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2011年05月27日
トレックエイドと牡鹿一周
仕事を前後にギュギュッと押し込んで、
水曜日に石巻へ行って来ました。
前回時間切れで行けなかった牡鹿半島にも行きたかったので
朝から十分に動けるように、今回は前日夜に新潟を出発。
仙台南インターチェンジを降りてすぐの駐車場で車中泊。
朝6時。トラックが行き交う音で目を覚ましたウトロン。
「ここどこ?」
あれ?こ、ここは!?(ギクッ)
そうです。今週末に引越しをするトレックフィールドさんの
新店舗前です。(現在改装中)
6月1日に移転オープンされるということで、
いつもお世話になっているトレックフィールドさんに
弊社からお祝いにプレゼントのレーザープリンタをお持ちしました。
名づけて「トレックエイド」です。^^
とれっくか~ちゃんには「ウトロンの開き」をプレゼント。(笑)
あと一週間ほどインターネットが使えないということなので
トロさんからご支援頂いたWiFiルータを
まずはトレックさんにお使い頂くことにしてお渡ししました。
「これ、長観寺さんに届けてくれる?」
とれっくか~ちゃんから、食品や下着をお預かりしました。
長観寺さんと仲のよいとれっくか~ちゃんは、
「もう落ち着いたし大丈夫って勝手にこっちで思ってたけど、
買い物に行く時間もなかなかとれないみたい。
電気だけは通ったみたいだけど、電話も水道も見通し無いらしいし。
それに、他所から人が訪ねてくることないでしょう?
だから来てくれるだけで嬉しいんだって。
この間も『ありんこさんがまた来てくれたのよ~』って言ってたし、
私が行く時も、『支援すると思って、上がって一緒におにぎり食べて行って』って。」
特に長観寺さんは、周りに何もない状態ですからね・・・
「避難所に行った人たちも少しずつ仮設住宅に移っていくけど
仮設に当選してしまうと、もう公的な支援を受けられなくなるでしょ?
避難所にいる時は毎日食事が配給されるからいいんだけど
仮設に入ったとたんに、自分でなんとかしなくちゃならなくなる。
食器も着るものも、全部また一から必要になってきて、
親戚や知り合いがいる人は何とかなっても、身寄りがない人は大変だよね。
だから抽選で仮設が当たっても、あまり嬉しくないという話もあるみたい。」
そうか・・・仮設に入って一安心、じゃないんですね。
長観寺さんへのお届け物を受け取って出発。
「じゃあまたね、ウトロン。」
10ヶ月になったウトロンを、か~ちゃんは軽々(?)持ち上げますが、
とれっくか~ちゃんにこうして抱っこしてもらえるのも
きっとあと数ヶ月でしょう。^^;
利府JCTから三陸道へ。
瓦礫の堆積場でしょうか。
トラックがどんどん運んでは降ろしていきます。
しばらくして、見覚えのある風景が左右に広がりました。
この道路は、3月20日、一番最初に通った道です。
道路を挟んで右と左ではまったく景色が違い、
片方はビルや家が並ぶ普通の町、もう片方は何もない荒野。
あの日は緊急車両だけが通行できたので、物々しい雰囲気だったけれど
今は普通に一般車両が行き来しています。
でも景色はあの時のまま。
トレックさんが長観寺さんから納豆をリクエストされたそうなので
私たちもドラッグストアで、他の避難所の分として少し買出ししました。
基本的には食事の量の心配はいらないはずなので
あったらいいな程度のものですが。^^;
先日お届けしきれなかったハッカ油の他、消臭剤、芳香剤、消毒ジェルなども。
ドラッグストアの店頭に、「58円」という値段でお茶碗やお椀が並んでいました。
きっととれっくか~ちゃんが言っていたように
仮設住宅に入るのに食器が必要という方が大勢いらっしゃるのでしょう。
最初は、稲井小学校のリーダーとして動いていらっしゃる
山口さんを訪ねてみることにしました。
山口さんは日中は避難所ではなく、
被害のあったご自宅兼お店の方にいらっしゃるとお聞きしました。
たしかこのあたりとのことでしたが・・・
あ、あそこかな?バイクが並んでいますね。
「おはようございます。」
山口さんは青空の下、スタッフの方とバイクを洗車されていました。
「これ全部、水没したバイクなんです。」
言われないとわからないほど見た目はきれいなマシンばかりです。
が、エンジンの中まで砂が入ってしまっていたり、
マグネシウム製のエンジンは海水で穴が開いています。
こちらは金属という金属に錆が出ています。
「水没したお客さんの家から引き上げたマシンです。
全部ばらしてみても、出てくるのは砂ばかり。
もう動かないし、どうしようもないものばかりですが、
業者間のやりとりでも何でもいいから、少しなりともお金に変えてあげて、
生活の足しにしてほしいと思って洗っているんです。」
今は毎日こちらでそうした仕事をされているんですか?
「避難所の掃除を終えて、朝7時にここへ出勤して、
夜7時まで仕事をしたら、また避難所へ戻ります。
見てわかるように、ここの前の道路が波打ってしまって、
ここが一番低くなってしまったらしいんです。
隣はそうでもないのに、うちは一階が全部水没してしまって・・・。」
僕のバイクも昨日やっと引き上げてきました。
もう動かないでしょうけどね、と指差された先には
@BOSSには懐かしい2ストのマシンが。
「僕は昔、県警の白バイ隊のインストラクターをしていたんですよ。
30mの一本橋とかね、今は全然そんなことできませんけど。(笑)」
ひゃ~~~( ̄∀ ̄;)汗
チームとしての活動は、やはりしばらくお休みですか?
「いや、6月の名阪は参戦する予定です。」
そ、そうなんですか!?
「この間SUGOにも練習に行ってきました。
チームのメンバーはみんな被災したので、レースの練習もままならないし、
九州や北海道まで全日本MXを転戦はできないけれど
SUGOと名阪だけは行くつもりです。
去年ルーキーに負けて表彰台に乗れなかったIBの子には
今年IAに上がれなかったらやめろと言ってあります。
みんな実力は拮抗しているのに上がれないというのは
もう気持ちの問題ですから。」
き、厳し~~!!( ̄∀ ̄;)汗
「ほら、全日本のトップ選手だってそこまでやってるんだよ。
あんたなんてどれだけ甘いか、わかったでしょ?」
あの~、@BOSS、一緒にしないでくださいよ・・・・・( ̄∀ ̄;)汗
「あ、MXやってるんですか?」
いえ、と、とんでもないっ!!私はやっとキックが一人で
掛けられるようになった位ですから・・・^^;;;
「バイクにも乗れないし、みんな避難所での生活で
若い子たちなんか特にストレスもたまっているだろうし
今度みんなで集まって飲むか!と声をかけたら
いつのまにか30人くらい集まることになって、
おいおいちょっと待て、入る店が無いぞ、ということになっちゃって。」
避難所だけでなく、そういう面でもリーダーでいらっしゃるんですね。
「今はここでこうした作業をやっていますが、
もしかしたら店は移動しなくてはならないかも。
でも貸し物件も土地も、震災前の3倍の価格になっちゃって。
だから今すぐどうこうは決められないんですが、
でも少しずつやっていこうと思ってます。」
ありんこ支援隊は基本がオフロードライダーつながりの支援でもあるので
もしご希望があれば、稲井小学校の避難所リーダーであり、
全日本MXでもご自分のチームをお持ちの山口さんに
WiFiルータを活用して頂けたらと思っていました。
でも、トレックフィールドさんから、
山口さんのご自宅には、一応ADSLが通じたと聞いたので、
そうするとルータは不要かなと思ってしまったのですが、
実際にお聞きすると、結局家も越さなければならないかもしれないし、
デスクトップなのでここへ来ないとインターネットはできないし、
また、避難所にあるPCはあまり自由に使っていいものではないそうで
インターネット環境はかなりご不便なようです。
そこで、トレックさんのインターネット接続工事が完了されたら
トロさんのWiFiは、やはり山口さんにノートPCと一緒にお渡しして
避難所のため、チームのため、地元のバイクショップ再開のために
思う存分使って頂くことにいたしました。
山口さん、お忙しい中、本当にありがとうございました。
チームの皆さんの活躍も応援しています。
続いて牡鹿方面へ。
市街地から来ると、いつもここで景色がが一変する交差点。
でも、かなり泥や瓦礫が片付けられてきれいになった印象です。
牡鹿半島は1ヶ月ぶりですが、変わっているでしょうか。
1ヶ月前は桜が咲き、まだ山肌が見えていたけれど
今は新緑に覆われて、緑がぐんと増えました。
万石橋を渡って牡鹿半島へ。
石巻の市街地はずいぶんきれいになったと感じましたが
やはり牡鹿は、道はきれいになったものの、大きくは変わっていません。
これから立てられる電柱が積まれています。
(なかなか普段目にすることのない風景ですね・・・^^;)
「東浜災害本部」という立看板も前回まではなかった気がします。
少しずつ小さな私設避難所が統合されているのでしょうか。
湾が見えてきました。浮かぶ船が増えた気がする、と@BOSS。
牡鹿町は捕鯨基地で栄えた町でもあり、
またホエールウォッチングを観光の一つに歌っていて
「クジラ」をまちのシンボルとしているようです。
が、看板には「電源立地の町おしか」と書いてありますね。
女川原発が立地しているので、いろいろな施設の整備に
交付金が出ていたのでしょうね・・・
いつも通りがけに気になっていた
「ドライブイン」「ミンククジラの刺身」と
手書き文字で書かれた小さな飲食店。
あとで聞いたら「瑞幸」さんというお店だそうですが、
ここに「営業中」という文字が!
まだ観光のお客様は少ないと思いますが、
営業を再開されたんですね!
特につながりはないけど、ちょっと嬉しいニュースです。
(次回来るときは寄ってみようかな。)
瓦礫にかなり錆が目立ってきました。
海にも赤錆が・・・。
ああ、あそこにも小さな避難所があるんですね。
交差点に「めぐろさん」の新しい(?)看板が立っていました。
「めぐろさん」から数百メートルも離れていないところで
工事が行われています。何の工事だろう?
