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2011年03月31日
石巻へ
なかなか報告のブログが書けずにいますが、ようやく先回の報告を少し。
3月27日、再び仙台と石巻へ行ってきました。
すでに東北道は緊急車両以外にも開放されましたが、
SAの給油所は自衛隊、消防車、警察庁などの緊急車両が優先で
高速道路から見える下道のガソリンスタンドには、
どこも数キロにわたる行列ができています。
三陸自動車道も鳴瀬ICから先は緊急車両のみ。(3/27現在)
私たちは一応緊急車両の登録はありますが、
高速道路ではやはり「本当の緊急車両」のために、
また被災地ではずっとガソリンを待っていた現地の方の分を使わないように
帰りの分までバスには自前の軽油を積んで出発しました。
この日はまず、石巻でケイタリングをされているSSERの皆さんを訪ねました。
石巻商業高校には、ひとつの島からヘリコプターで避難した
200名の方が避難しています。
今は、親戚や他の県に移った方も大勢いらっしゃるので
この避難所で過ごす方は150名くらいに減ったそうですが、
それでもまだこの150名を擁する避難所であるのに
Yahoo!のトップにある「避難所情報」で探すことができませんでした。
理由は、自治体管理下ではなくNPO管理下の避難所だからなのだそうです。
石巻商業高校のグラウンドは、一見雨の降った後の普通の校庭に見えましたが
実は流されてきた厚いヘドロに覆われていました。
厚主さんにお話をお聞きしました。
3月28日のSSERのつぶやきブログにもありましたが、
物資支援者の心遣いと現場とのミスマッチングで
提供された炊飯済みご飯を廃棄しなければいけなかった話は
聞いている私たちも何ともやるせない思いに。
基本的にはNPO団体は自治体からの支援の対象外となるために
自治体で管理しきれないような余剰物資でも受け取ることはできないのですが
それでも様々な支援で食料の方は足りてきたそうです。
私たちもここへ来る前日に軽油や焚き出し用の燃料などが足りないとお聞きしていましたが
直前に東京から燃料の支援が届いたということで、軽油だけをお渡ししました。
石巻の地元でもガソリンスタンドに並べば燃料が手に入るようにはなってきたのですが
「並んでも数時間かかるし、何よりもここに住む被災者の方の分のガソリンを
私たちが使うわけにはいかないので、ガソリンスタンドには並ばないようにしています。」
また、校内は暖房がきくので被災者の方が寒さで震える事はあまりないそうですが
SSERはじめ他のNPOのボランティアの方たちは校内で寝泊りはせず
外のケイタリングテント内に簡易ベッドを並べて、そこで過ごしていらっしゃいます。
女性のスタッフの方がバスの中にいたウトロンを見つけて
「触ってもいいですか?」
もちろん、ほらウトロン、おいで。
「被災者の皆さんは近くにお風呂があってそこに入りに行く方もいらっしゃいますが、
私、もう一週間お風呂には入っていないから犬より匂うかも~(笑)。」
沿岸部の方に避難して、取り残されている被災者がいないか
ひとつでも多くの避難所を把握するために行っているそうですが、
激甚災害地区の女川の方面は、まだまだかなりひどい状況だそうです。
この避難所はかなり落ち着いてきたので、数日内には
女川方面へ移動をしようと検討しているところだとか。
日が射したかと思えば雪が舞ったり、とても寒かったこの日の石巻。
皆さんの笑顔に見送っていただいて避難所を後にしました。
石巻港へ向って走ってみました。
私たちが通った街のようす。
倒壊しているお店などもありますが、多くの建物は
外側は残っているものの、中は水とヘドロにやられて
たたみ、冷蔵庫、机・・・家財一式が家の外に運び出されています。
壊れた家と壊れていないけれど住めないかもしれない家、
保険の問題もこれから様々起こってくると思います。
石巻港へ近づくと、津波の爪あとはさらに生々しく、
街が根こそぎ流され、家の基礎すらありません。
車はブリキのおもちゃのようにひしゃげて木の枝にかかったまま。
すべてが波に破壊され、電柱は割り箸のように折れています。
さやか嬢曰く、「絶対にテレビや写真では伝わらないと思う。」
3階建ての建物の壁に書かれた「たすけて」という赤いスプレーの文字。
一台一台、窓ガラスを割って車内を確認した後の自動車。
長い棒とスコップを持って、行方不明者を確認しながら
少しずつヘドロを片付けて道をつける自衛隊。
少し広い場所に張られた自衛隊の大きな天幕はおそらく遺体安置所では・・・
ここで3週間前に起こった出来事を想像すると息ができなくなります。
そして、それが現実だったということを目の前の景色が証明してみせます。
私は自分の中の均衡を保つために、
「ありんこ支援隊」として動きたいのかもしれません。
牡鹿半島へ向かう海岸線の道路は、
もともと4車線の大きな通りだったようですが
山と積まれた瓦礫やヘドロを重機で両側に空けることによって
今ようやく2車線が通れるようになっていました。
道の途中でUターンをしました。
夕方、AD/tacさんたちの活動本拠地、ストレンジモーターサイクルに到着。
新潟から運んできたガソリンと灯油を携行缶に移します。
この一週間のtacさん、ヒラチさん、たくみさん達の活動は、
tacさんのブログに詳しく書いてありますが
取り残されている海岸部の小さな村で避難をされている方達の情報を聞き
そこへ物資を運んで行ったとしても、
「何しにきた?何か盗りに来たか、売り付けに来たか?」
と疑われたりするのだそうです。(決してtacさんの風貌のせいではなく。^^;)
そんな時は、地元の区長さんや、知り合いの知り合いというツテがあれば
それで信頼をしてくださるのだそうです。
また、心が打ち解けても、そういった人たちは遠慮がちで
必要なものを聞いても決して要望を言わないので
様子から察して、次回にそれを届けるしかないのだとか。
そんな話を聞く一方で、ヒラチさんがこんな話をしてくれました。
ある公的避難所では、バスケットコート2面ほどの体育館の半分を占める
3mの高さに積まれた支援物資のダンボールが詰まれ、
行き場(配給先)がないのだそう。
その様子を写真を撮ろうとすると、
「写真はやめてください。余っていることが公表されるとまずいので・・・」
きっと自治体も必死に処理をしているのだと思うのですが
避難所の状況に加え、人手不足、情報処理、物流状況、
次々に変わる状況に対応できずにこうした悲しい結果を生んでしまうのでしょう。
「ま、せっかくなのでコーヒーでも。」
ストレンジモーターサイクルさんの仮設応接室。
ここで物資の仕分けも、仕事もしているtacさん。
足の踏み場がギリギリあるくらいです。
皆さんに報告するためにブログを書かなくてはと思いつつも
夜8時頃にウトウトして、そのまま朝を迎えることもよくあるそう。
でも、半島の沿岸部に避難している人は
ガソリンがないので町にも出て来れず、やはりもうしばらくは
こちらから届ける必要があるようです。
ということで、今週もtacさんに差し入れできるのは「癒し」だけ。
かなり遅くなってしまったけれど、この後トレックフィールドさんへ。
道行く人を元気にするために、と店頭に物資が並べられています。
とれっくと~ちゃんと@BOSSがガソリンを分けている間に
とれっくか~ちゃんの話を聞きました。
(ちゃんとお話するのは今日が初めてです。)
「お菓子も食料も、そのまま差し出すとみんな遠慮をするんだけど、
こうやって小分けにすると気軽にもらってくれるんだよね。」
一つ一つとれっくか~ちゃんが詰めた小さなお菓子の小袋。
「自分はいらない、って遠慮して言う人にも
『あんたはいらなくても、子どもにあげて!
