普通の町、もう片方は何もない荒野。
あの日は緊急車両だけが通行できたので、物々しい雰囲気だったけれど
今は普通に一般車両が行き来しています。
でも景色はあの時のまま。

納豆
トレックさんが長観寺さんから納豆をリクエストされたそうなので
私たちもドラッグストアで、他の避難所の分として少し買出ししました。
基本的には食事の量の心配はいらないはずなので
あったらいいな程度のものですが。^^;

消臭剤
先日お届けしきれなかったハッカ油の他、消臭剤、芳香剤、消毒ジェルなども。

ドラッグストアの店頭に、「58円」という値段でお茶碗やお椀が並んでいました。
きっととれっくか~ちゃんが言っていたように
仮設住宅に入るのに食器が必要という方が大勢いらっしゃるのでしょう。

最初は、稲井小学校のリーダーとして動いていらっしゃる
山口さんを訪ねてみることにしました。
山口さんは日中は避難所ではなく、
被害のあったご自宅兼お店の方にいらっしゃるとお聞きしました。
たしかこのあたりとのことでしたが・・・

仮店舗
あ、あそこかな?バイクが並んでいますね。

「おはようございます。」

山口さんは青空の下、スタッフの方とバイクを洗車されていました。
「これ全部、水没したバイクなんです。」
言われないとわからないほど見た目はきれいなマシンばかりです。

エンジンに砂
が、エンジンの中まで砂が入ってしまっていたり、
マグネシウム製のエンジンは海水で穴が開いています。

エンジンに錆
こちらは金属という金属に錆が出ています。

「水没したお客さんの家から引き上げたマシンです。
全部ばらしてみても、出てくるのは砂ばかり。
もう動かないし、どうしようもないものばかりですが、
業者間のやりとりでも何でもいいから、少しなりともお金に変えてあげて、
生活の足しにしてほしいと思って洗っているんです。」

今は毎日こちらでそうした仕事をされているんですか?

「避難所の掃除を終えて、朝7時にここへ出勤して、
夜7時まで仕事をしたら、また避難所へ戻ります。
見てわかるように、ここの前の道路が波打ってしまって、
ここが一番低くなってしまったらしいんです。
隣はそうでもないのに、うちは一階が全部水没してしまって・・・。」

僕のバイクも昨日やっと引き上げてきました。
もう動かないでしょうけどね、と指差された先には
@BOSSには懐かしい2ストのマシンが。
「僕は昔、県警の白バイ隊のインストラクターをしていたんですよ。
30mの一本橋とかね、今は全然そんなことできませんけど。(笑)」
ひゃ~~~( ̄∀ ̄;)汗

チームとしての活動は、やはりしばらくお休みですか?

「いや、6月の名阪は参戦する予定です。」
そ、そうなんですか!?
「この間SUGOにも練習に行ってきました。
チームのメンバーはみんな被災したので、レースの練習もままならないし、
九州や北海道まで全日本MXを転戦はできないけれど
SUGOと名阪だけは行くつもりです。
去年ルーキーに負けて表彰台に乗れなかったIBの子には
今年IAに上がれなかったらやめろと言ってあります。
みんな実力は拮抗しているのに上がれないというのは
もう気持ちの問題ですから。」

き、厳し~~!!( ̄∀ ̄;)汗

「ほら、全日本のトップ選手だってそこまでやってるんだよ。
あんたなんてどれだけ甘いか、わかったでしょ?」
あの~、@BOSS、一緒にしないでくださいよ・・・・・( ̄∀ ̄;)汗
「あ、MXやってるんですか?」
いえ、と、とんでもないっ!!私はやっとキックが一人で
掛けられるようになった位ですから・・・^^;;;

「バイクにも乗れないし、みんな避難所での生活で
若い子たちなんか特にストレスもたまっているだろうし
今度みんなで集まって飲むか!と声をかけたら
いつのまにか30人くらい集まることになって、
おいおいちょっと待て、入る店が無いぞ、ということになっちゃって。」

避難所だけでなく、そういう面でもリーダーでいらっしゃるんですね。

山口さん
「今はここでこうした作業をやっていますが、
もしかしたら店は移動しなくてはならないかも。
でも貸し物件も土地も、震災前の3倍の価格になっちゃって。
だから今すぐどうこうは決められないんですが、
でも少しずつやっていこうと思ってます。」

ありんこ支援隊は基本がオフロードライダーつながりの支援でもあるので
もしご希望があれば、稲井小学校の避難所リーダーであり、
全日本MXでもご自分のチームをお持ちの山口さんに
WiFiルータを活用して頂けたらと思っていました。

でも、トレックフィールドさんから、
山口さんのご自宅には、一応ADSLが通じたと聞いたので、
そうするとルータは不要かなと思ってしまったのですが、
実際にお聞きすると、結局家も越さなければならないかもしれないし、
デスクトップなのでここへ来ないとインターネットはできないし、
また、避難所にあるPCはあまり自由に使っていいものではないそうで
インターネット環境はかなりご不便なようです。

そこで、トレックさんのインターネット接続工事が完了されたら
トロさんのWiFiは、やはり山口さんにノートPCと一緒にお渡しして
避難所のため、チームのため、地元のバイクショップ再開のために
思う存分使って頂くことにいたしました。

山口さん、お忙しい中、本当にありがとうございました。
チームの皆さんの活躍も応援しています。

続いて牡鹿方面へ。

石巻
市街地から来ると、いつもここで景色がが一変する交差点。
でも、かなり泥や瓦礫が片付けられてきれいになった印象です。

青看板
牡鹿半島は1ヶ月ぶりですが、変わっているでしょうか。

新緑
1ヶ月前は桜が咲き、まだ山肌が見えていたけれど
今は新緑に覆われて、緑がぐんと増えました。

万石橋
万石橋を渡って牡鹿半島へ。

牡鹿半島
石巻の市街地はずいぶんきれいになったと感じましたが
やはり牡鹿は、道はきれいになったものの、大きくは変わっていません。

電柱
これから立てられる電柱が積まれています。
(なかなか普段目にすることのない風景ですね・・・^^;)

東浜災害本部
「東浜災害本部」という立看板も前回まではなかった気がします。
少しずつ小さな私設避難所が統合されているのでしょうか。

海岸線
湾が見えてきました。浮かぶ船が増えた気がする、と@BOSS。

牡鹿の看板
牡鹿町は捕鯨基地で栄えた町でもあり、
またホエールウォッチングを観光の一つに歌っていて
「クジラ」をまちのシンボルとしているようです。
が、看板には「電源立地の町おしか」と書いてありますね。
女川原発が立地しているので、いろいろな施設の整備に
交付金が出ていたのでしょうね・・・

瑞幸
いつも通りがけに気になっていた
「ドライブイン」「ミンククジラの刺身」と
手書き文字で書かれた小さな飲食店。
あとで聞いたら「瑞幸」さんというお店だそうですが、
ここに「営業中」という文字が!
まだ観光のお客様は少ないと思いますが、
営業を再開されたんですね!
特につながりはないけど、ちょっと嬉しいニュースです。
(次回来るときは寄ってみようかな。)

牡鹿の道
瓦礫にかなり錆が目立ってきました。

赤錆
海にも赤錆が・・・。

避難所
ああ、あそこにも小さな避難所があるんですね。

二次避難所看板
交差点に「めぐろさん」の新しい(?)看板が立っていました。

仮設建設工事
「めぐろさん」から数百メートルも離れていないところで
工事が行われています。何の工事だろう?
このあたりでは仮設住宅は作れないと言っていたけど・・・

めぐろさん
懐かしいピンクの建物が見えてきました。

私たちが駐車場にバスを停めるとすぐに窓から
「いらっしゃい、ご飯食べてって。」と声が。
ああ、ちょうどお昼時に来てしまいました・・・^^;;;

取材
入るとちょうど「中日新聞」さんの取材を受けているところでした。
「みなさんでお茶を飲んでいる写真を撮らせてください。」
という記者の方のリクエストにも関わらず、

談笑
どうしてもカメラ目線になるサービス精神旺盛な社長さん。
どことなく太田パパに似ている気が・・・(笑)

ああ、でも皆さん以前よりずっと笑顔になられましたね。
社長さんはいつも元気で笑顔だけど、他の皆さんは
最初に来た頃はストーブを囲んで、宙を見つめるような目で
ほとんどお話されなかったのに、よく話し、よく笑っていらっしゃいます。

あべかわ餅
たくさん焼いたからたくさん食べて、と安倍川餅をご馳走になりました。
女将さんが調理をされた、ツナとたまねぎの炒め物も。

「支給物資、最近お餅が多いんですよ」と女将さんが言われます。
焼くだけで食べられるし、そうそう腐らないからと
私たちも最初の頃、お餅を支援物資リストに入れていましたっけ。
「パンもあるよ、食べて。」
テーブルの上のおにぎりの消費期限が昨日なのを見ても
たぶん十分に、食べきれないほど主食は届いているけれど
できるだけ、捨てないでみんなで頂こう、というお気持ちなんだと思います。
@BOSSも私も記者の人も、一人3つか4つずつお餅を頂きました。

引越
仮設住宅への引越しのボランティア。
へ~、いろんなボランティアがあるんだなあ。

鳴子温泉
こちらは鳴子温泉への招待日を書いた紙のようです。
でも社長さんと女将さんはいつもお留守番されます。

そういえば、すぐ近くで工事をしていましたが・・・

「ああ、あれね、ここに仮設住宅が建つことになったんだよ。」
本当ですか!よかったですね、近くに建つことになって!

「うちもね、宿の傾いた部分を何とか工法っていう方法で
補修ができるっていう山形の業者さんが来たから、
いま見積もりを頼んでるんだよ。まだ返事は来ないけどね。
お金も時間もどれくらいかかるかわからないけど
俺だってもう10年は働ける。お金は借りて返せばいい。
俺達もね、こうして応援してくれる皆さんのためにも、
必ずもう一度民宿をやるって決めたんだ。」

今度余震が来たら駄目かもしれない、と前回言っていた社長さんの口から
力強い言葉をお聞きして、本当に嬉しかったです。
その時は支援物資としてそれ行けウトロ号にお客さんを乗せてきます。
あ、みんなバイクで来ればいいのか。(笑)

そういえば、燃料はどうですか?
「すぐそこのガソリンスタンドが営業を再開したよ。」
よかったですね、と言いましたが
「でもガソリンを入れたくても、先立つものが無くてね・・・」

実は私たち、現地の状況がわからず、
念のため空のドラム缶は載せてきたのですが、
必要かどうか判らなかったので、そのままやって来たんです。

ガソリンスタンド
ということで、一旦めぐろさんを出て、
営業を再開したというガソリンスタンドへ。
(ここも一ヶ月くらい前にようやく再開したそうですが、
初期の頃は自衛隊などの緊急車両だけに入れることになっていたそうです。)

ガソリン
皆さんからの支援金でドラム缶に給油してもらい、
ドラム缶ごとお渡ししてきました。

目黒社長さん
じゃあ社長さん、また来ますね。
「うん、何も無くてもいいから、ちょくちょく顔出してよ。
それで、みんなで来てくれたら、ここで懇親会をしようよ。
俺はこう見えて歌が上手いんだよ。歌手崩れだから。」

他の方からの話を聞くと、本当に歌が上手いらしいです。
ありんこ隊を乗せて来る日が来たら、ぜひご披露くださいね。

他の皆さんのリーダーをされながらの避難生活が
2ヶ月以上となり、余震もまだ続く中で、
ちょっと疲れて最近少し高血圧気味だそうですが、
未来に向かって歩き出された民宿めぐろさん。
これからも応援したいと思います。


仮設建設工事
そうか、ここに仮設住宅ができるのか・・・。

以前伺ったときは、市の土地でないと建ててもらえない、
でもみんなこの土地を離れたくない、
生まれ育った町、海の側で暮らしたいと思っていると
言っていらっしゃいましたもんね。

こんなにすぐ近くで、気心の知れた方とふるさとに住めるなら
住む方も安心だし、私たちも嬉しいです。
なんだか私たちにとっても、ここに避難されている皆さんが、
だんだん親戚の方のような気持ちになってきています。

船
砂浜に取り残された船。この70日でだいぶ埋まってしまいました

「めぐろさん」の近く、海岸線に
家が半壊状態で残っているお宅があり
時々人がいらっしゃるのは見たのですが、
今までは寄れずに通り過ぎていました。
でも今日は、表で何か洗い物をしていらっしゃったので
ハッカ油の小瓶を渡しに初めて寄ってみることにしました。

すぐ近くに避難所があるのですが、
家の2階は何とか住めなくもないので
避難所へ配給をもらいに行きながら自宅に住んでいるのだとか。
「8月になるとこのあたりに仮設住宅ができるので
それまではこうして暮らすことになると思います。
仮設に移ったらこの家は壊すでしょうね、住めないし。」

私たちありんこは、いくつかの避難所を回っていますが、
そのまわりにはまだ無数のこうした避難生活があるはずです。
全部を支援の対象にすることはできませんが、
支援活動をする人が増えれば、対象となる家も増えていきます。

鯉のぼり
湾の瓦礫が見上げる空を、鯉のぼりが元気よく泳いでいました。

女川から雄勝へと向かう道で、
以前は通れなかった道路が開いていました。

牡鹿
被災地をかなり見慣れたつもりの私たちでも
初めて訪れる集落の景色は、今でもやはりショッキングです。

車
まるで砂漠のよう・・・・・

崩落
ようやく最近通れるようになったばかりのようですが
何かあったらまた通行止めになりそうです。

雄勝へ行く道
「壊滅状態だったんだね・・・」と@BOSSがつぶやきます。

雄勝へ行く道
ようやく道がこうして付けられて通れるようになっていますが、
おそらく数週間前までは、どこが道かもわからなかったと思います。
道路が通れなければ、捜索も物資運搬も何も進みません。

看板
「雄勝方面 大型車両は通行不可」とありますので
このまま雄勝地区へ抜けられるようです。

雄勝
ビルの屋根の上に上がったままの大型バス。

自衛隊
荒涼とした風景の中、自衛隊の車両が作業をしています。

十三浜へ
北上川沿いに出て、十三浜の長観寺さんへ。

「毎回すみません、ありがとうございます。
この間頂いたもの(ハッカ油)、重宝していますよ。」

そう言ってくださった後に、

「随分片付いたと思いませんか?」

町があった場所を眺めながら、そんな話をされました。
「ここは家も何も、外灯一つないから、夜になると本当に真っ暗になるんですよ。」
そういえば電気は通ったんでしたっけ?
「お寺の建物だけは電気を通してもらったんですが、他には何の灯りもないでしょう?
本当に、何も見えないんですよ。」

「地震以前は、この高台のお寺から町を見渡すと
この町全体に、たくさんの家の明かりが灯っていたのに
今は、本当に何にも無くて真っ暗なんですよ。
たま~に、海辺の道路を通る車のライトが見えるだけで・・・。」

「お寺が避難所になっていて、皆さんが一緒にいたときは
そんな事は思いもしなかったんですが、皆さんが避難所に移られて
家族だけがお寺に残ったら、ああ、この町には今、私たちしかいないんだなぁって。
こんな中を通学させて、部活が終わって真っ暗な中戻るのもどうかと思ったので
娘は今、石巻の親戚の家に預けて、そこから高校へ通っています。
週末だけ帰ってくるんですけどね。
このごろ慣れたのか、だんだん気持ちが強くなってきたみたいです。」

・・・お話を聞かないと、、気づかない事でした。

長観寺
何週も通っていながら、片付いてきている様子から
復興に近づいていると、勝手に考えてしまっていましたが、
確かに町の痕跡を残す広い空間に、人がいるのは長観寺さんだけです。
この町が、以前のように家の灯りで満たされる日がくるのでしょうか・・・。

そうそう、これはとれっくか~ちゃんから預かってきた物資です。
「ああ、ありがとうございます。
避難所に何も持たずに逃げてきたままの方がいて
そのおばあちゃんの下着をお願いしたんです。」

あの・・・ご自身のお体は大丈夫ですか?

「回診に来てくださる先生に、
精神的なバランスを崩しているようだからって
漢方薬を飲むように言われて飲んでいたんですけど
ようやく、もう飲まなくていいねって言われたんですよ。
自分では何ともないって思っていたけど
やっぱり自分の中ではいろいろあったんでしょうね。
でも最近ふっきれた気がするんです。
『ここで生きていくしかないんだ!』って。」

その言葉は、諦めからくるものではなく、
もっと力強いものにあふれていました。


護岸工事

震災から75日。

以前は道が通れなくて、寄磯小学校へ行くにも、雄勝地区に行くにも
ぐるりと回り道をしないといけませんでしたが
今回は初めて牡鹿半島をきれいに一周して、一部を除いて海沿いに移動できました。

今回石巻に来て、前回書いた悩みに一つの答えをもらった気がします。

いつも笑顔で、未だ避難されている方の面倒を見ながら、
民宿の営業再開へと心を強くもって進み始めためぐろさん。

避難所の責任者として動かれている一方で
チーム監督としても再始動し、チームメンバーを励まし、
自分にとっては手間賃すら生まない仕事でも
お客さん、あるいは仲間の生活の足しになるようにと
仕事も朝7時から夜7時までされている山口さんは、
ご自分のお店も流された方です。

家族以外はその町に誰もいない中、灯り一つない夜が明けると
朝、目の前に広がるのはあの日津波に流された町。
電話も水道も見通しがつかず、ほとんど外部とつながらない中で、
避難所の方を助けている長観寺さん。

仮設住宅に当選するということは、
公的物資の支援を断ち切られるという現実。

被災地での復興は、誰かが、いつの間にかやってくれる
そんなオートマティックなものでは無いという事を改めて思い知りました。

被災者ご自身も思い悩んで、気持ちを奮い立たせて努力され、
少しずつ少しずつ、行き先に不安を感じながらも、前に進んでいるのが本当です。
それに手を貸すのが支援なら、直接的、間接的にかかわらず
協力できることがあれば、どんなことでも協力をするのが支援なのだと思いました。

それは物資や義援金だけではなく、
訪問して顔を見せてくれるだけでもうれしいのだと
「めぐろさん」の社長さんもおっしゃっています。
冗談抜きで、肩をもんだりすることも、お手伝いだと思います。

今、そんな気持ちのこもった直接的支援を断る方はいないと思います。

鉄板道路

長い支援のためには、みんながこれから個人個人で
現地に「友だち」や「心の親戚」をもつことが、
とても重要なことになっていくような気がします。

そして、被災された皆さんが今より前に進むための
実質的なお手伝いになることなら
「偽善かも」などと自分の心に言い訳をする必要もなく、
これからもみんなで応援していきたいと思います。

みんな、一緒にがんばっぺ!

投稿者:かまた  posted at : 17:03 | コメント (7)

  

2011年05月23日

ハッカ油を届けに

先週、石巻へと行ってきました。

ハッカ油
虫除け用のハッカ油と、スプレーボトル、

タバコ
curveさんからの支援物資も。

ジャンクション
震災から70日が経とうとしています。
前回石巻へ行ったのはGWでしたので、あれから3週間が経っています。
不謹慎な言い方かもしれませんが、
しばらく会っていない、懐かしい親戚を訪ねるような気分でもあります。

自衛隊
石巻市内で目にする自衛隊の車両も
当初よりも随分数が少なくなってきました。

まずは十三浜の方面へ。

十三浜へ
車などはそのままですが、それ以外の大きな瓦礫が
随分撤去されているのがわかります。

護岸工事
道路を作るための護岸工事も勧められています。

瓦礫撤去作業
石巻市街地では民間ボランティアの方が
各ご家庭の泥や瓦礫を運び出していますが、
(そしてそうしたボランティアは、
学生の春休みやGWが終わった今、急激に減少してしまい、
片付けの手が需要に対して足りなくなっていると
地元のニュースが伝えていました。)
こうした大規模な瓦礫の撤去作業は自衛隊が行っています。

松
海岸線に残った松を見ていても、
ここが風光明媚な地であったことは想像に難くありません。

白浜荘へ
まずは「虫が多く出てたいへん」と教えてくださった白浜荘さんへ。

花
色鮮やかな花が咲き誇っています。つつじでしょうか。

ちょうど社長さんが出てこられ、
今回もまた皆さん揃ってどこかへ行かれたところで
社長さん一人でお留守番なのだとか。
「虫除けは、あの後、自衛隊の人に言ったら
ものすごく大量に届けてもらったんですよ。
殺虫剤とか、蚊取り線香とか。」

ああ、そうでしたか。残念。いえ、残念ではないのですが。^^;
でもこれは、殺虫剤とは違うハッカ油なので、自然のもので
肌にも優しくて、虫を寄せ付けません。
香りもいいし、清涼剤としてもよく効くのでよかったらぜひ使ってください。
北海道の方が送ってくださったんです。
「ああ、ハーブですね。ありがとうございます。」

スクールバス

専修大学の学生さんがいらしているんですか?
「うちも明日から仕事を再開するんです。
宿泊の方はまだだめだけど、スクールバスを出していて
そちらの仕事がようやく始められるようになったので。」

少しずつ「生活」が取り戻されているお話を聞いて
私たちもホッとしました。
それにしても、こちらを訪ねて来る時は
雨や曇りの日が多かったのですが、
今日こうして晴れた日に来てみると、
以前はどんなにか美しい景色だったかが偲ばれます。

「以前は海も川も、遠くまで水が澄んでいて、
本当にきれいな景色だったんですよ。
みんな灰になっちゃいましたけどね。」

海岸
帰り道、郵便配達のバイクとすれ違いながら
(郵便も普通に届くようになったようですね。)
高台からの景色を見下ろしました。

「白浜荘」という名の通り、ここにはきっと
白砂青松の景色が広がっていたのだと思います。
「灰になってしまった」と社長さんはおっしゃっていましたが、
寄せては返す青い海を見ていると、自然が奪った美しい景色が
自然によってきっとまた戻る日がくると思えてきます。

電線工事車両
電線工事も続けられています。

続いて長観寺さんへ。

長観寺周辺
もうこちらに避難されている方はいらっしゃらず
皆さんはGW前にはすでに公的な避難所である
公民館の方へ移られていますが、
お世話になったこちらの方へもご挨拶して、
またこちらに作業に来られる方たちにもお使い頂ける様に
ハッカ油もお届けしてきました。

長観寺
「避難所本部」として使われていたテーブルや
仮設プレハブのお風呂なども片付けられています。

長観寺
今も毎日、自衛隊による瓦礫撤去作業と、
警察隊による捜索作業が進められていて、
この日もお一人のご遺体が見つかったそうです。

ご住職が皆さんの命を守った高い塀に生えた水仙の株に
手入れをされていらっしゃいました。

今度は山をぐるりと回って、稲井小学校へ。

仮設住宅
途中で通った町の中には、前回なかった仮設住宅街が
あちこちにたくさんできていました。

稲井小学校
学校は始まっていますが、体育館が避難所となっています。
小学校のすぐ隣にある中学校の生徒さん達が、
学校の周辺を体操着でランニングしていました。

前回はリーダーの山口さんと外でお話したので
避難所の中を見ることはなかったのですが、
今回は中で留守番をしていた方と話をしたので
こちらの中の様子を見るのは初めてでした。

避難所内
ダンボールで仕切られた小さなプライベートスペース。
会議用の椅子がストーブの周りにぐるりと並んでいるところが
皆さんの歓談の場のようです。
この避難所は3週間前の50人から30人に減ったそうです。

ハッカ油をお渡ししながら、
シュッと手首に吹きかけて差し上げると
「わ~、いい匂い、スーッとする!気持ちいいですね!
ここは見ての通り西日が射すから暑いんですよ。
でも網戸がないから、窓を開けると
すぐに虫が入ってきて困っていたんです。
鍋や食事道具を置いてあるところにも虫が来るし。助かります!」

それはよかったです。
暑いときには首の後ろに一吹きすると体が涼しくなるそうですよ。
「人数が多いので、もう一本もらってもいいですか?」
もちろん!そのために持ってきたんですから。
他にあったらいいなと思うもの、ありますか?
「必要なものは山口さんにおまかせしています。
山口さんがいろいろ気づいてくれて、
こんなにいいものが届くんですから!」
(虫が出るって教えてくれたのは、白浜荘さんであることはヒミツです。^^;)

たぶんこちらの避難所は風が通りにくいので
これから暑くなるにつれて、寝苦しい夜を過ごされるんだろうなあ。
ありんこにできることはなんだろう・・・。
快眠のためのひんやりグッズとか、
汗拭きシートとか制汗スプレーとか?