このあたりでは仮設住宅は作れないと言っていたけど・・・
懐かしいピンクの建物が見えてきました。
私たちが駐車場にバスを停めるとすぐに窓から
「いらっしゃい、ご飯食べてって。」と声が。
ああ、ちょうどお昼時に来てしまいました・・・^^;;;
入るとちょうど「中日新聞」さんの取材を受けているところでした。
「みなさんでお茶を飲んでいる写真を撮らせてください。」
という記者の方のリクエストにも関わらず、
どうしてもカメラ目線になるサービス精神旺盛な社長さん。
どことなく太田パパに似ている気が・・・(笑)
ああ、でも皆さん以前よりずっと笑顔になられましたね。
社長さんはいつも元気で笑顔だけど、他の皆さんは
最初に来た頃はストーブを囲んで、宙を見つめるような目で
ほとんどお話されなかったのに、よく話し、よく笑っていらっしゃいます。
たくさん焼いたからたくさん食べて、と安倍川餅をご馳走になりました。
女将さんが調理をされた、ツナとたまねぎの炒め物も。
「支給物資、最近お餅が多いんですよ」と女将さんが言われます。
焼くだけで食べられるし、そうそう腐らないからと
私たちも最初の頃、お餅を支援物資リストに入れていましたっけ。
「パンもあるよ、食べて。」
テーブルの上のおにぎりの消費期限が昨日なのを見ても
たぶん十分に、食べきれないほど主食は届いているけれど
できるだけ、捨てないでみんなで頂こう、というお気持ちなんだと思います。
@BOSSも私も記者の人も、一人3つか4つずつお餅を頂きました。
仮設住宅への引越しのボランティア。
へ~、いろんなボランティアがあるんだなあ。
こちらは鳴子温泉への招待日を書いた紙のようです。
でも社長さんと女将さんはいつもお留守番されます。
そういえば、すぐ近くで工事をしていましたが・・・
「ああ、あれね、ここに仮設住宅が建つことになったんだよ。」
本当ですか!よかったですね、近くに建つことになって!
「うちもね、宿の傾いた部分を何とか工法っていう方法で
補修ができるっていう山形の業者さんが来たから、
いま見積もりを頼んでるんだよ。まだ返事は来ないけどね。
お金も時間もどれくらいかかるかわからないけど
俺だってもう10年は働ける。お金は借りて返せばいい。
俺達もね、こうして応援してくれる皆さんのためにも、
必ずもう一度民宿をやるって決めたんだ。」
今度余震が来たら駄目かもしれない、と前回言っていた社長さんの口から
力強い言葉をお聞きして、本当に嬉しかったです。
その時は支援物資としてそれ行けウトロ号にお客さんを乗せてきます。
あ、みんなバイクで来ればいいのか。(笑)
そういえば、燃料はどうですか?
「すぐそこのガソリンスタンドが営業を再開したよ。」
よかったですね、と言いましたが
「でもガソリンを入れたくても、先立つものが無くてね・・・」
実は私たち、現地の状況がわからず、
念のため空のドラム缶は載せてきたのですが、
必要かどうか判らなかったので、そのままやって来たんです。
ということで、一旦めぐろさんを出て、
営業を再開したというガソリンスタンドへ。
(ここも一ヶ月くらい前にようやく再開したそうですが、
初期の頃は自衛隊などの緊急車両だけに入れることになっていたそうです。)
皆さんからの支援金でドラム缶に給油してもらい、
ドラム缶ごとお渡ししてきました。
じゃあ社長さん、また来ますね。
「うん、何も無くてもいいから、ちょくちょく顔出してよ。
それで、みんなで来てくれたら、ここで懇親会をしようよ。
俺はこう見えて歌が上手いんだよ。歌手崩れだから。」
他の方からの話を聞くと、本当に歌が上手いらしいです。
ありんこ隊を乗せて来る日が来たら、ぜひご披露くださいね。
他の皆さんのリーダーをされながらの避難生活が
2ヶ月以上となり、余震もまだ続く中で、
ちょっと疲れて最近少し高血圧気味だそうですが、
未来に向かって歩き出された民宿めぐろさん。
これからも応援したいと思います。
そうか、ここに仮設住宅ができるのか・・・。
以前伺ったときは、市の土地でないと建ててもらえない、
でもみんなこの土地を離れたくない、
生まれ育った町、海の側で暮らしたいと思っていると
言っていらっしゃいましたもんね。
こんなにすぐ近くで、気心の知れた方とふるさとに住めるなら
住む方も安心だし、私たちも嬉しいです。
なんだか私たちにとっても、ここに避難されている皆さんが、
だんだん親戚の方のような気持ちになってきています。
砂浜に取り残された船。この70日でだいぶ埋まってしまいました
「めぐろさん」の近く、海岸線に
家が半壊状態で残っているお宅があり
時々人がいらっしゃるのは見たのですが、
今までは寄れずに通り過ぎていました。
でも今日は、表で何か洗い物をしていらっしゃったので
ハッカ油の小瓶を渡しに初めて寄ってみることにしました。
すぐ近くに避難所があるのですが、
家の2階は何とか住めなくもないので
避難所へ配給をもらいに行きながら自宅に住んでいるのだとか。
「8月になるとこのあたりに仮設住宅ができるので
それまではこうして暮らすことになると思います。
仮設に移ったらこの家は壊すでしょうね、住めないし。」
私たちありんこは、いくつかの避難所を回っていますが、
そのまわりにはまだ無数のこうした避難生活があるはずです。
全部を支援の対象にすることはできませんが、
支援活動をする人が増えれば、対象となる家も増えていきます。
湾の瓦礫が見上げる空を、鯉のぼりが元気よく泳いでいました。
女川から雄勝へと向かう道で、
以前は通れなかった道路が開いていました。
被災地をかなり見慣れたつもりの私たちでも
初めて訪れる集落の景色は、今でもやはりショッキングです。
まるで砂漠のよう・・・・・
ようやく最近通れるようになったばかりのようですが
何かあったらまた通行止めになりそうです。
「壊滅状態だったんだね・・・」と@BOSSがつぶやきます。
ようやく道がこうして付けられて通れるようになっていますが、
おそらく数週間前までは、どこが道かもわからなかったと思います。
道路が通れなければ、捜索も物資運搬も何も進みません。
「雄勝方面 大型車両は通行不可」とありますので
このまま雄勝地区へ抜けられるようです。
ビルの屋根の上に上がったままの大型バス。
荒涼とした風景の中、自衛隊の車両が作業をしています。
北上川沿いに出て、十三浜の長観寺さんへ。
「毎回すみません、ありがとうございます。
この間頂いたもの(ハッカ油)、重宝していますよ。」
そう言ってくださった後に、
「随分片付いたと思いませんか?」
町があった場所を眺めながら、そんな話をされました。
「ここは家も何も、外灯一つないから、夜になると本当に真っ暗になるんですよ。」
そういえば電気は通ったんでしたっけ?
「お寺の建物だけは電気を通してもらったんですが、他には何の灯りもないでしょう?
本当に、何も見えないんですよ。」
「地震以前は、この高台のお寺から町を見渡すと
この町全体に、たくさんの家の明かりが灯っていたのに
今は、本当に何にも無くて真っ暗なんですよ。
たま~に、海辺の道路を通る車のライトが見えるだけで・・・。」
「お寺が避難所になっていて、皆さんが一緒にいたときは
そんな事は思いもしなかったんですが、皆さんが避難所に移られて
家族だけがお寺に残ったら、ああ、この町には今、私たちしかいないんだなぁって。
こんな中を通学させて、部活が終わって真っ暗な中戻るのもどうかと思ったので
娘は今、石巻の親戚の家に預けて、そこから高校へ通っています。
週末だけ帰ってくるんですけどね。
このごろ慣れたのか、だんだん気持ちが強くなってきたみたいです。」
・・・お話を聞かないと、、気づかない事でした。
何週も通っていながら、片付いてきている様子から
復興に近づいていると、勝手に考えてしまっていましたが、
確かに町の痕跡を残す広い空間に、人がいるのは長観寺さんだけです。
この町が、以前のように家の灯りで満たされる日がくるのでしょうか・・・。
そうそう、これはとれっくか~ちゃんから預かってきた物資です。
「ああ、ありがとうございます。
避難所に何も持たずに逃げてきたままの方がいて
そのおばあちゃんの下着をお願いしたんです。」
あの・・・ご自身のお体は大丈夫ですか?
「回診に来てくださる先生に、
精神的なバランスを崩しているようだからって
漢方薬を飲むように言われて飲んでいたんですけど
ようやく、もう飲まなくていいねって言われたんですよ。
自分では何ともないって思っていたけど
やっぱり自分の中ではいろいろあったんでしょうね。
でも最近ふっきれた気がするんです。
『ここで生きていくしかないんだ!』って。」
その言葉は、諦めからくるものではなく、
もっと力強いものにあふれていました。
震災から75日。
以前は道が通れなくて、寄磯小学校へ行くにも、雄勝地区に行くにも
ぐるりと回り道をしないといけませんでしたが
今回は初めて牡鹿半島をきれいに一周して、一部を除いて海沿いに移動できました。
今回石巻に来て、前回書いた悩みに一つの答えをもらった気がします。
いつも笑顔で、未だ避難されている方の面倒を見ながら、
民宿の営業再開へと心を強くもって進み始めためぐろさん。
避難所の責任者として動かれている一方で
チーム監督としても再始動し、チームメンバーを励まし、
自分にとっては手間賃すら生まない仕事でも
お客さん、あるいは仲間の生活の足しになるようにと
仕事も朝7時から夜7時までされている山口さんは、
ご自分のお店も流された方です。
家族以外はその町に誰もいない中、灯り一つない夜が明けると
朝、目の前に広がるのはあの日津波に流された町。
電話も水道も見通しがつかず、ほとんど外部とつながらない中で、
避難所の方を助けている長観寺さん。
仮設住宅に当選するということは、
公的物資の支援を断ち切られるという現実。
被災地での復興は、誰かが、いつの間にかやってくれる
そんなオートマティックなものでは無いという事を改めて思い知りました。
被災者ご自身も思い悩んで、気持ちを奮い立たせて努力され、
少しずつ少しずつ、行き先に不安を感じながらも、前に進んでいるのが本当です。
それに手を貸すのが支援なら、直接的、間接的にかかわらず
協力できることがあれば、どんなことでも協力をするのが支援なのだと思いました。
それは物資や義援金だけではなく、
訪問して顔を見せてくれるだけでもうれしいのだと
「めぐろさん」の社長さんもおっしゃっています。
冗談抜きで、肩をもんだりすることも、お手伝いだと思います。
今、そんな気持ちのこもった直接的支援を断る方はいないと思います。
長い支援のためには、みんながこれから個人個人で
現地に「友だち」や「心の親戚」をもつことが、
とても重要なことになっていくような気がします。
そして、被災された皆さんが今より前に進むための
実質的なお手伝いになることなら
「偽善かも」などと自分の心に言い訳をする必要もなく、
これからもみんなで応援していきたいと思います。
みんな、一緒にがんばっぺ!