そうでなかったら近所の子にあげて!』と言えばもらってくれるし。」
「でもね、誰にでもあげるんじゃないのよ。
仙台は結構物資も入ってきたから、ちょっと努力すれば買える人もいる。
その努力をしないで、物だけもらおうとする人には絶対にあげないんだ。
買いたくてもガソリンがなくて買いにいけなかったり、
お金がなくてお菓子なんか買えなかったり、
みんないろんな我慢を強いられていて、不安もいっぱいなんだよね。
我慢している人ほど、遠慮してもらわなかったりするんだけど、
そういう人には押し付けてでも渡すの。
ほ~ら、これ食って元気出せ!って。
そうするとね、みんな目に涙を浮かべてね・・・」
とれっくか~ちゃんのすごいところは
こうして話をしていると、すごく明るい言葉で心の琴線にふれること。
みんなが涙目で帰っていくのがよくわかります。
たぶん、トレックフィールドさんで配っているものは「希望」です。
「正解なんてない。自分が、やろう!と思ったその時に
それをやってみればいいのよ!」
昼に見た石巻の風景に押しつぶされそうになっていた私も
か~ちゃんから本当にたくさんの元気もらいました。
あんな人になりたい、と思います。
Photo:トレックフィールド
夜なのでわかりにくいのが幸いですが、実はうるうる目の私。
本当は、私たちが元気を届けに来なければならないのに、
逆にたくさんの勇気を頂いて帰路につきました。
とれっくと~ちゃん&とれっくか~ちゃん、
本当にありがとうございました。
---
この日、新潟に着いたのは深夜2時頃でした。
石巻で見た風景が頭に焼き付いて、体はクタクタなのに
この夜はほとんど眠れなかったというさやか嬢。
でもそれが被災地の現状であり、現実です。
あの惨状を一度見てしまうと、
こちらに帰ってきてから見るテレビニュースの映像に
いろいろなことがフラッシュバックして苦しくなりますが、
私の足元でヘソ天になって寝ているウトロンを見ると
くすっ、と笑えてホッとします。
この週末は、激甚被災地で物資を配っている「たくみさん」と一緒に
現地を回らせていただく予定です。
さて、もうすぐ次のプロジェクトを発表します。
プロジェクト名 「届けよう、光を!」
※注/NTTのキャンペーンではありません。^^;
投稿者:かまた posted at : 11:11 | コメント (14)
2011年03月25日
ありんこ支援隊
「蟻には蟻にしか入って行けないところがある」(by @エチゴヒゲアリ)
「ありんこ支援隊」ご協力者リストはこちらです。(平成26年3月15日 更新)
「ありんこ支援隊」のこれまでの活動レポートはこちらです。(平成26年3月12日 更新)
投稿者:かまた posted at : 16:45 | コメント (192)
2011年03月22日
情報のこと、と思ったけれど
きっかけは、トレックフィールドさんでした。
現地で食料などが手に入りにくい人に
必要な物資を宅配バイクで届けているというトレックさんの掲示板の
「今現地で不足しているもの」が書かれていたリストをプリントアウトして
目に見える直接的な支援として、これらの物資を
仙台にも届けたいと@BOSSが言い出したのでした。
買い出しをした隣の市のマツモトキヨシでは
お米にもラーメンにも「お一人様2つまで」と書いてありましたが
店長さんに事情を説明したところ、
「そういうことであればいくつでも」と、快くご協力を頂いたばかりか、
「足りなものは無いですか?奥から出してきますので」と聞いて下さったり、
商品のパッキングを手伝って下さったり、
内容物の名前をダンボールに書く太マジックを用意してくださったり。
本当にありがとうございました。
また、買い出しをしていたら(ζ`)さんからメールが。
「今回の買い占めに荷担させてください。」とのこと。
お申し出、ありがたくお受けいたします。
こうして出発準備をし、前日に@BOSSは
念のためトレックさんにメールで確認をして、
日曜日、仙台へ向けてミワ家とともに出発しました。
緊急車両登録の手続きを受けた津川手前のサービスエリアには
これから被災地へガソリンを運ぶ輸送車がずらりと並んでいました。
現在、東北地方の高速道路を走っていいのは緊急車両のみ。
救援物資を運んできたのであろう、県外ナンバーのワゴン車、
家族を迎えに行くらしい軽自動車も混じっていましたが、
それ以外は、おそらく避難する人を乗せてくるための大型バス、
警察庁、消防庁、自衛隊などの特殊車両ばかりで物々しい雰囲気です。
高速を降りて、仙台の中心市街地に入ると・・・
中越地震を経験した私達が想像していた地震後の町並とは
少し・・・いや、随分違いました。
車は普通に走っていて、道行く人は日曜の買い物に出た感じで、
ガソリンスタンドは閉まっている店が多かったものの、
カップルがファーストフードを手に食べながら歩いていたり
コンビニも外食チェーン店も所々オープンしており、
萩の月のお店も営業して、花屋さんの店先では花も並んでいて、
街全体に(被災地に対して失礼な表現かもしれませんが)
日曜ののどかな雰囲気さえただよっています。
確かにスタンド前の道路やコンビなどでは長い行列が出来ていますが
サロンドアトラスでも壁や天井が落ち、
すぐ前のセブンイレブンは2階の窓が全て落ちて、
ガラスが駐車場いっぱいに飛散し、
国道が崩落して寸断され、道路のアスファルトはいたるところがうねり、
マンホールや橋げたが突き出して、車の通行がままならなかった
あの中越地震を思い出すと、実は、少しだけ拍子抜けをしてしまいました。
(もちろん、街が無事である方が喜ばしいことなのですが・・・)
そこからもう少し海寄りにあるトレックフィールドさんに近づくと
少しずつ道路にひび割れがあったり、瓦が落ちた家などが
目に入るようになりました。
初めてお会いするとれっくと~ちゃんにお話を聞きました。
地震後の仙台の市街地は余震はまだまだ続くものの、
数日前から物資も入り始め、一応日常は戻ってきているようですが、
家などに被害が無くても物資の供給が滞っていたために、
周辺のお店で買い物が出来ず、食べものなどが底をつく
いわゆる「買い物被災者」が多数いたそうでした。
とれっくと~ちゃんは、こうした方たちに物資を届けて支援しています。
と、話を聞いている間にも小さな余震が襲ってきて
トレックさんはワンちゃんを連れ出してお店の外に避難しました。
とれっくと~ちゃんが、海に近いエリアではもっと被害が大きくて
そちらは道も悪く、まだまだ物資が届かず、
同じく仙台在住のAD/tacさんが、そういう小さな避難所に
物資をボランティアで届けているということで
彼に連絡をとってみてはどうかとtacさんに電話をしてくれました。
実は@BOSSも、トレックさんから1kmほどしか離れていない
tacさんのお店にも物資を届けるつもりでいたので、
留守かどうか、お店に連絡をして頂けて助かりましたが、
物資を被災地に届けに出ているのか、この時はtacさんと連絡はとれませんでした。
それであれば、ここから今日私たちが行ける範囲で、
もっとも物資が届かないエリアに届けようということになり
会津で私たちと合流したゆーじさんが、
「亘理小学校では物資が届かず、おにぎり1個を4人で分けている」
という情報をネット上の災害関係のコミュニティで見つけ出しました。
その情報は約12時間前にアップされていて、しかも
現場に近い人がアップしていたらしい、ということだったので、
ここから1時間半の亘理小学校へいくことに。
念のためゆーじさんは、その情報をアップした人に
「物資を積んで近くにいるので現在の状況を教えてほしい」というメッセージを送りました。
亘理の町に入ると、倒壊したような建物はありませんが
ガソリン不足が原因なのか、確かに道を走る車の数が激減しています。
その時ネットに情報をアップしたという人から返信があったそうで
ゆーじさんがパソコンを開いてみると、返信メッセージの内容は、
「ぜひ亘理小学校に行ってあげてください!」
・・・あれ?もしかして、現地の被災者ではない?