暑くなると、食欲がわかなかったり、寝苦しかったり、
他にも寒い時にはなかった問題がいろいろ起きてくるでしょう。
命に関わる緊急の支援の時期は終わりましたが、
ダンボールで仕切られた空間が少しでも快適であるように
ありんこに出来ること、またみんなで考えていきたいと思います。

トレックさんのところへも牡鹿半島へも行きたかったけれど、
残念ながら今回は時間切れです。


夕暮れ
帰り道では、あっという間にフロントガラスが虫だらけ。
夏が近づいているんですね。


ところで、昨日しどきからの帰りに
@BOSSがこんなことを口にしました。

「先週、震災以来初めて、久しぶりにある人に会ったんだけど」

「ありんこ」活動の開始後は、別の用事でお邪魔しても、
相手の方が気を遣って、予め用意していたわけでもない義援金を
財布の中から裸のまま取り出して渡してくださることがあったりして、
そんなバツの悪い場面が何度かあって以来、
「ありんこ」に関係の無い方には、妙な気を使わせてしまうといけないので
敢えて会わずにいたのだそうです。

でも、最近少し状況も落ち着いたし、別の用があったので、
@BOSSがしばらくぶりに顔を出してみると

「どう調子は?」
「最近になって、ようやく乗る時間も作るようにしてますが、
顔見知りになった被災地の皆さんを思うと、
なかなかバイクも気が乗らなくて・・・」
「ダメですよ、自粛は。
だから私は、テレビは見ないようにしているんです。」

この言葉に@BOSSは違和感を覚えたそうです。

「確かにいらない自粛はよくないと思うんだけどさ。
でも、自分がバイクに乗る気持ちを保つために
実際に今も存在している被災地の状況から目をそむけて
この震災と津波と原発の事実を自分の中から排除して、
それで気持ちの折り合いをつけるという方法でバイクに乗るのは、
やっぱり違うんじゃないかと思うんだ。」

そうですね、でもみんな実際には
心の中から忘れたりしないと思いますよ。

・・・とは思うものの、
@BOSSが感じているのと同じような不安は私にもあります。

震災から70余日。
今回稲井小学校へ伺って、ダンボールで仕切られた小さなスペースに
今も尚暮らしていらっしゃるご様子を目の当たりにしましたが、
私たちが目にするしないに関わらず、
今この瞬間にも、不便な避難所生活を余儀なくされている方々が
何万人という単位で生活をされていることは紛れもない事実です。

原発の影響で、着の身着のまま県外に避難させられ、
まだ一度も家に戻れない方が大勢いらっしゃるのは
ニュースでも伝えられています。

私のブログを「以前のような普通のバイクブログ」に戻ることを
望んでいらっしゃる声もあります。
でももう「以前と同じ日常」はなくなりました。

支援のつもりで、久しぶりに訪れた「しどき」でも、
海沿いの会社に勤めるキッズのお父さんが
津波でトランポも会社ごと流されてしまい、仕事もままならず、
当然、今年はレース活動どころではなくなってしまったのですが、
知り合いが貸してくれたマシンとトランポでしどきを訪れ、
子どもさんに練習をさせてあげているという様子を
期せずして目にしたことは前回のブログに書いたとおりです。

北関東や東北に近づけば、そんな話は
耳や目をふさいだとしても飛び込んでくる
無数に存在している被災の事実で、それが「普通の日常」です。

敢えて書かなくてもいいのかもしれませんが、
敢えて書かないと、もう東北は大丈夫と
忘れられてしまうんではないか。
それが私の不安です。

そんなことを話をしたら@BOSSは、

「3.11震災で断ち切られてしまった『当たり前だった日常』を、
全て元通りにすることは、困難だし不可能なことだけど」

と前置きし、

「たとえばあんたの『憧れのカレ君』がレース活動を再開できる日を
早めてあげられるような支援方法は無いものだろうか?とか、
大勢の全日本ライダーを抱えるチーム監督だったのに
ご自分もチーム員も被災して、今は避難所のリーダーとなって、
避難所生活の向上に奔走されている山口さんが
再び全日本にライダーを輩出されるチームを再建する手助けは出来ないか?とか、
ライダーの輪を軸にした支援を考えることはできるよね。

これはほんの一例だけど、実際の手を差し伸べられなくても
そんなことを大勢で考えて、悩みながら、少しでも糸口がつかめたらと思う。
俺たちみたいに、震災から免れて、仕事も生活も日常生活もレース活動も
今までどおり続けられるライダーは、心の中に被災地のことを『共存』させて、
自分なりに悩みながら、その気持ちを抱きながら
尾崎塾長が言うように『粛々と』『精一杯』
ライディングを続けることが大事だと思うんだ。」

@BOSSは言います。
もちろん、なかなか乗る気になれないというなら、
それはそれでいいと思うけれど、自粛はするべきではないと思う。
でも、被災地を気にしないで乗る、というのは間違いだ、と。

「避難所の皆さんの顔を思い浮かべながら、
この『バイク活動』を何につなげていこうかと考えて
アクセルをひねる事ができたらいいなと俺は思う。
一番良いのは、バイク活動を支援活動に連動(両立)して乗ること。
それが難しくても、東北の友人のことを思いながら、
心に留めながら、気にかけながら乗るというだけでも良いかなぁと思う。
知り合いがいないなら、本当に作っても良いかも。
被災地に住む知り合いのライダーさんを。」

そうですね。
自分に被災した友人や知人がいると、それは続けやすいし、
私と@BOSSは福島やいわきにたくさんの友人がいますし、
宮城にも、活動を通じて知り合いライダーさんが新たにできました。
私もありんこの活動で目にし耳にしたことは、
できるだけブログで書いていきたいと思います。

では、私たちはどうなのか。
小さな支援をしながら、すっきりとバイクに乗れているのか。

答えは「ノー」です。

私たちはちょこちょことありんこの活動を行っていることで
「やった気」になっているように思われるかも知れませんが
決してそんなことはなく、ありんこの活動で気が晴れることも無く、
ずっと答えを模索し続けながら、いまだ迷宮の中にいます。

@BOSSは今年は復帰後の挑戦として、
EUな方とJEC全戦を回ってみようと考えていたようですが
その初戦が震災で中止となり、それをきっかけとして
一旦気持ちがリセットされたようです。

太田パパのISDEファミリー参戦の目標も、
残念ながら震災でリセットされましたが、
その後は、バイクで恩返しと気仙沼支援に奔走されています。

私自身も、私がバイクに乗ることが、何かに繋がればいいなと
おこがましいことを思いながら、乗る理由を模索しています。
「理由なんかいらない、楽しいから乗る」という気持ちにはなれず、
しどきで乗るのも、それなりの理由でもあります。

この、何も考えずに心晴れ晴れと乗れない気持ちを
「病んでいる」と一言で片付けてしまいがちですが、
晴れない気持ち、悶々とした思い、それがどこから来るものなのか、
突き詰め、答えを求めて悩むことも、震災で変化した今の日本には
必要で大切なことだと@BOSSは言います。
「たとえ答えが見つからなくても、考え、ともに苦しむことも大切だ」と。

芋おやじさまがご自身のブログ「ひぐらし」に

「なんか毎日が楽しくないですね
早く元の生活に戻り
アハハ、オホホで過ごしたいものですね」

とコメントされていましたが、
芋おやじさまは「アハハ、オホホに戻れる日は来ない」ことを
分かって書いていらっしゃるだけに、この言葉は胸に来ました。

津波の悪夢うなされ、被災地のニュースに共振して悩む日が続く中、
その自分と正面から向き合いながら、新潟まで下道で訪ねてくださり
その後、レース活動を再開された(ζ`)さん。
でもきっとまだずっと悩んでいると思います。
そしてそれが、私が(ζ`)さんを信頼する理由でもあります。

前日も小名浜港の港湾内の瓦礫撤去作業をし、
いわきの街や自分の会社の従業員のことを考えると
バイクに乗っていいのかと思ってしまうと言いながら、
支援活動をする私に「かまたさん支援」といいながら
しどきに来て、講習をしてくれるゆーじさん。
(その思いに応える結果がなかなか出せなくてごめんなさい。(TдT))

自分のしてることなんて偽善だという思いを抱きながら
川内村への募金活動をして、これを届けて来た福島市に住むいぐべ父ちゃん
偽善と思いながらも何かせずにはいられない父ちゃんの気持ち、
バカ話をしながらも、痛いくらい伝わってきます。

朝
毎朝、季節が夏に向かって進んでいくのがわかります。

田んぼ
これから大地にどんどん緑が多くなっていきます。
林道の雪も融けて、いよいよ北国もオフロードシーズン到来です。

「長い目で、友人知人に協力していくつもりで
自身の日常とバイク活動が続けられれば
自分にとってもきっと一番いい答えが出るよ。
だから、考えること、悩むことをやめちゃいけない。」と@BOSS。

私も見つけたい答えは見つからないままですが、
これからも悩みながら、バイクに乗ろうと思っています。

投稿者:かまた  posted at : 21:35 | コメント (18)

  

2011年05月16日

ハッカ油とwi-fiルータ

宅配便
北海道のZIPさんから、「北のかおり」という箱が届きました。

クンクン
くんくん、何のかおり?

クンクン
ウトロン、鼻がスカ~ッとするでしょう?(笑)
ペパーミントオイル、とラベルに書かれたそのビンは
ZIPさんのスポンサーでもある北見ハッカ通商さんの『ハッカ油』でした。

前回石巻へ行った時のレポートの中で、「白浜荘」さんの社長さんが
暑い日はものすごい虫が出る、と話してくださったことを読んで
楽さんが紹介してくれたこのハッカ油、
水で薄めてシュッシュッと体に吹きかけると、
虫除けに絶大な効果があるのだそうです。
また自然のものなので、肌の弱い人でも大丈夫とのこと。
しかも涼やかなペパーミントのいい香り。

今回、ありんこ支援隊でも5本購入させていただきましたが、
ZIPさんからも5本、物資支援としてお送りいただきました。
ぽんたさん、ありがとうございました。

ハッカ油
北見ハッカ通商さんでは、既に行政からの依頼を受けて
相当数を用意されているとのことで
今回の分はボランティアの人が使うのか?
現地の人が使うのか?などをZIPさんに聞かれたそうです。
楽さんから、バイク仲間がボランティア支援として小さい避難所を回っていて
そこに置いてきたいのだという旨を伝えていただきました。

その北見ハッカ通商さんからは、
携帯用のスプレー容器を10本ご協力いただきました。
しかもハッカ油の中身入り!

これから暑くなるにつれて、虫と匂いに悩まされる季節となりますが、
これはそのどちらにも効果のある優れもの。

さらに、ぽんたさん曰く、熱取りにもよいのだそうです。
「風邪などで熱っぽいときなど、ほんの少し
首の後ろやおでこの上につけると楽になりますよ。
(かけすぎると、とても寒くなりますので注意!)」

本格的な夏になる前に、100均アトマイザーとともに
現地にお届けしたいと思います。


それから、もう一つ。


今までありんこ支援隊のページに今後のアイディアの一つとして、

「ちなみにエチゴヒゲアリは次の支援として、小さな避難所で
数台の中古PCとdocomoのWiFiルータなどを使った
インターネットコーナーの設置を考えています。
(これは月額料金がかかるので、支援者がいたらということになりますが
いつそのニーズが発生するかもしれないので、
その時に向けての準備は少しずつ始めています。)」

ということを書いてきましたが、
これに対して「トロさん」という方から、

「docomoのwi-fiルータの構想があったかと思いますが、
その形で長く支援させていただくのは、いかがでしょうか?」

という、ありがたい支援のお申し出を頂きました。

トロさん
そして昨日、トロさんは、私たちが練習していたしどきへ
わざわざ届けてくださいました。

トロさんより
すでに2年の契約を済ませて下さったwi-fiルータです。
「最低でも2年以上で、必要の無くなるまで、お使い下さい。」

せっかく遠いところを福島までおいでくださったトロさんとは、
一緒にそのままパイロン練習もさせて頂きました。(笑)
が、しどきのレポートはまた次回・・・・・・。

wi-fiルータ
トロさん、ありがとうございます!
パソコンと一緒に、これをお届けしてきますね。

今週、これらを持って、現地へ行ってきたいと思います。
その際には皆さまからお預かりしている支援金で
虫除けグッズ、アトマイザー、燃料などもお持ちする予定です。
(curveさんのタバコもお届けしてきますよ。^^)

ZIPさん、北見ハッカ通商さん、楽さん、そしてトロさん、
本当にありがとうございました!

投稿者:かまた  posted at : 12:33 | コメント (9)

  

2011年05月06日

稲井小学校へ

【4月29日 準備】

ゴールデンウィーク前の怒濤の日々を終えて、
サロンドアトラスも人並みに連休へ突入しました。

29日、届いていた物資の仕分け。
今回は募集物資のリストが少なくなっていたので
届いた物資もいつもより少な目です。

カード
通もん。さんからのダンボール箱に入っていたお手製のカード。
ぷぷ。旅するバーニーズのマペットのようです。
ウラ面には「ウトロさん、ありがとう。」の文字が。
とんでもないです、私の方こそありがとうございます。

ポケモングッズ
又三郎さんからの箱にポケモングッズが。
これはきっと子どもたちに喜ばれると思います。
絵本を持っていく度に「ポケモンないの?」と言われていたので。

焼き菓子
最近はありんこ支援隊への個人的支援物資ということで、
コーヒーやマックカード、お菓子の差し入れなどを
箱の隅にしのばせて頂くことも多く、
(ありがとうございます。でもどうか皆さん、気を使わないでくださいね。^^;)
この日もこるなっこさんから頂いた手作りのグラハムクッキーで休憩をしていると
一台のトランポが駐車場に入ってきました。
先日、haseオフロードパークにいらっしゃった
「くすりや」さんこと、IBパパさんのファミリーでした。

コースでお会いした時にはひと言もありんこ支援隊のことは言わなかったのに
義援金を持ってわざわざご家族で会いに来てくださいました。
奥さまと「サンニンシマイ」も一緒です。(笑)
くすりやさん、本当にありがとうございました。

支援の輪が思わぬところから広がって、
ありんこ支援隊に協力をして下さっている全国のありんこさんも
いつのまにか優に120名を越えました。
なかなか全ての皆さんをご紹介できなくて申し訳ないのですが
一人ひとりの思いが繋がって、これからも被災地へ
ありんこらしい小さな支援ができたらと思っています。

さて、午後2時過ぎに新潟を出発してトレックフィールドさんに到着したのは夜8時前。
ゴールデンウィークでもっと混むかと思いましたが
時間がずれていたようで、大きな渋滞もなく仙台へ到着しました。

トレックさんにて
Photo:トレックフィールド
トレックフィールドさんで、自転車や食料品など
明日「稲井小学校」に届けてほしいという物資を受け取りバスに載せました。

とれっくか~ちゃん
Photo:トレックフィールド
ウトロンを抱っこして「わーいわーい」と幸せそうなとれっくか~ちゃんと、
か~ちゃんの迫力に目が泳ぐウトロン。(笑)

お預かりした物資を載せて、石巻へと移動し、
この日もテント泊でした。


【30日 石巻へ】

コーヒー
こちらもありんこ運搬係への支援として頂いたドリップコーヒー。
熱いコーヒーで目を覚まし、渋滞が始まる前にテントを片づけて出発。
先々週はこの時間はやっていなかったセブンイレブンもローソンも
今週はちゃんと営業をしていました。

川沿いの道
とれっくか~ちゃんから、稲井小学校の避難所のリーダーである
「山口さん」という方を訊ねていくように言われました。
山口さんは「山口輪業」というバイク屋さんを営んでいらっしゃったそうですが
自宅もお店も商品も、すべて津波で流されてしまったのだそうです。
ナビで向かうと、小学校は石巻市街地から約40分、川沿いに進んだ先にありました。

稲井小学校
8時前に稲井小学校に到着。

稲井小学校
今はGWで学校は休みですが、
避難所ではあるものの、もう学校の一学期は始まっているようです。

バス
体育館の裏手にバスを停めました。
すると、リーダーの山口さんが出てきてくださいました。
ここには約50名の方が避難されているそうです。
電気と水は通っているそうですが、道が不便だったためか
大規模な避難所が優先されて、50人規模の避難所は後回しにされたためか
この稲井小学校は他よりも物資の支援が遅れているのだとか。

避難所
トレックフィールドさんからお預かりした物資をお渡しした後
ありんこ支援隊の物資も体育館の軒下に並べさせてもらい
必要なものを手にとって頂きました。

特に水のいらないシャンプーや缶詰、下着、コーヒー、爪切りなどが喜ばれ、
また、電気が点くとはいえ学校の灯りを夜も煌々と照らすわけではないので
ランタンやプッシュライト、乾電池も喜ばれました。
子どもたちにはやはりポケモングッズとコミックが人気でした。^^;
「このコンテナがあると嬉しいんだけど。」と言われましたが
ありんこが物資を入れているような、半透明のコンテナボックスは
ヒラチさんたちが義援金で買って、5月3日に40個をお届けする予定と
トレックさんから聞いていたので、その旨をお伝えしました。

今回、日本酒の差し入れもあったので
「お酒は差し入れてもいいですか?皆さん、飲まれます?」とお聞きしたら
「こっそり飲んでます」ということだったので、こっそりお渡ししました。

「コーヒーカップはないですか?5つくらい。
ばあちゃんたちが何か飲む時にいるみたいで。」と山口さん。
5つには足りませんが、バスの中に常備していたコーヒーカップを2つお渡ししました。

「トランポみたいだけど、エンデューロか何かやっているんですか?」
と山口さんに聞かれ、ありんこ支援隊はオフロードライダーの
支援のつながりで活動をしている事をお伝えすると、
「実は私も定義なんかでレースに出ていて・・・」とご自分のことを語って下さいました。

よくよくお聞きしたら、山口さんは
モトクロスの成田亮(アキラ)選手ともかなり近い方で、
東北でモトクロスをやっている方ならきっとご存じではないかと思います。
(『Y'sレーシングWAKO'S』というチーム名ででていらっしゃったようです。)

近くの山々を指さしながら、
「ここら辺の山なら全部走りましたよ。
でもこの山の周辺が(ご遺体の)土葬場となることになったので
もうやっぱりしばらくは乗れないですよね。
こっちにいるライダーもみんな結構被災してしまいました。
アキラ(成田亮選手)なんかも、トランポと練習車を
仙台空港で流されてしまったし・・・。」

バイクやトランポが流される、練習コースが無くなる、
チームメンバーが離散する、ショップが無くなる・・・
山口さんの話をお聞きして、知っている固有名詞がたくさん出てくる中で
なんだか今までとは違う意味で、妙に近い被災の現実味を感じました。

10時から避難所のリーダーの会議があるということなので
山口さんにデジカメを2台お渡しし、
お礼を申し上げて稲井小学校を後にしました。

グラウンドでは野球部がクラブ活動を始めており、
その隅で避難されている方達が日がな時間を過ごされているのを見て
一日も早く避難所の皆さんが、安心して過ごせる
安定した生活を送れますようにと願わずに入られませんでした。


北上川
続いて2週間ぶりに十三浜へ。

iPhonでルートを確認したら、いつもと違う川の反対側の道を案内するので
もしかしたらこちら側も行けるようになったのだろうかと、
ルート案内されるままに進んでいくと、

鉄板道路
道はアスファルトが途中で途絶え、鉄板道路になりました。
これはうなぎ工房さんが話をされていた、
雄勝地区へと向かう道のようです。

落ちた橋
対岸の十三浜へ渡る橋は橋げたから流されており
やはりこちら側から行くことはできませんでした。
それにしてもこんなに立派な橋の橋げたが流されるなんて・・・
今は静かなこの川面ですが、改めて津波の破壊力を思い知らされます。

途中でUターンが出来なかったので、出来るところまで進んでいくと
どん詰まりは、全校児童108人中、死者64人、行方不明10人という
大川小学校を見下ろす橋のたもとの堤防でした。

眼下に広がる一面が泥の海となった中に、
大川小学校の鉄筋コンクリートの建物だけが
唯一、ポツンと残っていました。
数台のブルドーザーが作業を続けるのを見下ろしながら
車に乗り合わせて来たらしいおじいちゃん、おばあちゃん達が
校舎の跡地に向かって手を合わせていらっしゃいました。

これまで何度も被災地を見て、ショックに言葉を失いながらも
こちらが泣いてはいけないという思いもあり
その場で泣くことはなかった私ですが、
ここは胸がえぐられるような思いで息がつまり
カメラを向けることもとても出来ず、
手を合わせながら涙が止まりませんでした。