投稿者:かまた posted at : 17:03 | コメント (7)
2011年05月23日
ハッカ油を届けに
先週、石巻へと行ってきました。
虫除け用のハッカ油と、スプレーボトル、
curveさんからの支援物資も。
震災から70日が経とうとしています。
前回石巻へ行ったのはGWでしたので、あれから3週間が経っています。
不謹慎な言い方かもしれませんが、
しばらく会っていない、懐かしい親戚を訪ねるような気分でもあります。
石巻市内で目にする自衛隊の車両も
当初よりも随分数が少なくなってきました。
まずは十三浜の方面へ。
車などはそのままですが、それ以外の大きな瓦礫が
随分撤去されているのがわかります。
道路を作るための護岸工事も勧められています。
石巻市街地では民間ボランティアの方が
各ご家庭の泥や瓦礫を運び出していますが、
(そしてそうしたボランティアは、
学生の春休みやGWが終わった今、急激に減少してしまい、
片付けの手が需要に対して足りなくなっていると
地元のニュースが伝えていました。)
こうした大規模な瓦礫の撤去作業は自衛隊が行っています。
海岸線に残った松を見ていても、
ここが風光明媚な地であったことは想像に難くありません。
まずは「虫が多く出てたいへん」と教えてくださった白浜荘さんへ。
色鮮やかな花が咲き誇っています。つつじでしょうか。
ちょうど社長さんが出てこられ、
今回もまた皆さん揃ってどこかへ行かれたところで
社長さん一人でお留守番なのだとか。
「虫除けは、あの後、自衛隊の人に言ったら
ものすごく大量に届けてもらったんですよ。
殺虫剤とか、蚊取り線香とか。」
ああ、そうでしたか。残念。いえ、残念ではないのですが。^^;
でもこれは、殺虫剤とは違うハッカ油なので、自然のもので
肌にも優しくて、虫を寄せ付けません。
香りもいいし、清涼剤としてもよく効くのでよかったらぜひ使ってください。
北海道の方が送ってくださったんです。
「ああ、ハーブですね。ありがとうございます。」
専修大学の学生さんがいらしているんですか?
「うちも明日から仕事を再開するんです。
宿泊の方はまだだめだけど、スクールバスを出していて
そちらの仕事がようやく始められるようになったので。」
少しずつ「生活」が取り戻されているお話を聞いて
私たちもホッとしました。
それにしても、こちらを訪ねて来る時は
雨や曇りの日が多かったのですが、
今日こうして晴れた日に来てみると、
以前はどんなにか美しい景色だったかが偲ばれます。
「以前は海も川も、遠くまで水が澄んでいて、
本当にきれいな景色だったんですよ。
みんな灰になっちゃいましたけどね。」
帰り道、郵便配達のバイクとすれ違いながら
(郵便も普通に届くようになったようですね。)
高台からの景色を見下ろしました。
「白浜荘」という名の通り、ここにはきっと
白砂青松の景色が広がっていたのだと思います。
「灰になってしまった」と社長さんはおっしゃっていましたが、
寄せては返す青い海を見ていると、自然が奪った美しい景色が
自然によってきっとまた戻る日がくると思えてきます。
電線工事も続けられています。
続いて長観寺さんへ。
もうこちらに避難されている方はいらっしゃらず
皆さんはGW前にはすでに公的な避難所である
公民館の方へ移られていますが、
お世話になったこちらの方へもご挨拶して、
またこちらに作業に来られる方たちにもお使い頂ける様に
ハッカ油もお届けしてきました。
「避難所本部」として使われていたテーブルや
仮設プレハブのお風呂なども片付けられています。
今も毎日、自衛隊による瓦礫撤去作業と、
警察隊による捜索作業が進められていて、
この日もお一人のご遺体が見つかったそうです。
ご住職が皆さんの命を守った高い塀に生えた水仙の株に
手入れをされていらっしゃいました。
今度は山をぐるりと回って、稲井小学校へ。
途中で通った町の中には、前回なかった仮設住宅街が
あちこちにたくさんできていました。
学校は始まっていますが、体育館が避難所となっています。
小学校のすぐ隣にある中学校の生徒さん達が、
学校の周辺を体操着でランニングしていました。
前回はリーダーの山口さんと外でお話したので
避難所の中を見ることはなかったのですが、
今回は中で留守番をしていた方と話をしたので
こちらの中の様子を見るのは初めてでした。
ダンボールで仕切られた小さなプライベートスペース。
会議用の椅子がストーブの周りにぐるりと並んでいるところが
皆さんの歓談の場のようです。
この避難所は3週間前の50人から30人に減ったそうです。
ハッカ油をお渡ししながら、
シュッと手首に吹きかけて差し上げると
「わ~、いい匂い、スーッとする!気持ちいいですね!
ここは見ての通り西日が射すから暑いんですよ。
でも網戸がないから、窓を開けると
すぐに虫が入ってきて困っていたんです。
鍋や食事道具を置いてあるところにも虫が来るし。助かります!」
それはよかったです。
暑いときには首の後ろに一吹きすると体が涼しくなるそうですよ。
「人数が多いので、もう一本もらってもいいですか?」
もちろん!そのために持ってきたんですから。
他にあったらいいなと思うもの、ありますか?
「必要なものは山口さんにおまかせしています。
山口さんがいろいろ気づいてくれて、
こんなにいいものが届くんですから!」
(虫が出るって教えてくれたのは、白浜荘さんであることはヒミツです。^^;)
たぶんこちらの避難所は風が通りにくいので
これから暑くなるにつれて、寝苦しい夜を過ごされるんだろうなあ。
ありんこにできることはなんだろう・・・。
快眠のためのひんやりグッズとか、
汗拭きシートとか制汗スプレーとか?
暑くなると、食欲がわかなかったり、寝苦しかったり、
他にも寒い時にはなかった問題がいろいろ起きてくるでしょう。
命に関わる緊急の支援の時期は終わりましたが、
ダンボールで仕切られた空間が少しでも快適であるように
ありんこに出来ること、またみんなで考えていきたいと思います。
トレックさんのところへも牡鹿半島へも行きたかったけれど、
残念ながら今回は時間切れです。
帰り道では、あっという間にフロントガラスが虫だらけ。
夏が近づいているんですね。
ところで、昨日しどきからの帰りに
@BOSSがこんなことを口にしました。
「先週、震災以来初めて、久しぶりにある人に会ったんだけど」
「ありんこ」活動の開始後は、別の用事でお邪魔しても、
相手の方が気を遣って、予め用意していたわけでもない義援金を
財布の中から裸のまま取り出して渡してくださることがあったりして、
そんなバツの悪い場面が何度かあって以来、
「ありんこ」に関係の無い方には、妙な気を使わせてしまうといけないので
敢えて会わずにいたのだそうです。
でも、最近少し状況も落ち着いたし、別の用があったので、
@BOSSがしばらくぶりに顔を出してみると
「どう調子は?」
「最近になって、ようやく乗る時間も作るようにしてますが、
顔見知りになった被災地の皆さんを思うと、
なかなかバイクも気が乗らなくて・・・」
「ダメですよ、自粛は。
だから私は、テレビは見ないようにしているんです。」
この言葉に@BOSSは違和感を覚えたそうです。
「確かにいらない自粛はよくないと思うんだけどさ。
でも、自分がバイクに乗る気持ちを保つために
実際に今も存在している被災地の状況から目をそむけて
この震災と津波と原発の事実を自分の中から排除して、
それで気持ちの折り合いをつけるという方法でバイクに乗るのは、
やっぱり違うんじゃないかと思うんだ。」
そうですね、でもみんな実際には
心の中から忘れたりしないと思いますよ。
・・・とは思うものの、
@BOSSが感じているのと同じような不安は私にもあります。
震災から70余日。
今回稲井小学校へ伺って、ダンボールで仕切られた小さなスペースに
今も尚暮らしていらっしゃるご様子を目の当たりにしましたが、
私たちが目にするしないに関わらず、
今この瞬間にも、不便な避難所生活を余儀なくされている方々が
何万人という単位で生活をされていることは紛れもない事実です。
原発の影響で、着の身着のまま県外に避難させられ、
まだ一度も家に戻れない方が大勢いらっしゃるのは
ニュースでも伝えられています。
私のブログを「以前のような普通のバイクブログ」に戻ることを
望んでいらっしゃる声もあります。
でももう「以前と同じ日常」はなくなりました。
支援のつもりで、久しぶりに訪れた「しどき」でも、
海沿いの会社に勤めるキッズのお父さんが
津波でトランポも会社ごと流されてしまい、仕事もままならず、
当然、今年はレース活動どころではなくなってしまったのですが、
知り合いが貸してくれたマシンとトランポでしどきを訪れ、
子どもさんに練習をさせてあげているという様子を
期せずして目にしたことは前回のブログに書いたとおりです。
北関東や東北に近づけば、そんな話は
耳や目をふさいだとしても飛び込んでくる
無数に存在している被災の事実で、それが「普通の日常」です。
敢えて書かなくてもいいのかもしれませんが、
敢えて書かないと、もう東北は大丈夫と
忘れられてしまうんではないか。
それが私の不安です。
そんなことを話をしたら@BOSSは、
「3.11震災で断ち切られてしまった『当たり前だった日常』を、
全て元通りにすることは、困難だし不可能なことだけど」
と前置きし、
「たとえばあんたの『憧れのカレ君』がレース活動を再開できる日を
早めてあげられるような支援方法は無いものだろうか?とか、
大勢の全日本ライダーを抱えるチーム監督だったのに
ご自分もチーム員も被災して、今は避難所のリーダーとなって、
避難所生活の向上に奔走されている山口さんが
再び全日本にライダーを輩出されるチームを再建する手助けは出来ないか?とか、
ライダーの輪を軸にした支援を考えることはできるよね。
これはほんの一例だけど、実際の手を差し伸べられなくても
そんなことを大勢で考えて、悩みながら、少しでも糸口がつかめたらと思う。
俺たちみたいに、震災から免れて、仕事も生活も日常生活もレース活動も
今までどおり続けられるライダーは、心の中に被災地のことを『共存』させて、
自分なりに悩みながら、その気持ちを抱きながら
尾崎塾長が言うように『粛々と』『精一杯』
ライディングを続けることが大事だと思うんだ。」
@BOSSは言います。
もちろん、なかなか乗る気になれないというなら、
それはそれでいいと思うけれど、自粛はするべきではないと思う。
でも、被災地を気にしないで乗る、というのは間違いだ、と。
「避難所の皆さんの顔を思い浮かべながら、
この『バイク活動』を何につなげていこうかと考えて
アクセルをひねる事ができたらいいなと俺は思う。
一番良いのは、バイク活動を支援活動に連動(両立)して乗ること。
それが難しくても、東北の友人のことを思いながら、
心に留めながら、気にかけながら乗るというだけでも良いかなぁと思う。
知り合いがいないなら、本当に作っても良いかも。
被災地に住む知り合いのライダーさんを。」
そうですね。
自分に被災した友人や知人がいると、それは続けやすいし、
私と@BOSSは福島やいわきにたくさんの友人がいますし、
宮城にも、活動を通じて知り合いライダーさんが新たにできました。
私もありんこの活動で目にし耳にしたことは、
できるだけブログで書いていきたいと思います。
では、私たちはどうなのか。
小さな支援をしながら、すっきりとバイクに乗れているのか。
答えは「ノー」です。
私たちはちょこちょことありんこの活動を行っていることで
「やった気」になっているように思われるかも知れませんが
決してそんなことはなく、ありんこの活動で気が晴れることも無く、
ずっと答えを模索し続けながら、いまだ迷宮の中にいます。
@BOSSは今年は復帰後の挑戦として、
EUな方とJEC全戦を回ってみようと考えていたようですが
その初戦が震災で中止となり、それをきっかけとして
一旦気持ちがリセットされたようです。
太田パパのISDEファミリー参戦の目標も、
残念ながら震災でリセットされましたが、
その後は、バイクで恩返しと気仙沼支援に奔走されています。
私自身も、私がバイクに乗ることが、何かに繋がればいいなと
おこがましいことを思いながら、乗る理由を模索しています。
「理由なんかいらない、楽しいから乗る」という気持ちにはなれず、
しどきで乗るのも、それなりの理由でもあります。
この、何も考えずに心晴れ晴れと乗れない気持ちを
「病んでいる」と一言で片付けてしまいがちですが、
晴れない気持ち、悶々とした思い、それがどこから来るものなのか、
突き詰め、答えを求めて悩むことも、震災で変化した今の日本には
必要で大切なことだと@BOSSは言います。
「たとえ答えが見つからなくても、考え、ともに苦しむことも大切だ」と。
芋おやじさまがご自身のブログ「ひぐらし」に
「なんか毎日が楽しくないですね
早く元の生活に戻り
アハハ、オホホで過ごしたいものですね」
とコメントされていましたが、
芋おやじさまは「アハハ、オホホに戻れる日は来ない」ことを
分かって書いていらっしゃるだけに、この言葉は胸に来ました。
津波の悪夢うなされ、被災地のニュースに共振して悩む日が続く中、
その自分と正面から向き合いながら、新潟まで下道で訪ねてくださり
その後、レース活動を再開された(ζ`)さん。
でもきっとまだずっと悩んでいると思います。
そしてそれが、私が(ζ`)さんを信頼する理由でもあります。
前日も小名浜港の港湾内の瓦礫撤去作業をし、
いわきの街や自分の会社の従業員のことを考えると
バイクに乗っていいのかと思ってしまうと言いながら、
支援活動をする私に「かまたさん支援」といいながら
しどきに来て、講習をしてくれるゆーじさん。
(その思いに応える結果がなかなか出せなくてごめんなさい。(TдT))
自分のしてることなんて偽善だという思いを抱きながら
川内村への募金活動をして、これを届けて来た福島市に住むいぐべ父ちゃん。
偽善と思いながらも何かせずにはいられない父ちゃんの気持ち、
バカ話をしながらも、痛いくらい伝わってきます。
毎朝、季節が夏に向かって進んでいくのがわかります。
これから大地にどんどん緑が多くなっていきます。
林道の雪も融けて、いよいよ北国もオフロードシーズン到来です。
「長い目で、友人知人に協力していくつもりで
自身の日常とバイク活動が続けられれば
自分にとってもきっと一番いい答えが出るよ。
だから、考えること、悩むことをやめちゃいけない。」と@BOSS。
私も見つけたい答えは見つからないままですが、
これからも悩みながら、バイクに乗ろうと思っています。
投稿者:かまた posted at : 21:35 | コメント (18)
2011年05月20日
がんばっぺ、しどき!