亘理小学校に着いてみると、自衛隊がすでに大本営を設置していました。
と言うことは、もうきちんと管理体制下に置かれているようです。
玄関では、ボランティアの方がご飯の炊き出しをして、
子どもたちも手伝いながら、たくさんのおにぎりを作っています。
水やお米、サランラップなども、箱で山積みされていました。
体育館を覗いてみると、確かにそこはテレビで見る避難所そのままで
広い体育館にぎっしりと布団が並び、たくさん服を着込んだ方達が
その上で座ったり横になったりしていらっしゃいました。
「班長」と呼ばれるボランティアの責任者の方に、少しだけお話を伺いました。
「昨日から自衛隊が入って、風呂の準備もしてもらっています。
食料や水は、昨日当たりから急速に、充分な量が届くようになりました。
食事は一日2回なのですが、皆、動かないのであまりお腹も減らないんですよ。
今は米が十分あるので、次は野菜がほしいところですが
これは保存の問題もあるし、難しいですね。
この亘理地域には4つの避難所があるのですが、
そこにバランスよく食材が行き渡るように、本部で物資の仕分けをしています。
そうしないと、量の把握ができなくて、
何があって何をいつまでにどれくらい使おう、ということを考えるのが
自分達ではかなりの労力になってしまうんです。」
次に必要なものは何ですか?という問いには、
「皆、着替えをしたがっていますので、次は新しい下着なんかがほしいですね。
毛布はもう足りているので、これ以上送ってもらっても逆に困ってしまいます。
あとは、ひげを剃りたいという人がいるので、そういった道具とか、
自転車なんかが各避難所に数台あるといいですね。
みんなで順番に使えば、どこかへ出かけて来れますし。
ガソリンはもう全然町にないのですが、入ってきても
皆お金がなければ車にガソリンを入れることはできないので・・・」
班長さんにお礼を申し上げて、避難所を後にしました。
おそらく、この避難所では2~3日前までは物資が届かず
これだけの人数の方達なので、ネット上の情報にあったように
「1つのおにぎりを4人で分けている」という状況であったのかもしれません。
しかし、今日はすっかり変わっています。
今日の時点で必要なのはお米ではありませんでした。
でもこれはこの避難所の今の状況であって、
他の避難所ではまったく違う物資が必要とされているかも知れません。
自衛隊がここに入っていると言うことはおそらく
私たちがネット上で普通に検索できるような情報で知る避難所には
国や自治体からの援助物資は行き渡り始めていると思われます。
建物には入れないので、非難所の駐車場に停めた軽トラの荷台で暮らすワンコ。
おまえも頑張って生きるんだよ。
亘理小学校を後にしながら、「情報」について考えさせられました。
誰がいつ、何をソースに、どこからアップした情報なのか。
事実なのか、発信者の思い込みなのか、信憑性はあるのかないのか。
「転載された情報」には、特に注意が必要です。
似たような情報の中で、緊急の度合いと、必要な内容が正しく伝わるためには
書き手側の「伝える力」と、読み手側の「読み取る力」も関係します。
また、既におきている問題でもありますが、例えば私がネット上に
「亘理小学校ではガソリンを使わずに済む自転車を必要としています」
と書いたとしたら、それは今の事実であっても
明日は変わるかもしれないし、800人収容の避難所に必要以上の、
たとえば500台の自転車が届けられる可能性もあります。
では、「今一番物資が届かずに困っている小さな避難所」に
私たちが持ってきた物資を届けるには、どこでそれを探せばいいのか。
一番間違いがないのは、困っている方から直接声を聞くことですが、
そうでなければ、電話が繋がる限り、
その現場に「今」いる方から電話で話を聞くことです。
声なら緊急の度合いも分かりますし、何より詳しいことが確認できます。
そうしているうちに、AD/tacさんと連絡がとれました。
時間的にもこれから届け先を探すより、現地で活動をされている
tacさんに物資を託す方が間違いないということになり、もう一度仙台に戻ることに。
戻りながら、亘理小学校から約3キロしか離れていない海岸部の道を通りました。
海に近づくにつれ、皆言葉を失っていきました。
道は車が通れるほどには片づけられていましたが
電柱は折れ、車が屋根の上でひっくり返り、家は潰れ、全ての物が流れ・・・
津波の水位を示す痕跡高は家の2階部分にまで達していました。
「3.16○○県警隊、済。なし」と、各家の壁に
生存者の捜索が済んだことを知らせるテープが貼ってありました。
ここには数日前まで人が住み、町があったはずなのに
今あるのはただ瓦礫の山、山、山。
そんな瓦礫の道を、飼い主を失ったのか、一匹のダックスフントが
宛ても無く走っていて、余計に悲しい気持ちに。
瓦礫で道を塞がれ、折り返そうとした時に、
ビニール袋を手にした老夫婦が神社の鳥居の前で
ぽつんと立っていました。
「どこへ行かれるんですか?」@BOSSが声をかけました。
「家を見に来て、亘理小学校へ戻るところなのだけれど、
頼んだタクシーが30分たっても来ないから
歩いて戻ろうかと思っていたところです。」
私たちも今そこから来たんです。送りますので良かったら乗ってください。
「ここ荒浜では150人以上の人が亡くなったんですよ。
私の家の隣近所でも6~7人の方が亡くなりました。」
怒りでもなく、絶望でもなく、現実を受け入れるしかない静かな悲しみで
150人という数字を、車中で淡々と語られます。
私たちはさっき来た瓦礫の町をもう一度戻りつつ、津波の話を聞きました。
「そうですか、新潟から。ありがとうございます。
私たち、親戚の家に一旦避難したんだけれども、
そこも水が出ないし、食事も全部作ってもらっていながら何も手伝えないし
それなら避難所の方が気を使わなくていいって移ってきたんですよ。」
食事は足りていますか?寒くありませんか?
「2~3日前は寒かったけど、今日は暖かいですね。
食事はまあ、私たちは年寄りだからそんなに食べないし、
第一、贅沢は言っていられないですよ。」
亘理小学校に着くと「せっかく遠いところを来て下さったから」と
手に持ったビニール袋から何かを出して私達に手渡そうとします。
いえ、まさかダメですよ!私たちがお二人から頂くなんてとんでもない。
「いえ、私は神社の者なんです。これは御神饌です。お守り代わりにどうぞ」
そういって「川口神社」と書かれた粉菓子を下さいました。
「本当にどうもありがとう、お気をつけて。」
バスを降りられる際に、頭をさげられ、そう言いながら握手を求められた時、
暖かい手を握りながら、涙がこぼれそうになりました。
中越地震のとき、テレビから毎日の様に流れる映像で
「頑張って、頑張って!」とあまりにも連呼された経験から
被災者の方へは「頑張って」と言わないと決めていた@BOSSも
避難所の入り口に立ち、手を振って見送って下さるお二人に
車の窓を開け「お体に気をつけて、頑張ってください。また・・・」と
思わず言ってしまっていました。
何もお役に立てなくて本当に申し訳ありません。
お二人に見送っていただきながら、そんな思いでいっぱいでした。
tacさんのお店に向かうために、再び高速に乗りました。
(高速を走れるのは緊急車両のみです。)
ここで見た、高速道路の左右に広がる風景は一生忘れません。
何もない・・・・・・。
まるで、写真で見たことがある、原爆投下後の広島のようでした。
私がカメラを構えると、ゆーじさんに「かまたさん」とたしなめられたけれど
ここが復興したらこの景色は無くなります。
ネットに上げるつもりはないけれど、私が死んでも写真は残るかもしれないので
「心で、手を合わせながらでもいいから」という@BOSSの声もあり
手を合わせてから、一度だけシャッターを切りました。
何もないその広大な荒れた景色の中に、ピンクの丸い何かがぽつんとありました。
死んだ豚でした。
再び仙台市内に入った頃、もう一度tacさんから電話がありました。
ちょうど今、物資の配達からお店に戻ってきたとのこと。
夕方5時半、tacさんのお店、ストレンジモーターサイクルに着きました。
お話をするのは今日が初めてです。
丸坊主にして迷彩柄のジャケットを着たtacさんは新卒兵のようでした。
tacさん、私たちの持ってきた物資、役に立てて頂ける所がまだありますか?
「ここ数日で道路も急激に修復されたので、
大きな避難所にはもう物資がかなり届くようになりました。
でもボクが行くのは、地元でしかわからないような、
神社に避難している人のところとか、道が悪くて行けない海岸線とか、
そういう所なので、食料品はまだまだ必要とされています。
大丈夫です、地元の青年団なんかと直接連絡を取っているので。」
そうですか、それなら間違いないですね、と、
今日あった出来事をかいつまんでtacさんに話すと
「そうなんです、こういう時の情報は、とにかく鮮度が命です。
特に今は、3時間くらいで状況がどんどん変わってきていますから。」
確かに今日はその事をつくづく感じました。
荷物を運び終わるとtacさんは
「今日はワンコは来ていないんですか?」
もちろん来ていますよ、ウトロン、ほらtacさんだよ。
もしウトロンでtacさんがほんの少しでも疲れを癒して頂けたなら
今日一番人の役にたったのはウトロンかも。(泣)
本当はここに残って、物資の仕分けでも肩たたきでも、何でもいいので