車をUターンさせて今来た道を戻り、いつも通る対岸へ。


十三浜へ
十三浜へ続く道は2週間前よりもきれいになっていて
道を作るための事前準備となる河川敷が作られ始めていました。
避難所の方たちを乗せているマイクロバスとすれ違いましたが、
自衛隊の方が運転する入浴支援の車の様でした。

電線工事
電柱工事も行われていて、2週間前にはなかった新しい電柱が
等間隔でたくさん並んでいました。

白浜荘へ
まずは高台の白浜荘さんへ。

まだ若い白浜荘さんの社長さんが出てこられました。
「今ちょうどGWなもんで、僕一人なんです。
ほとんどの人が親戚の家に息抜きに行っていて、
残っている人は今お風呂に行きましたし。」
ああ、やっぱりさっきのマイクロバスですね。

「みんなだんだん今の生活に慣れてきたというか、
2~3日親戚や知り合いの家に泊りがけで遊びに行って、
またここへ"帰ってくる"ようになっちゃったんですよね。」
と苦笑しながら言う社長さんの話に、少しホッとしました。

白浜荘
そんなお話を聞いているうちにも、
一台の車が白浜荘さんの駐車場に入って来られ
聞くと、親戚の方を迎え来たのだそうです。
その車のお迎えを待っていた70代くらいの男性は
社長さんにお礼の握手を求めたその手で
多分私たちがどういう者かわからなかったのだと思いますが
私たちにも握手をされて、白浜荘さんを後にして帰っていかれました。

「食事は昼と夜に、お弁当や焼きそばや、ご飯とおかずが届きますが
十分過ぎる量があるので、朝それを食べても余るくらいです。
配給が届く前は自炊をしていましたが
今は、自炊は出来るだけしないようにと指示されているんです。
備蓄品よりも支援物資を余らせないようにということでしょうね。
電柱は近くまで立っていますが、電気はまだまだ先だと思います。
水は給水車が運んできてくれますが、燃料は分けてもらっています。
電気が来ても、それより先に水が来ないと生活はできないですね。」

生活はいかがですか?
暑くなったり寒くなったりで大変そうですが・・・

「やっぱり夜になるとまだ灯油が必要ですね。
それより日中暑くなると、虫がすごいんですよ。
外に出ると、一人に2~300匹もついてくるんです。」

暑くなるこれからは、虫除けと臭い対策が必要なようです。

チーム天竜さんのドラム缶に入れた
ガソリン60リッターとランタン、乾電池、
下着とドライシャンプー等をお渡しし、
「また来ます」と白浜荘さんを後にしました。


長観寺
続いて長観寺さんへ。
現在は各避難所や親戚に移られて、
長観寺さんに避難していらっしゃる方は一人もおらず
お寺の方たちだけがここで生活をなさっていますが
まだ現場に来られてお寺に顔を出される方もいらっしゃるということで
お世話になったお寺の皆さんにご挨拶をして
ご希望のあったデジカメをお届けしてきました。


トレックフィールド
白浜荘さんでの受け取り品があったので
トレックフィールドさんにこれを届けるために
帰りにもう一度仙台へ寄りました。
いつも夜にバタバタ来てバタバタ帰ってばかりでしたが
この日は一時間ほどお茶をご馳走になり、
トレックさん主催の楽しそうなトレールライディングのDVDを
大きな画面で見せてもらいました。

バイクで山遊びをしながら練習するトレックさんのこのイベント、
そのうちに物資と一緒にバイクを積んでくる日があるかも知れません。
その時はよろしくお願いします。m(_ _)m

GWは全国から東北に親戚や知り合いの方が訪ねて来られ、
物資も一時的に豊富になり、また避難所の方にとっても気晴らしになる期間ですので
あまり長いはぜずに、宮城を後にしました。

被災から8週間。
これからは命にかかわる緊急性のある物資がメインではなく
「コーヒーカップ5個ありますか?」に見られるように、
それぞれの方の避難生活に必要な、こうした細かいものが
物資支援の対象となっていくのだと思います。

もちろん避難所の環境やタイミングによって必要なものは変わり、
今はこれが必要とされている、とは「ありんこ募集物資」に
なかなか明示しにくくなってきてはいますが、
基本的には「すべて流された」というのが事実ですので
私たちが普段生活していくなかで、
「あ、もしかしたら今はこれが必要なんじゃないだろうか」と想像し思いを馳せることが
これからの支援にもっとも大切なのではないかと思います。

被災地を訪れるのは、これまでのように毎週ではなくなるかも知れませんが
これからも長く、長く、みんなで一緒に支援をしていけたらと思います。


ということで、なかなかレポートが追いつきませんが、
次回はGWダイジェストをお届けしたいと思います。
(が、いつになりますことやら。^^;)

投稿者:かまた  posted at : 23:45 | コメント (3)

  

2011年04月26日

一回休み

雪国新潟にも、遅い春が来ました。
田んぼの雪は消え、冬の間ウトロンが思い切り走り回れた
広い雪原がなくなってしまった代わりに
つくしやフキノトウが、あぜ道にたくさん顔を出しています。

朝の散歩
水仙、タンポポ、マンサク、ハコベ、カタクリと
この時期は、朝の散歩で毎日新しい春を見つける楽しい季節です。

今週は「それいけウトロ号」が車検のため、物資運搬はお休みです。

情けない話ですが、ちょうど牡鹿半島の「めぐろさん」からも、
「あなた、顔がむくんできたから少し休みなさい。」と
笑いながら言われてしまったこともあり^^;ゞ
私自身の体力回復のためにも、今週は休養をとりたいと思います。


支援物資
土曜日、ちょうど私たちのお休みに合わせて
DR乗りの(ζ`)さんが物資を持って新潟に来て下さいました。

(ζ`)さんとはこれまで一度もお会いしたことはありませんでしたが、
ご自分との向き合い方とか、挑戦する姿勢とか、
ずっとブログで拝見してきて、じっくりお話してみたい方だったので
(なんたって、かまたの「心のライバル」でいらっしゃるので、笑)
下道13時間かけていらっしゃったというのに、休ませることもなく
弊社のミーティングルーム(別名:楽さん反省部屋)にお連れして
翌日のお昼くらいまで、たくさんのいろいろなお話をお聞きしました。
震災のこと、お仕事のこと、ご家族のこと、バイクのこと、ラリーのこと・・・

話す、というのは、考える、と同義語だと思うのですが、
(ζ`)さんは普段から、きっと様々なことを
いつもいつも考えていらっしゃるのだなあと、
お話を聞きながら思いました。
(私もぼーっとして生きていてはいかんなあと反省しつつ。^^;)

あれやこれやといろいろな話をしたおかげで、
久しぶりに、バイクに乗りたい、という気持ちが湧いてきました。
それまでは、いろんなチャリティーイベントに誘って頂いたり
そろそろ練習しなくちゃ、と思いながらも
自分の気持ちとしてはさほど「乗りたい」とは思わなかったのですが、
近くの林道にトラ車を持ち込んでトコトコ走ったら楽しいだろうなあと
芽吹き始めた山々を見て思うようになりました。
@BOSSもまだ一度もHUSABERGに乗っていないままですしね。

(ζ`)さん、本当にありがとうございました。
どうか懲りずに、また遊びに来てくださいね。(笑)
どこかで一緒に走れる日が来ましたら、よろしくお願いします。


(ζ`)さんをお見送りした後、
最近すばる君がよく練習に行くという「HASEオフロードパーク」
ドライブがてら偵察に見に行ってみました。

ハセオフロードパーク
この日、残念ながらすばる君はいませんでしたが、駐車場にトランポが1台。
以前しどきでお会いしたことのあるIBの方です。

よもぎ
ウトロンも広いところは久しぶり。
といっても、フリーにしても走り回るわけでもなく、
のんびり草など食んでいます。^^;

挨拶
IBのパパさんがとてもウトロンを可愛がってくれましたが、
この日5才になるという小さなお嬢ちゃんは、
自分より大きなウトロンに、興味あるのに怖くて近づけません。(笑)

観客席
へ~、ちゃんと観覧席もあるんですね。

花
「ウトロンにね、お花摘んであげたよ。」
さっきの女の子が小さな花束をくれました。
「ありがとう、ウトロンに直接あげたら?」
「いやーーーーー!!!」

5才になった妹と、6才のおねえちゃん。
「もう一人下にいるんだよ。女3人。」
「女3人じゃないでしょ、サンニンシマイ、って言うんだよ。」
おねえちゃんが妹をたしなめるのが何ともほほえましくて笑えます。

コース
「HASEオフロードパーク」はご覧の通りの砂地で、水が溜まることはありません。
昨日のような大雨が降った後の方がかえって走りやすいそうです。

本当にふかふかのサンド。転んでも痛くなさそうですが、
タイトなターンやフープスもあって、見ているだけで腕があがりそうです。^^;

コースを走る
IBパパさんが休憩をしている間、少しコースを歩いてみることにしました。

みんなで
「どこ行くの?」
ん?コースを歩いて見てくるの。
「私も行くー!」
天気の良い日曜日の昼下がり、コースでかけっこをする4人と1匹。

駆ける
私が写真を撮りながら歩いていると
「遅いよー!」と心配して走って戻ってきます。子どもは元気です。^^;

「ね、手つないで行こ。」

私の手のひらに、するりと入り込んできた小さな手。
こんなに小さな手と手をつないで走るなんて、いつ以来でしょう。

バイクなら1周1分かからないくらいの短いコースですが
全部が深い砂地のコース、駆け足で廻ったら
最後はウトロンもヘトヘトになったようで、帰りの車は爆睡していました。

※HASEオフロードパークの走行は、必ず事前にお店へのお申し込みが必要です。
詳しくはプロスHASE東港店さんまでお問い合わせください。


夕陽
ボンネットに映る夕陽を見ながら、
「あ~、あの子達のおかげで、ものすご~く癒されました。」
と言ったら、
「確かに、しゃべるウトロンみたいだったね。(笑)」と@BOSS。
無邪気でまっすぐな命に触れて、私自身もとてもリフレッシュしました。
本当に、こんな休日は久しぶりです。


日が暮れて、今日という日が終わります。

今週は車検で、私たちは「一回休み」をさせてもらいましたが
私たちが休んでも、また、私たちにとっては「一週間に一回」でも
被災地で暮らす方の生活は毎日続いています。

そのことを忘れないで、バイクに乗っても、仕事をしていても
心のどこかにいつも被災地のことを置いておきたいと思います。
私たちに出来るのは、まずはそこからだと思うからです。

テレビが映し出さない限り思い出さないということではなく、
テレビが映そうが映すまいが、
あの地に暮らす方達はそこにいるのだという事実を
私も忘れないで日々を過ごしていきたいと思います。

投稿者:かまた  posted at : 19:30 | コメント (6)

  

2011年04月19日

白浜荘、そして再び牡鹿へ

金曜日夜恒例の仕分け作業、
今回はビーバー隊からの27ケースも含まれていたので
少し早めに始めようと思いましたが、
GW向け広告の締め切り仕事をなんとか終えて
仕分けにかかり始めたのはやはり夜7時半。

「仕分け手伝いましょうか?」というコタンさんからのメールを読んで
携帯電話に向かって思わず手を合わせました。(-人-)

仕分け作業
皆さんから送って頂いたたくさんの物資をクリアボックスに仕分けしていきます。

デジタルカメラ
ありんこのページでデジタルカメラのことを更新したら
取説、付属品を揃えて、すぐに発送してくださったK藤さん、ライダーさん、
どうもありがとうございました。

絵本も、あっという間にたくさん集まりました。
児童書、学習冊子、子供用のパズルやぬりえも。

絵本OLIVIA
あ、オリビアだ!これ、私がもらっちゃおうかな。
ページを開くとそこにはお手紙が・・・

手紙
ひさいちの人へ
本をおくります。
まだよしんがいっぱいあるけど、がんばってね。
おうえんしています。
こやまもえより(小学校2年生)

う・・・もえちゃん、私ったら、やましいこと考えてごめんね。(TдT)
ちゃんとお手紙と一緒に被災地のお友だちに届けるからね。


さて、今回の石巻行きでいつもと違ったことが一つ。
現地石巻周辺でボランティア活動をしていて
このブログにコメントを下さった「ゆりさん」が、
私たちが次回行くまでの間に一度、長観寺さんを訪れて
その間の情報を送ってくださっていたことです。

以前のブログで「情報のこと」と題して、現状を正しく把握する難しさを書きましたが、
物資の支援は「現地の今」の情報がとても重要です。
ですが、この情報は、現地にいる方だからわかるというだけでなく
正確に実情を把握する力と、それを正確に伝える力が必要です。

例えば、避難所のどなたかに訪ねたら
「食料は毎日届いている」と言われたとします。
これを聞いて、「ああ、じゃあ大丈夫」と思うか、
どんなスパンで何が届いているのか、現在ストックはどれくらいあるのか、
届かないもので必要なものは何なのか等を把握できるかできないかで
その後にできる支援がまったく違ってきます。

木曜日に長観寺さんを尋ねていたゆりさんから届いたメールは

配給はおにぎり、食パン、ロールパン、バナナ。
食パンに付けるジャムなどが欲しいとのこと。
冷蔵庫がないのでバターはダメ、
野菜は差し入れで間に合っている。
果物はバナナ以外が欲しい。
私は今回グレープフルーツ12個、オレンジ13個、
りんご60個くらい差し上げました。
もし果物を持ってきたら、他の避難所がいいかも。
一日で食べきれる量の肉類(冷蔵庫がないため)。
果物の缶詰、
生クリーム、ヨーグルト(デザートにできる)
日持ちのする食品

というような内容でした。

そこで、ジャム、マーマレード、ピーナッツバターと、
魚肉ソーセージ、冷蔵保存のいらないレトルトミートボールなどを
用意して行くことにしました。
ちゅうめさんからも、パックの野菜ジュースをたくさん送って頂きました。

プリン
デザートにできるプリンもクーラーボックスで用意しました。


さて、仕分けとともに積みあがっていくクリアボッスを見上げると
どう考えてもそれいけウトロ号1台には載せ切れません。
かといって、今週持って行かないと一週間遅れてしまい、
今は必要だけど、来週にはいらないかもというものもあるし、
私たちの都合で持って行けないことで、
現地の方に一週間、不自由さを強いることもいやなので、
一緒に行ってくれるトランポ持ちの方を探しました。

@BOSSも、夜分に悪いと思いながら
気心の知れている数人に電話を掛けてみました。

taishoさんは「僕は行けないけれど、何人かトランポを持っていて、
ありんこさんの活動を知っている仲間がいるので声を掛けてみます」
そう言って直ぐに電話をかけてくれたようですが、
さすがに今晩言って明日と言うのには無理があり
可能な方がいなかったようで
「すみません、お役に立てなくて・・・」と
非常に悪がっていました。

いいえ、taishoさんのその真っ直ぐで純粋な気持ち、
とても嬉しかったです。
何も出来なくて・・・と言ってましたが、
十分に私達の心の支援になりました。
ありがとうございました。

そんな中、カカ1号&カカ2号さんが、
「私たちで役に立つなら、喜んで!」と
2つ返事で協力してくれることになりました。

二人ともバイク乗りでトランポ持ちですが、それぞれ家族持ちでもあります。
にも関わらず、今日の夜言って明朝出発という無理な話しに
「大丈夫、大丈夫!」と即座に対応してくれてありがとう。(TдT)

ようやく深夜11時過ぎに仕分けが終わりました。
送って頂いた箱のまま積んでいくものもいくつかありますが、
ほとんどはカテゴリーによって半透明のBOXに詰めていく事で
現地で必要なものの出し入れがとても早くなるのと、
残量がひと目で把握できるので、
時間がかかっても仕分け作業は必要なのですが
コタンさんが手伝ってくれなかったら、徹夜作業だったかも・・・^^;


【土曜日】

カカ1号&2号
土曜日朝6時、カカ1号&2号さんがサロンドアトラスに来てくれました。
(あとで聞いたら、5時に「早着」していたんだとか。^^;)
カカさんのハイエースに物資を載せて、7時石巻へ向って出発。

まずは先週の日曜に伺った、十三浜を目指します。

東北道
途中高速でいきなり渋滞が始まり、何だ何だと思ったところへ
ちょうどいわきの「ゆーじさん」から電話がかかってきたので
ま、まさか原発で何かが!?と思いましたが、
渋滞は単に週末ボランティアが増えたための自然渋滞であって
電話の内容はいわきの現状の報告でした。^^;

「いわきは3.11より余震が大きくて、今回壊れる家もあるくらい。
原発はねえ、なんかこっちに住んでる人は、もう仕方ないって諦めてる感じ。
もっと遠くどこかへ避難しようにもお金がかかるし。
逆に20キロ圏内から、いわきに避難してくる人もいるし。
でも慣れって怖いね。誰もマスクや帽子なんかしてないよ。
それより今いわきで怖いのは、人だね。
火事場泥棒みたいな強盗・空き巣が多くなって、治安が悪くなった。
みんなだんだんお金もなくなっていくでしょ。
なんかさ、人がゾンビ化しそうなのが怖い。わかる?そういう恐怖。
それよりさ、今は南風が吹く時期だから
いわきより、ありんこさん達が行く地域の方が
放射線量は気をつけないとだからね!」

原発施設の仕事にも関わりのあったゆーじさんは
私たちのガイガーカウンターでもあります。( ̄∀ ̄;)汗

石巻河南ICから北上川河口方面へ。

お地蔵さん
このお地蔵さんは、ほんの少し位置がずれただけで
津波の後にも同じ場所に鎮座しています。

道路工事
先週来た時には通れなかった道も通れるようになっていたり、
新しい道を作るための杭が打たれていたり。
道路が復興していく速さには@BOSSも驚いていました。
今まで道が寸断されていたために、他に比べて
物資支援が遅れがちだったこのエリアも
これからどんどん支援の手が入っていくようになると思います。

先述のゆりさんからのメールには、
長観寺さんの少し先に「白浜荘」さんという旅館があり
そこも避難所になっているらしいけれども、
その日は持って行った物資をすべて長観寺さんに差し上げて、
白浜荘さんには行く事ができなかった、
ということが書かれてあったので
私たちはこの日一番最初に、白浜荘さんへ伺ってみることに。

長観寺周辺
長観寺さんを一旦通り過ぎ、途中、たくみさんととれっくか~ちゃんと合流。

白浜荘へ
白浜荘さんは海岸を見下ろす高台にありました。

白浜荘
白浜荘さんに34名、そのすぐ下にある個人宅2軒に29名、
合計63名の方が避難をされていらっしゃるとのこと。
長観寺さんと同じく、自治体に把握はされていたものの
ここへ来るまでの国道が寸断されていたため
物資は長観寺さんと同じような届き方だったようです。

そのため、長観寺さんと同じセットで用意をしてきた
ジャム関係、レトルトの肉料理を手にされると
「奥さん、ほら、ジャム頂きましたよ!うれしい!」

こんなに喜んで頂けるということは、
やはり食パンやロールパンを何もつけずに
そのまま食べていらっしゃるということのようです。
お聞きしたら、長観寺さんについてのゆりさんのメールにあった通り、
配給は、おにぎり、食パン、バナナが届き、
野菜はある日一度にたくさん配給される日があるので、
特に今のところは大丈夫です、とのこと。
プロパンで、ある程度自炊することもできているそう。

雨が降っていたので、玄関までの軒下に物資を並べさせていただくと
「えー、コーヒー、嬉しい!いいんですか?
毎日みんなよく飲んでいるから。あ、ココアもある!」
コーヒー、紅茶、ココアなどのお茶関係、下着、長靴、
トイレと台所用品、化粧水、雨合羽、安全靴、野菜ジュース、etc

ガソリン缶
ガソリンと灯油もお渡しし、

ランタン
ランタンと乾電池もたくさん手にとっていただきました。
まだまだここへ電気が通るのは先のようです。

絵本
絵本もお届けしてきました。
男の子は乗り物と戦隊ものが好きですね。

今回、Ayumiさんの提案で、鯉のぼり(100均ですが^^;)を数本用意して
物資の箱の隅にそっと置いてみましたが、
小さな男の子が喜んで3本、勇ましく肩に抱えていきました。

その後、長観寺さんへ。

長観寺さん
自衛隊の方が捜索作業をされていました。

白浜荘さんは避難所が被災現場から少し奥まって離れているので
道を降りていかなければ被災の様子を目にすることはありませんでしたが・・・

長観寺さんより
長観寺さんの階段を登り、物資を運んで振り向くと、
そこには皆さんが長年暮らした町が広がっています。

長観寺さんは現在、一週間前の50名から
35名くらいまで避難されている方の数が減ったそうです。
本当はここから少し離れた、「サンパーク」という公式避難所に
できるだけ移るようにと自治体から言われているそうなのですが、
大切な方、大切なものがここに眠っていて
まだ見つからないということもあって
やはりここを離れがたいのだと思います、と
お寺の方が言われていました。

小学生くらいの子ども達だと、絵本や靴の入った箱を前に
あれがいい、これがいいと声を上げながら選んでくれますが
中学生、高校生くらいになると、一歩引いて遠くから眺めています。
自分から何かを探して手に取ろうとはしません。
私たちがこうした物資を運んでくることも
どんな気持ちでいるのか、とても気になります。
彼女達の心が安らぐものがあったら、届けてあげたい、
そう思うのですが・・・。

食料品や、台所用品、トイレ消臭剤、洗濯用品など
細々した生活物資はたいへん喜んでいただきましたが、
用意した物資の中で、大きなもの、ブルーシート、スコップやホース、
サイズが大き目の長靴や安全靴、台車などがほとんど余ってしまいました。
どうしよう・・・。

本当は私たちは、このエリアでほとんど使って頂けると思っていたので
カカさんにお願いをして、今回持ってきたのですが
それはある、それも昨日持ってきてくれた、というものが多くて
こうなるとあとは全部持ち帰りかも・・・。

サンパーク
帰りながら、近くにあるという公的避難所がどんな様子か
一応行ってみることにしました。

ソフトバンク移動基地局
ソフトバンクの移動基地局。

公的避難所
サンパークの避難所には大きな白いテントが立ち並び
あらゆる職種の工事車両が入ってきていました。
ここで必要な物資は言えば届くようになっていると思われるので
あえて聞くこともせず、私たちはサンパークを後にしました。

カカ1号&2号さんも、とれっくか~ちゃん、たくみさんも
明日は用があるということなので、石巻で解散することに。
今日は一日ありがとうございました。お疲れ様でした。