すでに簡単なご報告はしましたが、
震災以来初めて、先週末、実に3ヶ月ぶりに、
福島はしどきへ「走行」の為に、やってきました。
震災以降は「ありんこ支援隊」として、
郡山JCTで東北道に乗って石巻方面へ行ってばかりでしたが
久しぶりに懐かしの磐越道を直進し、そしていわきへ。
爽やかないいお天気です。
・・・が、私達の他には数組。
ミニコースは、ほぼ貸切です。
コースはベストコンディションなのに・・・もったいない。
やっぱり「福島」というだけで、原発の影響などを懸念して
多くのライダーさんの足が遠のいてしまっている様です。
しどきへは、震災後にも一度、地震の影響を尋ねるために
社長さんのところにお伺いしましたが
3月、4月は昨年度の1割程の方しかお見えにならず、
ゴールデンウイークでようやく3割ほどまで戻ってきたそうです。
原発の影響も無く、こんなにコースコンディションも完璧なのに、
まだまだ「福島」「いわき」というだけで、苦戦を強いられています。
そんな事もあり、被災地への支援活動を「ありんこ」として行いながらも、
私達の「ホームグラウンド」でもある「しどき」へも、
小さいながらも個人的な支援のつもりで走行して
そのレポートを通して、「しどき」の今をお届けしようと思います。
「ライダーの支援の輪による活動」が「ありんこ」の原点でもありますので。
(もちろん、走行料に支援金を使ったりしませんのでご安心を。笑)
*********
久々のしどき、土曜日は懐かしい再会がありました。
この日ミニコースには、足の届かないフルサイズのマシンに乗って
今日で3日目というキッズが走っていました。
あれ?彼はもしや・・・
1年半前の冬、85に乗ってミニコースを走っている彼を見て
なんてきれいなフォームなんだろうと
私が勝手に「憧れのカレ」と読んでいたキッズではないですか!
これは1年半前、2009年の12月のカレです。
当時のブログに
「他にももっと速くてすごい人たちはたくさん走っているのですが
このキッズ(中1だそうです)が私の心を捉えて放しません。
体格が私と同じくらい、というのもあって、
私が@BOSSから注意を受ける肘の高さ、腰の位置、
やじろべいの作り方、ステップの荷重、
どれもこれも、『これがお手本です』という風に私には見えます。
ああ、彼のように走りたい!!!」
などと憧れ度全開で書いていますが、
あの時のキッズが早フルサイズ・・・
とてもフルサイズ3日目には思えません。( ̄∀ ̄;)汗
お父さんに話をお聞きしたら、今回の震災で
家は大丈夫だったものの、津波でトランポが流されてしまい、
今年1年はレース活動もできなくなった代わりに、
仲間のライダーから借りたフルサイズのマシンで
来年に向けて、地道にじっくり練習をするのだそうです。
あの時中1だったから、今は中3になったんですね。
でも身長も140cmくらい、まだ声変わりもしきっていない彼は
ヘルメットを取ると本当に幼い感じで、びっくりしてしまいます。
どうか頑張って。これからも「憧れのカレ」の活躍を応援しています。
さて、この日の練習は、
あまりにもこの間のリバーでバイクが倒せなかったので
また「ぐるぐる」。イチからやり直しです。
扱いやすいCRF100で、パイロンを中心にぐるぐるしてみますが、
ご覧の通り、バイクは倒れずに体だけが外に逃げている悪い癖。
ひゃ~、かっこ悪い~~( ̄∀ ̄;)汗
本当は、体の重心はフロントフォークの延長上に置いたまま、
股の下でバイクだけを倒して、それを太ももで押さえながら
遠心力でぐるぐる回るのだと、見るに見かねて
@BOSSがお手本を見せてくれます。
「外ももと内ももとバイクの三つで、やじろべいになるの!こう!」
そういえば昔、そんなことができた瞬間があったような無かったような・・・(泣)
夕方近くなって、@BOSSが何本ものパイロンを
ビギナーズ広場に並べ始めました。
そして、簡単なルールを私に説明しました。
進むパイロンの順番は1→2→3→・・・と決まっている。
基本的には8の字を描きながら次へ次へと進む。
でも、次のパイロンに進む時、90度で曲がってはNG。
必ず180度以上回ることが条件で、90度になる場合は一回転すること。
・・・・よくわかんな~い。( ̄∀ ̄;)汗
「あれ?今どのパイロンをどれくらい回ったんだっけ?」
「ん?次は黄色のパイロンだっけ?あ、行き過ぎた!」
などと、パイロンの中でウロウロする私を見て、
「だからあんたはダメなんだよ!
次のことを何も考えないで、行き当たりバッタリで走って、
コーナーが来てから慌てて対応するから山を走れないの!」
「これはね、コーナリングの練習じゃないんだよ!
次はどのパイロンで、半周なのか1周なのか、どこで切り返すのか、
どんなRを描いて進入するのか、どれくらいのアクセル量がいるのか、
手前のコーナーで判断して走る練習なの!
普段考えて走っていないから、こんな簡単なことも出来ないんだぞ!」
CRF100でなら、パイロン間は3.0m、
CRF150でなら6.0mでできるはず、ということですが
なんか、見るからにオロオロしてますね。
パイロンの周りに段差やワダチがあると、そればかり気にして
次のパイロンのことなどすぐに忘れてしまったり。
本当は5時まで走れるのですが、雨も当たり始めたので4時で終了。
とても2輪で走ったとは思えない、バギーのようなタイヤ痕。
さ、明日もがんばろ~っと!(TдT)
この日の夜は、常宿のここ↓もチェックしてきました。
前回しどきを訪ねた時も営業はしていましたが
宿泊(仮眠)はできませんでした。
しかし現在では深夜営業も復活。
災害派遣の業者の方や被災者の方々へのお風呂の提供のためにも
電話回線が復旧していない状態ながら、支援の意味も込めて
懸命の営業されているとお聞きしました。
懐かしいスタッフの皆さんにもお会い出来て嬉しかったです。
【日曜日】
いわき健康センターを7時半過ぎに出発。
よし、今日は9時乗り出しだぞ!テキパキ準備しろ!と@BOSS。
さっそく昨日と同じようにパイロンを並べてくれました。
でも昨日よりかなり間隔が狭いような気が・・・( ̄∀ ̄;)汗
この日のミニコースには、何度かここで会ったことのある
ファミリーがやって来てくれました。
わ~、なんていうの?ウトロン?
「ねえねえ、あとでミニコース一緒に走ろ!」
か、かわいい。(TдT)
私のマシンを見て、「いいな~、数字が着いてて。」
あははは、それならY2用の予備のゼッケンがあるから
好きな数字を貼ってあげるね。(笑)
4匹のダックスと暮らしているからか、
犬を全面的に信頼している3姉妹。
ウトロンも今日はいい友だちがいて嬉しそうです。
私たちが来ているということで、ゆーじさんも来てくれました。
会うのは亘理町へ行ったとき以来です。
今は避難先からいわきの自宅に戻って、
自分の会社の業務も少しづつ再開しているようですが、
問題は山積みだと聞きました。
「かまたさん、俺はねえ、何が面白くないかっていうと、」
やっぱり原発の問題でしょうか。
「なんで(Y2)リタイアするわけ?そんでもって満足です、とか言って。」
あ、私のことっすか。Σ( ̄⊥ ̄lll)ススミマセン
「体力なくなった~とか、みんなもっともらしく言うけど、
体に力が入る走りしているから体力使っているだけで
バイクの性能の邪魔をしないで走れたら、
走りきる体力なんか十分あるんだからね!」
・・・・・・・・・・・・・・・( ̄∀ ̄;)汗
そんな話をしていたら
「かまたさんですよね。」と話しかけてきた方が。
前回のブログでご紹介したとおり、「トロさん」が
wi-fiルータを持ってしどきまでやってきてくださいました。
トロさんは昨年の春に大型免許を取得したばかりで、
免許を取って初めて買ったバイクが1200GSなのだそうです。
(どこかで聞いた話とそっくりですね。笑)
しどきまでわざわざ届けてくださったトロさんには
お礼に@BOSSから「パイロン講習会」をプレゼント。(笑)
そしてY2をリタイアした私には、
ゆーじさんによる「パイロン特訓」がプレゼントされました。(泣)
「かまたさんはいつも体がバイクの外側(逆側)に傾くじゃん。
何でかわかる?次のパイロンを見てないからなの。
いっつもフロントタイヤのすぐ先の
石ころばっかり見てるから体が残るんだよ。」
「今回るコーナーなんか、進入した時点ではもう何も見なくてOK、
よし、このコーナーはわかった!次!って、もっと早い時点で
目だけじゃなくて、頭も肩も腰もつま先も、ぜ~んぶ次のコーナーを見るの!