tacさんのお手伝いをしたいくらいですが、そういうわけにもいかず、
せめてウトロンだけでも残していこうかと思ったくらいですが
やはりそういうわけにもいかず。
結局tacさんに物資を託して、あとをお願いするしかありません。
tacさん、お手伝いできなくて申し訳ありませんが、
どうかよろしくお願いします。
これからも何か私たちでできることがあったら、いつでも申し付けてください。
「必要なもの」「必要なこと」は刻一刻と変わって行きます。
それもものすごいスピードで。
このブログだって、私たちが仙台に行ったのは日曜日ですが
書いている今日は火曜日なので
すでに現地はここで書いている内容と変わっているかと思います。
今回のブログでは、「情報のこと」と題して
今回学んだ、情報を選ぶ際の注意点や、
主要な情報を一元化して、できるだけ無駄をはぶいて
効率的にいろいろな効果をあげていくことの重要性について書くつもりでした。
けれど・・・
tacさんのご実家は、今日見てきたあの海岸のエリアにあり、
おそらく流されてしまったと思います、とご自身が言われていましたが、
それを確認することもできないまま、こうして自主的なボランティアで
小さな避難所に、一軒一軒、必要な物資を運ばれています。
自治体の手が届かない避難所にピンポイントで物資を届け、
今まさにそこで困っている方たちを、現実に助けているtacさんを見ていたら、
なんだか私たちのしていることは、募金も、今日こうしてやって来た物資支援も
被災者の方をなんとか応援したいという自分の希望を叶えるための
自己満足でしかないのかも、という気さえしてきます。
帰りのトランポで、長かった今日の一日を思い出しながら
いろんなことを反省しました。
結局、新潟にいる時にtacさんと連絡をとり、
最初からここへ届けていたら、時間的には半分で済んだ今日の一日でした。
しかし、それでは判らないままに終わった事もたくさんあった筈です。
ここへ来る前に、テレビで幾度となく見た津波の被災地のようす。
知ってはいるつもりでしたが、実際に目にすると知らなかったも同然でした。
亘理町の荒浜地区で見た景色、高速道路で見た景色があまりにもショックで、
正直、まだ心がまとまっていないのです。
夜が明けてアラームがなり、私はこれまでとそう変わらない朝を迎えています。
でもここから200キロ離れた場所には、あの風景が広がっている。
目が覚めたら、すべてが夢であったら・・・。
ウトロンに癒されているのは私自身です。
「それいけウトロ号」は緊急車両登録が出来ましたので、
要請がありましたらできるかぎり出動したいと@BOSSも言っています。
(遠征力だけは自信があります。)
でも、すでに自治体が把握しているところは、
勝手に動くと現場の混乱を招くもととなるので、
自治体に任せたほうがいいというのも事実ですし、私たちもそう思います。
FaceBookで@BOSSが先に今回の報告をアップしたという記事を
メールで教えてもらいました。
その中に、
「『おこがましい自己満足』との自戒を込めた上での現地入りでしたが、
若林、名取の現状を眼にして打ちのめされました。
支援はしないよりしたほうがよいことは判っていましたが、
自分の行動など、一匹のアリ以下だと・・・。」とありました。
これは、ミワ家の二人も、私も、今回痛切に感じたことでした。
その記事に対してAD/tacさんからメッセージを頂いたそうです。
「ありがとうございました。たとえ一人一人はアリ(蟻)だとしても
みなが動けば力になります。
勿論全員来てくれとは言いませんが、ご援助は大変力になりました。
きっちり現地まで届けます。」
tacさん、ありがとうございました。
偶然にも目にした被災地の惨状、あれが数県にわたっているのかと思うと、
募金も、物資援助も、自分のしていることなど、
やろうがやるまいが復興に関係ないのではないかと
ものすごい無力感を感じてしまいますが、
それでもやっぱり何か先に進むことをやらなければ、と思わずにいられません。
悲観と傍観。それだけはやってはいけないと思うので。
投稿者:かまた posted at : 14:35 | コメント (21)
2011年03月19日
物資のこと
あれほどスケテツさまから、やってはいけないと言われているのに・・・
すみません、「物資の買占め」をしています。m(_ _)m
いえ、私の日常生活用ではないのです。
被災地であるいわきから避難をしているゆーじさんが
避難先から食料の調達に来たためです。
ゆーじさんが知り合いのつてで避難しているのは、
会津から40kmほど離れた福島県内の小さな村の小さな宿で、
そこには幼い子供を含めて、現在11人ほどの被災者が滞在し、
それを好意で、無償で受け入れて下さっているそうなのですが、
その宿のご家族の分すら、もう食料がほとんどなくなり、
食料を買いに行こうにもガソリンがないそうで、
一番近いスタンドでは一人1000円という数量規制がかけられていて、
そこにガソリンを入れにいくのに、1000円分では足りないという状態。
また付近のコンビニにはガムすら見当たらない状況なのだそうです。
どこからどう見ても、明らかに買占めですね。^^;
幸い新潟はまだまだ物資が豊富で、
トイレットペーパーやガスボンベは品薄となってはいるものの、
私の住む片田舎は食料の「買占め」という行為はほとんど見たことがないので
(弊社の向かいのコンビニも、パンやカップ麺は普通に並んでいます。)
ガソリンと食料の調達に新潟まで足を伸ばすしかない!と
なんとか4時間待ちでガソリンを調達した小さな軽バンで、
あ~やさんのお義兄さんと雪の長岡へやってきたのでした。
宿で話し合ったという買出しリストを見ながら買い物をするゆーじさん。
私がゆーじさんと一緒に調味料のコーナーで醤油を買っていると、
「あのぉ、ちょっといいですか?」と地元のおばさんが声をかけてきました。
げ、買いすぎ?注意されるのかな?
すぐに「こちらの人はいわきから避難して来た人なんです」と説明しようと思ったら、
「テレビで見ました。」
は?( ̄∀ ̄;)汗
「この町にはもう2つスーパーがありますが、
町から遠いここが一番商品が揃っていますよ。
でもインスタントラーメンはどこにも無いみたいです。」
私に対して、一生懸命、地元スーパーのことを説明してくれます。
避難所からの買出しとわかり、心配してくださっているようなのですが
私には「大変でしょうけれど、頑張ってくださいね!」、
そしてゆーじさんには「ご苦労様です。」と会釈。
・・・・・・・たぶん私が被災地から避難してきていて、
偉そうにテキパキ買い物をするゆーじさんが
その世話に当たっていると思われたようす。
ま、いいや。(泣)
タマゴを10パックとメモにあったので、タマゴコーナーに行くと
ちょうど10パックだけ残っていました。
申し訳ないと思いつつ、ある分すべて買い物かごに入れようとしたら、
年配のご夫婦が「あら、タマゴ全然ないね。」
あ、これは申し訳ないと思って、手に持っていたパックを差し出すと、
「ああ、私たちはいいんです。いつでも手に入りますから。
全部持っていってください。」
何も説明していないのに、笑顔でそう言ってくださいました。
私の買い物ではなかったけれど、お二人の言葉と笑顔に涙が出そうになり、
深々と頭を下げてお礼を言いました。
それにしても、私ってそんなに避難して来たっぽい雰囲気が
ただよっているんだろーか・・・( ̄∀ ̄;)汗
残念ながら、カード払いができないスーパーだったので
現金が減ってしまうことを避けるために相談中。
ここでは買い占めをする人は被災者、と理解してくださるようでしたが、
この日、買い出しに行くに当たってゆーじさんは
もし買い占めをしていて注意されて止められたり、
地元民である私たちに迷惑がかかるといけないと心配し、
被災地に物資を運搬する緊急車両であるという証明を出してもらうように
被災者の証明書を持って警察へ行きました。
(警察署は弊社の真裏です。)
が、そこでのやりとりは書くのもバカバカしいほど哀しいものでした。
暖房の効いた署内、のんびりとした空気の中対応したその人は
「で、何をしにきたのですか?」
いわきから避難してきたと言っても、「それは大変ですね」の言葉もなし。
何を聞いても、
「上からの指示がない限り、ここでは何もできません。」
「私が言ったところで、それは約束することではありません。」
「本署で聞いてもらわないとわかりません。」
本署はここから20キロ離れていて、
行ったからと言って証明書がもらえるわけではないことは私にもわかります。
でも例えば、緊急車両登録に必要な条件はこれとこれで、
だから難しいと思います、とか、その条件を本署に聞いてくれるとか、
警察である前に、人として、社会人としての対応が
もう少しあると思うのですが・・・
ゆーじさんたちの置かれている状況を説明すると、
「私だって中越地震を体験していますから、多少のことはわかります。」
わかるんだったら、
ぐだぐだ責任逃ればっかり言ってねーで
ねぎらいの一つも言ってみろや!ごるあぁぁ!
と喉まで出掛かりました。
本署と電話で話をしていたゆーじさんは、本署の担当者に
「(あなたがそう急がなくても)いずれ自治体からまとまった物資が
ちゃんと届くことになっていますから。」
と言われたそうです。
いずれっていつ?今晩や明日のご飯はどうすれば?