さて、皆さんと別れて@BOSSと相談しました。

おそらく、先週の感じでは、牡鹿半島ではどこの避難所も
物資はもう行き渡っていると思います。
かといって、皆さんから送っていただいた物資や
お預かりした義援金で調達した燃料を無駄にしたくはありません。
でも、ありんこ支援隊としては、荷物を空にするためだけに
特に必要ないというものを避難所に一方的に
ど~んと置いてくることだけはしたくありません。

それと、月曜日は朝イチから動かせない仕事が入っているし
@BOSSも私も、もう一ヶ月以上休んでいないので、
日曜は一日ゆっくり体と頭を休ませた方がいいかも・・・と思っていたのもあり
残った大量物資を前に考え込んでしまいました。

必要とされる物資を届けるのであれば、
たとえ疲れていても喜んでやれる力が湧いてきますが
必要でないかもしれないものを届けるのは足が重い・・・。

とりあえず残った物資をトレックさんに届けて私たちは新潟へ帰り、
後日どこかに配ってもらうという方法もあります。

でも・・・・・・。

話し合った結果、やっぱり私たちは自分達の足でこれを届けてみて
どこでももう不要とされることで、本当に牡鹿で物資が行き渡ったかを、
この目で見届ける責任があると思い直しました。
もう一日残って回ってみることにします。

ということで今日もテント泊です。
近くにお風呂もないし(泣)、今日はこのまま寝ます。
おやすみなさい。

明け方近く、ものすごい風で目が覚めました。
テントが横風を受けて、今にもひっくり返りそうです。
@BOSSが四隅をしっかり止めてくれていたので
実際にひっくり返ったりすることはないのですが
「怖い」と思うような強風です。

真っ暗な中、ゴオオッという風の音に「帰りたい」と思いました。
その時、あ、私は帰れるんだ、
でも家を流された方たちは、どこにも帰れないんだ、と
水を浴びせられたような気持ちになりました。


【日曜日】

テント
いつのまに再び寝たのか、
朝5時、ウトロンに顔を舐められて起こされました。
よし、牡鹿半島へ行こう。
行って、必要とされれば届けて来れるし、
どこにも物資を必要とされなければ、
牡鹿でのありんこの使命は終わりと確認できる。

おにぎり
朝6時30分、渋滞を避けるために早めに出発。
コンビニはセブンイレブンもローソンも
まだ24時間営業はしていないので
昨日とれっくか~ちゃんからもらって
少し固くなってしまった手作りおにぎりをありがたく頂きました。

ファミリーマート
他のコンビニとは流通経路が違うのか、
ファミリーマートはなぜかどこも営業をしています。
それともこれも、被災地支援という経営者の方針なのでしょうか。
多分、そうだろう、と@BOSS。

女川の港へ入るあたりで、荷崩れしそうな荷物を直そうと停車すると
すぐ後ろに、70代くらいの小さなおばあさんが立っていました。
バスの停留所でもないし、何しているんだろう?
すると、おばあさんは自衛隊の車両が通るたびに
「ありがとうございます!気をつけて行ってきてください!
ありがとうございます!」
あらん限りの大きな声で叫びながら、日本国旗を振って
深々とお辞儀をしています。

旗を振るおばあさん
朝7時には自衛隊が持ち場につくので、おそらく毎日ここで
お礼を言いながら、一台一台見送っているのだと思います。

私達も、被災地をこれまで5週間通って見てきましたが
現地での自衛隊の方々の活動に頭が下がる思いは一緒でした。
自衛隊の方にその声は聞こえないかもしれないけど、
そうせずにはいられないのであろうおばあさんの気持ちが伝わって、
少し涙が出ました。

女川へ
今日は最初に寄磯小学校へ行くので、いつもと反対周り。
こちら側から女川へ入るのは初めてです。

女川
カーキ色の車両が、あちこちですでに作業を開始しています。

お風呂場
夕方通ると、いつも灯りが点いている仮設の小屋。
発電機があるようですが、避難所なのかどうかはわかりません。
でも今日は表に人が出ていらっしゃったので、@BOSSが
「何か必要なものがないか、聞いてみよう。」

支援物資を運んできたんですが、ブルーシート、お使いになりますか?
すると、
「え?いただけるんですか?
実はここは避難所ではないんですが、お風呂を沸かすことができるので
この先にある海尖閣さんに避難されている方たちが入りに来るんです。」
じゃあ、目隠しや風除けに使えますね。
ランタンもありますが・・・
「いやあ、ありがたいです。毎回何かあるたびに
発電機を起こさないといけなかったので
ランタンですぐ灯りが点くのなら・・・」

こちらは下着や食料は大丈夫ということでしたので
他に、雨合羽や女性の方用の化粧水、ハンドクリームなど
これがあると助かる、と言われたものをお渡ししました。

お風呂場に支援物資をお届けしたのは初めてですが、
あのお風呂にも今夜ランタンが灯って、
少しだけ明るい夜を過ごして頂けたら嬉しいです。

海
今は静かで美しい海。

ヘリコプター
救援物資でしょうか、捜索でしょうか。
ヘリコプターがホバリングをしています。

亀裂
あれから2度の大きな余震と、細かい余震があり、
初回にはなかった亀裂が道路にたくさん入っています。
あちこちで応急手当のような修復をした跡もみられますが
地震と修復の追いかけっこのようです。
今大きな余震が来たら、私たちも帰れなくなるかもしれません。

ナビ
最初の頃、寄磯小学校へ行くためには
女川原発内(ナビのグレーゾーン)を通らなければなりませんでしたが
今は通ることなく避難所へ行くことができます。

女川原発
松林の中に見える白い建物が原子炉建屋です。

ところどころに立っている、「原発反対」の手書きの看板には、
「建設やめるか、事故で止めるか」と書かれた文字が・・・。

土砂崩れ防止
土砂崩れを防ぐネットは張られていますが、
頼むから揺れないで~(><)

土砂崩れ
ここは一部崩れていますね・・・( ̄∀ ̄;)汗

寄磯小学校
海辺に面した寄磯小学校には
100人規模の方が避難されていらっしゃいますが
皆さんのリーダーとなっているお父さんがいて
避難所内のあらゆることを把握していらっしゃいます。
「今日は罹災証明書を作ってもらう日で、
今役所の人が来ていて順番に手続きしているんだよ。」
というようなことを女川弁(?)で言われますが、
半分くらいしかわかりません。^^;

「あ、スコップは使う。ありがとう。」
「ホースは昨日山形の業者さんが来て、プールから
水を引けるようにしていってくれたからいらない。」
「雨合羽、下着はあれば使えるから置いていって。」
という具合に、いる、いらないがはっきりしています。

女性の皆さんにも見ていただき
トイレ掃除用具、台所掃除用具、下着、絵本、
マジック、化粧水、ハンドクリーム、リップクリーム等
ダンボールに詰めながらお渡ししました。
(ビーバー隊長、ここの避難所は広いコンクリート敷きなので、
女性の方に台車はとても喜ばれましたよ。^^)

防寒具については、
「ここは暖かくなったから、大丈夫。
でも、ここで使わないからって言っても粗末にしないでね。
もっと北の方へ持っていってあげて。まだ寒いはずだから。」
はい、そうします。

「あと洗面器みたいなのってありますか?顔を洗うのに。」
ああ、すみません。バケツは昨日他でお渡ししてしまったし・・・
ひしゃくがありますけど。
「ああ、それでいいわ、ありがとう。」

タバコ
リーダーのお父さんに「これはどうですか?」
「ああ~、これはみんな喜ぶよ~。いいの?こんなに。
福島に行った人から聞いたけど、今どこに行っても
一人2箱くらいしか買えないんだってね。」
というようなことを女川弁(?)で言われますが
やっぱり半分くらいしかわかりません。^^;
リーダーさんに手渡したタバコを見つけた若い男性が「あっ!」
「夜になったらちゃん~とみんなに分げてやっがら。」

こうして大きな物資は、ホースを残してほとんど
必要なものとして喜んで受け取っていただきました。

下着も前回は「昨日届いたからいらない」ということでしたが
やはり状況はその時その時で変わっていくのでしょうか。
あと残ったのは燃料とランタンだけ。
ここは周辺地域の電気が通るのははまだまだ先なのですが
この避難所だけは小学校が始まるからということで
特別措置であと数日で電気が通るのだそうです。

洗面器も、たぶんこれまでは
水が使えなかったから必要なかったのが
給水車が来てプールに水をためていくようになったので
限られた資源を無駄に使わないように、洗面器が必要となったのでしょう。
必要とされる物資は、その避難所の生活状況に合わせて
どんどんと細分化されていきます。

船
沖に浮かべたたくさんの船。

瓦礫除去
瓦礫撤去作業をする車両。

女川の電柱
先週にはなかった真新しい電柱が等間隔で立っています。

電柱
一旦つながってまた電気が点かなくなったという
「めぐろさん」へ続く道にも電柱が立ち並び、電気を送っています。

めぐろさん
もうめぐろさんにお届けできるものはほとんど残っていないのですが、
帰る前に顔を出して行こうと思います。

食器洗い
女性陣が何か洗い物をしていました。
旅館で使っていた食器のようですね。
「これね、海水をかぶっちゃったけど、私たちがいつか
ここを離れて新しい避難所へ移る時に持って行けるようにって
社長が言ってくれたのでみんなで洗っているの。
二度目の嫁入り道具だって。(笑)」

以前来たときには、ストーブの周りで
ただじっとストーブ(あるいはどこか)を見つめて
ラジオを聴いていたおじいちゃんも
今回は私たちに「遠いところをありがとう。
うちもすぐこの近くなんだけど、み~んな流されちゃったよ。」
そんな話を自分からして下さるようになりました。

オレンジの作業着を来た社長さんが帰って来られました。
「ああ、いつもすいませんね。ありがとう。」
すみません、今日は2日間の最後にお邪魔したので
燃料とホースしかないんです。^^;

「あ、ホース使うよ、切って使えば周りの家でも使えるし。
それにガソリンも灯油も軽油もなくなってきていたから
入れてもらえるとありがたいなあ。
できるだけ燃料を使わないで済むように軽トラで動いているんだけどね。」
他の避難所は燃料は昨日届いたところが多くて
あまり出なかったから、全部こちらに入れていきますね。

ガソリン
ガソリンを携行缶に移す社長さん。

あ、あとタバコも社長さんに残しておいたんです。
と、2カートンをお渡しすると、
「あ~!」といいながら、手を合わせた社長さん。
昨日、他の皆さんは被災地支援で
鳴子の温泉保養所へ招待されて行ってこられたそうですが、
避難所を空けるわけにはいかないので、社長さんはお留守番。
女将さんと社長さんが休むことは一時もありません。
余震がくれば一番に起きて皆さんを起こし避難させ、
いつもいつも誰よりも動いていらっしゃる社長さんに
ほっと一服休んでいただけたら、ありんことしても嬉しいです。

めぐろさんの玄関を出たとたんに
大きな地響きがして地面が揺れだしました。
「余震だ。でも慣れちゃうね。あんまりしょっちゅう揺れると。」
どうかお気をつけて。また来ます。

結局こうして、積んできた物資は全部必要とされて
バスは空っぽになったのでした。
不思議です。

牡鹿半島ではもう物資の支援は行き届いたと思っていたけれど
決してそんなことはありませんでした。
けれど必要とされる物資は確実に変わってきています。
そして、それらは、ここからたった25kmしか離れていない
津波を受けていない石巻市街地で手に入るものも多くなってきました。

ありんこ支援隊の支援のスタイルも変わっていくと思います。
石巻で手に入るようになってきたものは、
皆さんからわざわざ新潟に送っていただく必要はなくなってきますので
買って揃えるのが金額的に難しい中古デジカメなどはお願いしながら
次の支援のカタチに移っていくでしょう。
私たちも、皆さんにとってもいい支援のカタチを探りながら、
これからも、息の長い支援をしていきたいと思います。


土湯温泉の湯
帰り道、「福島県土湯温泉の湯」を運ぶ自衛隊の運搬車を見ました。
温泉に入っていただくための支援活動なのでしょうか。

自衛隊と桜
東北にも桜が咲き始めました。

月曜日、@BOSSは長岡市の保健所で
被曝チェックのスクリーニングを受けて来ました。
(念のため、ウトロンも連れて行ってもらいました。
私は会社を離れられなかったのですが、数値的には同じでしょう。)
結果、自然界の放射能レベルが60くらいなのに対し
@BOSSもウトロンも、最高で80から100くらいだったそうです。
「直ちに健康に影響を・・・」とも遠くかけ離れた数値でした。


最近、ヨーダ婆はまた知り合いから下着を集め、
今度は「ジジシャツ」をたくさん手に入れて会社に持ってきてくれました。
29日には、所属している「花の会」で
地元の避難所に、避難されていらっしゃる方と一緒に
花を植えるのだと楽しそうに言っていました。

コタンさんのブログで紹介されてされていた
「私たち、この人だけを助けることにしたの。」と言っていたおばさん。
みんなが誰かをそうしたら、これってすごいことだと思います。

帰りの高速でそんな話をしていたら、@BOSSが
「たぶん、ヨーダ婆もそのおばさんたちも、
現地の人のことが、もう自分の心に入って、
考えなくても当たり前にやっているんだろうね。
親身になって考える、っていうのは
親身になれない人には難しいことだけど
親身になっている人には実に簡単で
何気なくやっちゃう普通の事なんだと思う。」

そうですね。ありんこ支援隊の物資リストにはないのに、
ばーにーパパがタバコを被災地の方にって
あんなにたくさん買って持ってきてくれたのだって
きっと被災地のお父さんたちのことが心にふっと思い浮かんだのだと思います。
だって、寄磯小の男衆の皆さんも、めぐろさんの社長さんも
あんなに嬉しそうな顔で受け取っていらっしゃいましたもんね。

留守中会社の入口に、越後長岡のおっさんオフローダーさんが
「被災地の子どもさんへ」と書いたメモを入れて
届けてくれたココアも、白浜荘さんでとても喜んでいただきました。

被災者のことを想う、想像力。

一方的な思い込みによる押し付けや、自己満足のための支援は
単に相手や周りの人を傷つけるだけに終わる事もあるけれど、
大事なことは「被災地と皆さんの気持ちが少しでも前に進むこと」。
みんながいつも心のどこかに「被災地のこと」を思いながら
すごくすごく普通に、こうしたことが空気のように広がっていって、
いろいろな支援のカタチが生まれたらいいなと思います。

笑顔になってもらって、自分も嬉しい。
それが支援の気持ちだと思います。
被災地をはかなんで強迫観念と良心の呵責のような
自らの「負の気持ち」を晴らすために支援を行おうとするところには
被災者への想いが欠けているので
そういう理由での支援はしないでほしいな、と@BOSSは言います。

ファミマカー
みんなが大きな親戚のように他の人を思いやる。
そんな日本になったらいいな、と思います。

私も日本の力を、信じています。


【追伸】

スポーツランドしどきの皆さんから、昨日ポストカードが届きました。

ポストカード

拝啓
先日は遠路わざわざお越しいただき、
スタッフ一同深く深く感謝申し上げます。
まだまだ余震は続いておりますが、コース、施設に被害はなく、
少しずつお客様に走っていただいております。

今回改めて、しどきがいかに皆様に愛されているか、私達も認識し、
又、幸せな事とし、胆に銘じて、このコースを守り抜いて行きます事に、
しどきスタッフは全力を尽くして参ります。

本日しどきに桜が咲きました。
宮城、岩手、八戸と必ず桜は北上していくことでしょう。
本当にありがとうございました。  敬具

しどきの皆さん、こちらこそありがとうございました。
大好きなしどき、早く走りに行きたいです。

投稿者:かまた  posted at : 13:10 | コメント (8)

  

2011年04月11日

再び牡鹿半島、そして十三浜へ

金曜日、仕事を終えて物資の仕分け作業を開始したのは夜7時30分。

仕分け作業
雨が降っていたので、会社の駐車場にテントを立てて
その下にコンテナボックスを並べて仕分けをします。

仕分け作業
全国のありんこさんから届く箱の中身は
どれもわかりやすく物資を分けてくださるおかげで
前回よりもかなり時間の短縮はできましたが
すべての仕分け作業が終わったのは夜11時30分。

ダンボール
待ちくたびれたウトロンが、ドアの内側で
若干ふてくされ気味で寝ています。(笑)

今回は、大工作業も、運搬作業も、掃除も、炊き出し料理も、
スポーツマッサージも、どれをとってもプロ並みの
コタン親方と3人で行く予定です。
が、荷物の量が多くて、バスだけでは
物資を少し置いていかなくてはならないかも・・・

コンテナBOX
とりあえず大きなコンテナは「それいけウトロ号」に、
細々した物は「それいけミニウトロ号」に載み込んで
本日の作業は終了。おつかれさまでした。


【土曜日】

ミワコング号
雨が少し残る肌寒い土曜日の朝、
ミワ家が新潟経由で同行してくれることになり、
それいけミニウトロ号のコンテナはミワコング号に積み替えて
トランポ2台で宮城県の牡鹿半島へ向かいました。

石巻
先日深夜の大きな余震で、道は前回より悪くなっているようです。
前回には無かったのに、あちこちで道が陥没して
マンホールが飛び出しているのを目にしました。

電線工事
牡鹿半島へ入ると、
新潟ナンバーのNTT工事車両が何台も並んで、
先週に引き続き電線工事を行っていました。
でも確か、先週工事をしていたのもこの辺りだったような・・・
最近ようやく「めぐろさん」にも電気が通ったと聞きましたが
木曜深夜のマグニチュード7.4の余震によって
またやり直しとなってしまったのでしょうか・・・


この日、「割烹民宿めぐろ」さんには
先週は不在だった社長さんもいらっしゃいました。
ちょうど函館ナンバーの給水車がやって来ていました。
下着や野菜などの食料も燃料も、私たちが持ってきたような物資は
前日に公的支援でたくさん届いたそうです。

「ここは他に比べたら恵まれていると思うんだ。
だからもっと大変なところに持っていってあげて。
でも、中でコーヒー飲んで行ってね。」

めぐろさんは先週電気が通じたのに、その2日後、
深夜のマグニチュード7.4の大きな余震で
また電気のない生活に戻ってしまいまいました。

それであればランタンを置いていきますね。
「あ、ランタンかあ、こりゃあいいや。」

「この間の余震は、11日の地震より揺れは大きかったね。
みんな逃げろ!って声をかけたから誰も怪我は無かったけど
真っ暗だから、裸足で飛び出した人もいて
裸足は絶対だめだぞ!って後で注意したんだけど、
今度から寝る時枕元にランタンを置いて
持って逃げればいいね。」

「今回の余震で建物にもひびが入っちゃって、
この大広間の柱も、ほら、こことそこを補強したんだ。
でも、もう一度大きいのが来たら
持ちこたえられないかもしんないね。」
そう笑顔で話されます。

「正直ちょっと疲れちゃった。あ、言っちゃった。」
ぺろりと舌を出しておどけて言われますが
きっと「疲れた」「辛い」を言わない約束なのでしょう。

ドラム缶風呂
「この間、報道ステーションに出たんだよ。
その時、ドラム缶風呂を焚いていてたから
真っ黒な顔でテレビに出ちゃってねえ。
でもそのテレビを見たって人から、はがきがきたんだよ。
ほら、見せてあげて」

ということは、郵便物は届くようになったということですね。
女将さんが棚から大事そうにはがきを出して見せてくれました。
震災を受けても笑顔で元気に頑張っているめぐろさんと
そこで避難している皆さんの元気な姿に感動して、
こんなことしかできないけれど言葉のエールを送ります、
そんな内容のはがきでした。

「嬉しいよね、復興したら必ず行きますって。
ここは、民宿の安さと割烹の美味しさを売りにしようって
おれが『割烹民宿』とつけたんだよ。
もう一度やりたいねえ。」

復興したら私たちも必ず泊まりに来ます。


次は牡鹿病院へ。

この日はスタッフの方に休みを取らせたということで、
出てこられる方も前回の半分くらいでした。
やはり同じように前日、物資も燃料も十分に届いたので、
ここで手に取られ物は化粧水やハンドクリームが多かったのですが、
一番喜ばれたのは、やはりランタンでした。
ここも電気が通じたのはたった一日だけ、
翌日には余震で再び電気が使えなくなったそうです。
(水道、ガスは相変わらず駄目で、給水車が回っています。)

病院
「どういう支援団体の方なんですか?」
一人の看護師さんに聞かれました。
私たちはオフロードライダーつながりで
支援の物資を集めているんです。
「バイクですか。私もトライアスロンをやっているんです。
宮古島にも行く予定にしてたのに
もう全部駄目になっちゃったなあ・・・」
そんなこと言わないで、
必ずまた、いつかやれる日が来ますよ!
「うん、そうですね、またやれる日来ますよね!」

東北の病院は仙台市を除いては、震災前から
医師不足による医療崩壊が問題となっていて、
医療スタッフの過酷な労働や、入院施設の不足が
深刻化していた所に、震災によりスタッフが減ったことで
病院に残ったスタッフは休めず、
自分も帰る家がないのに働き続け
物資はスタッフ用ではないので回って来ず、
体力と精神力が疲弊してしまうので
無理にでも休ませないといけない状況だとニュースで見ました。

病院のスタッフの方には、スタッフの方を対象とした
体と心を守るための支援が必要になっているのかもしれません。


松島の海
こうしていると静かで美しい松島の海です。

寄磯小学校に着いたのは夕方5時半。
ちょうど夕食の時間に当たってしまうかなと思いましたが
夕食は5時からで、もう皆さん食べ終えた後でした。

寄磯小学校に来る前に@BOSSと相談をしました。
ここは100人規模の避難所なので、
どれくらいのものが必要とされるか読めない部分があります。
先週のようにここが最終地点なら
すべてをそのまま置いていくこともできるのですが
明日も行く予定があるので、
コンテナボックスを並べることはしないで
ホワイトボードに物資のリストを書いて
必要なものだけ、渡せる数を手渡しすることにしました。

が、実際に責任者の方にお聞きしたら、
やはりここも昨日、大規模な物資の支援があり、
下着も野菜も燃料も、現在特に不足しているものはないそうです。

「漫画はどうですか?
出版社の方が送ってくださった本があるんです。」
「そうですか!子供たちに聞いてみます。」
すぐに、子供たちが校舎の奥から飛び出してきました。