林道なんか次のクリッピングポイント、次のクリッピングポイントって
点と点を直線でつないで走るんだよ。
目の前の石なんか見てないで、次のコーナー入口だけ見るの。」
「そこ!全身全霊で次のパイロンを見る!!」
「そう!今のは100点!」
あれ?なんだかすごくクルリンと速く回れましたね。
その内に私が手前のパイロンを回っている間に
ゆーじさんがもう一本のパイロンの位置を動かし始めました。
あれ?パイロンはどこだ??
毎回できるだけ早く、位置を変えたパイロンを見つけて
判断しなければなりません。
「動く8の字練習」です。
でもこの練習、(ひとりではできませんが)すごく面白い。
ゆーじさんは平らでないところ、草薮の中、石の脇、柵の手前など
私ができるだけ動揺しそうな場所に、毎回パイロンを置き始めました。
平らでなくなっただけで、さっきまで出来ていたことが出来なくなる私。
よく転び始めた私を見てゆーじさんは
「疲れた?じゃあコース行こう、コース。
同じことばかりしてると飽きるから。」
あれ?いつもなら、疲れたら少し休んだ方がいいって絶対言うのに。
休むまもなく、今度はフープス。
そして再びビギナーズ広場で8の字練習。
・・・よっぽど私のリタイアが面白くなかったんだな。( ̄∀ ̄;)ゼイゼイ
午後はみんなで、まったりとコーヒーブレイク。
「いやー、楽しい!」
と、トロさんも、いい汗かいていい顔です。^^
こうして、久々のしどき2DAYSが終わりました。
トロさん、ゆーじさん、どうもありがとうございました。
私と@BOSSは、「しどき支援」の意味も込めて
この週末もしどきへ行こうと思っています。
もしご一緒頂ける方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。
投稿者:かまた posted at : 13:20 | コメント (3)
2011年05月16日
ありんこページ更新
(ブログの内容とダブりますが^^;)
ありんこのページとありんこリストを更新しました。
投稿者:かまた posted at : 12:35
ハッカ油とwi-fiルータ
北海道のZIPさんから、「北のかおり」という箱が届きました。
くんくん、何のかおり?
ウトロン、鼻がスカ~ッとするでしょう?(笑)
ペパーミントオイル、とラベルに書かれたそのビンは
ZIPさんのスポンサーでもある北見ハッカ通商さんの『ハッカ油』でした。
前回石巻へ行った時のレポートの中で、「白浜荘」さんの社長さんが
暑い日はものすごい虫が出る、と話してくださったことを読んで
楽さんが紹介してくれたこのハッカ油、
水で薄めてシュッシュッと体に吹きかけると、
虫除けに絶大な効果があるのだそうです。
また自然のものなので、肌の弱い人でも大丈夫とのこと。
しかも涼やかなペパーミントのいい香り。
今回、ありんこ支援隊でも5本購入させていただきましたが、
ZIPさんからも5本、物資支援としてお送りいただきました。
ぽんたさん、ありがとうございました。
北見ハッカ通商さんでは、既に行政からの依頼を受けて
相当数を用意されているとのことで
今回の分はボランティアの人が使うのか?
現地の人が使うのか?などをZIPさんに聞かれたそうです。
楽さんから、バイク仲間がボランティア支援として小さい避難所を回っていて
そこに置いてきたいのだという旨を伝えていただきました。
その北見ハッカ通商さんからは、
携帯用のスプレー容器を10本ご協力いただきました。
しかもハッカ油の中身入り!
これから暑くなるにつれて、虫と匂いに悩まされる季節となりますが、
これはそのどちらにも効果のある優れもの。
さらに、ぽんたさん曰く、熱取りにもよいのだそうです。
「風邪などで熱っぽいときなど、ほんの少し
首の後ろやおでこの上につけると楽になりますよ。
(かけすぎると、とても寒くなりますので注意!)」
本格的な夏になる前に、100均アトマイザーとともに
現地にお届けしたいと思います。
それから、もう一つ。
今までありんこ支援隊のページに今後のアイディアの一つとして、
「ちなみにエチゴヒゲアリは次の支援として、小さな避難所で
数台の中古PCとdocomoのWiFiルータなどを使った
インターネットコーナーの設置を考えています。
(これは月額料金がかかるので、支援者がいたらということになりますが
いつそのニーズが発生するかもしれないので、
その時に向けての準備は少しずつ始めています。)」
ということを書いてきましたが、
これに対して「トロさん」という方から、
「docomoのwi-fiルータの構想があったかと思いますが、
その形で長く支援させていただくのは、いかがでしょうか?」
という、ありがたい支援のお申し出を頂きました。
そして昨日、トロさんは、私たちが練習していたしどきへ
わざわざ届けてくださいました。
すでに2年の契約を済ませて下さったwi-fiルータです。
「最低でも2年以上で、必要の無くなるまで、お使い下さい。」
せっかく遠いところを福島までおいでくださったトロさんとは、
一緒にそのままパイロン練習もさせて頂きました。(笑)
が、しどきのレポートはまた次回・・・・・・。
トロさん、ありがとうございます!
パソコンと一緒に、これをお届けしてきますね。
今週、これらを持って、現地へ行ってきたいと思います。
その際には皆さまからお預かりしている支援金で
虫除けグッズ、アトマイザー、燃料などもお持ちする予定です。
(curveさんのタバコもお届けしてきますよ。^^)
ZIPさん、北見ハッカ通商さん、楽さん、そしてトロさん、
本当にありがとうございました!
投稿者:かまた posted at : 12:33 | コメント (9)
2011年05月14日
しどき
実に3ヶ月半ぶりで、
「しどき」に来ています。
本日のお手本。
本日のライバル。(笑)
@BOSSは着いてからずっと整備。Y2の泥を落としています。
私と@BOSSは、明日も一日しどきで走るつもりです。
ということで、ご一緒いただける方がいらっしゃいましたら
しどきにてお待ちしております。
( m(_ _)mのポーズ↑)
投稿者:かまた posted at : 12:20 | コメント (0)
2011年05月12日
Y2-R1
日曜日はY2-R1。
あまりにもバイクのブランクがありすぎて、
ぎりぎりまで出るかどうかを決めずにいました。
よくよく思い出してみれば、震災の前も、
冬の間は仕事と雪で、結局秋からほとんど乗っていなかった私。
ましてやチーズナッツ、走れるんかいな・・・( ̄∀ ̄;)汗
すると突然@BOSSが、
「とりあえずは出てみますか!
どれだけ走れなくなっているか、レースに出て身をもって知ることで、
またトレーニングしなくちゃ!と思うようになれば、それはそれでよし!」
ということで、
やってきました、福島はチーズナッツパーク。
大急ぎで有り合わせのカッティングシートを切り抜いてきたら
晶ねえさんから「遠目に判別しにくい」というNGが出され、
「黒い縁取りをするように」とのお達しが。
仕方なく、マジックでカキカキ・・・
なんか落書きみたい・・・( ̄∀ ̄;)トホホ
さて、チーズナッツでY2を開催するにあたって
芋おやじさまが線量計で測った数値をブログに発表した上で
あとは自己判断でということだったのですが、
この件については、私も多少ナーバスになっていました。
そこでチーズに着いてから、
放射線に詳しいゆーじさんに相談してみました。
すると
「まあ今の風向きだと、いわきよりずっとそっちが高いけど、
かまたさんの年齢だったら、もうそんなに気にしなくていいんじゃない?」
あ~そ~ですか、それを聞いて安心しましたわ。( ̄∀ ̄;)ピキ
「でも、できるだけ舞い上がった粉塵は
体内に吸い込まないに越したことはないから
人の後ろは走らないで、一番前を走った方がいいよ。」
人様の後ろしか走れないこの私に、一体どうしろと!?(TдT)
「少し雨が降ると、洗い流されていいんだけどね~」
その他不安だったことをいくつか確認したので、
意味なく不安をもったままではなく参加することが出来そうです。
それにしても、いい天気だなあ。
な~んて思っていたら、スタート数分前になって雨が当たり始めました。
お、粉塵が舞わないで済む恵みの雨かも。と感謝したのもつかの間、
ザーーーーーーーーーーーーー。
あっという間にドライだった土はチュルチュルのドロドロに。(泣)
さっきまでは半分冗談で
「久しぶりだから今日は一周するのが目標です!」なんて言ってたけど
これじゃあ冗談抜きで、私には一周すらできないかも・・・( ̄∀ ̄;)ガーン
まあいいや、競争じゃないんだし、(競争ですけど)
今日はリハビリと練習に来たんだから、
チーズナッツの胸を借りるつもりで楽しもうっと。
予定通り、10時スタート!
ついさっきまでは、私でも楽勝な感じに見えていた大坂でしたが、
たった今降り出した強い雨で、裾野からすぐに起こった大渋滞、
そして登り口ではすでにいつもの地獄絵図。
あの中に入ったら、到底私には上れないだろうし、
きっとこの調子だとショートカットコースが開くと読んで
ずっと後ろの方で待っていたら、やっぱり他のコースへ誘導されました。
では皆様、お先にー!♪( ̄▽ ̄)ノ
とショートカットしたのもつかの間、
何とか大坂を上ってきた人、一旦降りてショートカットに回った人が
どんどん私を追い抜いていきました。
「後から来たのに追い越され」という水戸黄門のテーマソングは
私のテーマソングでもあります。(泣)
今回のコースは、新しく開拓されたコースもあって
山あり谷あり、クネクネ曲がって、人生そのもののようなコースです、と
前日コース作りを手伝ったしるこりんから聞いてはいましたが、
確かに山あり、谷あり、沢ありで、
しかも雨がいっそうコースシチュエーションを
豊かにしてくれていました。(泣)
今回@BOSSは初Y2であるにも関わらず、抽選マーシャルでした。
「よかったですね、助けてもらえますね。」
な~んてことを私に言う人がいましたが
@BOSSに助けてもらうような真似だけはすまい!