あまりの話のかみ合わなさに疲れ果て、
「ここはいいですね、暖かくて。」
とだけ言って警察を後にしました。
ま、わかっていたことなんですけど。(泣)
口をだせなかった一番下っ端らしい人がドアのところで私たちに
「あの・・・市役所へ行ってみては?被災者相談窓口があるらしいので。」
と言ってくれたのだけが気持ちの上での唯一の救いでした。
ということで、今度は@BOSSが一緒に役所の相談窓口へ行ってみましたが・・・
小一時間後、@BOSSは真っ赤な顔をして戻って来ました。
「ああ、相談に行ったのが間違いだった!」
まあまあ、落ち着いて・・・。
「おんなじだったよ。
食いものが無くなって買出しに来たっていうゆーじさんたちが目の前にいても
実感すら出来ないんだろうね、被災者の気持ちを。
ただ、ここから避難先の宿舎までの帰り道の道中をスムーズにしてあげるという、
ただそれだけの支援、救済処置すら、責任逃れを言って何もしてくれないんだ。
義援金を募金する人がいる反面、公共サービスの行政が、
痛みも伴うことでもないのに、それすら行ってくれず、
暖かい部屋のデスクで、5時のチャイムで掃除まで始めたよ、目の前で。
挙句の果てに、
『避難して逃げ出して来たいわきの市役所に戻って申請しなさい』だと!」
はあぁ???( ̄∀ ̄;)汗
「まったく、アホか!いわきに戻れないからここに来ているのに。
当事者意識どころか、平和ボケだよ、平和ボケ。
行政機能は破綻してるかもな・・・・。みな責任逃れと言い訳だけ。
機転をきかせて、こうしてみましょうか?とか、
私の責任でこういう方法があるかも、なんてことは一切なし。
ま、期待して行ったのが間違いだったとわかっただけ!以上!」
そうでしたか・・・。
(※追記 もちろん自治体、警察の方がすべてそうだとは思っておりません。
献身的に滅私奉公で、身を挺して事態に当たってくださっている皆さまには
このような書き方をして申し訳ないと思っております。)
会社でコーヒーを飲みながら、ゆーじさんからいわきの話を聞きました。
「被災地住民登録票」を見せながら、
「もうこれが通行手形みたいになっているんだよね。
避難所や宿に入るときにも。」
そこには事故発生時の居場所と、被曝検査による程度が記載されています。
この検査を受けるにも、数時間待ちの長蛇の列で
並んだ上に、翌日に回されることもあるのだそう。
こうして避難しているから安心かと言えば、
来月社員に給料を払うことはできない、仕事もできない、
いわきには帰れない、それもいつか戻れるという保証すらない。
ガソリンや物資がある所にきても、お金がなければ買えない。
問題は山積みです。
「募金と節電のほかに、私たちにできることって何がありますか?」と聞いたら
「何もいらないから原発を止めてよ。本当にそれだけ。」
ちょうどゆーじさんに電話が入りました。KUNIさんでした。
私もいわきでのラリーやしどきで一緒に走ったことのあるKUNIさんが
ハイパーレスキュー隊として、原発からたった2キロの場所から
特殊車両での放水する任務のためいわきに向かうことになったそうです。
言葉が出ませんでした。
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こうして食料を無事調達して
皆が待つ避難先に再び戻って行ったゆーじさんたちでしたが・・・。
避難先のエリアには、他にも被災者を受け入れている宿が数軒あります。
ゆーじさんたちの宿の食料が尽きたということは、他の宿も同様ですが
この避難先の地域から私達の住む長岡の町まで買出しに来るには
サバイバル能力に長けているゆーじさんが、あらゆる機転を利かせながら、
ある意味「脱出」にも近い感覚で、ようやくたどり着いたというのが現状で、
その他の宿の被災者の方々の多くも、同じように食料調達を試みたものの
ガソリンや緊急車両登録の問題でエリア外へ出る事もままならなかったようです。
そこに荷物を満載にした彼らが、一台だけ戻っていくと
当然、避難先の同宿の皆さんは喜びますが、
それ以外の宿の被災者の方々の心情は穏やかではありません。
「何でお前らばっかりが!!」と、罵声を浴びせられたそうです。
この事は、当のゆーじさんも私たちも想像していなかったことでした。
翌朝電話があり、昨夜のその出来事を報告してくれたゆーじさん。
そうか、そうだよな・・・・・、@BOSSも電話口で暗い声になっていました。
この状況においても、そのエリアへの行政からのアナウンスは
『救援物資は「いずれ」届きますから、待ってください』との事。
それがいつなのかは、アナウンスをしている役場の担当者にも
判らないのが現状です。
これが被災地、避難所の事実です。
テレビでは、バラエティ番組の笑い声が戻りましたが
その下に行方不明者・死者の数がテロップで常に流れる異常な違和感。
私たちが出来ることは何なのか、今一度考える必要がありそうです。
遠く離れていたら公的機関を通じての間接的な義援金を、
近くだったら、被災者に直接手渡す「実弾」としてのカンパや
民間支援のマンパワーも必要なのかも知れません。
前回のブログに「4stの小型発電機のつもり」と寄付をされたと
コメントをくださったbinさんに感銘を受けて
友人・知人への直接的な支援ではありましたが
「アクラボビッチのサイレンサーのつもり」と、米や味噌を渡した@BOSSでしたが
それ以外にも、今回の一連の行政の対応を肌で感じて
民間として独自の支援活動も必要だと準備を始めました。
もちろん、「ひと」と「もの」はコントロールをしないと
現地の混乱を招くことになりかねないので
そこは「知恵」が必要になると思います。
何がどこまでできるかわかりませんが、とにかく私たちは被災地に近く、
製油所が県内にあるので、比較的ガソリンも手に入りやすく、
支援には動きやすいはずなので。
今朝会社に来たら、
どこで調達してきたのやら、手に入りにくいガソリン缶とポリタンク、
100リッター缶まで・・・・(((( ̄∀ ̄;)汗
@BOSSは「それいけウトロ号」にこれを積んで、
友人・知人が避難しているところまで、物資を届ける準備を始めています。
出動の要請があったらご連絡ください。
これは物資を入れるコンテナ。
ご要望があれば、『 癒しグッズ 』 もお届けします。(笑)
それいけ!ウトロ号!!
投稿者:かまた posted at : 15:05 | コメント (21)
2011年03月14日
お金のこと
糸井重里さんが東北地方太平洋沖地震について
こんなことをつぶやいていました。
反発されるかもしれませんが、言います。
「金」は、その心が尊いというのもほんとうですが、
アルバイトの時給が1000円の時代の「貧者の一灯」は、
「小銭」ではないと思います。
寄付の相場を、いま上げるべきじゃないでしょうか。
かなり大事なことだと思うのです。
お祝いだとか、お悔やみだとかにも相場がありますよね。
今回、たとえば、「じぶんひとりを3日雇えるくらいのお金」
と考えたら、どうでしょうか。
はっきりとした「実力」になると思うんです。
(※糸井さんの「寄付についての一指針」はtogetterにまとめられています。)
ふーむむむ。と思いました。
コンビニで、お釣りの小銭を募金箱に入れていた私の中に
すごくストンと入ってきた言葉でした。
そこで先ほど、「私ひとりを3日雇えるくらいのお金」を
日本赤十字社にえいっ!とカードで送金しました。
(@BOSSによる私の査定額は未確認ですが。)
被災地の方に対して何かできることをと考えると、
今はまだ「電気の節約」と「募金」くらいしかないけれど、
masameanちゃんが地震発生の1分前に取り上げた赤ちゃんの
オムツ代くらいになってくれたら嬉しいです。
みんなでがんばろう、ニッポン。
世界中の人も祈りを捧げ、応援してくれています。
投稿者:かまた posted at : 22:58 | コメント (19)
2011年03月12日
地震の翌朝
電話やメールでたくさんのご心配を頂いてありがとうございます。
新潟も昨日、震度6強の長くて大きな地震が起きましたが
大きな被害はありませんでした。
皆さんのところは大丈夫ですか?
また、今朝4時前に、東北の三陸沖地震とは別と言われる
M6.7の大きな揺れがあった時は、中越地震を思い出し、
祈る思いでおさまるのを待ちましたが、
その後雪崩が起こることもなく、今は静かな朝を迎えています。
それにしても、テレビの画面に映し出される東北地方の惨状を
信じられない気持ちで見ています。
何度も通ったあの美しい東北の山や海や街が
一晩ですべて消え去ってる・・・
しどきに毎週のように通ったいわき市、トライアルアカデミーで通った真壁、
南相馬は去年北海道ツーリングで出会った
民宿わたなべのお父さんのふるさとですし、
東北地方はどの地名を見ても誰かの顔が浮かびます。
ナックさん、とれっくと~ちゃんはご無事が確認されましたが、
ゆーじさん、☆君、あ~やさん、ともあきさん、ご無事でしょうか。
いわき健康センターの皆さん、しどきの皆さん、真壁トライアルクラブの皆さん、
皆さんとご家族のご無事を、心より祈っています。
スケテツさまのブログで災害緊急掲示板が設置されていますので
安否確認情報をまとめて読むことができます。
またここも連絡事項等があれば自由に使ってください。
投稿者:かまた posted at : 10:07 | コメント (8)
2011年03月11日
ありんこ隊リスト(旧)
このページの表示が重くなってきたので、新しいリストを作成しました。新しいリストは コチラ です。
ありんこ支援隊としてご協力いただいた全国各地の「ありんこ」さんを、随時ご紹介いたします。
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あの・・・もしお名前がもれていたり、間違えていましたらご連絡ください。^^;
また、ハンドルネームではよくやり取りしている方でも、
お送り頂いた伝票などに書いてあるお名前だとわからず、
ご住所や頂いたコメントなどから、当てはまる方を探してはみるのですが
ハンドルネームと一致させられない場合は、ご本名のカタカナ表記とさせていただいています。
(ハンドルネーム等のある方は、もしできれば、こちらで判るようにしていただくと助かります。m(_ _)m)
また、私たちは置かれている立場で、いろいろな状況があります。
被災地ではないけれども、会社が影響を受けて自宅待機中、
計画停電によって給与が減額、などなど。
支援に参加したいけれども出来ないからといって、どうか心を痛めないでください。
頂くコメントでの応援も、私たちの力になります。^^