少年ジャンプ
「わー!ジャンプだ!」奪い合いです。^^;
コミック文庫も嬉しそうに、どんどん手にとっていきます。

寄磯小の子どもたち
「絵本はもうないの?」
小さな子供は、大きな絵の絵本も読みたいようです。

コミック文庫
この漫画、実はブログにコメントを頂いた
集英社にお勤めの「ussyさん」から送って頂いたものです。
子供向け、女性向け、成人向けでセレクトして頂きました。
(『少年ジャンプ』だけは、部署が違うということで
関係者であるにも関わらず、自費で書店で購入されたそうです。笑)
ussyさん、ありがとうございました。
今頃みんな順番待ちで、漫画を読んで過ごしていることと思います。

漫画はたいへん喜んでいただきましたが、
さて、新潟から持ってきた燃料も食材も下着も、
そういったものは前日届いたばかりということで、
一日の差で、どこでもほとんど必要とされませんでした。
また、牡鹿半島ではリクエストをすると
公的支援機関から届く体制がこの一週間でかなり整ったようです。
このこと自体はとても喜ばしいことなのですが、
私たちとしてちょっと寂しい・・・^^;

明日初めて行くところでも、もしかしたら同じ状況で、
何も必要とされない可能性もあるけれど、それはそれ。
物資支援はこうして少しずつ収束をしていくのだと思います。

この日はテント泊です。
暖かくなったとはいえ東北の4月、
夜はやっぱりかなり冷え込んできます。
避難所の皆さんは暖かく眠れているのでしょうか。

おやすみなさい。


【日曜日】

朝食
朝食はめぐろさんで頂いた支援物資のパンです。
2日に1度、50個のパンとお茶が必ず配られるのだそうです。
とても食べられない、けれど捨てられない、ということもあり
「持って行ってもらうとありがたい」ということでしたので
こちらもありがたく頂きました。(-人-)

前日の牡鹿に続いて、この日行く予定にしていたのは、
とれっくかーちゃんから@BOSSに
「一緒に行って欲しい」と連絡があった
北上川河口近くの十三浜の「長観寺」さんというお寺です。
あまり支援物資が届いていないらしい、という話しかわからず
人数も必要なものも把握しているわけではありません。
もしかしたら、もう十分行き渡っている可能性もありますが
物資の支援ボランティアには、
そういうこともありうる覚悟は常に必要です。

たくみさんととれっくか~ちゃん
とれっくかーちゃんと、たくみさんと合流して十三浜へ。

北上川
北上川沿いに走ります。道は悪いけれど、きれいな景色です。

支流沿岸
が、河口に近づくにつれて様子が一変してきました。

被災地
「え・・・・・・?」 目の前にあるのは原爆ドームではありません。
そこに広がった風景に、皆言葉を失いました。

航空写真
Googleの航空写真で見ると、この○をつけた場所に
避難所となっている「長観寺」さんがあるのですが、
(クリックすると少し大きくなります。)

全景
写真の奥の高台にある「長観寺」さんを残して
その集落には何一つ残っていません。

ここへ来るための国道などが寸断されていたため、
集落内の道を開ける作業用重機の到着も遅かったためか、
今日で震災からちょうど一ヶ月も経つというのに
これまで行った避難所のどこよりも支援物資が届いておらず
まわりの地域から分けてもらったりしていらっしゃったようです。
それでも最近はいろんな科のお医者さんが毎日派遣されて
回ってきてくれるとのことでした。
(歯医者さんから風邪薬をもらったりということも。)

私達もこの景色の中、お寺のところまで進んで行きました。

「何かちぎれた部分だけでも残っていればいいんだけどねえ・・・」
壊れた家の跡から何かを探そうとしていお母さんがいました。
「でもな~んにもなかったわ。」

物資
両側に灯篭の礎石だけ残った参道入り口に車を停め
物資の入ったコンテナを降ろして並べます。
「本当にいいんですか?すみません、ありがとうございます」
皆さんは控えめに下着や靴下のサイズを確認したり
缶詰やお菓子を手に取ったりされています。
50名くらいの方がこちらに避難をしていらっしゃるということなので
「この物資はそっくりこちらにお渡ししていきますよ。
箱ごとお寺に運びましょうか?」
と、とれっくか~ちゃんに話をしたら、
「うん、最後はそうすればいいんだけど
こうして皆さんが『自分のもの』を選ぶことを楽しむ時間も
大事なことだと思うのね。だからまずはこのままで・・・。」

燃料もあまりないということだったので、
積んできたガソリンや灯油をほとんどここで降ろしました。

携行缶
皆さんからお送りいただいた携行缶も活躍しています。

「こちらがご住職です。」とご紹介された方にご挨拶しました。
「こんなことまでしていただいて、本当にありがとうございます。
ここは月浜という地域です。長いことここにおりますが
このような事態は、後にも先にもありません・・・」
ご高齢のご住職は、静かな口調でそう話されました。

皆さんで工夫をして作ったらしい物干し場や
プレハブとバスタブを使って昨日できたばかりというお風呂。
少しずつ生活の場は作られつつあるようですが
震災から一ヶ月たつのに、未だこの状況ということが信じられません。

「ここの避難所も最初は100名くらいの方がいたんですが、
親戚を訪ねたり、他の地域に移ったりして
今は50人くらいの方がここに避難されていらっしゃいます。
でも、この周辺では亡くなられた方の数のほうが多いんです。」

ただうなずきながらお聞きするしかできませんでした。

また、ご住職の娘さんに当たる方でしょうか。
「ここはこれでもまだ震災当時よりもよくなったんですよ。
最初の頃は今私たちがいるここにも、ご遺体がたくさんあって、
お寺に入ってくる道も全然なくて、
ようやくここまで車が入って来れるようになったんです。」

「津波は役所の屋根を越えてこっちへ向かって来てね、
私もその波を見て必死で高台に逃げて助かったんです。
本当はあの大きな役所の建物がこの街の避難所だったんです。
まだ新しい建物だったんですよ。
だからそこに逃げた方も大勢いるんですが、
その避難所に逃げた方は、全員が・・・。」

市役所
避難所であった市役所の支所。


震災後、これまで毎週末に宮城に来て今日で4回目です。
その間、激甚災害地と言われる地域もずっと目にしてきました。
先回のブログにも書いたように、津波の爪あとにも
少しずつ目と心が慣れてきたはずでした。
けれどここは今まで訪れた場所とは違っていました。

これまで訪れた避難所は、津波の被害にあった沿岸部から
すこし離れた高台や、内陸にあることがほとんどでしたが
ここは一ヶ月前までは、普通に生活してきたそのまま同じ場所でありながら、
津波の一撃で、懐かしい景色が全て失われてしまった被災地でもあり
直後は多くの顔見知りの方々が横たわっていた真っ只中でもあります。
でも、その変わり果てた故郷を見下ろす唯一残った高台のお寺で
今は皆さん、寄り添うように生活をしていらっしゃいます。


「こんなにして頂いていいんですか?」
「申し訳ないですねえ、ありがとうございます。」
そんな言葉を言いながら、本当に申し訳なさそうに
遠慮がちに下着を選ぶお父さん、お母さん達があまりにも優しくて
笑っていないと涙が出そうになります。
でも、私がここで泣いていい理由は一つもありません。

これが戦争の結果なら、私も相手の国を憎むかもしれません。
でも今のこの目の前の惨状は、誰を恨むこともできず
ただただ「いったい、どんな意味があるのですか?」と
天に向かって問うことしかできません。
だれか理由を知っていたら教えてください。
どうしてこの優しい人たちが、こんなことになるのか。

他に次回までに必要なものをお聞きしてみると
女性用の長靴、外作業用の雨合羽、傘、
敷き布団(数が足りず、男性は座布団で寝ていらっしゃるそうです)、
保険の書類に必要な写真を取るためのカメラ、衣装ケース、
そのほかにトイレ用消臭剤、たわしなど細かいものをお聞きしました。

おそらくここに水や電気、ガスが届くようになるのは
数ヶ月か先になることと思います。

これからは寒暖差が激しい季節となり、
夜は真冬のように寒いのに、日中は汗ばむほどになる、
体調を崩しやすい季節にもなります。

「でも今夜はみんなでご馳走だわ!
うなぎもあるし、缶詰もあるし。」

最後に物資をお寺の玄関までみんなで運んで
ご挨拶をして長観寺さんを後にしました。


北上川
穏やかで美しい北上川の水面。

アスファルト
道を挟んで反対側に広がる、津波の残した傷跡。

昨日牡鹿半島へ行った時には、一週間前とはまったく変わって
公的な物資支援のネットワークが行き渡りつつあることを感じました。
ありんこ支援隊としては、もう生活物資を運ぶ支援から
違う支援の形にかわっていくか、
あるいは、震災から一ヶ月たち、もうすぐありんこの活動も
必要なくなっていくのかもな、と思ったりもしたので、
正直この日に見た風景は衝撃でした。
こうした避難所はあちこちに、まだまだたくさん
点在しているのでしょうか・・・。

石巻市街地に入ると、もうたくさんのお店が営業を再開して
家族や恋人同士で買い物を楽しむ姿も見られます。
石巻の市街も地震の被災地ではあるのですが、
ついさっき目にした風景とあまりにもギャップがありすぎて、
コタンさんがポツリと、
「なんかさ、不公平だなって感じる。」
うん、私もそう思うよ。


最後にもう一度、SSERがケイタリングをされている
石巻商業高校の避難所を訪ねました。
まもなくSSERも他のNPO団体に引き継ぎ、撤収される予定だそうです。
この日は菅首相が被災地の視察でここへ来たのだとか。

石巻商業高校
米軍がグラウンドのヘドロをすごい速さで片付けていました。

夕陽
この日は、深夜になることなく新潟に戻ってきました。
車の中から見る、犬の散歩をする人や、
自転車に乗る人、なんでもない風景に、
「普通に生活できることって、なんて幸せなんだろう。」
みんながそう思いました。
そして、それが毎日続くことがもう私たち3人にとっては
当たり前のことには思えなくなってしまいました。
「私も美味しいものは先に食べるようになるかも。」
とコタンさん。
こんな形で今ある幸せの儚さを感じるのはいやだけれど、
明日も、来週も、一年後も、十年後も
きれいな夕陽をみんなで見ることが出来ますように。


会社に帰ると、FAXが届いていました。
ブログにコメントをくださった「ビーバー隊長」さんからでした。

FAX
驚いたのは、送ることが可能なものリスト、という中に
雨合羽50枚、ブルーシート50枚が入っていたことです。
もちろんまだ誰にも今日のご報告はしていないのに・・・

また、同じくブログにコメントをくださった「ゆり」さんは
石巻で平日に動くことができるということで、
支援物資を必要なところにタイムリーに届ける難しさも
実際に感じていらっしゃる方でしたので
長観寺さんであったことを簡単にメールでご報告したら、
ゆりさんのお母さまのご実家が石巻のふとん店さんで、
そちらも浸水などの被害にあわれているにも関わらず、
何枚かお布団をご提供いただけるというお話を頂きました。

まったく偶然、検索でこのブログにたどり着いた
オンロードライダーの「ひなたの修」さんが、
ただ共感したというだけで募金をしてくださったり、
地震の影響で、ご自身が休職中だったり、失業中であるにも関わらず、
大切なお金を義援金としてをお送りくださったり。
電池を使わずに済むソーラーランタンを探してくださるありんこさん、
買い占めは絶対にするまいと、いろんなお店で少しずつ電池を集め、
うんうん言いながら家にたどり着いたありんこさん、
みなさんからのコメントやメールを読んでいると
別の意味で泣きそうになります。

被災地に行き、再び心が折れてしまいそうな衝撃を受けても
「自分が出来ることを、出来る範囲で、そしてみんなで!」と
一人一人、せっせせっせと大きな荷物を持って
全国からありんこが新潟へ、そして被災地へ向かって
ゾロゾロ行進している様子を想像することで
私自身、とても元気が湧いてきます。
それは少し大げさな言い方をすると、
「生きる希望」に近いものです。

おにぎり
帰り道、とれっくか~ちゃんが作ってくれたという
おにぎりをバスの中で食べました。
6つ入っていたおにぎりは、どれも見た目も味も違って
大きな海苔は食べる直前までパリパリであるようにと
おにぎりに巻かずに別になっていました。
とれっくか~ちゃんらしいなあと思いました。
きっと食べる私たちのことを考えながら
楽しませようと、そして自分も楽しみながら
食べる様子を想像して握ってくれたのが伝わってきます。

スキンケアセット
サンチさんとその仲間達から送られてきた物資に
このまま一人の方に渡せるようにと
スキンケアセットになったものが入っていました。
サイズごとの下着のセットもありました。
もちろんセットにしない方がいい場合もありますが、
こうしたセットを作ってくれたら、
ダンボールに入れたままの「もの」としてではなく、
それが一番必要とされる場、必要としている方に
手渡しできるのが「ありんこ支援隊」のよい所でもあります。
きっとこの方も、使う方のことを想像しながら
このセットを作ってくれたのだと思います。


SSERの山田さんが、いつぞやのつぶやきブログに
「ボランティアは想像力が大切」と書かれていましたが
押し付けでもなく、身勝手でもなく、思い違いもなく、
ミスマッチの無い、あたたかい想像力は、
それをやってあげる自分ではなく、
相手のことを思う優しさからのみ出るものなのでしょう。

全国から、たくさんの思いをありがとうございます。

私も一人の働きありとして、
ありんこの力を必要とされる方がいらっしゃる限り
皆さんの思いを現地に運びたいと思います。

投稿者:かまた  posted at : 20:48 | コメント (6)

  

2011年04月05日

牡鹿半島の避難所へ

先週末は、tacさん達と同じように
地元で物資配達のボランティアをされている「たくみさん」とともに
激甚被災地である牡鹿半島の女川方面の避難所にご一緒させて頂きました。
また長くなりますが、そのご報告をさせて頂きます。


楽さん
金曜日の夜、楽さんが娘さんと一緒に
スギヤマレーシングさんとライダーズランドYOYOさんにご協力頂いた
たくさんの物資を載せて東京から届けにきてくれました。
楽さん、そしてご協力頂いた皆さん、どうもありがとうございました。


【4月2日 土曜日】

土曜は朝から積み込みのための仕分け作業です。

届いた物資
皆さんから送って頂いたたくさんの支援物資。

仕分け
バスに積んだ後にも分かりやすいように、
半透明のコンテナボックスに、仕分けをしながら入れていきます。
(こうすることで、残量も一目でわかりますし、
避難所に箱を降ろした時にも、何が入っているかわかりやすいはず。)

コンテナ
仕分けしたコンテナボックスを「それいけウトロ号」に積み込みます。
東北道は地震によってかなりの段差がありますので
荷崩れという二次災害が起きないように、タイダウンでしっかりと固定。

できるだけ早めに出発をとは思っていたのですが、
結局、前日も合わせて仕分けに5時間、積み込みに4時間。(泣)
(スタンドで支援用燃料を詰めるだけでもかなりの時間がかかります。)

お昼過ぎにようやくサロンドアトラスを出発しました。

全線が一般車両通行可となったので
これまでに比べて車の台数がかなり多くなっています。
今まではいなかった、警察によるスピード取締りも行われていました。

仙台市街
夕方5時過ぎ、仙台の街に到着。
市街地はもうほとんど地震の面影はなく、
バスの正面につけた「緊急支援物資運搬中」の横断幕が
何とも賑わう青葉の街に似つかわしくなく、
「いったいどこへ運ぶのですか!?」という感じ。^^;

トレックさん
トレックフィールドさんで、トレックさんが必要なものと
楽さんから預かった「心の避難所グッズ」、
そしてガソリンと灯油をいくつか降ろしました。

その足で、今度は1kmと離れていない、tacさんのお店、
ストレンジモーターサイクルさんへ移動します。

tacさん
3週目にしてようやく少しtacさんに打ち解け始めたウトロン。(笑)

tacさんのところもトレックさん同様、運ぶ先はあるのに
支援物資をストックしておくスペースがない、という状況で、
本当はいろいろと降ろしたかったのですが、
必要最低限の物資(下着など)と燃料を降ろすのみ。

仙台市内は宅急便が届くようになったので
トレックさん、ストレンジさんに全国から支援物資が届くのですが、
先述の通りストックスペースがないことと、配る人が足りないことで
(地元に詳しい人が一緒でないと本当に届けたい所に届かないので)
現在、ボトルネック状態になっている、という問題が起き始めています。

幸い、弊社は新潟の片田舎にあり、店舗はもと大型量販店のテナントで
スペースだけは十分にあるので、
皆さんからお送り頂いた物資は山積みせずとも置いておけて
仕分け作業も駐車場に広げて行えるのですが、
これを仙台に運んできても、降ろすことができない状況です。

そこで、今回はこのままバスから物資を降ろさずに
tacさん、トレックさんのバイク仲間で、
地元に非常に詳しい「たくみさん」とともに、
「それいけウトロ号」で一緒に物資を運搬させて頂くことになりました。

とりあえず、たくみさんのいる石巻へ向かって、
今日は石巻の大型店舗の駐車場で車泊をすることに。

仙台と違って石巻へ向かうとなると、
飲食店が開いていない可能性もあるので、
高速に乗る前にコンビニでパンでも買っていこうと思ったら・・・

コンビニ
市街地から少し離れた国道沿いのコンビニには
パンもおにぎりもお菓子も、見事に何もありませんでした。(泣)

向かいで「すきや」が営業をしていたので、
暖かい牛丼でありがたく腹ごしらえをして石巻へ向かいました。
そういえば、2週間前の、被災直後の街の中でも
「吉野屋」が屋台で炊き出し&配給をしていたのを見ましたが、
この2つの牛丼チェーン店、人々に暖かい食事と希望を与えてくれますね。
すばらしい企業だと思います。(-人-)

石巻に着いたのは夜9時。

手元型LEDランタン
ためしにバスの中で、手元式のLEDランタンを点けてみました。
自分の周りを照らすには十分だと思います。
(灯りの周りに鏡を置くと、灯りが増えて
さらに周囲が明るくなるとどこかで読みました。)

明日に備えて、おやすみなさい。


【4月3日 日曜日】

かまたの寝床
私は運転席と助手席の間の補助席を出して、
その上にキャンプ用マットを敷いて寝ましたが、

@BOSSの寝床
@BOSSはバスの後方、物資を入れたコンテナの山と
燃料を入れたガソリン缶との間にコットを置いて
荷物番として(?)寝ました。
余震がこなくてよかったですね・・・( ̄∀ ̄;)汗

たくみさんと
朝8時、たくみさんと今日のルートを打合せします。
今日はこれから、牡鹿半島にある5つの避難所へ行く予定だそうです。

たくみさんは地元仙台の方で、tacさんたちと同じように
公的な支援を受けていないと思われる小さな避難所や、
道が悪くて他の人が回って行かないような場所の避難所を見つけては
ボランティアで物資を届けています。
そういった避難所を見つける「カン」と「嗅覚」は天才的だそうで、
とれっくと~ちゃん曰く
「たくみ君にとっては、きのことりをするようなもの」なのだとか。

私たちは週末にしか来ていませんが、たくみさんは
自分の職場が再開されるまでの今の期間、
2日に一回は、こうして現地に行っているそうです。

ちばてつさん
昨日から物資を持って宮城入りしている「ちばてつ」さんも一緒に回ります。
(ねこバスでは回りませんでしたが。^^;)

石巻
石巻の街の中は、まるで除雪機が雪を左右にどかしたかのように
道の両側に瓦礫の山が積まれていて、川や沿岸部に近づくにつれて
被害の様子が酷くなっていきます。

石ノ森章太郎萬画館
北上川河口に浮かぶ中瀬にある不思議なドーム型の建物は、
石巻市出身である石ノ森章太郎さんの記念館「石ノ森章太郎萬画館」。

海
海は青空を映して、こんなに穏やかできれいなのに・・・。
今こんなことを言う時ではないのかもしれませんが
震災でこんなことになる前に、東北の海岸線へ
ツーリングに来なかったことが悔やまれます。
どんなにか美しかったことでしょう。

牡鹿のようす
牡鹿半途へ入ると、一気に被害の度合いが高まります。
海岸線にあったはずの港や漁村はすべて押し流され、
まるで爆撃にあった後のようです。

電線工事
自衛隊により急ピッチに道が通れるように瓦礫を空けられた後は、
こうして電気や水道の復旧工事車両が次々に入ってきて
ライフラインの復旧を急ぎます。
今朝のニュースで、被災地の約95%は電気と水道が復旧し、
あとの5%がなかなか作業車が入れず、
復旧までにまだまだかなりの時間がかかると報道されていましたが
牡鹿半島はその5%に当たる所です。

最初の避難所は比較的ご年配の方が多い「旅館めぐろ」さん。
この民宿に約30名の方が避難をしていらっしゃいます。
私たちが着くと、みなさんが外に出られて出迎えてくださいました。

民宿めぐろ
物資を広げると、中から今必要なものを選ぶのですが
「この後行く避難所の方の分もあるでしょうから」と
必要なものだけ、それも必要最低限の数だけを取られます。

炊き出し場
「いつもはここで自炊して、ここで食べるんですよ。」
ドラム缶に火をおこして煮炊きをされているのだそうです。
手前の丸太がイス代わりです。

うなぎの佃煮
Photo:とれっくと~ちゃん
ありんこ支援隊が発足して、まっ先に支援物資をお送り頂いた
浜松の「うなぎの鈴恭」さんの「うなぎの柔らか煮」をお渡ししました。

鈴恭さんは「被災地の方にうなぎでも食べさせてあげられたら・・・」と
ずっとご夫婦で思っていらっしゃったそうですが、
ご家族でやっているお店で、大鍋ひとつで手作りをされ
パックの包装も全部手作業のため、あまり数が作れないので
支援物資として送ることは諦めていたところに
私のブログを読んでいてくださったご主人が
少数でも直接、被災地に物資を届ける「ありんこ支援隊」のことを知り、
今回こうして私どもに託してくださったものです。

そんな経緯をお話しながら、めぐろさんの方にお渡しすると
「まあ~、そうですか、本当にありがたいことです。
ほらみんな、うなぎだって!うなぎ!」と大変喜んでくださいました。

単に必要な物資を届けるだけでなく、物資にこめられた思いを手渡しするのも
「ありんこ支援隊」だと思っています。

「せっかく来て頂いたので中でコーヒーでもどうぞ。」

中にあがらせて頂くと、旅館の大広間でラジオをつけて、
70~80代くらいの皆さんがストーブの周りで過ごしていらっしゃいました。
「まあ、パンでも食べて。」
いや、とんでもない!とお断りしたのですが、余ったものだからと言われるので
朝ご飯を食べていなかった私たちは、ありがたく山崎パンを頂きました。
「毎日必ずパンだけは届くの。でも年寄りには食べきれなくてね~。」