(というか、@BOSSが助けてくれるとは思わないし、
「もう一回やり直し!」などと仁王立ちで言われても嫌なので。)
@BOSSは私を抜くたびに後ろから
「リアブレーキ使えば大丈夫!」「ほら、がんばれ!」
と抜きざまに声をかけてくれましたが、
なんとか3時間走りきったものの、最後の周は
当の@BOSSもヘロヘロで、あっちこっちで転びまくったそうです。^^;
ところでご存知の通り、今年のチーズナッツは
Y2とモンスク以外は、すべてのレースの中止が決まっています。
それは、そのレースのスタッフをされる方たちが被災されているから、
そして、もしレースやイベントをやるということになったら、
自分がどんな状況でも手伝ってくれようとするだろうから、という
芋おやじさまの決断によるものだそうです。
その芋おやじさまも、震災で仕事に大きな影響を受けているお一人です。
でもそうした中で、芋おやじさまがY2開催を決めてくださったから
こうして、たくさんの仲間と、今日ここで会うことができました。
本当にありがとうございます。
前日、駐車場のトランポがなかなか増えないのを見て
「どうせみんな、ここ(チーズ)を避けてるんですよ・・・・」と
後ろ向きなことを口にしていたけれど、
でも最終的には100台を越える参加があって、
当日は打って変わって満面の笑顔となったあやべ~。
今度チーズにトラ車を持っていくから一緒に遊んでね。
「なんでいつも俺の行ぐ道をふさぐの!?」
オンボードカメラを付けた父ちゃんにだけは今会いたくない!
というタイミングに必ず現れるいぐべ父ちゃん。
行ぐ手を阻んでごめんなさーい!
だってY2で私にできることと言ったらそれくらいなんですもーん。^^;
コース作りを手伝おうと決めて、深夜東京を出発し
レース前日、朝の7時にはチーズナッツに着いていたS本さん。
(このたびはいろいろとお世話になりました。m(_ _)m)
石巻への物資運搬では、トランポを出して手伝ってくれた
新潟のカカ1号&カカ2号さんは、今回チームでY2に初参加です。
普段100に乗っているカカ2号さん、
1号さんのCRF150に乗るのは今日が初めてなのだとか。
チーズで150にぶっつけ本番で乗るなんて、なんて男らしい・・・・( ̄∀ ̄;)汗
さて、私。
一周もできないかも・・・と覚悟をしつつスタートしましたが
走ってみると、なんとか進めるもので、
今回は初戦にしてはいつもより若干設定がキツイかもと聞きましたが、
不思議と、「もーイヤ!」とか「ガレ怖い~」と思うようなことはありませんでした。
V字谷で泥沼に頭から突進したときも、笑い飛ばせたし。
(笑い飛ばされもしましたが。^^;)
これは、オーランドで太田ユッキー選手が
150のサスをユルユルにすることを教えてくれたからかもしれません。
以前のように石にバイクが跳ね返ることもなく、
相変わらず速くは走れないけど、一度も心が折れることはありませんでした。
そういえばここ、初WOMEN'S Xで走れなかったなあ、
な~んて思いながら走ったりして
今までチーズを走った中で、一番楽しかったです。
だってほら、いぐべ父ちゃんの言うとおり、
笑ってますよね、私。
けれど、やっぱり体力的にきつくなってきて、
あと40分を残して、自主リタイアをしました。
ピットでそれを聞いたdoronqoさまは
「太陽も出てきたし、これからは走りやすくなっていくと思いますよ」と
複雑そうな顔で、もう一度送り出そうとしてくれましたが。
確かにエンデューロとしては、自らチェッカーフラッグを放棄するなんて
あるまじきことなのかもしれないけれど、
これ以上走ると怪我をするかもしれないと思ったのもあるし、
せめて1周と思っていたのが3周走り終わって、
心が満足してしまった、というのもあります。
リタイアを決めた私の顔をdoronqoさまがパチリ。
最後まで走らなくてごめんなさい。
でもね、本当に楽しかったです。
@BOSS、ゴール。お疲れ様でした。
EUな方も晴れ晴れとゴール。
本日のTOP3。
1位阿部家旦那さま、2位QQさん、3位EUな方。
最後まで走りきったタヌキさん。
QQさんもお立ち台でのコメントで
「今朝、福島第一原発の3号機の温度が上昇したというニュースをみて
テンションが下がりまくってここへ来たのですが・・・」
というようなことを言われていましたが、
走り終わってみれば、みんなみんな、いい笑顔です。
閉会式後、ウトロンに会いに来てくださった阿部家ファミリー。
実はちゃんとお話しするの、これが初めてかも。
お聞きしたら、実は阿部家にあと500メートルというところまで
津波がやって来ていたのだそうです。
「水は来なかったけど、海のにおいがして怖かった」という話を聞き、
名取の現場をこの目で見ただけに、
今日お会いできて本当によかったです。(TдT)
ところで。
この巻き毛、
どっちの写真でしょう?(笑)
常にマイペースな、大型小犬のウトロンも
みなさんにたくさん遊んで頂いて
この日は私以上にストレス解消になったようです。
あっははは、さあ、行くぞ、ウトロン。
と、なんだかスローモーションがかって見える少年のようなへーちゃん。
(しかも、閉会式中。)
待ってよ~、ウトロ~ン!ロ~ン!ロ~ン!ロ~ン!
笑い声にエコーがかかる、少女のようなしるこりん。
何度も同じ事をさせられて、
いい加減イヤになって脱走を謀るウトロン。(笑)
ああ、そうそう、あやべ~の隣にいるウトロンと、
minicoさんの隣にいるウトロンは
スケールの違いでものすごくサイズが違って見えたのに
その写真を撮らなかったことだけが心残りです。(笑)
夕日の中、のどかできれいな福島の景色を眺めながら、
腰が痛い、足が痛い、腕が痛いとバスの中でストレッチ。
でも久しぶりに気持ちのいい痛み、気持ちのいい疲れです。
いろんな方が、いろんな思いを持って集まったであろう今回のY2。
開催を決めてくださった芋おやじさま、
準備をしてくださったスタッフの皆さま、
そして今日ご一緒いただいた皆さま、
本当にありがとうございました。
またチーズで!
SPECIAL THANKS! (勝手に写真を持って来てごみんちゃい。)
・ひぐらし
・あそびにいぐべ
・ミワコング
・ラパスでTECATE
投稿者:かまた posted at : 21:20 | コメント (16)
2011年05月10日
5月10日ありんこリスト更新
GWで間があいてしまいましたが、ありんこリストを更新しました。
投稿者:かまた posted at : 11:22
2011年05月09日
2011GWダイジェスト
【5月1~3日 佐渡へ】
5月2日はバニウトロの命日です。
Photo:生前のバニウトロ。佐渡の大野亀にて。
何度一緒に行ったかわからない、バニウトロが大好きだった佐渡。
バニウトロが虹の橋を渡ってからは一度も訪ねていませんでしたが
ウトロンとともに、バニウトロの思い出をたどりながら、
実に4年ぶりに佐渡でGWを過ごすことにしました。
少しずつ離れていく新潟港を、並んで眺めるさやか嬢とヨーダ婆。
ペット用の乗船券500円也。(写真は復路のものですが。)
初めてバニウトロが乗った時は「手荷物」という券でしたっけ。^^;
ペットは船のケージに預けるか、もしくは
「ペットコーナー」という専用に設けられた枠の中で
飼い主と一緒に過ごすことができます。
私が本を読みながらうつらうつらとしている隙に、
脱走を企てているのか?(笑)
午後3時、両津港に入港。
今日はゆっくりと海岸線を走りながら、本日のテント泊予定地である
バニウトロとよく泳いだ「風島海浜公園」を目指します。
Photo:2007年8月、バニウトロとの最後の佐渡。風島海浜公園を散歩。
風島公園に着いた頃に、薄曇りだった空から雨がぽつぽつと降り始め、
「90%晴れ女」の異名を持つヨーダ婆のフォースも年と共に衰えたか、
テントを立てる頃には、横殴りの突風と大雨で大変なことに。(泣)
次第に救助訓練か遭難か(したことないけど)、
はたまた雨のラリーのような様相を呈してきました。
土砂降りの中、全身雨具に身を包んでランタンを持ち、
今にも飛ばされそうなテントの四隅の足に
海岸から運んだ大きな石の重しを置く@BOSSを照らすさやか嬢。
・・・なんだか北海道4DAYSを思い出します。( ̄∀ ̄;)汗
なんとか無事にテントを立て終えて、夜9時、ようやく夕食。
風さえ避ければ、テントの中は暖かく快適です。
本日のメニューは地元両津のAコープで買った
サンマとサヨリの塩焼きと、生食用の甘海老です。
が、まさかテントの中で焼こうとは・・・。
サンマの煙にいぶされて、テントも服も魚臭くなってしまいましたが
でもみんなでつつく、焼きたての魚のおいしかったこと。
雨に打たれた疲れも吹き飛びました。
さやか嬢に至っては大雨のテント設置も
「イベントみたいで楽しかった♪」だそうです。^^;
ランタンの灯りに照らされながら、被災地の話や
@BOSSが若かりし頃、佐渡を歩いて一周した頃の話など
いろんな話をして、シュラフにもぐりこんだのは0時前。
寝る前にテントの外に出てみたら、雨はいつの間にか上がり
空にはたくさんの星が出ていました。
翌朝は台風一過のように、すっきりと晴れ上がりました。
ウトロン、初めての海。
初めての水没。(笑)
私はこの決定的瞬間を見逃してしまったのですが(残念!)、
何でもウトロンは、波の引いたまっ平らな海の水面を
グランドか何か広いところだと勘違いしたらしく、
勢い良く沖に向かって浜から走り出したのだそうです。
もちろん、そんな忍者のようなワザが使えるわけも無く
途中で水没、あわてて振り向き、カッコ悪い「どたばたバタ足」で
何とか岸までたどり着いたのだそうです。見たかった~!(ノ><)ノ
バニウトロは最初は波のない湖で泳ぎ始めたので
どたばた足の後に、すぐにスイスイと犬かき泳ぎを覚えましたが
ウトロンの初泳ぎは荒波の日本海。
波はあるは、塩辛いはで、たいそう驚いたことでしょう。^^;
そうそう、佐渡でびっくりしたことが。
私が佐渡金山の資料館で、
12キロの金塊を持ち上げるということに挑戦をしていたら
どうもこちらをチラチラと見ているライダーらしき二人。
「あの・・・かまたさんですよね。」
(近くにいた@BOSSでわかったらしいですが。笑)
声をかけてくださったのは、「福トラ」さんでした。
これまで一度もお会いしたことはありませんでしたが
私のブログをずっと読んでくださっていたそうで、
ありんこ支援隊発足当初に、義援金で応援を頂いた方です。
広島からのツーリングで、今佐渡を回られていたそうですが、
この時間、こんなピンポイントでお会いしようとは!
せっかくなので記念撮影。
(隅でそっとヨーダ婆が参加していたことには気づきませんでした。笑)
出発の様子をカメラに収めようと見送る私に@BOSSが
「こういう坂道でUターンして出発する時、
そんな風にずっと見送られるのが一番緊張するんだぞ。」
あ~、そういえば私もこういうゆ~るい坂道でUターンしようと
立ちゴケして鎖骨を折ったんでしたわ。( ̄∀ ̄;)汗
福トラさん、緊張させてごめんなさい。^^;
お会いできて本当に嬉しかったです。どうかこの先もよい旅を!