【ありんこリンク】 リンクでの支援、ありがとうございます
■ON THE ROAD 松本充治オフィシャルホームページ ・・・ ありんこ支援隊の活動をご理解頂き、とてもわかりやすくご紹介頂いています。
■トレックフィールド ・・・ 仙台市内で買い物難民の皆さんに物資と元気を運んでいるトレックさんのブログ。
■ 北狐RACING・外伝、『ゆるぅ~く行こうぜ』 ・・・ スケテツさま
■ラパスでTECATE ・・・ オオエドアネゴアリ(楽)さん
■南仏写真館 ・・・ ricard51さん(Oさん)
■大将の気合と根性 ・・・ taishoさん
■HOP,STEP,・・・そのうちJUMP(>_<)!? ・・・ kainalu4010さん
■うなぎ工房の徒然草・・・うなぎさん
■こるなっこ神殿 ・・・ こるなっこさん
■ドラミのblog ・・・ doramiちゃん
■走れ!!ドロみちゃん♪ ・・・ ドロみちゃん(大阪のニュートンさん)
■ゆるゆるエンデューロライフ。 ・・・ ゆるゆるさん
■ドラ家のブログ ・・・ ドラさん
■こんなもん日記 ・・・ ktm_oyajiさん
■たぶん日刊☆ぬ~にゐ☆ ・・・ ★ぬ~にゐ☆さん
■オープンエリア ・・・ (有)オープンエリアさん
■東海林道ガールス ・・・ めぐめぐさん
■WELCOME TO RIDERS LAND! ・・・ 魔女さん
■WELCOME TO RIDERS LAND! ・・・ 魔女ダンナさん
(※引き続き編集中。リンクしていただいているサイトがありましたらお聞かせください。)
投稿者:かまた posted at : 19:11 | コメント (6)
2011年03月10日
ありんこ支援隊ができるまで
AD/tacさん、トレックフィールドさんの草の根活動に共感し、
3月20日に物資を届けに行った際に見た被災地の現実・・・。
その想像を絶する被災地の惨状に、
一時は私たちの支援なんて・・・と無力感にさいなまれました。
でも、「蟻のような小さな力でも、みんなで協力し合えば
大きな力になります。」と言うAD/tacさんの言葉に力を頂いて、
出来る範囲の小さなことからになりますが、
信じあえる仲間の皆さんと、この活動を広げて行きたいと思いました。
被災地で泥だらけになって活動をされているAD/tacさんやヒラチさん、タクミさん、
周辺住民への支援協力を行っているトレックフィールドさん、
愛媛から、持ち出しで炊き出しを行っているSSERの皆さん、
それ以外にも岩手や福島、茨木にも、バイクを通じて知り合った
多くの仲間の皆さんが、今、この時も懸命に活動をされています。
そして避難所では家や家族を失った被災者の方が
先行きに対する不安を抱えながらも、懸命に生きていらっしゃいます。
私たちは、地元の情報に詳しい現地で活動されている方々と連絡を取り合い、
「アリ」にしか伝わらない被災者の声をお聞きしながら
「アリ」にしか届けられない細やかな支援の思いを
物資とともに送り届けたいと思います。
4000箇所と言われている避難所を網羅することなど到底できませんが
大動脈の幹線沿いの公設避難所への物資援助は
自衛隊・自治体など公的機関にまかせて、
その先の遠隔地や中山間地の小さな避難所や自宅に身を寄せていることで
取りこぼされている被災者の方々への支援を、
バイク・ブログを通じての「ヒト・ネットワーク」で
要請と支援の両方の情報をダイレクトに受けながら、
確実に届けていこうと思います。
基本的に、自宅難民および買い物難民となっている方、
または公的な避難所ではない避難場所にお届けします。
私たちがお届けできない場合は、皆さまの善意を無駄にしないように
NPO団体を通じて、必要としているところへお届けします。
(もちろん、需要が合えばトレックフィールドさんへもお届けします。)
毎日皆さまからの支援物資がどんどん届いています!
北は北海道から、南は広島まで。
ご協力、本当にありがとうございます。
こちらは孤立している避難所に届けて頂いているtacさん、タクミさん、
または、買い物できない地元の皆さんに配られているトレックさん等に
私たちが責任を持ってお届けいたします。
または、現地で活動されている皆さんと一緒に
現地の小さな避難所に直接お届けしてきます!
引き続きご支援協力をお願いします。 ありんこ支援隊のページへ戻る
投稿者:かまた posted at : 00:38 | コメント (2)
2011年03月07日
CHANGE!
去年のお盆の事故から半年。
私の1200GSは原サイクルさんの手によって復活しましたが、
私が乗っていた@BOSSの100GSは、
いくら保険が出るとはいえ、旧車のため部品もなく復活不可能・・・
同じ程度のマシンが偶然見つかればいいけれど
なかなかそう上手くもいかないもので、
どう決着を付けるか話がまとまりませんでしたが・・・
このたび、いろいろなご縁があって、
HUSABERG として生まれ変わることになりました。
新しいマシンは、太田パパのお店でお世話になることになり、
今週末はマシンを引き取りに静岡へ。
そして、8月のISDEフィンランド大会に向けて走り込む太田パパと
SUGO2DAYS、ISDEへ向けて練習する太田兄弟と一緒に、
今週もオーランドで練習させて頂けることとなりました。
本当にありがとうございます。
私はSUGOに出るわけではないので、私のマシンを降ろして、
HUSABERGを迎えに行っていいですよ、と@BOSSに言ったら
「せっかくだから、あんたも丸太の練習させてもらえば。」
はあ・・・ありがとうございます・・・( ̄∀ ̄;)汗
というわけで、今週も静岡はオーランドへ向かいます。
いざ行かん、駿河の国へ!決意にみなぎる@BOSSとウトロン。
というのは偶然撮れた一枚であって、
普段はこんなです。
@BOSSに背中をなでてもらってごきげんなウトロン。
しかし、すごい風景だなあ・・・
清水の人は、銭湯の中に住んでいるみたい。(笑)
オーランドには、すでに太田ファミリーが到着していました。
おはようございます。
「おう、一週間ぶりだな、ウトロン」
ウトロンはここへ来ると、
本来の「マウンテンドッグ」に戻れるのが嬉しいみたいです。
(毎日バーニーズ・オフィスドッグですもんね・・・泣)
サングラスにマスクの不信人物を警戒して飛び掛るウトロン。
今日も穏やかにきらめく駿河の海。
そして傘雲をかぶった富士山。
午後からはお天気が崩れだしていくのでしょうか。
この日は花粉の活動も活発化してきたようで、
「もう生きているのが辛い・・・」と倒れこんでいるEUな方。
だ、大丈夫ですか・・・と聞くのも可哀そうなくらいです。( ̄∀ ̄;)汗
そんな中で納車された、
こちらの美しいブルーのマシンが、
100GSの生まれかわりのHUSABERAG(フサベル)TE250。
@BOSSに「立ちごけしないなら乗っていいよ」と言われました。^^;
写真だけ見ると、ドラミちゃんのマシンのように見えますね。(笑)
MASAさん、YUKIさんがいろいろと教えてくれます。
SUGOでどちらに乗るのかはわかりませんが
この日はまだ@BOSSがこの
富士山カラーのマシンに乗ることはありませんでした。
さて、この日所用で来れなかったdoronqoさまから
私にメールが届きました。
「前回3時間だったので、今日は4時間かな。
私は行けないので、後任おねがいしますね、鬼トレーナー役。
太田パパが休まず走るように、厳しくよろしく!」
ひゃ~~、厳しぃ~~!( ̄∀ ̄;)汗
今年8月のISDEフィンランド大会に、MASAさん、YUKIさんと親子3人で
クラブチームとしてエントリーすることを決めた太田パパ。
ISDEは、一日約8時間の長丁場で厳しいオフロードを走ると考えると、
5日間で約40時間。これに耐える体を作るべく、7月までに、
トータル100時間オーランドを走るという目標を立てています。
「まあ、たいした目標じゃないんだけどね。」と謙遜されていましたが
オーランドを2~3時間休憩無しで走ると言うことがどれだけ大変なことか。
(かく言う私も想像するだけですが。)
太田パパが4時間走るなら、自分は1時間走ってみようと
この日1時間無休憩に挑戦したEUな方と@BOSS。
終わる頃に吹っ飛んでしまったそうな・・・(-人-)チーン
今週の鬼トレーナーからの指令は4時間。
午前2時間、午後2時間の予定です。
太田パパは誰よりも早くコースに入って行きました。
「たった今、午前の部スタート!」と鬼トレーナーにメールで報告。
すると、鬼トレーナーから
「オードリー様の今日の目標は?」
え。Σ( ̄⊥ ̄lll)
午前中は2時間の予定でしたが、私が2時間30分を走らせてしまったので
ペース配分が狂ってしまわなかったでしょうか。
午前の部を走り終えたら、もうガソリンタンクのふたを
自分で開けられないくらい力が入らなくなっていたそうです。
太田YUKI選手が、@BOSSのKTMを見てくれた後に、
「かまたさんのCRFもサスをもっと柔らかくした方がいいと思います。
体重も軽いから、トラ車並みにサスもダンパーも緩めてあげないと。
ノーマルのままの堅いサスだと、ガレ場はきついと思います。」
そう言いながら、私のマシンもセッティングを変えてくれました。
うわ~、ホントにふにゃふにゃになりました。
車高も数センチ下がって、足つきも異常によくなりました。
するとEUな方が、
「じゃ、前回のリベンジにガレ場へ行きますか」
・・・さっそくありがとうございます。( ̄∀ ̄;)汗
ガレ場は、登り始めにしっかりある程度のスピードをつけて、
アクセルを緩めないで、最初からスタンディングをしたまま
狙ったラインを走って行ければ、途中で石に乗り上げても
何とかバランスを持ち直して登って行けたりもするのですが、
最初でつまずいて一旦座って足を出したり、転んだりしてしまうと、
坂の途中でもう一度ステップに立つことはおろか、
再発進すらままならず、
車高が下がったので、キックは楽になったとはいえ、
そのためにサスを緩めてもらったわけではなく、・゚・(ノД`)ヽ
たまに一回で登れても、次の回で
それは単なるまぐれだったとすぐに証明され・・・
「これじゃリベンジじゃなくて、返り討ちですね・・・」
さて、お昼休憩をとって、午後の練習に入る時、
doronqoさまからもらった
「オードリー様の今日の目標は?」というメールを思い出して考えました。
どこを走っても練習になるのは間違いないけれど、
太田パパみたいに、結果がわかることに挑戦してみよう。
そうだ、次回ACEに私は本当にCクラスで出ることができるのか、
実際にタイム計測をして走ってみよう。
ハンドルバーに着けた時計を見て、スタート!