コーヒーを飲みながらいろんなお話を聞きました。

「警報なんて鳴らないですよ。ここは地震が来たら津波、って決まってますから。
地震の後、このすぐ前の山に登ったら、
右からも左からも津波が来て、いや~、怖かった、怖かった。
目の前で家も何もかも、ぜ~んぶ流されていくんだもの。
見ている中で、登った屋根ごと流されていた二人だけ助かったね。」

「うちのばーちゃんもね、普段は車いすだったけど
歩こうと思えば歩けたんだから放っておけば自分で避難できたと思うのよ。
でも息子(ご主人?)が車に乗せて避難しようとしたから
結局車ごと流されちゃってねえ。」

そんな話を、明るく普通に話されます。
あまりにもこうした話が、当たり前になってしまうほど多いのでしょう。

たくみさんが
「今、被災者に限り1泊3食で2000円というような温泉旅行がありますよね」
というような話をしたら
「いいわねえ、行きたいねえ、でもその2000円がないときたもんだ。
通帳もカードも全部流されちゃったからねえ。あははは。」
あまりにも明るく言うので、思わずつられて笑ってしまいました。
内容は決して笑い話ではないのですが。

ストーブのまわりでこうしてお茶を飲んで話をしていると
まるでお正月に田舎で集まった時のようです。
違うのは、皆さん帰る家がなかったり、
家族のだれか(或いはすべて)を津波で亡くされていること。

「いつかありんこ支援隊でここの皆さんを、
さっき言ってた温泉旅行にご招待したいなあ。それいけウトロ号で送迎して。」
次の避難所へ向かうバスの中で、ぽつりと@BOSSがそう言いました。


つぶれた家
津波の破壊力を物語る壊れた家。


牡鹿モータース
次は60人ほどの方達が避難されている「牡鹿モータース」へ。

ここの社長さんがリーダーとなって、
全員が「炊事係」「洗濯係」「掃除係」「調達係」など
仕事の担当を決めてから、避難所の中がうまくいくようになった、と
たくみさんが社長さんからお聞きしたそうですが、
60人といえばもうひとつのコミュニティ。
いつ終わるとも知れない集団生活を諍いなくまとめていくには
リーダーシップと公平な役割分担が必要なのでしょう。


3箇所目は病院がそのまま避難所となっているところです。
入院患者さんだけでなく、勤務中に家を流されて
帰る家がなくなった看護師さんやドクターも大勢いらっしゃいます。

またここはたくみさんが前回来るまで、
被災した日から20リッターのガソリンがたった一度だけ届いただけで
水やご飯は届いても、それ以降燃料がまったく届かなかったそうです。
「ガソリンと灯油も頂けるのですか!助かります!」
責任者らしい男性がそう言われました。

貼り紙
建物としてはきれいに残っていますが、
他と同様、ライフラインはすべて断たれていて
水の出ないトイレにはこんな貼り紙が。
(大きい方をする場合は、新聞紙に包んで
専用のバケツに入れるようにという指示もあります。)

病院の避難所
ここで物資を広げたら、病院の中から一人、また一人、
「見ていいですか?」と遠慮がちに出てこられました。
「子どもと主人のパンツ、もらっていいですか?」
もちろんですよ。
「ほら、子ども用の肌着!」
「うわ~、うれしい、タートルネックだよ、ほら!」
Flat-Aさんが提供してくださった、冬物のニットやカットソーを
買い物を楽しむように選ばれていました。

病院の避難所
楽さんが用意してくれた10枚1セットの派手派手柄ショーツも
笑いながら広げては、MだLだと選んでいらっしゃいました。
女性としては、物が届くことだけでなく、選ぶこと自体が楽しいもので、
こうした時間を届けられたことも、「アリ」だからできたことかもと思います。

電気が来ていないのにこんな大きな施設、
夜は暖房なんかないですよね?
「ないですよ~、コート来てこのまま寝てます。でも寒い。
だからタイツとか、スパッツとか、暖かい下着はホントに嬉しいです。」

下着はここでほぼなくなりました。

メモ
皆さんに聞いた「出来たらほしい物メモ」。

ほぼ空になったコンテナボックスを片づけていたら
一人の看護師さんが私におずおずと、
「あの・・・・また来て頂けるんですか?」

これを聞いて、またまた涙が出そうになりました。
そしてこの言葉を、全国にいるありんこさんたちに届けなくちゃ、と思いました。

浮かぶ保冷車
プカプカと、海に浮かんで海岸に打ち寄せては戻る冷凍コンテナ車。

青看板
これから牡鹿半島の中でも最も被害が大きいと
誰もが口を揃える女川へ向かいます。

自衛隊
途中、自衛隊の作業者が通るために
車を止めて待つように指示がありました。
今こうして私たちが牡鹿半島の海岸線を車で通れるのは
自衛隊が瓦礫撤去の作業をした後だからで
訓練された彼らの機動力は本当にすごいとあちこちで思いました。

流された家
この日、女川の海はとても静かでした。

女川
ENEOSのガソリンスタンドの建物と火葬場だけを残し、
すべての建物が崩れ、流されていました。

役所周辺
tacさんがご自分のブログで女川について
「沿岸の街という街、集落という集落に一つ一つ
小型の核爆弾を落としたような感じ」と書いていましたが
まさにその通りの光景が目の前に広がっています。
何があったのか、どんな街だったのか、もはや想像することすらできません。

4軒目は女川原子力発電所内を通らなくてはなりません。

女川原発
通行許可証をもらうために、身分証明書を見せて手続きを受けます。
携帯電話のスイッチも切るように言われ、切ったかどうかのチェックも。

悪路
たくみさん、よくこんな道ぞいの避難所を見つけましたね・・・

前網地区
原発を通過して、4軒目の避難所は前網地区。

個人のお宅に20人ほどが非難されていました。
もうあまり物資が残っていなかったのですが、
小学生くらいの子どもがおかずを選ぶ時に
「カレーもあるよ」と手渡そうとしたら
「う~ん、カレーよりふりかけがいいや!」
そういえば、これまでのどこの避難所も、
レトルトカレーには誰一人手を出していません。
毎日カレーばかり食べていることが多いのでしょう。

ここで手元式ランタンをお見せしたら
「おお、こりゃあいい!今まではろうそくで暮らしていましたが
そのろうそくもちょうど切れかかっていたんです。」
よかった。少しの灯りですが、どうぞお使いください。

自衛隊はおにぎりやパン、水と言った
「命をつなぐため」の物資を運んでくれますが
たぶん届けなくても命に関わら別状ない物資は運んでこないので
ありんこ支援隊としては、自衛隊の運ぶ物資を補う意味で
「心をつなぐため」の生活用品を届けられたらと思います。


寄磯へ
最後の避難所は今回の中で一番人数が多い寄磯小学校です。
約100~120名の方がここで暮らしていらっしゃいます。

寄磯小避難所
ここは漁師さんと思われる、元気のいいお父さん達が多い避難所でした。
ガソリンや灯油は時々自衛隊が運んで来てくれますが、
何時来るかは分からないし、かなり少なくなっていたそうで
大変に喜んで頂きました。

コンテナのもう残り少なくなってしまった物資をすべてお渡ししながら
すみません、下着も靴下もたくさん持ってきたつもりだったのに
お父さん達の分が一枚も無くなってしまいました、と言ったら
「いいんだ、ここへ来てくれただけで。」

ここでも手元式ランタンをお見せしたら
「自宅で避難している家は発電機もないから、これ渡すといいな!
ここも夜トイレに持っていけるように、入口の所さ置いておけばいいべ。」
「これがあれば夜道もムードが出るな!あっははは!」
明るい方達です・・・( ̄∀ ̄;)汗

以前tacさんが、避難所の方達にほしい物を聞いても
遠慮してほとんど言わない、と言っていましたが
思うに、私たちからしたら不自由と思われることも
辛抱強い東北の方たちは、この状況を仕方ない事と受け入れて、
寒さも暗さも、不自由さとして感じていないのかもしれません。

でも最後の方でもう一度「あったらいいなと思うもの」を聞いたら
「寒いから、トックリの服みたいのがあるといいな。」
「お、トックリはいいな。」
「あと、普段履きのズックみたいのとか。」
「でも無ぐてもいいんだよ。出来たらでいいの、出来たら。」

お父さんたち、必ずまた来ますね。
どうか風邪などひかずにお元気で!

役所周辺
牡鹿半島から女川港を通過しての帰り道、瓦礫の山を通りながら、
だんだんこういう風景に慣れていく自分を感じました。
もう、木の枝に車が引っかかっていようと、
家の屋根に船がひっくり返っていようと驚くことはありません。
それがいいことなのか、悪いことなのかはわかりませんが
そうでないと人間は生きていけないように出来てるのかもしれません。

魚
町中のガードレールの下に、魚の死骸がありました。
津波の直前はどこを泳いでいたのでしょうか。

たくみさんとちばてつさんと
石巻の市役所脇で、たくみさん、ちばてつさんと分かれました。
今日は本当にありがとうございました。お疲れさまでした。

炊き出し
石巻の町中で、外国人ボランティアによる炊き出しが行われていました。

石巻商業高校
もう一箇所だけよる所があります。

石巻商業高校でケイタリングをされているSSERのテントを訪ねました。
石巻の町中がものすごく渋滞していたために
ちょうどお忙しいであろう調理時間に訪ねることになってしまいました。

炊き出し
この日は3人のスタッフが女川に250食分の食事を作るために行かれたので
ここでは2人だけで120食の食事を作っていらっしゃるのだそうです。
いくら慣れていらっしゃるとは言え、2人で120食って大変ではないですか?
「ご飯は他から届くので、作るのは汁物だけですから大丈夫です。
でもそうでないと温かいものが一つもないんでね。」
ほんとうにお疲れさまです。

前回ヘドロに覆われてドロドロだったグラウンドも乾いていたので
ずっとバスの中にいたウトロンを少し走らせました。
すると何か大きな物を口に加えて来ました。

グラウンドに魚
さ、さかな!Σ( ̄⊥ ̄lll)

sser
SSERのテントにもガソリンや軽油を届けて帰る予定だったのですが、
300リッター用意したガソリンも、5軒の避難所に分けてほとんど無くなってしまい
結局、軽油しかお渡しすることができませんでした。

※追記
SSERの石巻スタッフの方にお渡しした鈴恭さんのうなぎの佃煮、
5日のつぶやきブログに女川の避難所にて炊き込みご飯になったと書いてありました。^^

渋滞
午後6時、帰途につきましたが、週末はボランティアが全国から集まるためか
高速に乗るまでの道のりは長い長い渋滞ができていました。

夜の高速
暗くなった頃にようやく高速へ。

高速道路の左右に、イルミネーションがまったくないエリアが出てきます。
新潟なら山の中だったりして、こうした風景は珍しくないのですが
「停電でしょうかね?」
「いや、ここは名取町だよ。」
一瞬ライトに照らされて見える立ち入り禁止の看板。
そうか、ここは私たちが行った名取地区なんですね。
心で手を合わせながら通り過ぎました。


今回はじめて実際に避難所へ直接物資を運ばせて頂きましたが、
避難所によって必要とされる物資がまったく違うことを知りました。

また「命をつなぐ食料」は自衛隊から運ばれるので
ありんこ支援隊としては、その「生きていくための必要最低限」の
もう一段階上の、笑顔の出る物資をお届けできたらと思いました。

上にも書いたように、トレックさん、tacさんのお店は
現在キャパオーバーギリギリです。
また、現在毎日のように物資を運ばれているたくみさんも
仕事に復帰したらそういうわけにはいかなくなります。

そこで私たちは皆さまからの支援物資を貯めておく中継地点でもあり、
また必要に応じては「動く倉庫」として
今回のように、顔の繋がった避難所に物資を届けていきたいとも思っています。

毎日の協力者リストの更新や物資内容の確認と入力、
頂いたメールやコメントへの返信、ブログの更新、
そして時々仕事などをしていると
あっという間に一日が終わっていきます。

「体をこわさないように」「無理をしないように」
「働かせるのはヒゲアリだけにして休むように」等々
いろいろご心配を頂いていますが、
疲れて休みたい時は本当に休みますので
どうぞご心配なさらないでください。

「女川原発で放射能をあびて、
エチゴヒゲアリは仮面ライダーに変身したりして。」
@BOSSが笑えないジョークを言っていますが、
今のところ背中に羽根などは生えていないと思われます。(笑)

元気な理由は、被災地の方の笑顔と
皆さんから頂くコメントやメールのお陰でもあります。
頂くメールは、許されるならば全部公開をしたいほど
どれも心がほっこりと暖かくなり、時には涙が出ることも。

本当にありがとうございます。

今日はホームページのリストを更新できませんでした。
メールのお返事もあまり書けませんでした。
でもこのブログが、皆さまへのメールです。

では、明日もがんばりましょう!


追伸
長い長いブログを書いて、若干お疲れモード気味でしたが、
これを見てすっかり癒されました。゚。( ̄▽ ̄)ポワーン
長い長いブログを読んで疲れたあなたもどうぞ癒されてください。

投稿者:かまた  posted at : 21:10 | コメント (15)

  

2011年04月02日

届けよう、光を!

石巻から帰った翌日、オーランドの太田パパから長い電話がありました。

「@BOSSさんたちも被災地に行ったって聞いたから電話してみたんだよ。」
そう話を切り出した太田パパは、時を同じくして
気仙沼の唐桑地方にある9箇所の老人ホームや養護施設を中心に
物資配達のボランティアで3日間滞在されていたのだそうです。

その地域は半島で街から離れていて、未だ電気が来ないばかりか
大きな幹線沿いの街から順に電気を引いていった場合、一番最後になる予定だそうで、
今の予定では、もしかしたら電気が戻るのは4ヶ月先になるかもしれないのだとか。

発電機がある避難所でも、夜8時になると電気が落とされ、
発電機のないところは夕暮れとともに暗闇となっていきます。

皆さんは「真っ暗闇」を経験されたことがあるでしょうか。

私は2度目の北4で、日が落ちた雨の森の中、
CRM250のエンジンが止まったときにすべてのライトが消え、
ヘッドライトを出そうとする自分の手も見えず、
明かりを取り戻そうと必死でバイクをキックしたことがありますが、
あの暗闇が毎晩、しかも数ヶ月にわたって続くなんて想像もできません。

そんな、光がまったくない状況でも余震は容赦なくやって来るのですが、
騒いだりパニックになったりすることもなく、皆息を殺して、
余震が収まるのを、ただじっと待っているのだそうです。
太田パパですら、「怖い」と思ったというその状況が、毎晩続いているのです。

そう言えばSSERの山田さんも、暗闇の中で余震をやり過ごす恐怖について
つぶやきブログで書いていらっしゃいました。

計画停電で暗闇での数時間を余儀なくされている方も大勢いらっしゃると思いますが、
そのエリアでない方は、ためしに夜になったら家中の電気という電気を消して、
トイレに行ってみてください。目を開いているのに見えない状況は本当に怖いです。
そこに余震など来たら・・・

ということで、次なるありんこプロジェクトです。

まだまだ電気復旧の見通しが遠い被災地の夜に
光(灯り)を届けたいと思います。

題して、「届けよう、光を!」

ただし、安全性を考慮して、火を使わないように
電池式ランタンを被災地に届けたいと思います。

@BOSSはさっそく、小さな電池式ランタンを調達してきました。

電池式ランタン
会社の電気をすべて消した中でも、これだけ周りの明るさを取り戻せます。

聞くと、@BOSSがこれを調達してきた「ヒマラヤ」さんでは
計画停電を見越して、見込み仕入れをしていたのに
東北電力の計画停電はすべて見送られることになったためなのか、
季節はずれのアウトドアコーナーにこのランタンだけが大量に並んでいたのだそうです。

それでも複数個を一度にかごにいれることをためらった@BOSSが
店長さんに用途をお話したら、お願いもしていないのに
「そういうご事情であれば」と割引という形でご協賛をしてくださったそうです。
ヒマラヤ長岡店さん、本当にありがとうございます。
(この話を読んだからと言って、お店で値引きなどお願いしないでくださいね。^^;)

もちろん、あえてわざわざ購入して頂かなくても構いません。
ご自宅にあって譲って頂けるような電池式ランタンがありましたら
ありんこ支援隊までお送りください。

参考例1
参考までに、これは単3電池を3本使用した「ランタン&トーチ」で
写真のように卓上に置けばランタンに、
レンズ部分をスライドさせることによって懐中電灯にもなる優れものです。

参考例1

こちらの参考例は、ロゴスの「マイライトスリム」。
単3電池を4本使用して、2段階の明るさを調整できます。

どちらにも共通しているのは、使用方法がシンプルなこと。
基本的にお渡しする相手は、キャンプなどしたことのないご年配の方です。
高機能は全くいりませんので、できるだけスイッチ一つで点く
卓上型の(←ここが重要!)LED(←ここも重要!)の
小型ランタンをお願いできればと思います。
(LEDでないと、電池の減りがものすごく速いので、
ランタンは安くても、電池を数倍使うとなると、
結局あまり安くないことに・・・)

ご存知のとおり、巷では単1、単2電池が手に入りにくくなっています。
できるだけ単3電池使用のランタンをお願いいたします。
基本的には、このように小さな「手元用ランタン」を集めようと思っていますが、
避難所の共用スペースや、自宅避難の方の茶の間用などに
大き目のランタンをお送り頂けるようであれば、もちろんそれでも構いません。

幸いにして弊社の地元に、単2と単3電池を単1として使えるアダプターを
製造している会社があったので、@BOSSはいくつかお願いをしていますが、
これも数に限りがありますので、単1、単2電池を使用するランタンをお送り頂ける場合は、
できるだけ最低1セットは、それに合った電池をおつけ頂けると助かります。

計画停電の実施などで、ランタンも電池も手に入りにくくなっていますので、
お店で複数個ご購入されるような場合は、
店長さんなどにご事情を説明して、ご迷惑のかからないようにお願いします。
くれぐれも、買い占めにあたる行為はご遠慮ください。


私たちがお届けできるのは小さな小さな灯りではありますが、
きっと被災地の方の心をポッと灯してくれることと信じています。

投稿者:かまた  posted at : 19:45 | コメント (8)

  

2011年04月01日

しどきへ

この時期に原発に近い方へ向かうなんてバカなことを・・・
と思われる方もいるかもしれない、ということを覚悟の上で
昨日しどきへ行ってきました。

いわき三和IC
まぶしい青空の下、のどかな田園風景が広がる中、
無味無臭の見えない放射能というものは確かに怖いなあと思いながら
何ヶ月ぶりに降りたいわき三和インターチェンジ。


一昨日、「@@3410さん」から
モトスポーツランドしどきについてのコメントがありました。
コメントの内容は下記の通りです。

この度の震災でモトスポーツランドしどきの来場者が激減し、
現在殆ど皆無の状態とのこと・・。
原発の状況を考えますと無理からぬこととも思いますが、
あと一月様子を見て来場者が無いようなら営業をやめるかもしれないとのこと。
新しいブルを導入した矢先でのこの震災で、持ち堪えるのは難しいのだそうです。
被災地への支援活動が難しい方にはしどきへの支援活動として
走りに行くように呼びかけてくださいませんか?

しどきは福島県のいわき市にあり、
確かに現状は来場者が激減してもおかしくはありません。
屋内待機圏外ではあるのですが、ここで私がブログで
「皆さん、ぜひ走りに行ってください!」と書いたとしても
何一つ問題の解決方法にはならないし、
それであればしどきを愛するメンバーで
「しどき募金」をする方がまだいいと思います。

しかし何かを始めるにも、
この情報がどこまで本当なのかが判断できなかったので
日本でしどきを最も愛する会員と自負するチームアトラスとしては
まず一度、しどきへ行って話を聞いてみようと思いました。

※@@3410さんのことを疑って、ということではないのでどうか気にされませんように。
ただ、「ありんこ支援隊」のページにも書かせて頂いている通り
本人、または本人から直接聞いた人からの情報だけを信じる、ということが
特にこうした非常事態下では気をつけなくてはならないことであり、
頂いたコメントからは、誰がいつ誰にそう言ったのかがわからなかったので、
やはりどう打ち出しをするにしても、確認すべきだと思ったからです。

しどき
なんていい天気!本当だったらここに
たくさんのエンジン音が轟いているはずなのに・・・

私たちはしどきの社長さんに、単刀直入にお聞きしました。
が、愛想のないことで有名な(失礼!)社長さんに
話を切り出す時の難しさったら・・・・

案の定、「はあぁ!?」という第一声。
(怒られるかと思いました・・・泣)

「やめるなんて誰もひと言も言っていないのに!
だから私はインターネットは大嫌いなんですよ!

確かに震災後に走りに来る人はいなくなりましたが
こういう状況だから、私たちとしても覚悟はしています。
でも、私らはここで30年間やってきているんですよ!
地震でコースや設備の半分が壊れてしまったということででもあれば
営業停止を考えなくてはならないでしょうけれど
コースは何の被害も受けていないんですから。

かと言って、今のこのいろんな規制が解除されない限り、
ただ走りに来てくれと言ったって難しいでしょうね。
だから、4月いっぱいくらいはもう覚悟を決めて
コースのレイアウトを変えたりして過ごすことにしています。
もちろん走りにきていただければ、万全の体制でお迎えできますよ。
コースはバンバンで、ものすごくいいコンディションです。

それに、もしこういう状況が続いて困窮して厳しいと判断したら
私どもの方から皆さんのような会員さんに真っ先に相談をするし、
年会費の前倒し等のお願いをするかもしれない。
でも、それを何も言っていないのにそんな噂が立つなんて
それこそ風評被害ですよ。」

それをお聞きして安心しました。
その後、少しだけコースを見学させていただきました。

グランプリコース
あ!グランプリコース手前のジャンプが、フープス変わってる!
ひゃ~~~、走りた~~~~い!