佐渡は中央に観光地が集中していますが、
大きな観光バスの通らない(通れない)細い海岸線を
ぐるりと一周するのが私は好きです。
華やかなものは何もないけれど、昭和のはじめで時間が止まったような
日本の原風景がそこにあり、人々が海と共にゆったりと暮らしています。
入り組んだ海岸線の入り江に点在する小さな漁村を見ると
牡鹿半島で出会った皆さんの顔が浮かんできます。
また会いに行きますね。
今回の旅で、ウトロンもいくつか初めての体験をしました。
いつもならもっと賑わうGWの小木港ですが、
朝イチで、しかも5月2日は平日ということもあってか
観光地にしては少し寂しい小木の港。
せっかくなので、矢島経島までモーターボートに乗ってみることに。
(たらい舟はダメだけど、モーターボートなら犬もOKだったので。)
ゆらゆら揺れるボートへの乗り方がわからないらしいウトロンを
うんしょうんしょと抱きかかえて乗り込む私。
最初は向かい風で波を超えていくために
ボートは置いてある物が浮き上がるほど揺れ、
ウトロンは床に伏せをして堪えていましたが、
怖がるかなと思ったら意外と平気だったようで、
タテ揺れが収まったら、外へと身を乗り出してきました。
顔に潮風を受け、たいへん気持ちよさそうなウトロンとさやか嬢。
ヨーダ婆のパンチパーマも潮風になびいています。(笑)
ここもバニウトロとよく来た「長手岬」。
ここを歩くと、バニウトロはすぐに海に飛び込んだものでした。
念のため、まだ泳げないウトロンには、
晩年のバニウトロが着けていた犬用のライフジャケットを着せました。
が、まだ海に飛び込もうとするどころか、
寄せてくる波しぶきを「なんだなんだ」と避けるので精一杯。
波がやってきて私の元に逃げてきますが、
ところどころ防波堤が海草で滑って、コントのような走りをするウトロン。^^;
波が引いた後はまた海の方へと向かっていくので
海が怖いわけではないようなのですが、
得体の知れない大きなものが向かってくるので
どうしていいのかわからない様子。
早く泳げるようになって、バニウトロとよくそうしたように
一緒にシュノーケリングが出来るといいなと思います。
道遊の割戸を仰ぎ見ることのできる、桜が満開だった資料館。
のんびりと散歩をしていたら、「あ、虹だ!」
空にはオーロラのような虹がでていました。
「あれはきっとバニウトロだよ。」と@BOSSが言ったら
「一日遅いけどね。」とさやか嬢。
ありがとう、バニウトロ。これがウトロンだよ。
虹の橋の向こうで、これからも見守っていてね。
たった3日間の佐渡でしたが
たくさんの思い出とエピソードができました。
が、それはまた別の機会に・・・。
佐渡から戻りながら、
「ところで、GWはもう2日間あるけど、どうする?」と@BOSS。
う~ん、バイクに乗った方がいいような、
乗らないで、ゆっくり本でも読みながら休みたいような・・・
でも、@BOSSはもうそろそろ乗りたいですよね。
「佐渡で会った福トラさんたちが、オフ始めたばかりって言ってたから、
今日はまだ新潟にいるそうだし、ダメ元でメールをしてみて、
返事が返ってきて予定が合ったら、一緒にオフごっこするのはどう?」
マ、マジですか??
携帯電話の番号もアドレスも知らないのに・・・( ̄∀ ̄;)汗
とりあえずPCメールは知っていたので、ダメ元で深夜に送ってみました。
すると・・・
翌朝、
「OFFロード遊びのお誘い、大変嬉しいです(^-^)/
本日であれば行けるのですが、いかがでしょうか?
あ、二人ともオフは初心者初級者ですので、その辺はご了承くださいませ。」
というメールが帰ってきました。
こうして、@BOSSの突飛なアイディアと、福トラさんのフットワークの軽さで、
思いもしなかったGW後半が始まることになりました。
【4日 福トラさんDAY】
朝10時、サロンドアトラスに集合して、近くの運動公園に場所を移動。
(実はここ、その昔、BOXERジャーナルの取材でも使った場所です。)
まずは恒例のトラッパー大会。(笑)
とちおジンギスカン倶楽部、部長のコタンさんが
ビールを飲みながらお昼の準備をしてくれています。
「かまた」が二人??
ベータでスタンディングをしているのが私です。^^;
横に立っているのは、私のウエアを着た福トラさんの奥さまYOKOさん。
私がウエアに着替えるのを見て、コタンさんが
「かま、筋肉無くなったね~。
前は二の腕とかムキムキで、ノースリーブを着たのを見ても
『うわ~、可愛いくね~』と思ったのに。」
・・・・最後のは余計なお世話です。( ̄∀ ̄;)汗
この写真も@BOSSとかまたではありません。(笑)
着替えてCRF150と100にまたがった福トラさん夫妻。
パイロンと赤土。なんだか懐かしささえ感じる風景ですね。(笑)
まずは加速&減速、そしてオーバル、8の字練習です。
今はまだツーリング途中で、この後何時間もバイクで移動する予定のお二人に
がっつりとヘロヘロになるまで練習させる訳にはいきませんが、
(YOKOさんの意気込みはそれに近いものでしたが、笑)
時間を追うごとに、だんだんバイクを倒して乗れるように。
私も二人の練習をビデオで撮りながら、
合間にベータでコタンさんの周りをトコトコ走ったりしていましたが、
こんな麗らかな春の日、芽吹いたばかりの新緑の中で
こんなふうなバイク遊びの一日も楽しいですね。
午後2時前、ジンギスカンと焼肉で少し遅めのお昼に。
本当にこんな一日になるなんて、昨日まで想像もしていませんでした。
この後、福トラさん達はもう少し練習して(結局疲れさせたかも。すみません。^^;;)
午後5時半過ぎに、次の目的地へと出発して行かれました。
福トラさん、YOKOさん、素敵な一日をどうもありがとうございました。
【5日 信濃川リバーサイド】
GW最終日、あまり遠出はできないけれど
昨日の福トラさんたちを見ていて、「バイクに乗りたい」と思ったので
実に60日振りに、リハビリを兼ねてがっつり乗ることにしました。
まだ雪の残る魚沼地方。
きらきらと光る川面に桜が散ってとてもきれいです。
昨日もコタンさんに言われましたが、2ヶ月まったく何にも運動をしないと
筋力も体力もあっという間に無くなってしまいます。
バイクに乗っていたときはカラダスキャンで測ると
骨格筋率は結構高い方だったのに、先日久々に測ったら、もう平均以下。
まあ、また少しずつ体を作っていくしかありません。
そんなわけで、今日のところは60日振りの体慣らしに
「信濃川リバーサイド」、通称「リバー」に行ってみることに。
なぜならそこには・・・
すばひびファミリーがいると聞いたからで~す。♪( ̄▽ ̄)ノ″
コースはしどきのミニコースくらいの長さで、あまり高低差はありませんが
ジャンプやフープス、テーブルトップ、サンドもあります。
ここでは「リバーサイドキッズクロス」というレースが開催されることもあり
キッズが多く練習している、川に面したロケーションのよいコースです。
雨が降るとドロドロのマディになるのですが、
晴れ続けたGW、転んだら痛そうなスーパードライですね・・・( ̄∀ ̄;)汗
ちなみにこの「リバーサイドキッズクロス」には
「51cc~2st85cc(4st150cc)クラス」というレースがあります。
本来85ccクラスにステップアップしたばかりのキッズがメインなのですが、
「大人の超初心者も大歓迎!(年齢制限なし!)」
という、まるで私のためのような(笑)特別枠が用意されています。
ずっとすばるお父さんに誘われつつ、一度も出たことはありませんが
今年は85キッズに混じって走って、平均年齢を一気に上げてみようかな。(笑)
2月の頭にしどきで会って以来、久しぶりに会うすばる君。
(たしかその時が、バイクに乗った最後でした。)
さっそくバイクを降ろして準備にかかります。
昨日、福トラさんが練習をしている間、ノーリードでフリーにしていたら
勝手に散歩をしながらモグモグ拾い食いをしたらしく、
紙とか布とか手袋(!)とか、いろんなものがウンチに混じっていたので
今日は私達が走行中はバスにつながれることとなったウトロン。
あんたは「たれパンダ」か。(笑)
まずは腹ごしらえ。
初めて食べる文明堂のカステラ。Noriさん、頂きま~す!
うまーい!しっとりふわふわで、今まで食べたカステラと全然違ーう!
この日はすばる君を含めて、5年生のMXキッズが3人走っていましたが
みんなレースキッズで速い速い!