午前中は霜が融けてチュルチュルの山側に15分かかっていましたが
午後はコンディションもよくなってきて、約9分で山側をクリア。
続いて海側、Cコース。EUな方の特訓のおかげか、約10分でクリア。
ドラさんがパドックにいたので、
「19分で一周しました!」と報告したら、
「じゃあ、11分休憩して、もう一周!」
この時、「え~?( ̄∀ ̄;)汗」とちょっとだけ思ったことはヒミツです。
こうして私の「ひとりプレACE」が開始しました。
30分オンタイムで、6周できれば合格。
今日は6周する時間はないけど、できるところまでオンタイムを目指してみよう。
2周目は17分。
「よし、13分休んでもう一周!」とドラさん。
3周目は19分。
この当たりから疲れが出てとっちらかり始めましたが、
4周目もなんとか17分。
これなら参加できそうじゃないですか?(雨さえふらなければ。^^;)
たった一人のオンタイムレースごっこだったけど、
パドックで「よし次の周も頑張れ」と言ってもらえるのは励みになるし、
下手に急いでどこかで転んだりすると、
時間はなくなるは、休憩は出来なくなるはという
魔のスパイラルにはまってしまうでしょうから、^^;
とにかくゆっくりでいいから、確実に行こう、
そんな緊張感をもって走れたのもいい練習になりました。
休憩時間も、ダラダラしないで、約10分の中できちんと休もうと思うし、
doronqoコーチのメールのおかげで、私もいい練習ができました。
結果を見れば、4周ともオンタイムで走れたので、
次回はぜひ末席でACEにも挑戦させて頂こうかな~と思います。
太田パパは、午前中に2時間半走ったので、
午後は残りの1時間半に挑戦するのかなと思いましたが
午後も「やれるだけやります!」と、2時間を完走。
この日は目標だった4時間を超えて、4時間半を走りました。
オーランドをぶっ続けで数時間走ることの過酷さ、
そしてISDEを6日間走りきることの過酷さ、
そのどちらも知っている太田兄弟は、
太田パパの挑戦を支え、見守っています。
疲れて倒れ込んだ太田パパを、嬉しそうに独り占めするウトロンです。
頼む、ウトロン、お前も静かに見守っておくれ。(泣)
練習の合間に、みなさんがウトロンを構ってくれるのが
ウトロンは嬉しくてしかたないようす。
ウトロンの幸せタイム。甘ったれモード全開。
図に乗りすぎて、MASA選手に絞められているところ。^^;スミマセン
こちらは太田ママの手作り、キンメの煮付け。
ほくほくしてものすごく美味しかったです、ご馳走さまでした。
みんなが帰り支度を始める頃、ドラミちゃんはタイヤ交換の練習に、
EUな方のマシンのタイヤ交換を始めました。
すごいなあ、ガソリンを入れるのと同じ感覚で
タイヤ交換もできそうですね。
帰り際、ビタミンCたっぷりのハッサクをお土産に頂きました。
ウトロン、ボールじゃありませんよ。(笑)
静岡は、自宅の庭や道端に、よくみかんの木が植えられていて、
大きな甘夏やハッサクが、ゴロゴロ道に落ちているのをよく見ますが、
庭から富士山が見えるのと同じくらい、
県外の私たちからは面白い光景です。
午後5時、皆さんに見送られてオーランドを出発。
今週もお世話になりました。ありがとうございました。
「私、あんなに苦手意識があったガレですけど、
今回ガレの練習をするの、すごく楽しみだったんですよ。」
帰りのトランポの中で、そう@BOSSに話すと、
「実は俺も、あばらも指もまだまだ痛いけど、
根っこ地獄もガレ場も、練習していて楽しかった。」
なんなんでしょうね。
「あの時に似てる気がする。
じゅんたろうさんがWOMEN'S Xに挑戦した時。
話はISDEとWOMEN'S Xだから規模はまったく違うけど、
一人の人が自分を打ち破ろうと決意して、
それに向かって挑戦していく行く姿から、
それを応援していた俺たちが逆に勇気をもらって
自分もこうしちゃいられない、頑張らなくちゃと思ったあの感じ。」
たしかにあの時のように、今回の太田パパの挑戦を見ていると、
「よーし、私も!」という元気と勇気が湧いてきます。
ちょうど今回来れなかったdoronqoさまからも
「(太田パパの)強い気持ちに乗っかって、
私も強くなりたい」というメールが届きました。
そのメールの中にあった一文、
「太田ファミリーの挑戦、激しく応援していきましょう」を
運転をする@BOSSに読んだら、
「『激しく応援する』じゃなくて、『激しく見習う』のがいいと思うよ。
太田パパの挑戦に感動したら、周りにいる俺たちが
それぞれの立場で自分なりの挑戦していくことが、
結果的に一番太田パパの力になって、それが応援になるはずだから。」
なるほど、確かにそうかも。
かく言う@BOSSも、太田パパの挑戦に激しく感動して
未経験のエンデューロの初挑戦を決めた一人でしたね。
「がんばる」のペイ・フォワード。
「がんばる」の連鎖。
太田ファミリーの、特に太田パパの55才の挑戦を激しく見習って
練習しない限り「今の自分」には出来ないことに
私も挑戦していかなくちゃ!と激しく思います。
まずはガレ登りと下りコーナーからだな・・・( ̄∀ ̄;)汗
投稿者:かまた posted at : 18:07 | コメント (8)
2011年03月04日
に、似てる・・・
(タイトルはパクリですが。)
セブンイレブンに行くたびに、似てるな~と思います。
濃厚チョコタルト。
爆睡ウトロン。
失礼いたしました。m(_ _)m
さて。
ここ2~3日は寒さが戻って、また新しい雪が積もりました。
今朝の散歩。
ぎゅっ、ぎゅっ。久しぶりの新雪の踏み心地を楽しむウトロン。
やっぱりヘソ天で寝ているよりも、
そうしている方がかっこいいよ。(笑)
いつものコースをパトロール。春の姿が見える?まだ見えない?
先週、静岡のオーランドではふきのとうが出ていましたが、
こちらはまだまだ先のようです。
でも、真冬にはこの時間でもまだ薄暗かったけれど
明るくなるのがずいぶん早くなってきました。
さ、用を足したら会社に行きますよ。
あっ!!
またそんな片付けるのが大変そうな所にわざわざ・・・Σ( ̄∀ ̄;)
投稿者:かまた posted at : 13:10 | コメント (8)
2011年03月01日
オーランドPRD
朝の上信越道。
「妙高高原~信濃町間ユキのため通行止」という表示が出ていましたが
私たちが通過する頃には解除になりました。
ワイパーについたウォッシャー液が凍り付く寒さです。^^;
長野を抜けて山梨へ入ると、日差しが柔らかくなり、
国道52号で静岡に入ったらもうそこは春でした。
早咲きなのかな、桜が咲いてる・・・( ̄∀ ̄;)汗
SUGO2DAYSまで、あと週末は3回。
(いや、私は出ませんけど。)
今週も@BOSSはミワ家とともにオーランドで練習です。
本日はPRD(プレイ・ライディング・デイ)。
オーランド一番乗りです。いいお天気!
「山側」と呼ばれるコースの後ろには、今日も富士山がそびえています。
こちらは「海側」と呼ばれるコース。
単に山側の反対だからそう呼ばれるのかと思ったら、
今まではガスっていて、海が見えなかっただけなんですね。
こんなに見事に駿河湾が一望できるなんて!