ミニコース
ミニコースも奥の方が少し変わっていました。
今日なんか天気もいいし、グリップもいいし、
本当にベストコンディションなのに走っているのはヒゲアリとウトロンだけ。
ああ、なんという贅沢な・・・・・・(TдT)

確かに今は政府の発表も曖昧な部分が多すぎますし、
原発も明るい見通しには程遠い状況なので、
いわき市に近づくことそれ自体が不安という気持ちもあると思いますが
まずは現状としどきの社長のお話をそのままお伝えいたします。

いつか、ありんこ支援隊のオフラインミーティングをすることがあったら
会場はしどきだ!と勝手に心に決めさせて頂きました。

さて。

もう一箇所、気になっていたところがあるので行ってみたいと思います。

街の様子
この2年間、数え切れないほど通ったいわきの街の中は
沿線のコンビニとガソリンスタンドが軒並み閉まっていた以外は
いたって以前のままのように見えます。
(少し街をはずれたしどきの方などは、GSもコンビにも営業していました。)

看板
あ!営業してる!(泊まりはやっていないようですが。)

いわき健康センター
毎週お世話になった「いわき健康センター」は
一部修復工事を行っているようですが
駐車場はほぼ満車状態で、賑わっているようでした。
私たちはそれだけを確認してそのまま高速に乗りましたが
スタッフの皆さんも無事に働いていらっしゃるでしょうか。
ご挨拶だけでも顔を出せばよかったかな。

でも、考えてみれば、@@3410さんのコメントによって
ただ心配だけしていた私たちもこうして確認に来ることが出来たので
@@3410さんには感謝をしなければなりません。
また、今後もしどきを応援しながら、必要であれば(ありんことは別で)
「しどき走ったつもり募金」などもしていくことがあるかもしれません。

最後に一つだけ、このブログを読んでくださる皆さんに
「情報」についてもう一度お願いです。
情報は聞いて伝える前に、そのソースを確認してください。
確認の方法は、ネット上に氾濫するコピペされた記事や
ただ自分の不安や心配を書いた一意見を読むことではなく、
事実を本人に確認するか、または
本人に直接確認をした人からの情報を聞くことが一番だと思います。

そうすることで、よりよい対策も生まれてくると思います。

投稿者:かまた  posted at : 23:55 | コメント (9)

  

2011年03月31日

石巻へ

なかなか報告のブログが書けずにいますが、ようやく先回の報告を少し。

3月27日、再び仙台と石巻へ行ってきました。
すでに東北道は緊急車両以外にも開放されましたが、
SAの給油所は自衛隊、消防車、警察庁などの緊急車両が優先で
高速道路から見える下道のガソリンスタンドには、
どこも数キロにわたる行列ができています。

三陸自動車道も鳴瀬ICから先は緊急車両のみ。(3/27現在)

それいけウトロ号
私たちは一応緊急車両の登録はありますが、
高速道路ではやはり「本当の緊急車両」のために、
また被災地ではずっとガソリンを待っていた現地の方の分を使わないように
帰りの分までバスには自前の軽油を積んで出発しました。

この日はまず、石巻でケイタリングをされているSSERの皆さんを訪ねました。

SSER
石巻商業高校には、ひとつの島からヘリコプターで避難した
200名の方が避難しています。
今は、親戚や他の県に移った方も大勢いらっしゃるので
この避難所で過ごす方は150名くらいに減ったそうですが、
それでもまだこの150名を擁する避難所であるのに
Yahoo!のトップにある「避難所情報」で探すことができませんでした。
理由は、自治体管理下ではなくNPO管理下の避難所だからなのだそうです。

石巻商業高校のグラウンドは、一見雨の降った後の普通の校庭に見えましたが
実は流されてきた厚いヘドロに覆われていました。

厚主さんにお話をお聞きしました。
3月28日のSSERのつぶやきブログにもありましたが、
物資支援者の心遣いと現場とのミスマッチングで
提供された炊飯済みご飯を廃棄しなければいけなかった話は
聞いている私たちも何ともやるせない思いに。

基本的にはNPO団体は自治体からの支援の対象外となるために
自治体で管理しきれないような余剰物資でも受け取ることはできないのですが
それでも様々な支援で食料の方は足りてきたそうです。

私たちもここへ来る前日に軽油や焚き出し用の燃料などが足りないとお聞きしていましたが
直前に東京から燃料の支援が届いたということで、軽油だけをお渡ししました。
石巻の地元でもガソリンスタンドに並べば燃料が手に入るようにはなってきたのですが
「並んでも数時間かかるし、何よりもここに住む被災者の方の分のガソリンを
私たちが使うわけにはいかないので、ガソリンスタンドには並ばないようにしています。」

また、校内は暖房がきくので被災者の方が寒さで震える事はあまりないそうですが
SSERはじめ他のNPOのボランティアの方たちは校内で寝泊りはせず
外のケイタリングテント内に簡易ベッドを並べて、そこで過ごしていらっしゃいます。

女性のスタッフの方がバスの中にいたウトロンを見つけて
「触ってもいいですか?」
もちろん、ほらウトロン、おいで。
「被災者の皆さんは近くにお風呂があってそこに入りに行く方もいらっしゃいますが、
私、もう一週間お風呂には入っていないから犬より匂うかも~(笑)。」

沿岸部の方に避難して、取り残されている被災者がいないか
ひとつでも多くの避難所を把握するために行っているそうですが、
激甚災害地区の女川の方面は、まだまだかなりひどい状況だそうです。
この避難所はかなり落ち着いてきたので、数日内には
女川方面へ移動をしようと検討しているところだとか。

日が射したかと思えば雪が舞ったり、とても寒かったこの日の石巻。
皆さんの笑顔に見送っていただいて避難所を後にしました。

石巻港へ向って走ってみました。


街のようす
私たちが通った街のようす。
倒壊しているお店などもありますが、多くの建物は
外側は残っているものの、中は水とヘドロにやられて
たたみ、冷蔵庫、机・・・家財一式が家の外に運び出されています。
壊れた家と壊れていないけれど住めないかもしれない家、
保険の問題もこれから様々起こってくると思います。

石巻港へ近づくと、津波の爪あとはさらに生々しく、
街が根こそぎ流され、家の基礎すらありません。
車はブリキのおもちゃのようにひしゃげて木の枝にかかったまま。
すべてが波に破壊され、電柱は割り箸のように折れています。

石巻
さやか嬢曰く、「絶対にテレビや写真では伝わらないと思う。」

3階建ての建物の壁に書かれた「たすけて」という赤いスプレーの文字。
一台一台、窓ガラスを割って車内を確認した後の自動車。
長い棒とスコップを持って、行方不明者を確認しながら
少しずつヘドロを片付けて道をつける自衛隊。
少し広い場所に張られた自衛隊の大きな天幕はおそらく遺体安置所では・・・

ここで3週間前に起こった出来事を想像すると息ができなくなります。
そして、それが現実だったということを目の前の景色が証明してみせます。

私は自分の中の均衡を保つために、
「ありんこ支援隊」として動きたいのかもしれません。

牡鹿半島へ向かう海岸線の道路は、
もともと4車線の大きな通りだったようですが
山と積まれた瓦礫やヘドロを重機で両側に空けることによって
今ようやく2車線が通れるようになっていました。

道の途中でUターンをしました。


夕方、AD/tacさんたちの活動本拠地、ストレンジモーターサイクルに到着。

ガソリン
新潟から運んできたガソリンと灯油を携行缶に移します。

この一週間のtacさん、ヒラチさん、たくみさん達の活動は、
tacさんのブログに詳しく書いてありますが
取り残されている海岸部の小さな村で避難をされている方達の情報を聞き
そこへ物資を運んで行ったとしても、
「何しにきた?何か盗りに来たか、売り付けに来たか?」
と疑われたりするのだそうです。(決してtacさんの風貌のせいではなく。^^;)

そんな時は、地元の区長さんや、知り合いの知り合いというツテがあれば
それで信頼をしてくださるのだそうです。
また、心が打ち解けても、そういった人たちは遠慮がちで
必要なものを聞いても決して要望を言わないので
様子から察して、次回にそれを届けるしかないのだとか。

そんな話を聞く一方で、ヒラチさんがこんな話をしてくれました。

ある公的避難所では、バスケットコート2面ほどの体育館の半分を占める
3mの高さに積まれた支援物資のダンボールが詰まれ、
行き場(配給先)がないのだそう。
その様子を写真を撮ろうとすると、
「写真はやめてください。余っていることが公表されるとまずいので・・・」

きっと自治体も必死に処理をしているのだと思うのですが
避難所の状況に加え、人手不足、情報処理、物流状況、
次々に変わる状況に対応できずにこうした悲しい結果を生んでしまうのでしょう。

「ま、せっかくなのでコーヒーでも。」

応接室
ストレンジモーターサイクルさんの仮設応接室。
ここで物資の仕分けも、仕事もしているtacさん。
足の踏み場がギリギリあるくらいです。

皆さんに報告するためにブログを書かなくてはと思いつつも
夜8時頃にウトウトして、そのまま朝を迎えることもよくあるそう。
でも、半島の沿岸部に避難している人は
ガソリンがないので町にも出て来れず、やはりもうしばらくは
こちらから届ける必要があるようです。

tacさんとウトロン
ということで、今週もtacさんに差し入れできるのは「癒し」だけ。


かなり遅くなってしまったけれど、この後トレックフィールドさんへ。

トレックフィールド
道行く人を元気にするために、と店頭に物資が並べられています。

とれっくと~ちゃんと@BOSSがガソリンを分けている間に
とれっくか~ちゃんの話を聞きました。
(ちゃんとお話するのは今日が初めてです。)

とれっくか~ちゃん
「お菓子も食料も、そのまま差し出すとみんな遠慮をするんだけど、
こうやって小分けにすると気軽にもらってくれるんだよね。」
一つ一つとれっくか~ちゃんが詰めた小さなお菓子の小袋。

小分けのお菓子
「自分はいらない、って遠慮して言う人にも
『あんたはいらなくても、子どもにあげて!
そうでなかったら近所の子にあげて!』と言えばもらってくれるし。」

「でもね、誰にでもあげるんじゃないのよ。
仙台は結構物資も入ってきたから、ちょっと努力すれば買える人もいる。
その努力をしないで、物だけもらおうとする人には絶対にあげないんだ。
買いたくてもガソリンがなくて買いにいけなかったり、
お金がなくてお菓子なんか買えなかったり、
みんないろんな我慢を強いられていて、不安もいっぱいなんだよね。
我慢している人ほど、遠慮してもらわなかったりするんだけど、
そういう人には押し付けてでも渡すの。
ほ~ら、これ食って元気出せ!って。
そうするとね、みんな目に涙を浮かべてね・・・」

とれっくか~ちゃんのすごいところは
こうして話をしていると、すごく明るい言葉で心の琴線にふれること。
みんなが涙目で帰っていくのがよくわかります。

たぶん、トレックフィールドさんで配っているものは「希望」です。

「正解なんてない。自分が、やろう!と思ったその時に
それをやってみればいいのよ!」
昼に見た石巻の風景に押しつぶされそうになっていた私も
か~ちゃんから本当にたくさんの元気もらいました。
あんな人になりたい、と思います。

とれっくか~ちゃんと
Photo:トレックフィールド
夜なのでわかりにくいのが幸いですが、実はうるうる目の私。

本当は、私たちが元気を届けに来なければならないのに、
逆にたくさんの勇気を頂いて帰路につきました。
とれっくと~ちゃん&とれっくか~ちゃん、
本当にありがとうございました。

---


この日、新潟に着いたのは深夜2時頃でした。
石巻で見た風景が頭に焼き付いて、体はクタクタなのに
この夜はほとんど眠れなかったというさやか嬢。
でもそれが被災地の現状であり、現実です。

あの惨状を一度見てしまうと、
こちらに帰ってきてから見るテレビニュースの映像に
いろいろなことがフラッシュバックして苦しくなりますが、
私の足元でヘソ天になって寝ているウトロンを見ると
くすっ、と笑えてホッとします。

この週末は、激甚被災地で物資を配っている「たくみさん」と一緒に
現地を回らせていただく予定です。


さて、もうすぐ次のプロジェクトを発表します。

プロジェクト名 「届けよう、光を!」

※注/NTTのキャンペーンではありません。^^;

投稿者:かまた  posted at : 11:11 | コメント (14)

  

2011年03月25日

ありんこ支援隊

ありんこ支援隊

「蟻には蟻にしか入って行けないところがある」(by @エチゴヒゲアリ)

ありんこ支援隊ご協力者リスト
「ありんこ支援隊」ご協力者リストはこちらです。(平成26年3月15日 更新)

ありんこ支援隊活動レポート
「ありんこ支援隊」のこれまでの活動レポートはこちらです。(平成26年3月12日 更新)

活動レポート

続きを読む  »

投稿者:かまた  posted at : 16:45 | コメント (192)

  

2011年03月11日

ありんこ隊リスト(旧)

このページの表示が重くなってきたので、新しいリストを作成しました。新しいリストは コチラ です。

ありんこ支援隊

ありんこ支援隊としてご協力いただいた全国各地の「ありんこ」さんを、随時ご紹介いたします。

義援金・支援金へのご協力を頂いたありんこさん  現在の総額 1,627,639円 (9/5現在)
(※支出は9/5現在
▲1,595,404円で、現在残金は32,235円です。)
日付
お名前
メッセージ(勝手に抜粋)
9/1
★ぬーにゐ☆さん(6回目) 物資を(直接)届けに行かなくてもよくなったという事は、それだけ現地の皆様がご自身で動けるように為ったからでもありますね!早く、支援しなくても被災された方が営めるようになれば良いと思います。解散するまで応援しますよヽ(^。^)ノ
8/31
通もん。さん(4回目)
8/31
又三郎さん(4回目) ええっと、今月の支援金を送りました。(だから家賃かっつーの。笑)毎度ながらにちょっとだけですが。新潟は、そして被災地はまだ残暑も続くと思いますので、おふたりともどうかご自愛ください。
8/30
Noriさん(7回目) 雨のおかげで、少々涼しくなったようなそうでもないような。被災地の皆様は雨とか大丈夫なのかな?相変わらずですが、同封いたします。お役立て頂ければ幸いです。
8/26
うずまき@えじまさん(5回目)
8/26
魔女さん(3回目) 今月のお給料が入ったので、ちょびっと支援金送りました。イーハトーブが終わると夏が終わります。被災地にも厳しい冬がやってきますね。ひとあし、ひとあし、前に進んでいきましょ~!
8/16
ハラ ヒデオさん(4回目) 今回も些少ですが、送金させてもらいます。ご自由にお使い下さい。がんばってください。
8/10
奥長良TR大会in鷲ケ岳の皆さん
菌さん
シバーキー選手(IAS#7)
withまつヨメさん
今回は「奥長良TR大会in鷲ケ岳」の100名の選手のエントリー費の一部を支援金としてご協力頂きました。他、トライアル仲間の菌さん、全日本北海道大会でIASクラス初の3位に入賞したスーパールーキー、シバーキー選手からもご協力頂きました。
8/2
うずまき@えじまさん(4回目)
8/2
又三郎さん(3回目) 今月もちょびっと、なんですが、細々でも続ける方を優先して・・・と言い訳していますが。
8/1
平谷TR大会の皆さん
withまつヨメさん
今回の(平谷での)大会募金の発案も、とれっくか~ちゃん経由で「ありんこ支援隊」の活動を知り、ライダー仲間として何かお手伝いできないかと思った次第です。支援をしたいと思っていても自分ひとりじゃたいしたことができないジレンマ。ただ、自分には募金活動(デ・ナシオン)のノウハウがあって、それを何年も続けてきました。自分の出来る範囲で応援を続けて以降と思っています。
7/29
Noriさん(6回目) 何も変化がなくてすみません。今回も同封させて頂きます。
7/29
★ぬーにゐ☆さん(5回目) 寄付した分が、ダイレクトに伝わってる様に思えるのが嬉しいのです。本来なら、買い物してレシートに復興税2%と書かれて徴収されるのが望ましいと考えてます。政治家たちが国民のご機嫌を取ろうと復興増税に踏み切れない限り支援させて頂きたいと思います。
7/22
(ζ`)さん(3回目) 先日は扇風機の搬送ありがとうございました。少しでも役に立って貰えれば嬉しいです。本日、少しばかりですが支援金を振り込みいたしました。こちらも復興の燃料代とかで活躍してほしいと思います。
7/20
通もん。さん(3回目) 先日母と二人で昼食をとりまして、もてなすこちら側がいい年こいてまたご馳走になってしまいました(汗)。なので、その分、我が愛しの母からの義援金という事で送金しました。
7/19
tamaさん 単に消費活動を続けているだけでは被災地のためにはならない、そんなことをブログに書いていらっしゃったので、何もしない自分が少し恥ずかしいということもありました。でも、本当に、九州にいても被災地と被災者の皆さんのことを忘れたことはありません。
7/1
うずまき@えじまさん(3回目)
7/1
又三郎さん(2回目) 今月も無事給料とゆーものが出ましたので、本当にわずかですが送金させて頂きました。海上捜索もまだ続いているようですが、こちらは怒濤のシーズンに入ってしまい、今後は休みがほとんど取れないので、行けないのが残念です。
6/30
★ぬーにゐ☆さん(4回目) 我々が現地に行くより、効率よく支援してして頂いてるので助かってます。今回の支援金は少女時代のコンサートにチケットの余りが売れた分です(笑)
6/27
あたもにさん(3回目)
6/27
通もん。さん(2回目)
6/27
Noriさん(5回目) さて、今回もいつもと同じ支援でございます。
6/24
MXパークくんま さん 今回送らせていただいた義援金は、(悪天候のため中止となってしまった被災地支援のためのレースに)事前参加申込した皆さんに返金または義援金の選択をしていただきご了解を頂いた方の分と、スタッフからの義援金を合わせたものです。
6/24
ハラ ヒデオさん(3回目) ちょっと忘れていました。怖いですねぇ。自分に渇を入れねば・・・。「出来ることを出来る範囲で」自分の持つ小さな力を、実際に被災地のために使うこと。がんばってください。
6/10
Noriさん(4回目) 棒茄子が支給されました!ヨシ、いつもの倍!と銀行から引き出して来たはずでしたが、足がBARに向かってしまい。すこっちだけスコッチを楽しむはずが、行き過ぎて。いつもと同じになってしまいました。
6/10
さん 夫がうなぎさんオフロードバイクつながりで知り合いです。私たちのような西日本の人間、小さい子供も居てなかなか身動きが取れない人間としましては、ありんこ支援隊の活動に少しでも力になることが復興の支えになるのでは、と思っています。
6/9
魔女さん(2回目) 今月は少し余裕ができたので、ほんの少しですが支援隊の口座に振り込みました。少しずつでも必ず復興につながると信じています。細く長く、活動を支えたいと思います。
5/31
★ぬーにゐ☆さん(3回目) なんとか×回は寄付をさせて頂き多いと思っています。被災者の方が早く支援されなくても生活が快適になれば良いですね!
5/30
Noriさん(3回目) そろそろ活動が難しくなってきているのかなと感じます。(そんなことないですよ^^。byかまた)@BOSSや先輩に甘えてしまっているのも申し訳ないような・・・。お体お大事に活動なさってください。
5/30
Team-BEE 村上さん(2回目) 今回はGSチャレンジに参加するメンバーで打合せという名の呑み会をした時に、メンバーから少しずつ集めた者です。支援活動にお役立て頂ければ幸いです。
5/30
通もん。さん 笑顔ってほんと いいよね~。最高だv(^-^)v
5/30
(ζ`)さん(2回目) 余裕があって贅沢できる部分はとりあえず半分にしてみて、その贅沢が回り回って被災地の支援に繋がるなら間接的な支援ですし、半分にした残りの余裕を直接的な支援に回せれば自分の中の均衡も図れるんじゃないかと思ってます。思うことで落ち着いています。バイクに乗る機会は少なくなるかも知れませんが、その分家族と過ごす時間を増やせたらと思っています。
5/30
又三郎さん GWは私も東北へ行って来ました。支援内容もだんだん細かくなってきていますね。わたしも本当に細々、ではありますが、続けて行きたいと思います。
5/24
うずまき@えじまさん(2回目) 最低限の生活水準が確保できるようになった方々にとって精神的にも前向きに向かえるような手助けを欲しておられると思います。自分もそういう観点でも探してみたいと思います。
5/16
あたもにさん(2回目) ようやく二度目の支援金をお送りすることができました。ありんこ支援隊のロゴをステッカーにしてバイクに貼りたいのですが、許可して頂けますか?
5/9
うずまき@えじまさん いろいろ新聞やネットで知る限り、募金は義捐金として扱われ、すぐに被災者へ届くものでは無いこと、支援物資も 個人提供は殆ど受けつけず(混乱の元ですから当然ですが)募集している団体や窓口も、情報の内容や鮮度が不確かだったりして歯痒さを感じつつ、なにか良い方法は無いものかと探しておりました。内容からすると、「支援金」とした方が良いのかな?
5/6
★ぬーにゐ☆さん(2回目) 義援金は少しだけですが、出来るだけ長く続けさせて頂きたいと思います。本当はドカーンって差し上げたいのですが・・・(^^;  まあ、支援する人の支援ですからお気軽な気持ちで使ってくださいね!
5/2
Noriさん(2回目) 毎週支援活動お疲れさまです。どうかご無理なさらず、テキトーにご活動ください。
4/29
くすりやさん 先日haseオフロードパークで会った者です。
4/15
ハラヒデオさん(2回目)
今日は待ちに待った年金支給日です(笑)。小額ですが寄付します。ご自由にお使いください。
4/14
木の実さん こんなご時世なのに、ボケボケの私の勤務先は呑気なもので、4月にめでたく昇格、お給料Upしました(震災でお仕事を無くした方を思うと複雑な気分ですが・・・)。なので早速、募金させて頂こうと思います(買い出しも難しいですしね)。
4/14
kikiさん 被災地に直接かかわって、色々と葛藤されながらのかまたさん&Bossさん、協力者さんたちの支援の様子が、かまたさんのブログを通して伝わってきました。みんながありんこって良いね!!
4/13
Team-BEE 村上さん 残念ながら私たちには被災地に向かう情報源がありません。そこでありんこ支援隊の皆さんやトレックフィールドの皆さんに少しでも協力できればと思った次第です。
4/13
魔女さん 「ありんこ」の活動は、小さな私たちに「何か出来る道」を作ってくださいました。ありがとうございます。今回の震災では、「一度にたくさん」ではなく、「細く長く」が必要となると思います。小さなありんこたちではありますが、小さな手を集めて、復興への道を歩みましょう。
4/11
かおりさん しどきで以前お会いしました、かっぱくんを連れた者です。なんにもできませんが、ありんこ支援隊の活動にお役立ていただければ嬉しく思います。
4/11
chocoppyさん Blog拝見しています。どうか無理なさらぬ様にして下さい。北海道より活動を応援しています。
4/11
エゾもっこすさん エチゴアリンコの行動力に感動しています。その活動資金のごく一部にしかなりませんが・・・。落ち着いたらまた北海道に走りに来てください
4/11
NSMZUKIさん 日々、必要なものは変化しているようなので。ガラクタをオークションに出品して落札された金額、振込みさせていただきます。手が必要なら何時でも言ってください。
4/11
ひなたの修さん 偶然、このサイトにたどり着きました。支援活動、すごいです。走行会、無くなったお金があったので、いろいろ近所を回ってみましたが、結局、お金が役立つと思いました、活躍をお祈りします、俺も何ができるか考えます!
4/11
tamさん お仕事もある中、被災地支援の活動までされていて本当に大変だとは思いますが、くれぐれもお体を壊さないようにお気をつけください。今後も細々ではありますが、ご協力させていただきたいと思います。
4/11
犬さとう家さん メールの返信や物資のとりまとめ等、とても大変だと思います。こんな事しか出来ませんが、そちらで入手困難なものをまた送らせていただきます。ウトロンかわいいですね、うちにはコーギーが3頭おります。
4/10
ミワコング夫妻 共にがんばろう、東北!
4/7
haseさん 東北には4年住んでいて、週末はよく、リアス式海岸沿いに点在する集落や岬をオフロードバイクで探索して楽しんでいました。何かの形で支援に協力したいと思っていましたので、貴支援隊に参加させていただけてうれしいです。
4/6
tonさん 支援の趣旨にあらためて賛同します。役に立てれば幸いです。どうか支援隊の皆さん自身の健康も大切にしてください。
4/6
kazuminさん とれっくと~ちゃんととれっくか~ちゃんの友達です。ささやかな金額ですが何かの足しになれば幸いです。応援しています。
4/6
cianonさん 大阪在住のBMW、セロー乗りのおっさんです。被災地の中で被災に遭わなかった旅館、ホテル、食堂、お土産屋さんなど沢山あると思いますが、今回の震災で多くの観光客の足が遠のくのが目に見えます。どうか、そういったお店のためにも私の義援金を使ってください。もちろん使い方はかまたのご自由に(笑)
4/6
しるこりん あお仕事も大変でしょうに、その上さらにすごすぎます。とてもとても真似できませんけども、少しでもお役にたてればと思います。
4/5
代理人Aさん ロッカーズのほぼ引退者です。妻が医療系NGOで1週間救援活動をしてきまして、本来なら義援金はそちらに送るところですが、ありんこ支援隊さんに協力させてください。かまたさんのような仕事を某NGOではロジスティシャンと言います。
4/5
サ○キさん 千葉のサ○キ(某所ではササキーネンって呼ばれてましたっけ)です。実家は岩手の内陸ですが、募金することしかできないのです。微力ですがお役に立ててもらえば幸いです。
4/5
2ケツのGSさん 埼玉の片田舎で何か自分にできることはないだろうか?と日々悶々としていました。未だ多くの方が、不自由な避難所生活を送られている事には心が痛みます。僅かばかりではありますが、どうぞ被災された方々のために役立てて下さい。
4/5
みずの2号さん 木曽川うかい鵜匠です。子どもたちの笑顔のために使って頂ければ、ありがたいです。
4/4
ハラヒデオさん 小額ですが、お役に立てれば幸いです。がんばってください。応援しています。
4/4
Boss_vzuさん 信州のりもの倶楽部です。応援しています。
4/1
りんちゃん(北海道) こんにちは。エゾはげアリのりんちゃんです(笑)。こんなことでしか協力できませんが、ありんこ支援隊を応援してます。
4/1
福トラさん ありんこ支援隊の皆様が今すぐ何か出来ることをされている活動についてブログで拝見するに「このブログを読み続けていてよかった」となぜだか涙ぐんでおりました。ブログの購読料としてお納め下さい。
4/1
丹々さん かまたさん、@BOSSの行動力には頭が下がります。義援金にて協力したいと思います。
4/1
ドロみちゃん てんちょも今、鮎川町で仕分け中だそうです。「今日は北海道から4t車が4台届くねん・・・」とちょっとめげてました。(笑)
4/1
あたもにさん 小額ではありますが、役立ててください。息長く支援して行きましょうね!
4/1
いとうさん(神奈川) このような募金が「自分ができること」と思っています。それでもなにか力が必要な時は何時でも働きアリとして動く準備はしていますので、声をかけてくださいね。
4/1
doramiちゃん 長い支援になると思いますが、私も微力ながら協力していきますね。
3/31
umiさん 角砂糖くらいしか買えないかもしれませんが、少しでも力になればと思います。
3/31
tomokiさん 微力ながら義援活動に協力したいです。
3/31
マダムOさん 相方はアウトドア派ですが、私は根っからのインドア派なのでブツかお金による支援しかできません。私も本当に微力ながら、できることからやっていきます。
3/31
てつ 僕も一匹のアリとして頑張って働きます!!今は後方支援しかできませんが、自分には何ができるのか、求められていることは何なのか考えながら、被災地のみなさんのお役に立てるように頑張ります!
3/31
k/mさん 今回のありんこ支援、赤十字の義援金ではなく今困っている人に何か出来ないものかと思っていたところでしたので、ありがたく参加させて頂きました。
3/31
★ぬーにゐ☆さん 少女時代のDVDを売った金額を寄付しますよ!
3/30
島ちゃん・姫丸さん 関わりを持たせて頂いてありがとうございます。
3/30
よちゃんパパ 微力ですがお役に立てたらうれしいです。
3/29
とおりすぐりの
セニョール
被災地や現地で支援をしている仲間の話を聞くにつけ、やるせない気持ちで一杯です。そんな、現地へ行けない仲間のためにも、どうかよろしくお願いします。
3/29
よさくさん たちの悪い風邪も流行っています。かまた様、@BOSS様もご自愛ください。
3/29
Noriさん 3日分の給与には足りませんが、私のほぼ一週間分の食費に相当すると思われる額を託します。
3/29
taishoさん 私も微力ながら【ありんこ支援隊】に協力させて頂きたいと思います。
3/29
ばーにーパパさん おわんを送ろうと思ったけれど、間に合ったようなので義援金に・・・
3/28
Ayumiさん 私達の住まう千葉県も被災地のひとつですが、幸いなことに取り残されている人達はいないと思います。是非私達の気持ちを届けていただきたいと思います。
3/28
くまちゃん 自宅待機がもう2週間も続いており 今後の自分の仕事の事も不透明なので、悩んだ挙げ句あの金額にしました。 たいした金額ではないので申し訳ないのですが、役立てていただければと思います。
3/28
HAKUさん お二人の元気が拡がると信じて
3/28
binさん 細部に口出しするつもりはありません。出来ることを実行します。かまた流で思いっきり進めてください。
3/28
ktm_oyajiさん 燃料でもなんでも使ってください。こちらからだと、遠くお手伝いできませんので、¥で誤魔化させてください<(_ _)>
3/28
スケテツさん (> <)げ、エチゴヒゲアリだ!『ありんこ支援隊』、まぢすか~
3/20
(ζ`)家一同 買い占めに荷担させてください!
3/20
かまた 赤十字は赤十字、ありんこはありんこ。あれもやり、これもやる。
物資をお送り頂いたありんこさん (6/24まで到着分)