という以前に、すっかりバイクを倒せなくなっている私。
コーナーというコーナーで外に飛び出しそうになってしまいます。(泣)
@BOSSも3周ほど走っただけで腕があがったそうです。^^;
「で、結局ストレスの解消にはなったんですか?」
練習の後、すばるお父さんから聞かれました。
ええ、キッズと一緒にMXコースを走る楽しさで、
かなりストレスは発散できたのですが、
あまりにも思うように走れないことで、かえって溜まったストレスも。
まあでもそんなのは、贅沢な悩みですね。^^;
ああ、でもやっぱりキッズと一緒に走るのって楽しいです。
2ヶ月振りで、体力も乗り方も本当にダメダメでしたが(TдT)
せっかくの機会ですし、ここはひとつ初心に帰って
「すばる君に勝つ!」
という目標で、イチから練習に勤しみたいと思います。
いろいろな出会いのあった今年のGWでしたが、
ご一緒いただけた皆さま、どうもありがとうございました。
リフレッシュしたところで、また頑張ります。
投稿者:かまた posted at : 17:05 | コメント (7)
2011年05月06日
稲井小学校へ
【4月29日 準備】
ゴールデンウィーク前の怒濤の日々を終えて、
サロンドアトラスも人並みに連休へ突入しました。
29日、届いていた物資の仕分け。
今回は募集物資のリストが少なくなっていたので
届いた物資もいつもより少な目です。
通もん。さんからのダンボール箱に入っていたお手製のカード。
ぷぷ。旅するバーニーズのマペットのようです。
ウラ面には「ウトロさん、ありがとう。」の文字が。
とんでもないです、私の方こそありがとうございます。
又三郎さんからの箱にポケモングッズが。
これはきっと子どもたちに喜ばれると思います。
絵本を持っていく度に「ポケモンないの?」と言われていたので。
最近はありんこ支援隊への個人的支援物資ということで、
コーヒーやマックカード、お菓子の差し入れなどを
箱の隅にしのばせて頂くことも多く、
(ありがとうございます。でもどうか皆さん、気を使わないでくださいね。^^;)
この日もこるなっこさんから頂いた手作りのグラハムクッキーで休憩をしていると
一台のトランポが駐車場に入ってきました。
先日、haseオフロードパークにいらっしゃった
「くすりや」さんこと、IBパパさんのファミリーでした。
コースでお会いした時にはひと言もありんこ支援隊のことは言わなかったのに
義援金を持ってわざわざご家族で会いに来てくださいました。
奥さまと「サンニンシマイ」も一緒です。(笑)
くすりやさん、本当にありがとうございました。
支援の輪が思わぬところから広がって、
ありんこ支援隊に協力をして下さっている全国のありんこさんも
いつのまにか優に120名を越えました。
なかなか全ての皆さんをご紹介できなくて申し訳ないのですが
一人ひとりの思いが繋がって、これからも被災地へ
ありんこらしい小さな支援ができたらと思っています。
さて、午後2時過ぎに新潟を出発してトレックフィールドさんに到着したのは夜8時前。
ゴールデンウィークでもっと混むかと思いましたが
時間がずれていたようで、大きな渋滞もなく仙台へ到着しました。
Photo:トレックフィールド
トレックフィールドさんで、自転車や食料品など
明日「稲井小学校」に届けてほしいという物資を受け取りバスに載せました。
Photo:トレックフィールド
ウトロンを抱っこして「わーいわーい」と幸せそうなとれっくか~ちゃんと、
か~ちゃんの迫力に目が泳ぐウトロン。(笑)
お預かりした物資を載せて、石巻へと移動し、
この日もテント泊でした。
【30日 石巻へ】
こちらもありんこ運搬係への支援として頂いたドリップコーヒー。
熱いコーヒーで目を覚まし、渋滞が始まる前にテントを片づけて出発。
先々週はこの時間はやっていなかったセブンイレブンもローソンも
今週はちゃんと営業をしていました。
とれっくか~ちゃんから、稲井小学校の避難所のリーダーである
「山口さん」という方を訊ねていくように言われました。
山口さんは「山口輪業」というバイク屋さんを営んでいらっしゃったそうですが
自宅もお店も商品も、すべて津波で流されてしまったのだそうです。
ナビで向かうと、小学校は石巻市街地から約40分、川沿いに進んだ先にありました。
8時前に稲井小学校に到着。
今はGWで学校は休みですが、
避難所ではあるものの、もう学校の一学期は始まっているようです。
体育館の裏手にバスを停めました。
すると、リーダーの山口さんが出てきてくださいました。
ここには約50名の方が避難されているそうです。
電気と水は通っているそうですが、道が不便だったためか
大規模な避難所が優先されて、50人規模の避難所は後回しにされたためか
この稲井小学校は他よりも物資の支援が遅れているのだとか。
トレックフィールドさんからお預かりした物資をお渡しした後
ありんこ支援隊の物資も体育館の軒下に並べさせてもらい
必要なものを手にとって頂きました。
特に水のいらないシャンプーや缶詰、下着、コーヒー、爪切りなどが喜ばれ、
また、電気が点くとはいえ学校の灯りを夜も煌々と照らすわけではないので
ランタンやプッシュライト、乾電池も喜ばれました。
子どもたちにはやはりポケモングッズとコミックが人気でした。^^;
「このコンテナがあると嬉しいんだけど。」と言われましたが
ありんこが物資を入れているような、半透明のコンテナボックスは
ヒラチさんたちが義援金で買って、5月3日に40個をお届けする予定と
トレックさんから聞いていたので、その旨をお伝えしました。
今回、日本酒の差し入れもあったので
「お酒は差し入れてもいいですか?皆さん、飲まれます?」とお聞きしたら
「こっそり飲んでます」ということだったので、こっそりお渡ししました。
「コーヒーカップはないですか?5つくらい。
ばあちゃんたちが何か飲む時にいるみたいで。」と山口さん。
5つには足りませんが、バスの中に常備していたコーヒーカップを2つお渡ししました。
「トランポみたいだけど、エンデューロか何かやっているんですか?」
と山口さんに聞かれ、ありんこ支援隊はオフロードライダーの
支援のつながりで活動をしている事をお伝えすると、
「実は私も定義なんかでレースに出ていて・・・」とご自分のことを語って下さいました。
よくよくお聞きしたら、山口さんは
モトクロスの成田亮(アキラ)選手ともかなり近い方で、
東北でモトクロスをやっている方ならきっとご存じではないかと思います。
(『Y'sレーシングWAKO'S』というチーム名ででていらっしゃったようです。)
近くの山々を指さしながら、
「ここら辺の山なら全部走りましたよ。
でもこの山の周辺が(ご遺体の)土葬場となることになったので
もうやっぱりしばらくは乗れないですよね。
こっちにいるライダーもみんな結構被災してしまいました。
アキラ(成田亮選手)なんかも、トランポと練習車を
仙台空港で流されてしまったし・・・。」
バイクやトランポが流される、練習コースが無くなる、
チームメンバーが離散する、ショップが無くなる・・・
山口さんの話をお聞きして、知っている固有名詞がたくさん出てくる中で
なんだか今までとは違う意味で、妙に近い被災の現実味を感じました。
10時から避難所のリーダーの会議があるということなので
山口さんにデジカメを2台お渡しし、
お礼を申し上げて稲井小学校を後にしました。
グラウンドでは野球部がクラブ活動を始めており、
その隅で避難されている方達が日がな時間を過ごされているのを見て
一日も早く避難所の皆さんが、安心して過ごせる
安定した生活を送れますようにと願わずに入られませんでした。
続いて2週間ぶりに十三浜へ。
iPhonでルートを確認したら、いつもと違う川の反対側の道を案内するので
もしかしたらこちら側も行けるようになったのだろうかと、
ルート案内されるままに進んでいくと、
道はアスファルトが途中で途絶え、鉄板道路になりました。
これはうなぎ工房さんが話をされていた、
雄勝地区へと向かう道のようです。
対岸の十三浜へ渡る橋は橋げたから流されており
やはりこちら側から行くことはできませんでした。
それにしてもこんなに立派な橋の橋げたが流されるなんて・・・
今は静かなこの川面ですが、改めて津波の破壊力を思い知らされます。
途中でUターンが出来なかったので、出来るところまで進んでいくと
どん詰まりは、全校児童108人中、死者64人、行方不明10人という
大川小学校を見下ろす橋のたもとの堤防でした。
眼下に広がる一面が泥の海となった中に、
大川小学校の鉄筋コンクリートの建物だけが
唯一、ポツンと残っていました。
数台のブルドーザーが作業を続けるのを見下ろしながら
車に乗り合わせて来たらしいおじいちゃん、おばあちゃん達が
校舎の跡地に向かって手を合わせていらっしゃいました。
これまで何度も被災地を見て、ショックに言葉を失いながらも
こちらが泣いてはいけないという思いもあり
その場で泣くことはなかった私ですが、
ここは胸がえぐられるような思いで息がつまり
カメラを向けることもとても出来ず、
手を合わせながら涙が止まりませんでした。
車をUターンさせて今来た道を戻り、いつも通る対岸へ。
十三浜へ続く道は2週間前よりもきれいになっていて
道を作るための事前準備となる河川敷が作られ始めていました。
避難所の方たちを乗せているマイクロバスとすれ違いましたが、
自衛隊の方が運転する入浴支援の車の様でした。
電柱工事も行われていて、2週間前にはなかった新しい電柱が
等間隔でたくさん並んでいました。
まずは高台の白浜荘さんへ。
まだ若い白浜荘さんの社長さんが出てこられました。
「今ちょうどGWなもんで、僕一人なんです。
ほとんどの人が親戚の家に息抜きに行っていて、
残っている人は今お風呂に行きましたし。」
ああ、やっぱりさっきのマイクロバスですね。
「みんなだんだん今の生活に慣れてきたというか、
2~3日親戚や知り合いの家に泊りがけで遊びに行って、
またここへ"帰ってくる"ようになっちゃったんですよね。」
と苦笑しながら言う社長さんの話に、少しホッとしました。
そんなお話を聞いているうちにも、
一台の車が白浜荘さんの駐車場に入って来られ
聞くと、親戚の方を迎え来たのだそうです。
その車のお迎えを待っていた70代くらいの男性は
社長さんにお礼の握手を求めたその手で
多分私たちがどういう者かわからなかったのだと思いますが
私たちにも握手をされて、白浜荘さんを後にして帰っていかれました。
「食事は昼と夜に、お弁当や焼きそばや、ご飯とおかずが届きますが
十分過ぎる量があるので、朝それを食べても余るくらいです。
配給が届く前は自炊をしていましたが
今は、自炊は出来るだけしないようにと指示されているんです。
備蓄品よりも支援物資を余らせないようにということでしょうね。
電柱は近くまで立っていますが、電気はまだまだ先だと思います。
水は給水車が運んできてくれますが、燃料は分けてもらっています。
電気が来ても、それより先に水が来ないと生活はできないですね。」
生活はいかがですか?
暑くなったり寒くなったりで大変そうですが・・・
「やっぱり夜になるとまだ灯油が必要ですね。
それより日中暑くなると、虫がすごいんですよ。
外に出ると、一人に2~300匹もついてくるんです。」
暑くなるこれからは、虫除けと臭い対策が必要なようです。
チーム天竜さんのドラム缶に入れた
ガソリン60リッターとランタン、乾電池、
下着とドライシャンプー等をお渡しし、
「また来ます」と白浜荘さんを後にしました。
続いて長観寺さんへ。
現在は各避難所や親戚に移られて、
長観寺さんに避難していらっしゃる方は一人もおらず
お寺の方たちだけがここで生活をなさっていますが
まだ現場に来られてお寺に顔を出される方もいらっしゃるということで
お世話になったお寺の皆さんにご挨拶をして
ご希望のあったデジカメをお届けしてきました。
白浜荘さんでの受け取り品があったので
トレックフィールドさんにこれを届けるために
帰りにもう一度仙台へ寄りました。
いつも夜にバタバタ来てバタバタ帰ってばかりでしたが
この日は一時間ほどお茶をご馳走になり、
トレックさん主催の楽しそうなトレールライディングのDVDを
大きな画面で見せてもらいました。
バイクで山遊びをしながら練習するトレックさんのこのイベント、
そのうちに物資と一緒にバイクを積んでくる日があるかも知れません。
その時はよろしくお願いします。m(_ _)m
GWは全国から東北に親戚や知り合いの方が訪ねて来られ、
物資も一時的に豊富になり、また避難所の方にとっても気晴らしになる期間ですので
あまり長いはぜずに、宮城を後にしました。
被災から8週間。
これからは命にかかわる緊急性のある物資がメインではなく
「コーヒーカップ5個ありますか?」に見られるように、
それぞれの方の避難生活に必要な、こうした細かいものが
物資支援の対象となっていくのだと思います。
もちろん避難所の環境やタイミングによって必要なものは変わり、
今はこれが必要とされている、とは「ありんこ募集物資」に
なかなか明示しにくくなってきてはいますが、
基本的には「すべて流された」というのが事実ですので
私たちが普段生活していくなかで、
「あ、もしかしたら今はこれが必要なんじゃないだろうか」と想像し思いを馳せることが
これからの支援にもっとも大切なのではないかと思います。
被災地を訪れるのは、これまでのように毎週ではなくなるかも知れませんが
これからも長く、長く、みんなで一緒に支援をしていけたらと思います。
ということで、なかなかレポートが追いつきませんが、
次回はGWダイジェストをお届けしたいと思います。
(が、いつになりますことやら。^^;)
投稿者:かまた posted at : 23:45 | コメント (3)