さすが、ひねもすのたりな春の海。
厳しい日本海の荒波とはまったく違います。
ほどなくミワ家と太田ファミリー登場。
おはようございます。今日はよろしくお願いします。
さっそく太田パパがウトロンと遊んでくれます。
「よし!行くぞ、ウトロン!」
「何だよ、行かないのか・・・」
PRDの参加者が次々に集まってきます。
「ウトリョ~ン」ウトロンに構ってもらうしるこりん。(笑)
私は前回と同じく、CRFとBetaを積んできてもらいましたが、
でも今日はコースコンディションも悪くないようですし、
せっかくなのでCRFで練習したいと思います。
photo:ミワコング
この夏のISDEフィンランド大会に、息子の太田MASA選手と太田YUKI選手と共に
日本人初、親子でのクラブチーム参加を決めている太田パパ。
この日は3時間、山側&海側のフルコースを走るという課題を決めて挑戦。
doronqoさまを専属トレーナーに指名してコースイン。
photo:ミワコング
目標に向けて走り込む太田パパの姿に
@BOSSも「俺もこうしちゃいられない」と思ったそうで、
先週打ったアバラの痛みにもめげずに走りこみます。
こちらはSUGOに向けて、EUな監督から
タイヤ交換の猛特訓を受けているドラミちゃん。
しかも、まずコースを走り込んで疲れ切った体で
ムースタイヤを交換するという、本番を想定した練習。
テントの向こうから聞こえる
「美味しいイチゴがあるよ、早く来ないと無くなるよ~」の声に
耳があっちを向いているドラミちゃんですが、
はい、集中、集中!(笑)
太田YUKI選手が、初めてエンデューロレースに出る@BOSSを気遣って、
メインジェットなど、マシンを調整してくれます。
パドックでは、皆さんウトロンを構ってくださってありがとうございました。
photo:ミワコング
太田YUKI選手も、
(ウトロン、ふにゃふにゃに逝っちゃってますね。( ̄∀ ̄;)汗)
photo:ミワコング
太田ママも。飼い主がほったらかしでホントにすみません。^^;
photo:ミワコング
隣のトランポには、ktm_oyajiさま。
来週がJNCCということで、太田パパの手によって復活したハスクに乗って
先週の無念さを取り戻すかのごとく走り込んでいます。
oyaji様の携帯、ソーラー充電中?
こちらも電池切れでソーラー充電中。(笑)
@BOSSがEUな方とdoronqoさまから
SUGO攻略のレクチャーを(?)受けているそのすぐ近くで、
午前中の90分耐久を終えて休憩中の太田パパとウトロンのくつろぎタイム。
ウトロン、くつろぎ過ぎだと思うんですけど・・・( ̄∀ ̄;)汗
「俺、発見したんだよ」
太田パパが目をキラキラさせて言うには、
このウトロンの手首(?)の関節。脇の下から腕を伸ばすと、
手の先までまっすぐになるんだそうで、
photo:ミワコング
「バンザ~イするとピーンと伸びるの!
ウトロン君、はーい!」
あははは、見ていたうーたんも大爆笑!
何が面白いかって、為すがままのウトロンもウトロンですが、
何回も楽しそうにやってみせてくれる太田パパ、最高です。
でも、走って疲れて帰ってきても
イスで休んでいるより、こうして笑わせてもらった方が
体の回復が早い気がします。
太田パパももう一度、午後の部の90分耐久にコースインしたところで、
さ、私ももうひとふんばり走ってこようかな。
この日、私は海側に比べて厳しいところが少ない
山側のコースだけを走りましたが、
それでも充分私には厳しくて、
エンスト、転倒、引き起こしの連続。
photo:ミワコング
他の人は山側と海側で15分~20分くらいで戻ってくるのに
私は最初の頃、山側だけで15分かかりました。(泣)
私があまりガレの上りで転んでばかりいるので、太田パパが
photo:ミワコング
「登り切るまで、我慢してクラッチを一切使わないで来てごらん。
あと今まで1速で走っていた所を、2速に上げてみるとか」
そうなんです、先週も自分で気になっていたのですが、
私は少しでもやばい、怖いと思うと
すぐにフロントブレーキとクラッチを握ってしまうクセがあって、
それによってバイクが不用意に暴れて結局転倒してしまいます。
アクセルは閉じないで、クラッチも握らないで我慢、我慢・・・
やった~、転倒なしで登れた~!。+゚(゚´Д`゚)゚+。
@BOSSからも「あんたは遅すぎて不安定」と言われていたのですが
少しスピードをアップさせて2速で走るようにしてみたら
これまで木の根っこや小石でヨロヨロしていたところは
開けた方が問題なくスムーズに進めるように。
コース一周無転倒は一回もありませんでしたが(TдT)
最初15分かかっていたのが、最後の方では8分で走れるようになりました。
(これだって、相当遅いんでしょうけれど・・・^^;;;)
photo:ミワコング
その頃、@BOSSはEUな方に、丸太を使ったミニセクションで
エクストリームを想定した練習をつけてもらっていたそうです。
photo:ミワコング
私はというと、だんだん疲れてきたのか
何でもない場所でも、コテンコテンととっちらかるようになって
これはもう体力の限界かな、とパドックに戻ったら、doronqoさまが
「みんなが海側のSSコースで練習をしているから、来るようにって」
え~~、これから海側っすか~~( ̄∀ ̄;)汗
パドックでのUターンすらふらふら立ちゴケる始末でしたが
言われたコースへ降りてみると
photo:ミワコング
フカフカの黒い土のコースで、みんながモトクロスのような
コーナー練習をしていました。
EUな方。
太田YUKI選手。
photo:ミワコング
全日本MXに出ているKONA2ちゃん、速っ!
少し練習に混じらせてもらいましたが、全然ダメダメ。
コーナーの手前でスピード落とし過ぎて、完全に動くシケイン化。
でもこういう練習もみんなでしているんですね。
いずれ、皆さんの中にちゃんと入って走れるようになりたいなあ。
そうしている内に日は傾き、練習終了の時間になりました。
さて。
下まで降りてきたと言うことは、
これから登らないとパドックまで帰れないと言うことで。
「ここから一番早く簡単にパドックに戻れる道はどこですか?」
とEUな方に聞いたら、
「案内するから付いてきてください。」というゼスチャー。
そして案内された先は、
去年心が折れたあのガレ場・・・( ̄∀ ̄;)ヤッパス
先週トラ車で走った時は、一人でもトコトコと登ったけれど
CRFでは・・・・・わわわー、パスッ!ドテッ!
山側で練習した時のことなどすっかり忘れてクラッチ切りまくり。
行くつもりのない方向へとバイクは進み、
登るつもりのない石の上にバイクは上り。(泣)
「大丈夫ですか?まだ心は折れていませんか?ボク、代走しましょうか?」
いいです!自分で行きます!
キック!キック!キック!ぜいぜいぜい。
どーにかこーにか上まで登った頃には
真っ平なパドックでも立ちゴケする有様。
「なんだ、ヘロヘロじゃないの」と太田パパが笑っています。
photo:ミワコング
もう強がりを言う体力も残っておりません。(泣)
「ガレ登る時、キレてました?」とEUな方。
いえ、キレてなんかいませんけど。( ̄∀ ̄;)汗
「だって、EUダンナのバイクが邪魔だー!とか言ってませんでした?」
いやいや、EUダンナのバイクにだけはぶつかっちゃだめだーと
自分に言い聞かせていただだけですから。
(そう聞こえたかもしれませんけど。)
「見ていると、立った時に何にもリアにトラクションがかからなくて
リアタイヤが空転しているように見えるんですよ。
それだったら立たないで座ったまましっかりトラクションをかけて
ガレを登っていった方がいいんじゃないかと思うんですけど。」
というアドバイスをくれたEUな方に、
「おう!登ったるわい!」とは言いませんし、思いませんでしたが(笑)、
次回オーランドへ来る時は、心して海側も練習させて頂こうと思います。
どうもありがとうございました。(-人-)
photo:ミワコング
「ぼくは球技も苦手だし、走るのも速くないし、
運動全般が得意じゃなくて、運動神経はよくない方なんですよ。」
そんな話をしてくれた太田MASAさん。
「でも、4才の時からバイクだけは乗り続けて練習してきました。
一つのことに打ち込んで続けたら、絶対結果は出ます。」
ああ、なんて勇気が出る言葉。(TдT)
片づけの後は、PDR(プレイ・ドッグ・ラン)。
photo:ミワコング
たまごとヤムヤム。
minicoさんに抱っこされて、夢見心地のショコラ。
オスには見向きもしないけれど、メスには全身全霊で求愛する、
老いても尚盛んなゴン太、14才。
髪の厚さと天パーの具合がよく似た二人。(笑)
立つとminicoさんより大きいかもしれない雪之助。
photo:ミワコング
大人しくて堂々と風格があって、一目でノックアウトされました。
雪之助の隣にいるとウトロンが子犬に見えます。(笑)
午後5時30分。名残はつかないけれど、そろそろ出発しなければ。
「じゃ、SUGOでまた!」
みんながそれぞれに、トランポに乗り込みます。
photo:ミワコング
今週もお世話になりました。本当にありがとうございました。
またよろしくお願いします。(ウトロンも。笑)
明けて月曜日。
久しぶりに朝からあちこち筋肉痛。
FAXやカウンターでストレッチをしながら仕事をしております。
ウトロンはというと、おみやげにもらってきた木っ端をガジガジしながら
会社で過ごす長~い時間に耐えております。
それにしても、「トラ年」になるはずだった今年なのに、
どこで道を間違えたんだろう・・・( ̄∀ ̄;)汗
投稿者:かまた posted at : 18:50 | コメント (9)