お名前
物資
6/23
(ζ`)さん 大型扇風機
6/23
dolphinさん ノートパソコン
5/15
トロさん docomoのwi-fiルータ(2年契約)
5/14
(有)ジップ ハッカ油5本
5/6
studio.curveさん たばこ23個、ピーナッツ&チョコクリーム
5/2
Noriさん 文明道のカステラforありんこ
4/29
コタンさん コミック
4/28
きどやオールスターズさん 女性用下着&靴下、男性用下着&靴下、厚手雨合羽、乾電池
4/27
Team-BEE 村上さん 商品券、マクドナルドカードforありんこ
4/25
itaさん デジタルカメラ×2、LEDランタン
4/25
エリーママさん 水のいらないシャンプー
4/25
こるなっこさん 手作り焼き菓子forありんこ
4/24
(ζ`)さん 野菜ジュース、サニーナ、消臭力、からだ拭き、おしり拭き
4/24
キネフチさん 味付けのり、調味料、ふりかけ
4/24
又三郎さん デジカメ、LEDランタン、プッシュライト、乾電池、リップクリーム、ハンドクリーム、日焼け止め、ドライシャンプー、軍手、ノート、鉛筆、鉛筆セット、クリアケース、、下敷き、フィギュア、シール、蓄光テープ
4/24
ベリ子@きどやの客 デジタルカメラ、単2乾電池、ドライシャンプー
4/21
ビーバー隊長さん デジタルカメラ、爪切り、毛抜き、缶切り、散髪ばさみ、お線香
4/21
八木書店さん ビール券
4/21
T.薫さん デジタルカメラ、ドライシャンプー
4/18
フサベルティさん ミニランタン、単4乾電池、軍手
4/18
たそがれライダーさん LEDランタン、単1&単3乾電池、スぺーサー
4/18
わく2スズキさん デジタルカメラ、下着、靴下、LEDランタン、単1&単3乾電池
4/18
★ぬーにゐ☆さん デジタルカメラ
4/16
又三郎さん LEDランタン、LEDライト、LEDプッシュライト
4/16
ドロみちゃん 絵本、幼児雑誌
4/15
ヨーダ婆 男性用下着、女性用下着、靴下、味つけのり、エプロン、タオル
4/15
ビーバー隊長さん 絵本、投光器、延長コード、電工ドラム、折り畳み傘、ストッキング、雨傘、ショベル、水ホース
4/15
越後長岡のおっさんオフローダーさん ココア
4/15
通もん。さん 絵本
4/15
ちゅうめさん 絵本、ぬりえ、クレヨン、方眼ノート
4/15
ライダーさん デジタルカメラ
4/15
やすこさん スニーカー、絵本、まんが、ハンドクリーム、女性下着、男性下着、歯ブラシ、歯磨きペースト
4/15
ヒロムさん 絵本、幼児雑誌、おもちゃ、リップクリーム、パウダーシート
4/15
マッドハニーさん 絵本、LEDランタン、単4乾電池
4/14
よさくさん 貼るホッカイロ
4/14
はっちゃん LEDランタン、単3乾電池
4/14
(株)Flat-A (K藤さん) デジタルカメラ
4/14
ミワコング夫妻 絵本、LEDランタン、袋ラーメン、マスク、手袋
4/12
ビーバー隊長さん 雨合羽、台車、ブルーシート、長靴、安全靴、スニーカー、バケツ、ゴム手袋、チャッカマン、防塵マスク、赤マジック、ひしゃく、タオル、LEDライト、靴下、肌着 他
4/12
ばーにーパパさん 女性用長靴、たばこ5カートン
4/12
きどや&WAKU2スズキさん フリースジャケット、フリースセーター、ダッフルコート、ダウンジャケット、ウインドブレーカー、アーミージャケット、バッグ 他
4/12
tomokiさん 靴下、LEDライト、日焼け止め、リップクリーム、ホッカイロ、ハンドクリーム
4/12
2ケツのGSさん ソーラーランタン
4/10
犬さとう家さん リップクリーム、ハンドクリーム、体拭きシート、化粧水
4/10
マダムOさん ハンドクリーム、リップクリーム
4/10
はっちゃん 女性用下着、男性用下着、キャンディー、男女スニーカー、リップスティック、シャワーシート、ガーゼ、単3乾電池、軍手
4/10
よさくさん 女性用下着、男性用下着、子ども用下着、LEDセンサーライト、LEDランタン、ホッカイロ、軍手
4/9
かつをさん 軍手
4/8
Ayumiさん 単1乾電池たくさん、ぬいぐるみ、キャンドル、女性用スパッツ
4/8
ussyさん 新刊少年ジャンプ、コミック文庫、児童書、カルタ
4/8
ちゅうめさん 女性用長袖Tシャツ、各種靴下50足、野菜ジュース
4/8
T.薫さん LEDソーラー投光器、IEDソーラーガーデンライト
4/8
うなぎの鈴恭さん うなぎの佃煮
4/7
めぐめぐさん 女性用ショーツ、女児パンツ、男性用靴下、女性用靴下
4/7
サンチさんとその仲間達 LEDランタン、スキンケアセット、化粧水、ハンドクリー、リップクリーム、鏡、髪留め、カミソリ 他
4/7
キネフチさん 貼るホッカイロ、シーチキン缶、鮭フレーク
4/7
コタンさん 女性用ショーツ、男性用靴下、貼るホッカイロ、絵本
4/7
binさん 単3乾電池
4/7
マッドハニーさん 男性用トランクス、男子用靴下、LEDランタン、LEDペンライト、単4乾電池
4/7
代理人Aさん 婦人用肌着、婦人用ズロース、婦人用靴下
4/7
cianonさん 男性用肌着、男性用トランクス、男性用靴下
4/7
dolphinさん ガソリン携行缶、男性用靴下、男性用肌着、男性用ズボン下、女性用ショーツ 他
4/6
ヨーダ婆 ババシャツ、ババ靴下、ババパンツ、ババズボン下、軍手、漬物、味のり、飴
4/6
越後長岡のおっさんオフローダーさん 軍手
4/6
binさん LEDランタン
4/6
くらもちファミリーさん 栃木のイチゴ
4/6
ヒロムさん 各種靴下、男性用トランクス、男児用ボクサーショーツ、軍手、日焼け止め、リップクリーム
4/6
川合 稔さん 蛍光灯ランタン(大)、単1乾電池
4/6
姉さん@EC200さん 男性用靴下、女性用靴下、子ども用靴下、ランタン、単3乾電池
4/6
hamagen115GSさん 男性用靴下、女性用靴下、女性用ショーツ、男児Tシャツ、LEDランタン、ヘッドランプ、単3乾電池、軍手
4/5
サンチさんとその仲間達 ガソリン携行缶、女性用下着セット、男性用下着セット、ドライシャンプー、清拭料、ゴーグル、ふりかけ、単3乾電池、カープソース、広島みそ
4/5
伊達naotoさん ランタン、ドリップコーヒーforありんこ
4/5
masato/がべじんさん ガソリン携行缶
4/4
又三郎さん 男性用靴下、うがい薬、リップクリーム、軍手、フェイルタオル、ホワイトガソリン缶 他
4/4
かつをさん 男性用トランクス、靴下、軍手たくさん
4/4
ヒロムさん ミネラルウォーター、単1乾電池
4/4
サンチさんとその仲間達 ガソリン携行缶
4/4
おじょー&もっちーさん ガソリン携行缶
4/4
りんさん(大阪) 卓上ランタン、単1、単2、単3乾電池
4/2
さん 男性用トランクス、靴下、女性用ショーツ、コーヒー豆、ふりかけ、お菓子他
4/2
ライダーズランドYOYOさん OIL缶
4/2
スギヤマレーシングさん ガソリン携行缶、灯油用ポリタンク、灯油
4/2
コタンさん 灯油用ポリタンク(灯油入り)
4/2
402さん 携行缶
4/2
spiral racingさん ドラム缶、携行缶
4/2
よさくさん 貼るホッカイロ
4/2
クラシマテツヤさん 携行缶
4/2
binさん ジープ携行缶
4/1
マッドハニーさん ホワイトガソリン缶、下着セット(男性用・女性用・子ども用・ベビー用)
4/1
TEAM 天竜さん ガソリン携行缶、軍手、おもちゃ
3/31
ゆるゆるさん ガソリン携行缶、いろはす、水用コンテナ、ポンプ
3/31
よさくさん ガソリン携行缶、単1、単2乾電池
3/31
ビートさん ガソリン携行缶
3/31
上州GS/GGさん パソコン、モニター、学習ソフト、手袋
3/30
AQURAさん ガソリン携行缶、タオル
3/30
(株)Flat-A (K藤さん) 女性用カットソー(長袖Tシャツ、タートルネック、タンクトップ)
女性用ニット(カーディガン、セーター)、デジタルカメラ
3/30
カカ1号さん 子ども用シャツ・子ども用パンツ・子ども用靴下・婦人用ショーツ・赤ちゃん用おしりふき 他
3/30
イシノアキラさん ガソリン携行缶
3/30
フクダヨシオさん ホワイトガソリン缶・ペーパーナプキン・キッチンペーパー
3/29
鈴鹿市民さん ガソリン携行缶
3/29
スケテツさん 使い捨ておわん・先割れスプーン
3/29
taishoさん ガソリン携行缶・ホワイトガソリン缶・ガソリン
3/29
binさん ガソリン携行缶
3/29
ウエハラヒロシさん ガソリン携行缶
3/29
オープンエリアさん ガソリン携行缶、単2乾電池
3/29
木の実さん 使い捨て食器、袋ラーメン、カップ麺、子ども用おもちゃ、軍手、焼き海苔、ふりかけ他
3/29
うなぎの鈴恭さん うなぎの佃煮、男性用靴下
3/28
惣さん ガソリン携行缶、ガソリン
3/28
Ratt Garageさん ガソリン携行缶、カイロ
3/28
モリさん 発泡おわん、パックご飯、韓国のり、即席みそ汁、ステッカー
3/28
Ayumiさん 婦人下着、婦人肌着、婦人靴下、トランプ、折り紙
3/28
(ζ`)さん 発泡おわん
3/28
たまふさん 使い捨て食器、ラップ、トイレットペーパー、ホワイトボード、文具 他
3/28
こるなっこさん 無洗米、即席ラーメン
3/28
k/mさん 無洗米、発泡おわん、先割れスピーン、トイレットペーパー
3/20
ミワコング夫妻 カップラーメン、ミネラルウォーター、パウンドケーキ、LEDランタン、マスク、手袋、絵本

あの・・・もしお名前がもれていたり、間違えていましたらご連絡ください。^^;

また、ハンドルネームではよくやり取りしている方でも、
お送り頂いた伝票などに書いてあるお名前だとわからず、
ご住所や頂いたコメントなどから、当てはまる方を探してはみるのですが
ハンドルネームと一致させられない場合は、ご本名のカタカナ表記とさせていただいています。
(ハンドルネーム等のある方は、もしできれば、こちらで判るようにしていただくと助かります。m(_ _)m)

また、私たちは置かれている立場で、いろいろな状況があります。
被災地ではないけれども、会社が影響を受けて自宅待機中、
計画停電によって給与が減額、などなど。
支援に参加したいけれども出来ないからといって、どうか心を痛めないでください。

頂くコメントでの応援も、私たちの力になります。^^


【ありんこリンク】 リンクでの支援、ありがとうございます

ON THE ROAD 松本充治オフィシャルホームページ ・・・ ありんこ支援隊の活動をご理解頂き、とてもわかりやすくご紹介頂いています。

トレックフィールド ・・・ 仙台市内で買い物難民の皆さんに物資と元気を運んでいるトレックさんのブログ。

北狐RACING・外伝、『ゆるぅ~く行こうぜ』 ・・・ スケテツさま

ラパスでTECATE ・・・ オオエドアネゴアリ(楽)さん

南仏写真館 ・・・ ricard51さん(Oさん)

大将の気合と根性 ・・・ taishoさん

HOP,STEP,・・・そのうちJUMP(>_<)!? ・・・ kainalu4010さん

うなぎ工房の徒然草・・・うなぎさん

こるなっこ神殿 ・・・ こるなっこさん

ドラミのblog ・・・ doramiちゃん

走れ!!ドロみちゃん♪ ・・・ ドロみちゃん(大阪のニュートンさん)

ゆるゆるエンデューロライフ。 ・・・ ゆるゆるさん

ドラ家のブログ ・・・ ドラさん

こんなもん日記 ・・・ ktm_oyajiさん

たぶん日刊☆ぬ~にゐ☆ ・・・ ★ぬ~にゐ☆さん

オープンエリア ・・・ (有)オープンエリアさん

東海林道ガールス ・・・ めぐめぐさん

WELCOME TO RIDERS LAND! ・・・ 魔女さん

WELCOME TO RIDERS LAND! ・・・ 魔女ダンナさん

(※引き続き編集中。リンクしていただいているサイトがありましたらお聞かせください。)

投稿者:かまた  posted at : 19:11 | コメント (6)

  

2011年03月10日

ありんこ支援隊ができるまで

AD/tacさん、トレックフィールドさんの草の根活動に共感し、
3月20日に物資を届けに行った際に見た被災地の現実・・・。

その想像を絶する被災地の惨状に、
一時は私たちの支援なんて・・・と無力感にさいなまれました。
でも、「蟻のような小さな力でも、みんなで協力し合えば
大きな力になります。」と言うAD/tacさんの言葉に力を頂いて、
出来る範囲の小さなことからになりますが、
信じあえる仲間の皆さんと、この活動を広げて行きたいと思いました。

被災地で泥だらけになって活動をされているAD/tacさんやヒラチさん、タクミさん、
周辺住民への支援協力を行っているトレックフィールドさん、
愛媛から、持ち出しで炊き出しを行っているSSERの皆さん、
それ以外にも岩手や福島、茨木にも、バイクを通じて知り合った
多くの仲間の皆さんが、今、この時も懸命に活動をされています。
そして避難所では家や家族を失った被災者の方が
先行きに対する不安を抱えながらも、懸命に生きていらっしゃいます。

私たちは、地元の情報に詳しい現地で活動されている方々と連絡を取り合い、
「アリ」にしか伝わらない被災者の声をお聞きしながら
「アリ」にしか届けられない細やかな支援の思いを
物資とともに送り届けたいと思います。

4000箇所と言われている避難所を網羅することなど到底できませんが
大動脈の幹線沿いの公設避難所への物資援助は
自衛隊・自治体など公的機関にまかせて、
その先の遠隔地や中山間地の小さな避難所や自宅に身を寄せていることで
取りこぼされている被災者の方々への支援を、
バイク・ブログを通じての「ヒト・ネットワーク」で
要請と支援の両方の情報をダイレクトに受けながら、
確実に届けていこうと思います。

基本的に、自宅難民および買い物難民となっている方、
または公的な避難所ではない避難場所にお届けします。
私たちがお届けできない場合は、皆さまの善意を無駄にしないように
NPO団体を通じて、必要としているところへお届けします。
(もちろん、需要が合えばトレックフィールドさんへもお届けします。)

毎日皆さまからの支援物資がどんどん届いています!

支援物資
北は北海道から、南は広島まで。

支援物資
ご協力、本当にありがとうございます。
こちらは孤立している避難所に届けて頂いているtacさん、タクミさん、
または、買い物できない地元の皆さんに配られているトレックさん等に
私たちが責任を持ってお届けいたします。
または、現地で活動されている皆さんと一緒に
現地の小さな避難所に直接お届けしてきます!

引き続きご支援協力をお願いします。  ありんこ支援隊のページへ戻る

投稿者:かまた  posted at : 00:38 | コメント (2)